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きょう10月21日は「国際反戦デー」、そして80年前「学徒出陣壮行会」が行なわれた日

2023-10-21 23:56:18 | 雑学

きょう10月21日は「国際反戦デー」、そして80年前「学徒出陣壮行会」が行なわれた日

国際反戦デー - Wikipedia

国際反戦デーとは、日本の記念日の1つ。1966年に始まり、毎年10月21日。「国際」と呼ばれるが日本だけの記念日である。

概説

1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。

ジャン・ポール・サルトルが「世界の労働組合で初めてのベトナム反戦スト」と総評を讃えた。

動画「真実は告発する」

当時アメリカによるベトナムへの侵略戦争が行なわれており、全世界で反戦運動がまき起こりました。今はそのアメリカをバックにしたイスラエルによるガザ地区への爆撃が連日行われ、全世界で「今すぐ戦争やめろ」の声が広がっています。

(下の画面のYouTubeで見るをクリックすれば、動画で見られます)

1967年10月21日には、アメリカのワシントンD.C.で10万人を超えるベトナム戦争反対デモ(「ペンタゴン大行進」)がおこなわれ、日本や西ヨーロッパでも同様な示威活動が展開された。

動画:ベトナムの衝撃

1968年には、新左翼による新宿騒乱などが発生した。

翌1969年にも10.21国際反戦デー闘争が新宿などで発生した。

ベトナム戦争、安保闘争、東西冷戦などの終結後も、一部の反戦運動や左翼団体などにより各種の集会が毎年開催されている。

なお、この日は1943年に明治神宮外苑で、学徒出陣壮行会が行われた日でもある。

(毎日新聞の記事より)

学徒出陣80年 「死んでも靖国には行かない」特攻で散った慶大生

学徒出陣80年 「死んでも靖国には行かない」特攻で散った慶大生(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

学徒出陣80年 「死んでも靖国には行かない」特攻で散った慶大生(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 第二次世界大戦末期の1945年5月11日、鹿児島県知覧の陸軍特攻基地から一人の学徒兵が特攻機で飛び立った。上原良司さん。今から80年前の43年、慶応大から学徒出陣した良司...

Yahoo!ニュース

 

 第二次世界大戦末期の1945年5月11日、鹿児島県知覧の陸軍特攻基地から一人の学徒兵が特攻機で飛び立った。上原良司さん。今から80年前の43年、慶応大から学徒出陣した良司さんは米軍が上陸していた沖縄に向かい、戦死した。

明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋(さび)しいですが、心中満足で一杯です」などと記した遺書が戦没者の遺稿集「きけ わだつみの声」に戦後掲載され、今日まで読み継がれてきた。だが、22歳で亡くなるまでどう育ったのか、死を受け入れるのにどんな葛藤があったのかなど、知られていないことも多い。

 遺書に「満足で一杯」と記しながら、良司さんは当時の大日本帝国での禁句を家族に言い残していた。「この戦争は負ける」と。さらに「上官には絶対服従」が当然の軍隊にあって、自らが信条とする「自由主義」に反する理不尽な指導を堂々と批判した。

 爆弾を搭載した航空機が搭乗員もろとも敵艦に体当たりする「作戦」を、大日本帝国海軍はフィリピン戦線で始めた。「特別攻撃隊」=「特攻」で、陸軍もこの航空特攻を始めた。「九死に一生」どころか、「十死零生」の「作戦」で多数の若者が命を落とした。

 良司さんはその一人。戦死者は国家によって「英霊」とされ、靖国神社にまつられていた。だが良司さんは、「死んでも靖国には行かないよ。天国にいく」と妹に言い残した。

 

 

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