近世 の 市民革命 における ジェンダー
近世、絶対王政の時代
●王殺し オリバー・クロムウェル(1599~1658)(上)と処刑されたチャールズ 1 世 (1625~1649)(左下)、王政復古のチャールズ2世(1660~1685)(右下)
歴史の時代区分、古代、中世、近世、近代と最初に分けてしまったことに後悔しています。日本史にはまったく当てはまらない。これはヨーロッパのもの。古代 →西ローマ帝国の滅亡→中世 →東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス、大航海時代、宗教改革→近世 →フランス革命、産業革命→近代 → →、 近代 と 現代 の 境界は、 1914年の第一次世界大戦の開始以降を現代とするのが一般的だったが、今は1989年の ベルリンの壁崩壊から現代 という考え方が台頭してきている。
近世は、 時代でいえば、絶対王政の時代。 中世の 封建国家も ルネサンス、 科学革命 (地動説)、 宗教改革、大航海時代 で変わらざるをえなかったが、 絶対主義と重商主義(※1)が共存し、そんな時代に活躍したのが 思想家たち。 女性差別 は神の差別に加え、王の権力と 結びつき、王権神授説(※2) で 正当化された。
※1 金銀貨幣の蓄積をはかるため、国内の鉱山の開発に努めたり、海外からの金銀の獲得につとめ、またその国外流出を抑える政策。 16世紀のスペインに典型的に見られる。
※2 ヨーロッパの絶対王制国家の権力は神から授かったものとする政治思想。 国王の権力は神から与えられた神聖不可侵なものであり、反抗は許されないとする政治理念。
● 16世紀半ばの西ヨーロッパ
フィルマーの王権神授説( 父 権論)
● ロバート・ フィルマー
16世紀終わりごろ 、 宗教革命 がおき 、 ヨーロッパの国々では国王が 権力維持のためにプロテスタントに対する 宗教弾圧を行った。それに対して抵抗運動がおきると 、国王の権力を擁護する議論を展開したのがロバート・フィルマー(1588~1653)である。根拠は聖書の「創世記」。
「父権論」(Patriarcha)という本を著した。
簡単に紹介しよう。
聖書には「創造の歴史の真実」が書かれて おり、アダムが女性に対する支配権を神から与えれたのが「権力の源泉」。アダムは人間のはじまりなのだから、その後、わんさかいる子ども達のすべての父で、 子どもが存在する要因は父にあり、母は子どもを入れておくだけの「空の容器」にすぎない。 父は神が人間を創造するのに代わって この世の 人間を創造する。人間は小さな家族から始まって、大きな国家に発展し、家族を支配していただけの父は、国家の支配者である王になり権力を持つようになる。
だから、王の権力は神がアダムに与えられた「父権」 であり、 王に抵抗することはできない し、 家族 を 男性が父として支配する こと ( 家父長制 ) は正しい 。 女性は父や夫に従うべきである。
これは「 王権神授説 」と呼ばれている。
ロックの社会契約論
● ジョン・ロック
王の権力行使に抵抗する側と して立ち向かった代表は ジョン・ロック(1632~1704)。 日本では 天下統一 で 江戸幕府が軌道に乗り始めた時期に、イギリスでは 王の 国家権力を認めるかどうかの 論争やってたんだね。 ロックは名誉革命 の際に、「統治二論」などの著作で 「社会契約論」を唱えた。
(統治二論)
● 清教徒革命と名誉革命
ロックはフィルマーの議論をすべてひっくり返した。王権の根拠とする「父権」を否定するために、国家と家族を切り離し、別々の起源があると主張した。 これも根拠は「創世記」。
人間は自分たちで生きるために楽園からこの世に送られた。 しかし、送られた時には国家はまだなくて、 この世は 自然状態 であったから、この世もまた、神の管轄する領域であると主張し、人間が生命を生み出すことは人間の努力ではなく、神の仕事。
フィルマーの 「 父が神に代わって生命を生み出すことで支配権力を持つ」の主張に対し、 「生命の作者と授与者は神であり、 彼 の中においてのみ、我々は生き、行動し、存在することができる」 と 父 権を無力化した。
ロックはそのうえで、「国家は人々の契約により作られ決定され る もので、神の決定ではないから、 人々は国家権力の行使に問題がある場合は王に対し異議をとなえ 、転覆させる 権利をもつ 」。これが革命派によって唱えられ、近代社会を作る基礎となった「社会契約論 」である。
社会契約と性契約
父権論を解体したロックは、 神の管理下にある「自然状態」における家庭内の男女関係についても論じている。
ロックは「 家族は男性と女性が結婚の契約をすることにより始まる」とし、しかしその関係は、「女性が男性に従属するのは当り前」だとした。 従属は「自然に基礎を持つ」。「自然」というのは「神が定めたもの」という意味で、 国家が成立する前の状態を指す。 ロックは熱心なプロテスタントで、結婚契約を結ぶのは、「女性は男性に支配されるべき」とした神の命令を守るため、と考えた。
● キャロル・ベイトマン
ロックが 、 結婚契約 の前に、 「自然状態」 のもと ですでに男性が女性を支配下に置 いて いたことについて、キャロル・ぺイトマン (1940~) は、結婚契約を「 性契約 」とよび、 自由で平等な国家をつくる「社会契約」はその陰に、抑圧的な性契約 を伴っていたと 批判した。
ロックは、社会契約を結ぶことができるのは 自由で平等な「人間(Men =男性 )」で、 「人間」 というの は 理性と財産のある 者 に限 られると 主張 した 。 理性はアリストテレスあたりの昔から男性の属性。財産は男性が労働することにより獲得することができるもの。
女性は 理性も財産もない から 社会契約から は、 はじかれてい るという。 そして その 女性は どこにいった? 自然状態に置いてけぼりになってるのよ。 家という暗い自然にね。
ロックは、父権を弱体化させるために、生まれた子どもに対する権力に対しては両親が持つとした。また、家族が継続して国家(王の世襲)になることを防止するために、家族は子どもを育てるための一時的なものとし、子育てが終われば解消すべきものとしている。 ロックは、養育と教育の責任は両親の義務だが、両親が異なる意見を持った時は父親が決定権をもつという。また、子どもが成育するまでは家族だが、独立すれば解散。解散すれば、女性は権利をもつ個人となるのではなく、社会契約からはじかれている存在に戻り、自由で平等な「人間」は男性だけのもの。近代社会の自由主義は成立した時点で家父長制構造を内包していた。だから近代化は、男性による、男性の、男性のために行われた。
ぺイトマンは、フィルマーを「 古典的家父長制 」、ロックを 「近代的家父長制」のもとでの 「 家父長制的自由主義 」 とし、家父長制により 王の支配が終わった後も 女性が公的領域から締め出される 状況が現代までつづいている としている 。
男性は、宗教改革でカトリック教会から権力を奪い、政治革命で王から権力を奪うことで、個人として開放されたが、女性は家庭に取り残され、そこでは男性による女性の支配、抑圧が より 強まったといえる。
現在の 日本で は、 政府はさらに憲法改正で、 時代に逆行し、 ロックの家族と国家の分離という近代社会以前の 、 父権支配の 「古典的 家父長制」にまで 戻そうと している。 この国では 政治改革 、 人民による革命 いっぺんもないもんね。
法における女性差別
キリスト教を根拠とした王権神授説による女性差別、社会契約論の 契約という考えにも女性差別があり、それ に法はどうからんでくるのだろう 。契約というのは、 個人が対等な立場で条件交渉し合意し 成立するもので、 結婚契約だけ 妻が 夫に従うという不平等な立場で成立し、その 契約を根拠として 夫婦関係が決められ、 家父長制が成立するというのは 法的に おかしくないか? そんな結婚契約 じゃ 夫が妻に暴力をふるったり、DV なんでもありでも法的にOK じゃん。
想像通り、 当時のイギリスの男性による女性支配は、「主人と妻(L oad and feme)」 という言葉があるように、妻は無権利状態。キリスト教における結婚は「夫婦が一体となる」。これは妻が主人である夫のモノとなることで、妻の肉体やそれから生み出される労働は夫が享受すべきとされた。妻の財産は金銭どころか、動産(持ち物、家具など) までも 夫が所有権をも ち、 自由に処分することができる。不動産の土地、家屋などは妻に所有権があるが、夫が管理権をもつので、売買やレンタルには夫の同意が必要となる。妻が夫を殺した場合は「殺人」ではなく、「反逆」として裁かれ、妻が他人から損害を被ったときは、夫は当事者として損害を要求する権利をもつことができた。 妻は訴訟の権利もなく、契約の当事者になることもできず、 遺言による 遺贈 もできなった。
二つも政治革命をやった人民がこんなの許してちゃいけないだろう? という 素朴な疑問。 調べ てやろう、 イギリス (イングランド) の法 。
カヴァチャー と結婚契約
前述のような妻の無権利状態は 、法のなかでは「カヴァチャー(c overture )」といわれ、日本語訳は「庇護された妻の身分」。この訳、気に入らないね。 庇護は「かばって守る」という意味だよ。 独身女性にはカヴァチャーは適用されなかった。結婚した 女性の権利にカバー(c over) した ような この無権利状態は 1882年の「 既婚女性財産法」制定まで続く。 17世紀に近代化したイギリス で 女性の 普通 参政権が認められたの は 1928年。 納税者 (男性) にしか参政権がな かったからである。財産権もないので子どもの親権も否定された。 女性差別には歴史的な事情が諸外国にあり、イギリス ほどでなくても、 男性や権力はそれぞれ 差別を正当化するためにあれこれ 定義づける。
日本で、夫のことを「主人」と呼ぶ人が 多いが、 カヴァチャー を知ると、使うことに抵抗を覚えないですか?
カヴァチャーの根拠は、創世記の「夫と妻は一体となる」という記述から来ている。夫婦は一体→法的には一つの人格→一つの人格の決定権はひとつ→夫によって代表される。法制史の研究者は「聖書にもとづく教会の家父長制の考え方を国家法として表現したのがカヴァチャーだ」という。
ブラックストン と庇護された女性
● ウィリアム・ブラックストン
イギリス(イングランド)には 法体系がいっぱいあるらし いが 、 女性差別と法の関係についての 日本語の 素人向けの本なんて 全く なくて、ギブアップだなぁと憂鬱になってた。
以前から「コモン・ロー( common l a w)」 というのが気になっていた。コモン・ローは、個別の事件に対する判例の積み重ねが法として認められるようになったイングランドの法体系。ネットで漁っていたら、18世紀の啓蒙時代にブラックストンという法学者が 書いた 「イギリス法釈義」という コモン・ローの 解説本 で、 カヴァチャーを擁護 しているのに出会った 。
「 婚姻により、夫と妻は法的にひとつの人格となる。すなわち女性の人格と法的存在は、婚姻中は一時的に停止される。もしくは、少なくとも夫の人格に組み込まれ、合併される。夫の翼、保護、そして庇護のもとで、彼女はすべてのことを行なう。それゆえ我が法において使われるフランス語では「庇護された女性(feme-cover※)」という。 …※feme-coverは中世のアングロ・ノルマンの英語つづり。現代フランス語ではfemme couverteとなる
そして婚姻中の彼女の状態は、カヴァチャーと呼ばれる。 婚姻によって夫または妻が取得するほとんどすべての法的権利、義務、そして無能力は「夫と妻の人格の結合」というこの原則に依拠するのである 」
これで も 本人曰く、 女性の自由を尊重 しているのだそうだ。 ブラックストンは、 ① 結婚を 教会の管轄ではなく 国家法にもとづく「契約」とし、 女性と男性の合意により成立する。 ②男性の肉体的力にもとづく優位性を否定 ③ カヴァチャーの妻の 無権利状態は、結婚に合意した時に受け入れたことであり、 当事者である女性は能力をもって「契約」したから有効である 。
さらに「契約」は女性が支配されるようにしているのでなく、女性が依存するようになっただけ。男性と同じように権利をもつことは責任を伴う。カヴァチャーの間は権利はないが、責任 をもつこともなく 保護されている。 ブラックストンは、「個人の自由」 という近代革命の考え方に沿って、 男性の肉体的能力や神に 頼ることなく、 「契約」 と 「人格の結合」という概念で、家父長制を 新しい時代に適合させ、啓蒙時代の装いにした。 このブラックストンの解釈は、「温情的パターナリズム(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること)」という コモン・ローの特徴だという 批評家もいる。
ブラックストンは妻たちの無権利状態を「イングランドの妻たちの最大の特権のひとつ」と言い切っている。 「女は働かなくても男に養ってもらえるからいいな」と。ブラックストンは、アメリカ、カナダ(19世紀になってコモン・ローを採用した)の女性解放家たちに憎まれた。
現在日本版カヴァチャー 、 女性 個人の権利を侵害するときに、「あなたのためにやってるのよ」という 親、先生、上司…、いるよね。 依存するように仕向けているので、振り切ることがむずかしい。 社会も 差別や 被害は女性自身が原因とする、 「 男はみんなオオカミよ」「暗い夜道に気をつけよう」「 メイクや服装は控えめに」とか、うっせいんだよ。
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ぺイトマンの 「結婚 契約 」 批判
ぺイトマンの批判は以下のとおり。
1 契約は 女性が妻、男性が夫 という生まれつきの属性により 法的立場が 決定されており、 カヴァチャーを 交渉により 変更する自由はない。
法的な離婚が許されていない以上、 契約を解消すること はできない 。
→ 離婚 は「神が結びつけた夫と妻は死が2人を分かつまで 生活を共にする」 という教会の管轄 で1969年の「離婚法」まで夫婦関係の破綻による離婚は認められなかった。
2 肉体の使用を目的とする契約であり、 夫が 妻 の肉体を使用することに「合意」したことを意味する。
→ 17世紀の 法律家の「結婚契約に合意した妻は自分自身を放棄することを承諾したのだから、夫がレイプの罪に問われることはあり得ない 」という見解は ずっと 生き続け、 この見解が 判決で 否定されたのは 1991年。 また、夫が肉体の使用権を持つことは、妻の肉体を使って生み出される家事サービスを 強制し、それができない場合は暴力を振るうこと も 容認される。この考え方は1870年代まで 一般的だった。
ぺイトマンは、結婚契約により、妻は自分の肉体を鎖につながれて拘束され続ける奴隷と同じ状態にされ、夫による支配が作り出される。だから肉体を目的とした結婚契約は、 自由な人間関係をつくる「契約」概念に反 する 隷属状態をつくりだすと批判した。
(経営者と 労働者 間 の労働契約も同じとしている)
社会契約説にもいろいろある
● ホッブス・ロック・ルソーの 社会契約説 の比較
他に 、ロックより以前に神による 秩序を 排して、男女の対等性 を基本に社会を構想したト マス・ホッブス(1588~1679)や、ルソーなんか の社会契約説も紹介したいのだけど、 キリスト教の女性差別がテーマだし、 そろそろ日本史に戻ります。江戸時代です。
● 東照大権現(とうしょうだいごんげん) 霊夢像 徳川記念財団
日本は市民革命もなく、家康=東照大権現という神様の庇護の封建時代になりました。 「 うっせいわ~ 」 といった女性はいたのかどうか? ( k oki )
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