住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

与党とは会うが、野党とは会わない宮本市長に公開質問状

2020-09-29 08:51:40 | 市長

与党とは会うが、野党とは会わない宮本市長が議会で問題に

9月8日行われた市議会総括質疑の中で、宮内議員から以下の質問が行われました。
「コロナ対策等で与党(公明党)議員団が宮本市長に要望書を提出し、記念撮影までしたことが公明新聞に報じられている。一方同じくコロナ対策等で野党側が要望書を提出したい、と何度も宮本市長に要望しても会ってくれない。市長のご都合のつく時間はいつか?と聞いても秘書課は答えられない。市民の声を聞いていろいろな対策を立てなきゃいけないこの時期になぜ会おうとしないのか?仕方なく文書で要望書を提出したが、回答もない。」

宮本市長の「ご案内のとおり(?)公務と政務は違う」という答弁に疑問の声

これに対し、宮本市長は「ご案内のとおり、公務と政務は違う」という「意味不明」の答弁を行いました。

市民の代表である議員からの要望書について、
「政務」(自民党政治家としての政治活動)なので、会おうが会うまいが自分の勝手
ということなのでしょうか?

それとも、与党側議員に会うことは「公務」(市長としての仕事)だが、野党側議員に会うことは「公務」と見なさない。
ということなのでしょうか?

なお、このやりとりについては市のホームページ
https://smart.discussvision.net/smart/tenant/narashino/WebView/list.html
からご覧になれます。
「令和2年第3回定例会」⇒「09月08日議会審議」⇒「議案質疑(議案第39号から議案第44号及び議案第61号から議案第65号について)」と進み、「再生」ボタンを押していただければご覧になれます。
(1分17秒くらいから市長の発言。議長が副議長のヤジを注意する、という、他市では見られない「習志野名物」の場面も出てきます)

※なお、Internet Explorerなどでは上記の方法で問題なく見られますが。Microsoft Edgeなどをお使いの場合は、その都度Adobe Flash Playerをダウンロードして頂く必要があります。
https://get.adobe.com/flashplayer/?loc=jp

なぜ野党とは会わないのか?13名の議員連名で公開質問状

このことについて、13名の市議会議員が以下の内容で「公開質問状」を提出しました。

1.  発言中「ご案内の通り」と言っていますが、ご案内された記憶はございませんし、内容も存じ上げておりません。①何時②どの様な内容で③公文書で案内したのか④政治的文書で案内したのか伺います。
2.  地方自治法、習志野市条例、規則のどこに記されているのか伺います。
3.市議会識員や市民が、陳情・要望書などを市長に提出する場合は、「公務」ではなく「政務」として受けると言うことなのか伺います。
4.会派が、1~2週間まえ、あるいは「何時なら会って貰えるのか」「市長の都合に合わせる」とまで妥協しても応じて貰えなかった経緯があるが、どうしてなのかご説明ください。
5.以上につきまして、10月9日までにご回答ください。

宮本市長が言う「公務」「政務」の違いは?=公開質問状・・・一般質問(4日目) | 谷岡隆(たにおかたかし) 習志野市議会議員

宮本市長からの回答に注目したいと思います。


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鷺沼の「パラシュート・ガール」、まだまだ続きがありました

2020-09-28 01:09:45 | 歴史

9月25日の記事「鷺沼飛行場から飛び立ち、谷津遊園先に舞い降りたパラシュート・ガール」
https://blog.goo.ne.jp/sumitai/e/2428acbc06fe1f4cc7c894a43fce42ce

にはまだまだ続きがあるそうです。

「女パラシューター」、ブラジルの日系人新聞でも紹介されました

昭和6年4月9日「日伯新聞」(ブラジル(伯刺西爾)の日系人の新聞)の記事

最尖端を行く 女パラシューター

空を彩るエアガールが出現しやうといふ折柄、矢つぎ早に今度は、最も尖端的なパラシューターが現はれた。飛行中に飛行機から落下傘で降下するといふ男もたぢろぐやうな冒険を敢(あえ)てしやうといふ勇ましい女性、それは宮森美代子といふ今年十九歳になったばかりの可愛い娘さん。福島県若松市の酒造家宮本(ママ)悦蔵氏の長女である。

兄の省一(22)君が、若松地方がパラシュート布地の産地でこれが外国へ輸出されて世界各国で使用され日本へも逆輸入されてゐるといふのに鑑みて、内国産パラシュートの製作業者を志ざし、会津中学を出ると直ちに上京してパラシューター日野俊夫(ママ)氏の練習所に入りパラシュート降下を美事にやってのけた。

この兄にしてこの妹ありで、美代子さんは兄の事業を助けやうと一昨年春、県立福島高女を出ると直ちに上京し、兄と共に日野練習所で研究をつづけていたもので「兄もパラシュートで降下したのだから自分にも出来ぬ事はない」と勇ましく躍り出たわけ。三月六日には津田沼飛行場で奥山飛行士操縦のサルムソン機上から美事に落下した。

(上の記事の説明)

「日伯新聞」の記事は「若松地方がパラシュート布地の産地」と言っていますが、本当は「川俣シルク」と呼ばれた羽二重のことだと思われます。
福島県伊達郡川俣町で織られた良質・軽量の羽二重で、明治時代には横浜でスカーフに加工され、日本のおみやげとして人気を博しました。こちらのサイトには、戦時中パラシュート用に織機を供出させられた旨の記載があります。
http://www.konno-silk.com/about-us/konnoの歩み/

会津若松の造り酒屋、「花春」が美代子さんの実家です。
http://www.hanaharu.co.jp/history.html

記事に出てくる「日野俊雄」は日本で最初の落下傘(パラシュート)「調速自在パラシウト」を発明した人物。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10182719&TYPE=HTML_FILE&POS=1
石巻出身で、特に航空ショーでスタントマンとして名を馳せた人のようです。
http://sioworld.blog.fc2.com/blog-entry-1515.html

そして彼の練習所に入り、パラシュート降下に成功したのが「宮森省一」。その妹が「パラシュート・ガール」宮森美代子さんです。
そして、日本式パラシュートを発明し、航空ショーのスタントマンとして活躍した、その日野俊雄さんと宮森美代子さんの熱愛が「日米新聞」(アメリカの日系人の新聞)に、次のように報じられています。

アメリカの日系人新聞では、彼女の恋愛話が報道されました

(アジア歴史資料センター レファレンスコードJ20011346900 The Japanese American News 日米新聞 昭和6年(1931)4月13日)

  落下傘のクイン

尖端的な冒険に咲き出た恋の花

  宮森美代子さんと日野氏

   輝やかな愛の巣

 「空の女王」「日本一の女性」と超人的名称で呼びなされ、三一年型女性の人気を一人で背負ってゐるパラシュート・ガール宮森みよ子(19)さんの出現は、その楚々とした容姿、快活な言葉つきに誰しも初々しい乙女と信じてゐたのではあったが、はからずも、このみよ子さんには二世をちぎる愛人があり、その下谷池ノ端七軒町の家は人もうらやむ愛の巣、代表的三一年型女性宮森みや子さん――かの女は恋愛においても勇敢な勝利者であったのである。

 みよ子さんの愛人は、かの女の先生であるパラシューター日野俊雄(35)氏で、去る日、津田沼でかの女が決死的冒険を実演、パラシュート降下に成功した折りも、場の一隅から汗ばむ手、血走る目に飛行機からパッとばかり飛びおりて来た、愛妻(と、いっては早すぎるかも知れないが)を迎へた彼、日野氏のあったことは、場を埋めた一万の人の歓呼よりかの女にとっては嬉しいものであったに違ひない。

この、空を媒酌人とする尖端的な恋人たちは昨年十二月末、上野のシノバズ池にほど近い七軒町のとある路地を折れた古めかしい家の二階に、楽しい生活をはじめたのである。丹前姿の日野氏、派手な羽織のみよ子さんの笑顔――それから、それから、二人の前に力づよいただ二人だけの路が開かれた。はげまし助け二人はパラシュート降下を第一の目標に、世の常の恋人たちとはちょっと変はった路をたどってゐた。

 この空の恋人たちを訪ねるとまず日野氏は、

「これ(みよ子さんの事)は空から飛びおりる女だから世間ではフラッパーと思ってゐるでせうが、どうして、まるで反対で、すべてに内気なおとなしい女です。お針でも炊事でも、すべて人なみ以上にやります。ほんとうにおとなしいんですよ。少くとも百パ^セントのマダムぶりで僕としてはこれほど嬉しいことはないんです。」

当のみよ子さんは日野氏の言葉を聞いても静かにしてゐる。ただそれから、力強くぽつりぽつりと次ぎのやうに語った。

「日本の女性はあまりに勇気がなさすぎますわ。なんに対しても消極的にすぎます」

かくて二人が見合はす眼と眼には、互に信じ合ふ強いなに物かが感じられた。

(上の記事の説明)
美代子さんは、兄の勤め先のボスでもあり、自分のパラシュート技術の先生でもある日野俊雄さんと恋に落ちた、ということですね。

日野さんが「彼女はフラッパーではない」と言っていますが、「フラッパー (flapper)」という言葉は、ひな鳥が羽を羽ばたかせて (flap) 飛び立つ訓練をしている様子を意味し、そこから転じて未成熟な若い女性を表すスラングとなったといわれています。短いスカート、ショートヘアーなど、1920年代に欧米で流行したファッション、生活スタイルや自由な男女関係を好んだ「新しい」若い女性を指します。

また、記事の中で「みよ子さんの愛人、日野俊雄氏」という表現がありますが、当時は「愛人」という言葉には「恋人」の意味しかありませんでした。くれぐれも誤解のないように。(笑)
(戦後、太宰治が「斜陽」という小説の中で「愛人」という言葉を「不倫相手」の意味合いで使い、その後その意味の方が広まってしまったそうです。)
「愛人」は元々良い意味で使われていたって本当?

パラシュート・ガールの降下から半年後、日中戦争が勃発

 当時の「飛んでる」女性のこんな足跡が習志野に刻まれていたのに、今ではきれいに忘れられてしまっている。習志野市が「過去のない町」にされてしまうのは、何だか怖い気がします。

 ともあれ、パラシュート・ガールの降下から半年後、奉天郊外柳条湖で満鉄線が爆破され、日本は航空ショーどころではない時代に進んで行ったのでした。

宮森さんが履いていた「足袋」は、地下足袋から進化した「運動靴」。ドイツ人捕虜のゴムの技術が生きている
 前回のブログの記事の中に宮森さんの「足袋」の広告のことが出ていましたが、これは「足袋」というよりも「運動靴」。この頃初めて、地下足袋から進化した「月星運動靴」というのが発売されて、その広告に宮森美代子さんが起用されたわけですね。テレビドラマの「いだてん」や「陸王」で出てきたアレです。
 なお、つちやたびの本社は福岡県久留米。久留米収容所にいたドイツ兵のウェデキントという人が解放後残留し、ゴムの技術者としてつちやたびやブリジストン・タイヤに関わります。運動靴やゴムタイヤにも、彼らの技術が生きているわけです。
知られざる「ドイツ兵久留米俘虜収容所」の歴史を伝える - fornet’s blog
上のブログには、ローマイヤが「こんなもの食えるか!」と言った話も出ていますね。習志野以前に国産ソーセージがあったと言っても、「こんなもの食えるか」というレベルだった。それが一応のレベルに達したのは習志野があったからですね。

 



 

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谷津遊園と船橋ヘルスセンター、ありし日の姿

2020-09-27 23:05:43 | 歴史

 先日テレビで放送された「習志野トップ20」をこのブログでご紹介しましたが、習志野市にあった「谷津遊園」と、船橋市にあった「船橋ヘルスセンター」について、「なつかしい」「まだある時に行きたかった」などさまざまな声が寄せられました。
 そこで、今回は「谷津遊園と船橋ヘルスセンターのありし日の姿」を追ってみたいと思います。

  京成「谷津」駅は、昔は「谷津遊園」駅。お隣の「船橋競馬場」駅は「センター競馬場前」駅という名前でした。(「センター」はもちろん「船橋ヘルスセンター」です)
谷津遊園の跡地は公団住宅の「谷津パークタウン」、ヘルスセンター跡地は「ららぽーと」になっています。

谷津遊園

ビデオの終わりの方に「菊人形」や動物園が出て来ます。


菊人形、日本昔ばなし他
https://yatsuyuuen.okoshi-yasu.com/attractions/eventsetc/eventsetc.htm

コークスクリュー

船橋ヘルスセンター

大ローマ風呂、大劇場、遊覧飛行、温泉プール、少女音楽隊、まるで夢の世界でした。キャンディーズが来たり、ドリフターズの「8時だよ!全員集合」の収録にも使われました。
「船橋ヘルスセンター、船橋ヘルスセンター、長生きしたけりゃチョトおいで チョチョンのパ チョチョンのパ」三木鶏郎(三木トリロー、とも呼ばれました)作詞作曲のこの歌、当時は大人も子供も歌ってました。
ちなみにヘルス・センター(health center)、英語では「保健所」という意味だそうです(笑)




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絵本で深める「テツガク」(船橋よみうり9月26日号)

2020-09-27 20:46:31 | 報道

習志野市民、仲野さんが始めた「絵本でテツガク」が船橋よみうり(9月26日号)で取り上げられました。

絵本で深める「テツガク」

気づきや疑問 老若男女で語り合い

 老若男女が絵本を囲んで語り合う「絵本でテツガク対話する会」が毎月第3木曜に、市民プラザ大久保で開かれている、世代や性別が異なる人が集い、ものの見方や考え方を分かちあい楽しむことが目的だ。発起人の仲野慎一さん(64)は「0歳から100歳代まで共有できる絵本を通し、さまざまな人と交流できる場に」と話す。
 17日の会では「浦島太郎」をテーマに40〜70歳代の9人が参加。「納得いかない点が多い物語。太郎は良いことをしたのに、最後は独りぼっちになる。」「昔も感染症とかがあったでしょう。(陸での異変を察知した)乙姫が避難させた。深読みし過ぎかな」など、思い思いに考えを述べた。その後、話題は海洋汚染問題や原発事故、仕事や結婚に及んだ。
 同会は5月にスタート、7月に本格始動。定年退職後、仲野さんが地元サークルに目を向けた際、「集まりが一定の年代や性別に偏る傾向にある」と気づいた。「若い人たちとも接する機会を」と考え、同会を設立した。誰もが知る昔話だが、シンプルに思えて奥が深い。昔の人の、まだ見ぬ世界への憧れや過去の反省が込められ、大人が触れても面白いという。
 絵本を遊んでいるとさまざまな疑問や気づきが生まれてくる。その答えはインターネット上に落ちているかもしれないが、自分で考え、語り合い、深めることに価値がある。知識で乗り越えられない問題が起きたとき、ここでの対話が役に立つかもしれないと仲野さん。「お金、時間、命、幸せとは?答えは簡単には出ませんが、考え続けましょう」とまとめた。
 次回は10月15日10時。市民プラザ大久保(京成大久保駅から徒歩10分)。テーマは「つるのおんがえし」。予約不要。参加費200円(子ども、学生無料)Tel 090・4613・9851 仲野さん


次回のご案内です




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17日実籾で行われた夜間中学ドキュメンタリー映画上映会の新聞報道

2020-09-26 01:33:34 | 催しなど

このブログでもお知らせした17日の映画上映会(令和大久保会主催)
夜間中学ドキュメンタリー「こんばんはⅡ」上映会(令和大久保会・9月例会のご案内) - 住みたい習志野
の様子が東京新聞(9月25日付)で紹介されました。

学びは生きる力に
 夜間中学は戦中戦後の混乱で教育を受けられなかったり、貧困で通えなかった人、不登校だった人、外国人の子どもらの受け皿となっている。近年はいじめで登校できず、学んでいる生徒も増えている。(記事の抜粋。あとは下の記事をお読みください)



<参加者の声>

当日上映会に参加された蓮見喜代江さんからの投稿です。ご覧になった感動が冷めやらず、書いてくださったようです。

夜間中学があることは知りませんでした

 今夜、上映された映画のテーマは“夜間中学”。

 恥ずかしながら、夜間大学、定時制高校は知っておりましたけれど、夜間中学校があることは知りませんでした。

 つい半年前の話です。知り合いが経営するトレーニングセンター。介護認定を受けている老人のケアセンターですが、「夜間は空いているので、塾に行きたくても、経済的に行くことができない子どもたちのための、勉強の場に使ってもらうのはどうか」という話が舞い込んできました。

 是か非か、いろいろな問題を話し合い、その結果、悪いことではないし、営利目的ではなさそうなので「やるだけやってみては」となりましたが、実際に始めてみると、肝心の子どもたちが来なかったということで、この話は立ち消えになってしまいました。

義務教育未修了者が百数十万人と聞き、驚きました

 さて、義務教育未修了者が百数十万人と聞き、驚きましたが、今夜の上映会にゲストとしてお見えになった中原紀子さんのお話の中で、この方は韓国からいらした方ですが、日本に移り住んでからは、日本語がわからないまま言葉を覚えなければならないという現実が始まり、何よりも言葉は生きることの根っこであるとおっしゃっていました。

夜間中学に「救われた」フィリピン女性の苦難とがんばり

 この映画を観て、感ずることが大きく、見方を変えれば、私は恵まれた人生を歩いてきたということを思い知らされました。

 一日が始まり、つつがなく三度の食事をいただき、通常の会話ができるという当たり前のこと。その当たり前の有難さをつくづく思いました。

 そして、神さまに「貴女は苦労した、苦しいことがたくさんあったというけれど、異国の地で、まず言葉がわからないという根本的な不便さ。生活ができない苦しみを経験したことがありますか?」と問われているようでした。

 映画「こんばんは 2 」に出てくるフィリピンからの女性は、ご本人からしたら異国の日本で、言葉もままならない時に重機の免許をとり、子育てをしながら、男並みの仕事をし、夜間中学を出、夜間高校に通っていると話していました。

 ここまでくる道中の努力たるや、筆舌に尽くし難いほどの苦労があったことと思います。

人生は終わりのない登山道

 まず言葉を覚えることから始まります。言葉は生きることの要素の一つ。そして人と人との結びつき。素晴らしい人間関係を保ち、山道を登って行く。苦しい時も、楽々と登れる時もあるでしょうが、人生って終わりのない登山道だと思います。

 ある時は、道しるべとなって進むべき方向を教えてくれる人。

 ある時は、崖から落ちぬよう、引っ張り上げてくれる人。

 私の周りには、このような方たちがいてくださることに感謝し、この後の人生。社会活動は真面目におこない、ゆったりと鈍行列車に乗っていこうと思います。

「ただ見るに何の苦もなき水鳥の、足に暇なし、わが思いかな」

 まさしく、私のことのようですが、いつでも飛べるように、頭と脚、腰は丈夫でいられるように努めてまいります。

 本日は学ぶことの喜びを与えてくださり、誠にありがとうございました。       (蓮見喜代江)





(編集部より)
 いじめにあって不登校になった。貧しくて学校に行けなかった。カンボジアの内戦で勉強できなかった。事情や国籍は違っても、夜間中学で生きる希望を見つけた多くの方たちが映画に登場します。心を動かされます。
 上映会に参加された蓮見さんも触れておられますが、フィリピンでも日本でも「生き地獄」を経験し、夜間中学に「救われた」フィリピン女性。今、家族に応援され、男の人達にまじって重労働をしながら夜間高校に通う彼女が、夜間中学は「一言で言って私の宝物」と笑顔で話す姿が印象的でした。

 

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