天下泰平、外見の平和
●ルイ・家康・フミオ
江戸時代は、徳川家康がつくった時代体制が260年も長くのっぺりと続いたわけではない。
ふつう江戸時代は前期(成立期)、中期(安定期)、後期(解体期)という3つの時期に区分される。将軍でいえば、家康~家光、家綱~吉宗、家重~慶喜。 西暦では17世紀、18世紀、19世紀。
江戸時代のイメージといえば18世紀で、元禄文化、浮世絵、歌舞伎、落語、すし…。長屋、遊郭、大奥。庶民はたくましく、感情豊か。陽気で毎日楽しそう…。区分でいえば江戸中期の繁栄時代。場所は江戸などの都市。とくに、江戸に一極集中。時代劇の舞台だね。しかし、あまり身分で苦労してることもなさそうで、現代劇みたいな人間模様。
江戸で女性はどう生きたのだろう?
同時代のヨーロッパは、戦争と平和の繰り返し、新旧キリスト教の宗教戦争、三十年戦争、ワンマンのルイ14世の周辺国侵略戦争、オランダ・イギリス戦争、スペイン継承戦争、アメリカ独立戦争、ナポレオン…。戦争はよくないが、戦争が終わると社会システムがごろっと変わり、これまでの可視化されなかった矛盾が誰の目にも明らかになる。そして、人々は自らの手で時代を乗り越える。
江戸時代は外見的には平和だったかもしれないが、一方的な身分制の支配関係が固定化し、グズグズと腐っていても、外見はなんとか維持していて、その緩み切った体制はもう元には戻らない。ルイ14世は在位72年(自民党はもっと長い?)、末期は財政難で衰退、最後は大食いが原因で歯が全部抜け落ち、壊疽(えそ)で歩けず、太陽王の生涯を閉じる。
江戸幕府は、人々との間に憲法があったわけではない。議会制民主主義でもない。封建幕府は「公儀」というわけのわからないもので、支配していた。女性の頭の上には「公儀」という鬱陶しい幕が被い、その下は「女大学」で行動抑圧と思想統制、「家」という罰が待ち構えている。
そんなので、女性は「平和」か? 幕府や大名の女も、武家の女も、農家の女も、町民の女も、遊郭の女も、非民や路端の女も、身分の区別なく「女」だから江戸時代も引きつづき、みじめにされた。
ルイ14世の胃は、過食で通常の2倍の大きさだったそうだ。最近、ルイ14世と江戸幕府と自民党が重なって見える。「朕は国家なり」、病気だね。
封建制度とはなにか? 日本・中国・西欧
だから、町人のジェンダーに入る前に、まずキホンのキ。封建時代とは何か? 江戸幕府と日本政府はちがうよ。現在の日本は封建主義じゃなくて民主主義だから、主権者は首相じゃなくて、あなたです。あなたが選挙で選ぶ。間接民主主義で議員しか選べないけどね。国民の代表である議員が集まった国会で法律(ルール)を決める。首相が決めて命令をだして絶対服従ではない。
江戸幕府、三代家光で幕府機構は確立した。
江戸幕府の職制です。これが「ご公儀」の正体か?
●江戸幕府の職制
国があれば人間が人間を統治するしくみが必ずある。江戸時代の封建制度は幕藩体制。日本の封建時代をふりかえってみよう。またまた、寄り道。
天皇が支配していた中央集権国家は飛び越えて、鎌倉時代から
日本は平安時代末期から武士が誕生し、鎌倉幕府が将軍と御家人(家来)のあいだに、「御恩と奉公」という関係を結んだ。将軍は領土を支配する。御家人に土地を分け与えて所有を認める。その代わりに御家人は内政や戦で将軍の助けをするお約束の関係。元寇で、このお約束は破綻します。手柄を立てた家来に将軍が十分な領地を与えられなかったからです。それがきっかけで、鎌倉幕府滅亡。
つぎに政権を掌握したのが室町幕府。将軍と御家人の関係は将軍と守護大名の関係になり、将軍の跡継ぎ問題で「応仁の乱」がおきて、守護大名が二手に分かれて戦い、幕府が弱体化し、争いは全国の守護大名や豪族に広がって戦国時代に。
そして、江戸時代。各地の「藩」を治める大名を江戸幕府(徳川家の世襲制)が管理する「幕藩体制」。「武家諸法度」という決まりがあるけど、中央集権国家ではない。藩の統治権はほぼ大名がにぎっている。
●郡県制と封建制
中国と西欧の封建制
●周の封建制
日本の封建制度は、中国の封建制度(紀元前1000年頃の周が起源)を真似したものだから、これも超簡単に。
周は異民族の侵入を防げず都から逃げ出したので、諸侯(王朝の家来)が離反して次々と独立し、戦国時代。それを統一したのが秦の始皇帝。封建制度を踏襲せず、全国を郡や県に分割して、役人を配置する「郡県制」をとった。家康はここらあたりをパクったんだね。
●封建社会の衰退と中央集権国家の成立
ヨーロッパ(西欧)の封建制度(feudalism)は、中国や日本と違う。「主従契約をもとにした封建制度」。4世紀末にローマ帝国が崩壊し、王侯貴族は自分たちを守ってくれる力ある者に土地を譲り、その者は借り受ける形で契約し、土地を守ってもらう個人契約を交わした。
この契約は、「主君が約束を守らない場合は、家臣は主君を護るなどの義務を果たす必要がないし、複数の主君と契約をむすんでもかまわない」という双方向のもの。仕える相手を選べず、一人の将軍に忠誠を誓わなければならない日本の封建制度と比べると理にかなっていてドライ。これと比較すると、日本の封建制度は奴隷制度に近い。
ヨーロッパはそれでも、17世紀には封建制度は崩壊するのだが、2つの大きな要因がある。まず12世紀に貨幣経済が発達し、農民がお金を貯めて、領主と取引し、農奴が自由を手に入れたこと。2つ目はペスト。ペストの蔓延で人口が減ったため農民の奪い合いがおこり、力をつけた農民、庶民は市民革命を起こす。
封建制度はどこの国でも崩壊した。人間は神が創ったものかどうかはわからないが、国も封建制度も支配する者が決めたもの。支配を継続するために、支配する者は自分の身分を最高とし、他の身分は固定化する。下の身分の者の意見を聞いたり、要求を受ける必要はない。
現在ニッポンの封建制度
●新・日本の階級社会
●新・日本の階級社会の詳細データ
日本の封建制度は明治維新で消滅した。しかし、徳川支配がなくなっただけで、現在でも封建支配みたいな階級や格差の固定化や、上下関係、男尊女卑。それに国民の意志を無視して、政治が強い権力を押し付けて搾取するのは、封建支配そっくり。どこまで従わせるの? どこまでがまんするの?と思っていたら、封建元祖の江戸時代を知ろう。
江戸幕府は、キリシタンの脅威から、宗門改(しゅうもんあらため)という戸籍制度をつくった。日本中のすべての人間を赤ん坊から墓場まで登録する。キリスト教信仰を封じるために個人の思想を統制し、すべて仏教徒として寺と結びつける(檀那寺制度)。
夫と妻の宗旨が違う場合(半檀家)も、宗門改は世帯単位なので、妻が夫の宗旨に包摂された。戸籍と宗教、こんな完璧な国民掌握の制度をもった国は古今東西、江戸時代しかないのでは?
戸籍制度を廃止した韓国では…
対比するために、戸籍制度を廃止した韓国を追ってみたい。
●2003韓国KBSテレビドラマ「黄色いハンカチ」 戸籍制度をターゲットにし、最高視聴率36.9%。ドラマを通じて戸籍制度が時代遅れで不都合なものと人々に理解され、政府は2005年に戸籍制度の廃止を国会で決議する。
韓国は中国伝来の個人単位の戸籍制度があったが、日本が植民地にしたときに、住民を「家」単位の戸籍制度として導入した。家単位の戸籍制度は、日本と植民地時代の韓国だけ。
韓国は2007年に日本型の戸籍制度は廃止し、2008年から、戸籍制度に代わり「家族関係登録」が始まった。家族関係証明書は「家」単位でなく、一人ずつに、五つの証明書がある(用途に応じて使い分ける)。
①基本事項(生年月日、死亡、改名、国籍喪失など)
②家族関係(両親、配偶者、子の名前・生年月日など)
③婚姻関係(配偶者、婚姻、離婚、など。未婚の人はない)
④養子関係(養父母・養子の名前、養子縁組日など)
⑤親養子関係証明書(日本の特別養子に相当。実親との親子関係を断ち、育ての親と新しい親子関係になる)。すべてハングルで記載されている。
創氏改名
韓国は、もともと儒教の教えが強い。血のつながりを重んじるので、結婚して相手の姓を名乗るなんて自分の先祖に失礼だから絶対性夫婦別姓。
日本は別姓が家単位の戸籍に並んでいるなんてありえないと考えたのか? 日本は植民地時代に朝鮮人に対し、新たに夫婦・家族で同じ日本風の氏をつくり、名前も日本風に改名させた(創氏改名)。
戦後50年も経って、日本が創氏改名を強制したかどうかの論争がおきた。自民党国会議員も意見が分かれ、麻生太郎政調会長(2003年当時)は「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言、野中広務衆院議員は麻生を批判する。盧武鉉(ノムヒョン)大統領来日寸前だったため、麻生が発言を謝罪したという経緯がある。
●野中広務(1925―2018) 剛腕だが、弱者に対するまなざしを大切にする政治家として知られた
日本から独立した韓国では、1946年に朝鮮姓名復旧令で朝鮮名を名乗るようになった。韓国は父系血統としての族譜(チョッポ)では、女性は戸籍に名前の登録はなく、民籍法ができて、名前が登録されるようになり、日本の創氏改名で、姓も名も変えられて、戦後はまた朝鮮名に逆戻り。
過去、植民地政策をやった国は多いが、「天皇の軍隊に朝鮮名が混じるのは許しがたい」で日本人風の名前に変えるということを強制した国は例をみない。強制的に戦争動員するから朝鮮人が軍隊にいるのだ。名前を変えても朝鮮人は朝鮮人だ。民族のルーツを抹殺するなんてなんと傲慢な。
「朝鮮人が望んだ」なんて嘘っぱち。当時の朝鮮の人々は強い抵抗をした。姓を「犬糞食衛(いぬくそくらえ)、「田(→天)農丙下(でんのうへいか)」と届けたという伝聞もある。パンクだねぇ。今日でも、在日朝鮮人が日本名を名乗るのは、日本に徴兵や強制労働目的で強制連行された時代の「創氏改名」が原因である。私はこれまで、日本人だと思っていた人が「朝鮮人だから朝鮮の名前にしたよ」ということが何回もあった。申し訳ない気持ちになって思わず、「ごめんね」と言ってしまった。
アソー!ごめんねといって謝れよ!じゃなきゃ、「麻生罪悪タロー」と改名させちゃうぞ
●麻生系の炭鉱には、朝鮮から拉致し密航させた朝鮮人労働者が多かった。
日本の戸籍管理
●日本の戸籍のひな型
日本は戸籍は「家」単位。姓は全員、世帯主と同じ。日本ではなんでもかんでも戸籍に記載されている。個人単位でないので知る必要のない家族や兄弟の情報まで判ることになるし、前戸籍まで記載されてるし、住民票と連動して現住所を知ることができる。非配偶者の人工授精(AID)で生まれた子どもでも摘出子と記載され、ほんとうの親を知ることができないなど、問題は多い。
江戸の宗門改の世帯単位が、封建支配が終わり、戦後の個人主義の民主化の時代になっても現在まで延々と続いているのは、制度だけじゃなく、日本人の思想主体としての個人を軽んじる風潮とか、「家」に対する自立の弱さ、なによりも男女差別につながっていると思う。
檀家制度については、宗教の自由を認めない制度だが、加えて、キリシタンの信仰を持っていた者や牢に入れられた者までが一般市民を偽装して檀家に登録するのを防ぐため、さらに町村単位で全員に「南蛮起請(なんばんきしょう)」を書かせた。南蛮起請はキリシタンからの改宗を宣言し、「キリシタンに立ち返えれば、キリシタンの神の罰を受けてライ病患者になる」という陳奇な誓約書みたいな文章で、細川ガラシャの子どもの細川忠利が老中に提言し実現した。宣教師に「うわべだけでも転べ」と奉行が遣いをだしたり、江戸初期には試行錯誤していたが、毎年宗門改でチェックを行うことで落ち着いた。
●バチカン図書館「南蛮誓詞」一人一人の名前が書いてあり血判が押してある。
日本の特殊な戸籍による管理、統制は今年まで360年続いている。外国では個人単位で出生や婚姻、死亡などをそれが発生した地で登録するだけ。日本人はこんな人民把握の制度に唯々諾々としたがっていいのか?みなさんひとりひとりが「考える葦」なんだよ。しっかりして。
慶安の御触書にみる幕府の理想
●早稲田大学図書館 慶安の御触書
1649年に江戸幕府が発布したとされる「慶安の御触書」という法令がある。幕府正史である「徳川実紀」に三代家光の事績とされているが、これは慶安以後、寛文(1661年~)の始めに成立した甲府徳川領の「百姓身持之事」という法令が文政期(1818~)に編集され、天保期(1861~)に昌平坂学問所を整備した林述斎が出身である美濃国岩村藩に木版印刷をして流布した。これが関東領主を経て、全国に幕府発行を偽装して「慶安の御触書」として流布したものではないかと言われている。
幕府法でないというので、近年の教科書には採用されなくなったが、内容はフィクションではない。農民に農業技術・経営、日常生活の心得を教諭した32箇条にわたるもので、しつこいぐらいに詳しく書かれて農民を縛っていたのは事実だ。幕府法でなくとも、江戸幕府の農民支配として今の子どもたちに知ってもらいたい。(武士というのは平和ですることがなく、事務仕事で勤務時間稼ぎしてたから、記述が微細で的外れ)
天保飢饉によって混乱した人心掌握が目的で、勤勉、質素倹約、社会秩序が説かれているが、飢饉でひどい目にあってるのに、上から勤勉、質素倹約を説かれてもモチベーションが高まるものではないよね。
江戸幕府は、農民が困難な状況になると、衣食住の細かなことまで触書を出す。 一種のショックドクトリン。「将軍や大名のおかげで生きている」ことを知らしめるために、「迷信の中から、己のための権威をつくりあげ、多神の崇拝や偶像礼拝の習慣を、たくみに主権者に対する畏敬と混ぜ合わせ」、「効き目の良い人民支配のやりかたとして、民衆を迷信からさめないようにし、さらにいっそうそれを養う」と、1863年イギリス駐日大使オールコックが批判している。するどいね。
「慶安の御触書」は、さんざん細かく勤勉を指図した挙句、自己陶酔したような、まるで、岸田首相並みの「ふざけるな」レベルで、条文を終えている。
「右之如クニ物毎(事)入念、身持をかせき申へく候、身持好成(よくなり)、米金雑穀をもハゝ、家よく作り、衣服食物以下ニ付、心之儘なるへし、米金雑穀を沢山に持候とて、無理ニ地頭代官よりも取事なく、天下泰平之御代なれば、脇よりおさへとる者も無之、然ハ子孫迄うとく(有徳=裕福)に暮し、無間きゝん(飢饉)之時も妻子下人等をも心安くはこくみ(育み)候、年貢さへすまし候得ハ、百姓程心易きものハ無之、よくよく此趣を心かけ、子々孫々迄申伝へ、能々(よくよく)身持をかせき可申もの也」。
(右のように物事に念を入れ、暮らし向きが良くなるように稼ぐようにせよ。身代も良くなり、米・金・雜穀をも持てれば、家をも立派に作り、衣類・食物などについても心のままになるであろう。米・金・雜穀をたくさんに持っていても、無理に領主の旗本や天領の代官に取られることもなく、天下泰平の世の中であるので、他から強奪する者も無い、そうすれば子孫まで裕福に暮し、無間地獄のような飢饉の時も、妻子や下人等をも安心して養い育てることができる。年貢さえ納めてしまえば、百姓ほど気楽なものはない。よくよくこの趣旨を心がけ、子孫代々までにも語り継ぎ、よくよく暮らし向きを考えて稼ぐべきものである。)
農政家による農民の実態
●田中丘隅(きゅうぐう)(1662~1730)の「民間省要」
幕府の理想だけでなく、江戸時代の中期までの農家の女性の実態を子どもたちに知ってもらいたい。当時書かれた書物によって知ることができる。
川崎宿の名主を務めた農政家の田中丘隅は、警告書として「民間省要(みんかんせいよう)」(1721)を著した。この本を読んだ南町奉行の大岡忠相から将軍吉宗にわたり、丘隅は代官職に抜擢され、荒川、玉川の治水に貢献する。
農家の女性に関する記述の一部。「女の朝星夜に起きて、野ばたで水を汲む」「露などあるうちに草を刈る」「朝の膳に坐ることなく」「田に入りては男女水の中なれば腰かけるべくなく、終日立ち暮らし、起きつ伏しつ、ヒルに食われ、血にそみて、宿所にかえるといえども、湯など使うことはまれなり。多くは水にて手足を洗い、淡きものうち食らい、終日打ちおき、こきおくところの麦を打って粒となし、翌日に乾してしまい、だんだんあとのつかえぬよう、女はまた歌うたいて麦をつき、明日の食をはかる。毎夜九つ(12時)すぎまでかかり、それより少しまどろむと思えば、短夜ほどなくあけて、起きんことを思う。このせつの寝起き、骨、すじともに痛み、総身こわばりて天井板のごとし」。女性はこういう労働が七月子腹(妊娠中)でも強要される。
幕府の町触は、そのような農民に対し、「家は掘立にすべき」「着物は麻か木綿。赤や紫色は禁止」「髪を束ねるのは藁」「米みだりに食うべからず。常に雑穀を用いるべし。上置食(ごはんを少し茶碗にいれてその上に雑穀米を乗せてたべる。)「百姓はくず米(割れた米)を食べよ。くず米は団子にもなる」「年貢米はすべて上等米。道具などを購入するときは普通米」・「雑炊は男1人あたり米1合に水1升」「夜なべに夜食いらず」。食事の時間や回数、量や内容も月ごとに決められる。このやりすぎはあんまりだ。
だから、過重労働、栄養失調、掘建式の茅葺住宅の不衛生さなどが原因して、20代の女性が出産で命を落とすのだ。
江戸時代の出産力の低下は、堕胎、間引き、子返し(嬰児殺し)の常態化も考えられる。幕府や藩は「間引禁止令」や「捨子禁令」を出したり、生まれた子どもには、米や貨幣で育児手当(赤子養育制度)を支給したりするが、そんなもので子どもの数は増えない。
当時、日本は(間引きから生き残った)子どもの男女バランスは男子のほうが異常に多い。間引きや子返しは女子だけをねらった。同時期、日本の家制度と似た男子優遇の家制度をもつ中国や朝鮮での男女バランスが1対1であるのは、兄弟の男女バランスを取ることを重視したからだと言われている。育てられぬ場合は、出産の間隔をあけたという。それはなぜか?
食えない人に男女のバランスや人口動態などは考えられないだろうが、女子でも労働力になるし、売り飛ばすこともできる。農村の、男性が女性を同じ労働者とみるヨコの関係は、武家支配のもとで、タテの関係に変化し、女は価値がないという男尊女卑のまなざしは生まれたばかりの赤ん坊にも向けられ、産婆は産まれるとまず、股間を確かめて、女子だと産湯も使わず、口をふさいだという。
⚫️子孫繁昌手引草 子返しの絵図
間引きについては、幕末期に上総の国で間引きから赤子を救い、孤児養護の先駆者と言われた「子育て善兵衛」の貴重な史料を入手した。成東で現地調査して、機会をつくり紹介したいと思っている。
江戸時代は子だくさん?
江戸時代の出生率は宗門改帳などにより推測される。地方により格差が大きい(東北地方が低く、中部以西が高い)し、農村でも大規模農家のほうが小作農より子どもの数が多いから、出生率は地方によりまちまちだが、ざっと、50歳まで婚姻状態の女性が生んだ子どもの数は、16世紀で8人、17世紀は7人、18世紀前半で6人、18世紀後半で5人で、「子ども五人」は、明治になっても維持されていたが、それが減り始めるのは昭和初期。今ではご存じ、人口維持の2人を大きく割り込む1.26人。
子どもを社会全体で大事に育てるというマインドがなければ、いくら「産めよ殖やせよ」と言ったって子どもは増えない。政府が子ども3人扶養で大学受験無償化という落とし穴いっぱいの不公平な制度を打ち出しているが、それくらいでは、子どもは増えないよ。(koki)
「ジェンダー」のブログ記事一覧-住みたい習志野
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