死亡した逃亡犯、高校の同級生が語った素顔
(広テレ!NEWSより)
フォークダンスに興じる男子生徒…。
高校3年生の体育祭で撮影された、桐島容疑者です。
東京のオフィス街で起きた連続企業爆破事件のひとつに関わったとして全国に指名手配されたのは、この4年後でした。
福山市出身で、尾道市内の高校に通っていた桐島容疑者。2人の同級生が、当時の様子を語りました。
■百島さん
「おとなしいというかノンポリ(政治に無関心)よね。普通にどこにでもいる高校生」
■岡田さん
「どっちかと言うと陽気な男で人と一緒に行動する、追いかける。言い方は色々あるけどそういう感じよ」
「当時(俺は)車に早くから乗ってたから、おい桐島走りにいくどって言ったときに、おう行くとついてきた」
「だから思うんよ。ああいうことやったのも人から影響を受けやすかったからという印象はある」
その後、3人は上京。1年の夏休みに帰省した岡田さんは、桐島容疑者に再会します。
■岡田さん
「もう50年前の写真だから誰が誰やら分からんけど…。おう、これか…」
そう言って、特別に見せてもらった写真。そこに映る桐島容疑者は、隣の男性の肩に肘を置き、どこか自信に満ちたようにも見えます。
■岡田さん
「これは大学1年の夏休みに道後山のところに元3年4組でキャンプに行った」
「とにかく(桐島は)楽しそうだろ?全然そういう(事件を起こす)素振りは無かったということだよね」
「これが桐島が失踪する直前の写真だよな。これ以降消息絶ってるんだから」
1960年代から全国に吹き荒れた学生運動の嵐…。
その後、内ゲバなどで運動は減速しつつありましたが、各地の大学では「団交」と呼ばれる大学と学生による交渉の場が度々もたれていました。
■岡田さん
「お前そういう学生運動とか一回も無かった?」
■百島さん
「東大の安田講堂、あれを中3の時にテレビで見てカッコいいと思ったのが最初。ああいう活動をやっていたのは高校1年だけぐらい」
一方、同級生の目に映った桐島容疑者は、大学1年までそうした素振りは見せなかったと言います。
■岡田さん
「(最後に)会った日は、法政大学で総長団交があった日なんだよ。俺たちが警備をしていて、その時偶然自分の前を通りかかって、おい桐島!お前何やってんだいうことよね。」
「気付いて、ああ岡田かと。総長団交の傍聴に来たけど入れてもらえないというから、俺の友達だから入れてやってくれと」
「終わった後にちゃんと俺の所に来てありがとうと礼を言って」
「お前いい加減にしとけよとかほどほどにしておけよと声をかけたのが最後だと思う。それから1~2週間後だったと思うけど、指名手配が新聞一面に載っているのを見てびっくりした」
岡田さんが最後に見た桐島容疑者は、高校時代と同じく礼儀正しい人物でした。それだけに、亡くなった人物が50年近く逃亡し続けた桐島容疑者だったら…。そう考えると、憤りを隠せません。
■岡田さん
「せめて(事件の)被害者に詫びを入れて、俺たち同期も相当迷惑受けてるという気持ちがあったから、せめて詫びの一言入れろという気持ちが強かった」
その一方、同じ学び舎に集ったクラスメートとしての胸中は複雑です。
■岡田さん
「最後の状態を聞いたら、言い方悪いけどよくぞそこまで生き延びたという感覚もある」
■百島さん
「どっちかと言えば可哀そうな男ですよね、ある面で言えば」
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