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Narashino gender 24 日本女性史koki版⑯ 中世の女性Ⅶ 新仏教の女性救済

2023-10-12 08:06:05 | ジェンダー

新仏教の女性救済

●法然上人絵伝 法然が船上で遊女の救済をする

垢穢(にょしんくえ)

国家公務員である「官僧」が女性救済をやったという記録はないが、真言宗の官僧の手による1089年の弘法大師(空海)の伝記「大師御行状集記」によれば、空海は「女人は諸悪の根源であり、善法を皆尽きさせる元である」として「僧房(僧の部屋)に女性を入れてはいけないと規定を定めた」とある。

男子寮に女性立入り禁止するのは、なぜ? 「女性が諸悪の根源だから」じゃないだろう。

出家して僧になるための戒律、「具足戒」は男性で250戒もあるが、大きいものだけで10戒ある。①生き物を殺すな、➁他人のものを盗むな、③不倫や浮気をするな ④ウソをつくな ⑤酒を飲むな ⑥化粧・装身具を使わない ⑦歌や踊り、娯楽を見聞きしない ⑧快適なベッドを使わない ⑨午後以降、明朝まで食事をしない ⑩お金にふれない、所持しない。これを受戒して修行生活に入る。

これらの戒律を守るのは、修行中の身であれば、それほど大変でもない。
「女性を部屋に連れ込むな」は、今でもありそうだが、欲情がでて戒律を破る可能性があるというのが本当の理由だろう。女が邪悪だからではない。

開祖の偉業を称える伝記に「空海は女のことは諸悪の根源だと思っていた」とあるのは、もし空海にそんな思想があるとしても、問題がないからである。つまり、伝記の著者が書いた時代の社会の共通認識として女性蔑視思想があり、問題視されていなかったということではないだろうか? 

●三従七去(さんじゅうしちきょ:七去三従とも言う)

女性の「三従七去」については、Narashino gender19 中世の女性Ⅱ の平安時代のところで書いたが、仏教では「五障」もある。

成仏して梵天王、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏陀になれない、成仏できないというもので、理由は「女身垢穢(にょしんくえ)」。

原始仏教にはなかったが、ヒンズー教、儒教、神道の影響で広まった女性差別

原始仏教にはなかったが、ヒンズー教の影響でインドで出てきた思想。

釈迦自身が生前「人には男女の区別があるが、人の本性に差異があるわけではない。男も女も道を修めれば、然るべき心の道筋を経て悟りに至る(仏陀になれる)であろう」と打ち消したのにも関わらず、長年かけて中国、朝鮮を経て、日本に伝わり、宗派が採用し、民衆に影響を与えるものとなった。

中国で男尊女卑の儒教の影響を受けて強化されたイデオロギー。日本でこの手の女性蔑視が定着しやすい傾向にあるのは、神道の影響だが、そのことは神道の項で述べる。

釈迦の女弟子

日本では、6世紀末に蘇我氏がリクルートした「善信尼」が最初の出家者で女性であった。奈良時代最後には尼僧の称徳天皇も出現した。しかし、律令制のなかで僧侶の官僚制が整い、寺に住む尼僧(比丘尼・びくに)は減少していく。しかし、家の中で尼僧の姿をして戒律を守り、地域の人々の心の支えになる女性がいたし、乞食の姿をして、飢餓や戦争時に最底辺の人々に寄り添う尼僧もいた。男性社会の秩序の外にいても、釈迦の「女弟子」はこの国で脈々と存在し続けていたわけよ。

鎌倉新仏教の差別・救済・成仏

尼僧は、官僧と同じ得度(出家)と授戒という2段階の通過儀礼をへて官尼(女性の官僧)となる。しかし、授戒を受ける「延喜式」からほとんど排除されていた。延喜式を行う国立の有力な延暦寺や東大寺などが女人立入禁止だったからである。密教系は、「伝法灌頂」が僧の通過儀礼で、天皇の許可制。これも尼僧には開かれていなかった。密教の教えでは女性は成仏できないからだ。

それでは、遁世僧の世界での女性救済はどうであっただろう? 

遁世僧もまた、女性は穢れており、男性よりも仏教的能力において劣っていると考えていたから、女性救済は穢れを前提に行うものだった。鎌倉新仏教の開祖たちをチェックしてみよう。

道元

トップは道元。「日本国に一つの笑い事あり。いわゆる或いは結界と称し、或いは大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を来入せしめず、邪風久しく伝われて」(「正法眼蔵」)。理論上は女性排除を真向否定するが、女性を成仏させるには女性を一旦男性の姿に代えてからなら成仏できる(変成男子・へんじょうなんし)の説を唱えた。これが遁世僧でいちばん多い女性救済方法。一種の抜け道で、浄土には女性は存在しないことには変わりない。救済に名を借りた性差別。「変成男子」から女性が出家の際に髪を下ろすことにつながったとも言われる。

●日蓮

日蓮は、女人五障説は否定せず、女性のままで成仏できると説いている。「法華経」(大乗仏教の経典。聖徳太子の時代に伝わった)以外は女身成仏できないが、「法華経」だけは女性成仏できると独自解釈し、「南無妙法蓮華経」と唱えれば、女身成仏できるとした。

法然

法然は、女人成仏にはあまりこだわらなかったようだ。一日に7万回も声をだして念仏を唱え、極楽の幻視体験を経験し、死をネガティブなものからポジティブなものに変えるという神秘的な宗教体験をやっていた法然にとっては、抜け道考えている時間も志向もない? 

こんなエピソードがある。法然が讃岐に島流しにあった時、遊女の一団がいて「私のような女性で、さらに遊女というような卑しい職に就いている者でも往生できますか?」と問われ、法然は「(阿弥陀仏は)あなたのような罪深き人間のために誓いを立てられたのであって、阿弥陀の本願を頼んで南無阿弥陀仏と唱えられれば往生できます」と答えた。この言葉で遊女たちは救済された。法然教団は、女性たちに念仏を熱心に勧め、それにより大きな救済をしたという。

信じる者は救われる。宗教の本質だろう。法然の対話が、「一百四十五箇条問答」という本に満載。法然だけでなく、なるほど日本仏教というのはこんなのかと理解できる。

しかしだ、実際の生活で法然さんみたいに念仏三昧(ねんぶつざんまい)できるわけがない。救われないのは念仏が足りないせいだと言われれば、救済を求めているが生きていくのがやっとの生活困窮者は、どうもがいても成仏できない。全員尼になれば別だが? 

どうして現世で苦しむのか?という視点がないのだろうか? 釈迦はそれが出発点だった。そして、誰もが釈迦のようになれないこともよくわかっていた。

栄西

臨済宗は栄西がどのような女性観をもっていたかはっきりしないが、鎌倉を中心に15もの尼寺を創建し、それが江戸時代には縁切寺になり、女性を救う。律宗も20箇所を超える尼寺をつくり、尼寺を中心に女性の救済を行った。あの世の救済ではなく、この世の救済。日々働きながら念仏してろと突き放すより、問題解決型。でも社会活動みたいで、宗教的ではない。

禅宗、律宗は戒律を重視し、僧と尼の共住を認めるわけにはいかなかったから尼寺を強化したとも言える。

親鸞

尼寺を通じた女性救済で女性成仏をしなかったのが親鸞教団である。親鸞自身、五障・三従説、転女成仏(てんにょじょうぶつ:変成男子)の立場で、女人成仏を説いた。親鸞は戒律を破り、妻帯した。女性は菩薩の化身であり、女性と交わることで僧の成仏が約束されるという。菩薩の化身に変成男子を説くのか?

新仏教にはがっかり

日蓮は変成男子の思想はないが、女性の罪深さとそれゆえの救われ難さは確信していた。筆まめな人であったようで、多くの書簡が残っている。それによると、当時のイエ制度から家長は男で、夫は主で妻は従という関係性には問題意識がなく、夫の信仰に妻が従い、「家」を共に作りあげることを説く。「女人は藤のごとし、男は松のごとし。藤は松をはなれたら、ほんのわずかの間もたっておれない」「女人は今生のみならず後世も夫によるなり」。何をいってんだと思う。大半の女性は毎日、粥をすすって昼間は田畑で働き、夜は機織りや蚕の世話。年貢のために身を粉にして生きている。

がっかりだね。新仏教は実際に女性の男性との平等を認めなかったし、ケガレを理由に人格も認めなかった。だれも釈迦の「男女に差異はない」という言葉には立ち還らず、苦しみを他人事にし救済という時点で、上から目線。当時のライバル?である宣教師フランシスコ・ザビエルの日記には、「僧は資産のある女性に対しては、男性以上の喜捨(寄付)をすれば、地獄に堕ちずに済むと説教をし、多額の金銭を得る」と書いている。旧仏教と同じ貴族層がターゲットだったのか? 

日蓮は伊豆と佐渡に2回島流しになり、法然と親鸞の法然系は還俗させられて、法然は讃岐に、親鸞は越後に流される。迫害にあいながらも新仏教いろいろやってるじゃんと、わたしは単純に評価できない。

新仏教といっても、新興武家社会の男に女性を隷属させる補強的役割を男性の宗教家がやったというだけじゃないか?

旧仏教が天皇の権威を補強してきたのと同じ。権力機構の一部となってきたことは否定できない。

仏教の女性政策、ケガレとともに母性の礼賛が重要な役割をはたした。母性は女性の解放を封じ込め、母性が穢れの免罪になるどころか、母性の呪縛が女性を地獄に突き落とす。

女性は宗教に上から目線で「救われたくない」のだ。宗教と共に解放されたいのだ。男女が共に信仰し、共に救われる。そんな日本仏教があるといいな。

仏教は母の宗教と言われるが、「女の宗教」ではないのである。次回は宗教の「母性」について書きたい。(koki)

 

 

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