住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

北京五輪「平和の祭典と言えるの?」 日本で暮らすウイグル人、家族と連絡取れぬまま

2022-01-31 11:28:02 | 人権、環境

北京五輪「平和の祭典と言えるの?」 日本で暮らすウイグル人、家族と連絡取れぬまま

(東京新聞の記事より抜粋)

 2月4日に開幕する北京冬季五輪。米国やカナダが外交ボイコットを決めた理由の一つが、中国新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族が受けている人権侵害だ。日本国内に暮らすウイグル人たちは、ふるさとで暮らす家族や友人と連絡が取れないなどと訴え、「平和の祭典と言えるのか」と疑問を投げ掛ける。

 「人権侵害が起きている国でオリンピックを開くということが、オリンピック精神に合っているのか」。日本国籍を持つエンジニア由理知沙見ゆりちさみさん(45)=相模原市=は問い掛ける。

◆強まる監視、本音打ち明けられず

 子どものころは近所に漢族の友人もいて、融和的に暮らしていた。しかし、騒乱後、帰郷するたびにふるさとの雰囲気が変わっていくのを感じた。張り巡らされる監視カメラ。「密告社会」となり、ウイグル人同士でも本音を打ち明けることはできなくなった。中国政府はウイグル族の生活が良くなったと盛んにアピールしたが、漢族ばかりが豊かになった。
 17年ごろからは、日本国内から電話や中国系通信アプリ「微信(ウィーチャット)」でふるさとの家族らに連絡を取ろうとしても、電話に出なくなったり、返事が来なくなったりした。電話や微信に対する当局の監視が強まったためとみられる。昨年は数カ月もの間、兄の消息が分からなくなった。「中国にいる間は無理だろうが、選手には日本に帰ってきてからでもウイグルの人権問題を訴えてほしい」と期待する。

◆がんの弟、パスポート取り上げられ…

 ケバブ店を経営するハリマト・ローズさん(48)=千葉県松戸市=は18年、自治区に住むがんになった弟がパスポートを取り上げられ、日本に呼ぶことができなかった経験がある。亡くなったという知らせは数カ月後、家族からではなく周囲から聞いた。「日本の先進治療を受けさせてあげたかった。家族と悲しみを共有することもできなかった」と涙ぐむ。
 昨年、突然、兄から微信で連絡が来たと思ったら、兄の隣に見知らぬ公安当局を名乗る男が座り、情報を提供するよう迫ってきた。

◆「メッセージを」日本に期待

 日本国内のウイグル人は2000人ほど。家族をふるさとに残しているため、顔を出して証言できない人も多い。日本政府は北京五輪を巡り、政府代表を派遣しないと表明したが、「外交ボイコット」とは言明していない。「民主主義を基盤とする日本から、アジアのリーダーとしてメッセージを出してほしい」と訴える。
 

動画:ウイグルの職業訓練施設とは?【報道特集】

 
 
 

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「警棒で殴られ、眼球破裂で失明」のSNS拡散で…

2022-01-31 11:02:45 | 人権、環境

沖縄で起きた事件がニュースに

「警棒で殴られた」SNS拡散で・・・

(ANNニュース)

(琉球新報ニュース)

沖縄署包囲、主張の詳細は…高校生「急に殴られた」 警察「確認中、警棒損傷見られず」 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)

沖縄市内の路上で、バイクで走行中の男子高校生(17)と、沖縄署の男性警察官(29)が接触した後、少年が右眼球破裂などの重傷を負った件で、接触した警察官が署の調べに「バイクに停止を求めたが止まらず、接触した」と証言していることが30日、捜査関係者らへの取材で分かった。捜査関係者らによると、接触時の状況について「一瞬のことで分からない」とし、故意にけがを負わせる行為はしていないと主張しているという。

 高校生の親族は琉球新報の取材に対し、接触後の高校生の主張として「突然、警察官が暗闇から出てきて、警棒のような物で殴られた」と説明しており、双方の主張の事実関係に食い違いが生じている。

 親族の男性によると、高校生は友人と合流する場所に行くためにバイクを走らせていた。路地で突然、右側の暗闇から警察官が現れ、高校生の顔の右側を警棒のような物で殴ったという。高校生は「止まれば殺される」と恐怖を覚え、その場から走り去ったと話している。親族男性は「報道で『警察官が停止を求めた』とあったが(高校生の)話と違う。いきなり出てきて殴られたと話している」と説明した。

 捜査関係者によると、発生当時は夜間で、現場には当事者2人だけだった。これまでのところ目撃者は出ていない。男性警察官は路地でバイクに停止を求めたが、バイクは止まらずに警察官と接触して走り去ったといい、警察官も右腕に軽傷を負った。
(以上、「琉球新報の記事)


まだ事実関係は明らかになっていませんが、「警棒で殴られ、少年が右目を失明した」とされるこの事件、BLM(黒人の命も大切だ)運動のきっかけになったジョージ・フロイドさん事件を想い起こした方も多いのではないでしょうか?

 

 

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新刊紹介:習志野ドイツ人俘虜収容所も出て来る「音楽と越境」

2022-01-30 01:47:26 | 俘虜収容所

習志野ドイツ人俘虜収容所も出て来る「音楽と越境」

「音楽と越境 8つの視点が拓く音楽研究の地平」(音楽之友社)という本が出版されました。

音楽と越境 - 音楽之友社

 

この本の中に「引用文献」として紹介されている「ドイツ兵士の見たニッポン」

の著者、星正幸さんが、この「音楽と越境」という本の紹介をしてくれました。

(著者のお一人、七條めぐみさんから、この本が星さんに寄贈されてきたそうです。)

新刊紹介 星昌幸

音楽に国境なし、とはいうものの、実際には異文化の壁は大きい。それを越境し受容されていく音楽というものの姿を、8人の音楽学者が考察した論考集です。今日はこの本に収められた七條めぐみ「大正時代の日本におけるドイツ兵俘虜の音楽活動 -「俘虜楽団」の目指した音楽実践-」という論考をご紹介したいと思います。

 習志野収容所にいたドイツ俘虜の音楽については、既にこのブログでも何回も取り上げられています。また、徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所のオーケストラがベートーヴェンの「第九」を本邦初演したという話は、映画にもなってよく知られています。当時、日本には6つの収容所(習志野、名古屋、青野ヶ原、板東、似島、久留米)があり、それぞれにオーケストラや合唱団があって音楽活動が行われていました。しかしその史実は、これまでもっぱら、それぞれの地の“郷土史”として扱われ、日本音楽史の立場から、6つの収容所の音楽活動を通観し、横断的に考察するということはいまだ行われていませんでした。今回の論考は、その初めての試みだということが出来ます。

 6つの収容所を比較するだけでなく、著者の目はさらに、当時のドイツ国内や租借地・青島における音楽活動との比較に向けられます。俘虜楽団のプログラムを分析し、演奏曲目には19世紀のドイツ国内における音楽文化との連動性が認められ、管弦楽作品、特にベートーヴェンの交響曲が重要視されたのはその現れだと見ています。

 著者はさらに、俘虜名簿や俘虜職業調を駆使して、各収容所の俘虜楽団の人員構成を分析します。その結果、軍楽隊員や職業音楽家の比重は意外に低く、召集された一般人が趣味として身に着けていた音楽の果たした役割が大きかったことを指摘しています。青島には第三海兵大隊軍楽隊という軍楽隊がいましたが、彼らは戦闘時には衛生兵(赤十字要員)となったため俘虜にはならず、長崎を経て、まだ中立国だったアメリカで解放されている事実は、この論考の発掘した大きな指摘と言えるでしょう。

 23ページに及ぶこの論考で著者の視線は、同じ第一次世界大戦で他の国に収容されたドイツ俘虜の音楽活動にも向けられています。イギリスやロシアの収容所でも、ドイツ兵による小オーケストラがあったことが紹介されているのです。

 巷間、ドイツ俘虜を人道的に遇したといってもそれは松江所長を頂く板東収容所だけで起きた「奇跡」であって、他の収容所は習志野も久留米もひどいものだったのだ、とか、その「奇跡」の証しとして板東では特別にオーケストラが許されていたのであって、習志野にもオーケストラがあったなどというのはウソだろう、という誤った理解をしている人が大勢います。しかし、習志野にも久留米にも立派なオーケストラがあり、さらにはシベリアの劣悪な収容所の中でも彼らの音楽活動は行われていたのです。板東だけで奇跡が起きた、という「神話」はそろそろ終りにして、今回の論考を皮切りに、各収容所の音楽活動が日本音楽史の1ページとして認知され、さらに研究が深められていくことを期待したいと思います。

 

 著者の七條めぐみ博士は愛知県立芸術大学講師。これまでに、名古屋収容所の音楽活動について優れた論文を発表されています。

「名古屋におけるドイツ兵俘虜の音楽活動 :

 1918(大正7)年12月~1919(大正8)年6月の演奏会を中心に」

(ダウンロードはこちらから)

https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=744&item_no=1&page_id=13&block_id=52

 その名古屋俘虜収容所の跡地は、その後、県立旭丘高校(旧・愛知一中)になっていますが、七條先生はその卒業生だそうです。

旭丘高校には現在、塀沿いに「日独友好の碑」が建てられています。

 ご自分の出身校の歴史が、このように多角的な研究に結びついたというのも素晴らしいことですね。

(以上が星さんの「新刊紹介」文です)

この著書の七條さんの論考のうち習志野ドイツ人俘虜収容所に関する部分をピックアップしてみました。

(「住みたい習志野」の以下の記事もご覧ください)

津田沼高校オーケストラが「閉じておくれ…」など演奏(読売新聞) - 住みたい習志野

6日にプラッツ習志野でおこなわれたコンサートのことが報道されました。津田沼高生の演奏に拍手(読売新聞の記事から抜粋)県立津田沼高校オーケスト...

津田沼高校オーケストラが「閉じておくれ…」など演奏(読売新聞) - 住みたい習志野

 

習志野から消される?ドイツ人捕虜収容所の歴史(菩提樹、聞き書き民話、西郷寅太郎) - 住みたい習志野

テレビで西郷寅太郎(西郷隆盛の息子で習志野ドイツ人俘虜収容所長)の生涯を紹介 - 住みたい習志野

 

 

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文化ホールをどうするか、4月のパブリックコメントが大事

2022-01-30 01:31:30 | 文化ホール

文化ホール建設候補地については、JR津田沼駅南口と旧庁舎跡地の2案

文化ホールについて、
➀今の場所で100億もかけて建て替え(これだと、何十年後かにJR南口再開発が決まれば、又一緒に壊して建て直さなければならなくなる。今回はたった44年で建て替え
➁旧市庁舎跡地に多目的ホールとして移設する(これだと建物さえしっかり造れば、当分建て直さなくてすむ)
の2案が示されていることが「日刊建設新聞」という業界紙に報道されました。

習志野文化ホールの再建設基本構想案 座席数は1200~1500席に

4月にパブリックコメント募集、とも報道

文化ホールをどうするか、4月にパブリックコメントを募集する、ということも報道されています。(以下、記事の内容)

 習志野市は、1月27日開催の「習志野文化ホール再建設基本構想等検討専門委員会」(委員長・廣田直行日本大学生産工学部建築工学科教授)で、基本構想の検討状況を明らかにした。現ホールの設置理念を踏襲する記述を追加するともに、「1500席」としていた座席数を「1200~1500席規模」に変更、民間資金の活用など事業手法を提示している。今後は、同委員会の意見を踏まえ、さらに基礎的条件などを整理。2月に市長名で教育委員会と社会教育委員会に意見を求め、年度内に基本構想案を策定、4月にパブリックコメントを実施する予定だ。次回、第4回会合は5月下旬に開催する。

 第3回会合では、市が提示した基本構想の修正案をふまえ、座席数、ステージ形式、建設候補地について主に意見を交わした。

 座席数は当初、ヒアリングの結果などを踏まえ1500席としていたが、3カ年の観客数別公演数実績で、1350人未満の公演が全体(649公演)の約8割(527公演)を占めていること、敷地面積やコストの制約などを踏まえ、「1200~1500席規模」に修正した。最終的な座席数は、基本計画、基本設計で決定していく。

 ステージの形式は、現ホールと同様の形式を望む声が多かったことなどから、舞台袖のある「プロセニアム(額縁)形式」を想定。建設候補地については、JR津田沼駅南口と旧庁舎跡地の2案について、長所と短所を比較して提示した。

 委員からは、工事で使えない期間が長引くことへの懸念。児童生徒がコンクールで優秀な成績を収めるなど、「音楽のまち習志野」のシンボルとして、現地建て替えを支持する意見などがあった。

 津田沼駅南口エリアでは、野村不動産が複合商業施設「モリシア津田沼」一帯を再開発する構想を同市に提案。25年度以降に解体、工事に着手する再開発のスケジュール案を示している。

 習志野文化ホールは、同社との協議状況や、施設の老朽化をふまえ、指定管理期間が終了する23年4月から休館する予定だ。

 現習志野文化ホールは、26億円余を投じて第3セクター方式で建設。1978年に竣工した。延床面積は9903平方m(ホール部分は6921平方m)。客席数は1475席。
(以上、「日刊建設新聞」の記事)

市民が知らないうちに市が決めてしまってからでは遅い。4月のパブリックコメントに応募しましょう
市民が知らないうちに市が勝手にきめてしまう、とならないよう、4月のパブリックコメントが大事です。どんどん応募しましょう。

・パブリックコメントとは何でしょう?

https://www.city.narashino.lg.jp/joho/matidukurisanka/public_comment/gaiyo.html

・誰が意見を提出できるのでしょう?

「市内に住所を有する者、市内に事務所又は事業所を有するもの、市内に通勤又は通学する者、利害関係を有するもの」とされており、決まった書式はありませんが、住所・氏名及び意見を記載し、締め切りまでに郵送、FAX等で提出します。提出した意見の概要とこれに対する市の考え方は、氏名・住所などの個人情報を伏せた上で、市のホームページ等で公表されます。また、その後の政策等の決定を拘束するものではありませんが、決定に当っては提出された意見等を充分考慮すべきものとされています。

・今回の問題について、パブリックコメントの募集は4月の予定ということですが、どうすれば募集開始を知ることができますか?

 市の公式ホームページにある「新着情報」に注意してください。なお、文化ホールのパブリックコメント募集開始については、当ブログでもお知らせする予定です。

パブリックコメントがないと「市の原案は市民の理解を得られたもの」とみなされて、政策決定が進んで行ってしまいます。貴重な機会を見逃さないようにしましょう。

 

野村不動産のJR津田沼南口再開発のために文化ホールを壊すのに、「老朽化」とか「2年も前に閉館」とか、怪しい - 住みたい習志野

聞いてないよ!文化ホール、2023年4月1日に休館⇒閉館? - 住みたい習志野

またもや市民が知らないうちに… こっそり進む文化ホール建て直し - 住みたい習志野

習志野文化ホール建て替えへ(10月3日付船橋よみうり) - 住みたい習志野

路上の音楽(読者投稿) - 住みたい習志野

 

 

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「10年、誰にも言えなかった」 原発事故後に甲状腺がんに 10代で発症した6人、東電提訴

2022-01-29 09:50:00 | 人権、環境

(JNNニュース)

「甲状腺がんは原発事故の影響」当時の子ども6人が6億円賠償求め東電を提訴

小児甲状腺がんは100万人に2人、というまれな病気だが、福島では38万人を検査したところ、がんやその疑いが266人に見つかり、うち222人が手術を受けた。

国連の報告では、チェルノブイリ原発事故の後も周辺で子どもの甲状腺がんが増加した。

(東京新聞の記事より抜粋)

「10年、誰にも言えなかった」 原発事故後に甲状腺がんに 10代で発症した6人、東電提訴

◆声を上げることで状況変えたい

 「甲状腺がんになったと言えば差別されるのではと恐怖を感じ、わたしたちは誰にも言えずこの10年を過ごしてきた」。27日午後、提訴後に東京都内で記者会見した原告の女性(26)は、涙で声を詰まらせながら訴えた。「でも甲状腺がんで苦しむ子が約300人いる。声を上げることで少しでもいい方に状況を変えたい」
東電を提訴後、記者会見する原告の女性

東電を提訴後、記者会見する原告の女性

 福島県中部の中通り出身の女性は大学2年生の19歳だった2015年、甲状腺がんと告知された。翌年に甲状腺の片側を切除する手術後、体力が極端に落ちた。体調不良も続き、都内の大学卒業後に就職した広告代理店を1年半で退職。今は都内で事務の仕事をする。「夢だった仕事を諦めざるを得なかった上、今も仕事がまともにできないのがつらい。将来への夢や希望を持つことができなくなった」

◆東京で手術や検査、重い負担に

 福島の病院への不信感から、告知を受けてからは東京で手術や検査を受けた。そのたびに両親が上京し、少しでも首の傷が小さくなるようにと受けた内視鏡手術は、当時は県の支援対象外で自費だった。
 治療が続く中で女性は大学の返済不要の奨学金の申請を忘れ、3年から授業料が全額負担に。「両親が保険の組み替えの相談をしているのを聞き、迷惑をかけてしまったと落ち込んだ」

◆再発おびえ「この先どうなるか不安」

 手術後、頻繁に風邪をひき、肺炎や気管支炎、ぜんそくになった。だが甲状腺がん治療と認められなければ支援の対象外。県の医療費支援は国の補助金を原資として毎年予算を組み「なるべく長く続ける」(県民健康調査課)としているが、いつまで続くか分からない。女性は「常に再発におびえ、この先どうなるのか強い不安がある」と支援拡充も求めている。
 
 
 
 
 

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