小野寺五典元防衛相は15日、パレスチナの武装組織ハマスによるイスラエルへの攻撃を日本政府が「テロ」と形容して非難した時期が遅かったと述べた。小野寺氏は「数日たっていたのは国際社会の見方からすると遅い発言かなと思う」と述べた。この場合の「国際社会」は「欧米社会」と置き換えたほうが適切だ。ハマスの攻撃を「テロ」と見なすのはイスラエルと、イスラエルに絶対的な支持を与えるアメリカや、その一部のヨーロッパ同盟国だけだ。アラブ・イスラム諸国でハマスの攻撃はテロと見なされず、日ごろのイスラエルによるパレスチナ人に対する暴力の行使のほうが重大なテロと考えられているだろう。 日本政府首脳はイスラム世界の武装集団の暴力については「テロ」という言葉をしきりに使うが、同盟国である米国やイスラエルの武力の行使(=暴力)については「テロ」という言葉を使うことがない。 ハマスの暴力をもたらしたのは、イスラエルが国際法を守らず占領を継続し、占領地で入植地を拡大することや、裁判もなく、パレスチナ市民を殺害したりすることが背景にある。イスラエルがパレスチナ人との共存を考え、そのための措置を真摯にとっていれば、大勢のパレスチナ人の命は失われることがなかっただろう。ABCの記事(10月15日付)によれば、2008年以降、イスラエル軍によって殺害されたパレスチナ人は6400人に及び、それに対してイスラエル人の犠牲者は300人だ。暴力はまったく肯定されるものではないが、ハマスの攻撃に米国など欧米諸国に同調するように、「テロ」という言葉を容易に用い、欧米やイスラエルの軍事行動を「テロ」と形容しない日本政府の姿勢はイスラム世界、ムスリムの人々から好感をまったくもたれないだろう。 本来、イスラムという宗教ではテロはまったく容認されない。『コーラン(クルアーン)』第6章151節には「アッラーが神聖化された生命を,権利のため以外には殺害してはならない。第2章・256節では「宗教には強制があってはならぬ」説かれる。 第2章190節には「戦いを挑む者があれば,アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない。」とある。 また第2代カリフ(預言者ムハンマドの後継者)アブー・バクル(573~634年)に関するハディース(伝承)には彼が「女性、子供、老人、病人を殺してならぬ」と語ったというものがある。 テロリズムに相当するアラビア語の言葉は「ヒラーバhirabah(人間社会に対する不法な戦争)」と言い、スペインのイスラム法学者であるイブン・アブドゥル・バッル(1070年没)は、「ヒラーバとは人間の自由な移動を妨げ、旅人に危害をもたらし、腐敗を普及させ、また人を殺害したりすることである」と規定した。イスラムでは神の啓示を信じ、同じ聖典をもつキリスト教徒やユダヤ教徒の生命・財産の安全を保障しなければならないと説く。 イスラエルは、イスラエル軍・警察などを攻撃するパレスチナ人を一様に「テロリスト」としているが、10月7日にハマスの攻撃があって以来、イスラエル軍の空爆で殺害されたガザのパレスチナの子どもたちの犠牲は724人に及ぶ。 (724 Palestinian children killed in Gaza as Israel targets civilians | Defense for Children Palestine ) 子供たちがイスラエルの安全にとって脅威ではないことは明らかで、かりに子供たちを守るためにパレスチナ人が暴力を行使したとしてもそれは自衛であってテロではない。占領地で武力に訴えるイスラエル軍・警察のふるまいはウクライナに侵攻したロシア軍と本質的に変わりなく、占領軍に対する抵抗は自衛権の行使と言える。本来は守られるべきパレスチナの子供たちが殺害されることにも、日本の政治家たちは関心をもち、非難しなければ、公平ではないことは言うまでもない。