住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

Narashino Geography 119   トルコ

2023-02-16 23:50:25 | 地理学

「トルコ」

 

トルコ・シリア大地震で被害を受けた「トルコ」という国について考えたいと思います。現在も被害が増え続けている2月6日未明にに発生した地震は、マグニチュード7・8、その5時間後にマグニチュード7・5の地震が連続して発生しました。100年前の1923年9月1日の関東大地震のマグニチュード7・9クラスの地震が続けて起こったということになります。

トルコのGDP、最大1%損失か 死者4.2万人超 余震4300回:朝日新聞デジタル

トルコのGDP、最大1%損失か 死者4.2万人超 余震4300回:朝日新聞デジタル

 トルコとシリアで起きた大地震で、欧州復興開発銀行(EBRD)は16日、トルコの国内総生産(GDP)の最大1%が失われる可能性があると述べた。ロイター通信などが伝えた。両国...

朝日新聞デジタル

 

トルコは4つのプレートが接するところで、しばしば大きな地震が発生

トルコ・シリア大地震はトルコの南東部、シリアとの国境に近いところを震源として被害は日本本州島半分と同じぐらいの範囲に広がっています。東アナトリア断層という巨大な断層が大きく変動したことを日本国土地理院が発表しています。CNNニュースではシリアとの国境に近いトルコのオリーブ畑に幅300メートル、深さ40メートルの谷が突如出現したと報じられていました。地震による地盤災害でもあったということです。

トルコはアナトリアプレート、ユーラシアプレート、アラビアプレート、アフリカプレートが接する変動帯にあって、しばしば大きな地震が発生しています。

100年前の関東大地震では、東京東部を中心に火災が発生し、巨大な火災旋風によって大きな犠牲が発生しました。死者・行方不明者は10万人以上でした。

知り合いのトルコ研究者からのメールでは、エルドアン大統領の貧困層に向けて供給された公共住宅(市価の1/5~1/10)は1棟も倒壊はなかったとありました。民間の住宅は高層で多くはベランダがついていて地震に弱い構造だったといいます。公共住宅は低層・中層で構造的に強かったということです。

民族的に複雑なトルコ

トルコは民族的には複雑です。トルコ民族の他にアルメニア人、アゼルバイジャン人、ギリシャ人、ユダヤ人などが古くから共存してきました。今回地震が発生した東南部にはクルド人も多く居住しています。しかも、国境をはさんで国内事情が複雑なシリアに接しています。オスマントルコの時代には多くの異民族も税金を払えば定住できる一種のダイバーシティ(多様性)でもありました。

しかし、近現代になると国民主権国家の民主主義的な独立国として、民族的矛盾を抱えることになりました。

トルコが認めないクルド人の独立

クルド人の独立問題はしばしば武力勢力との衝突を引き起こし、現在も微妙な問題で、トルコは決してクルドの独立を認めることはありません。

キプロス問題(北部のトルコ系住民と南部のギリシア系住民の対立)

トルコ南の地中海のキプロスは、キプロス島北部に住むトルコ系住民と南部のギリシア系住民との間で1983年に分断され、現在もトルコとギリシアの関係は良好とは言えない。

アルメニア人大虐殺(キリスト教系のアルメニア人とイスラム教徒のトルコ人)

歴史的には第一世界大戦中にアルメニア人大虐殺が発生した。

アルメニア人虐殺による民族離散(ディアスポラ)をモチーフにした映画「消えた声が、その名を呼ぶ」に、次のような説明文があります。

「1915年から翌年にかけてオスマン帝国で起こったジェノサイドでは、100万人のアルメニア人が犠牲になったといわれる。虐殺を生き延びたアルメニア人たちは中近東、特にレバノン、シリア、パレスチナ、イランにまず成立したコミュニティに集まった。そしてさらに遠方、例えばエチオピア、極東、ラテンアメリカ(特にアルゼンチン)、ギリシャ、イタリア、イギリスなどにも相当数が散らばっていった。」

アルメニア人とトルコとの軋轢はオスマン帝国時代からあったが、キリスト教系のアルメニア人とイスラム教徒のトルコ人との対立であったといえます。

トルコ建国の父、ケマル・アタチュルク

オスマン帝国が第一次大戦で敗北し、トルコ革命によって1923年王制を廃して、共和国としてトルコ共和国として独立した。このときの指導者がケマル・アタチュルクで憲法制定や世俗的イスラムへの移行、軍の政治からの独立を確立していった。

ムスタファ・ケマル・アタテュルク(ケマルパシャ)|トルコ建国の父の歴史と偉業|トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!

(近)

 

 

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創業者は豊田(とよだ)、社名はトヨタ(読者投稿)

2023-02-16 22:17:28 | 雑学

(ブログ読者の投稿です)

創業者は豊田(とよだ)、社名はトヨタ

豊田章一郎氏が亡くなりました。
トヨタ 豊田章一郎名誉会長が死去 世界有数の自動車メーカーに | NHK

トヨタの今日の発展を築いた経営者であり、自動織機の発明者・豊田佐吉の孫に当ります。

 ところで、お名前は「とよだ」と読みます。それなのに、社名はトヨタ。なぜでしょうか。

 90年前、昭和8年(1933)に豊田自動織機自動車部として創業した頃には「とよだ」自動車で、英字でも「TOYODA」となっていました。

トヨタ初の乗用車「AA型」のエンブレム。漢字で「豊田」が図案化され、英字は「TOYODA」となっている。

昭和11年(1936)、豊田自動織機から自動車部を分社化するに際し、全国から商標のアイディアを募集したそうです。その際、

・濁音がなく、さわやかで言葉の調子もいいこと

・片仮名で「トヨタ」と書いた場合、末広がりとして縁起がいいとされる「8画」になること

・創業家の名字から離れることで、個人の会社から社会的企業へと発展するという意味を込めたこと

という3つの理由で「トヨタ」が採用され、商品は「トヨダ号」から「トヨタ号」に改称。新会社も「トヨタ自動車工業株式会社」として設立されたということです。

 歴代社長の顔ぶれを見てみると、豊田佐吉(始祖)、利三郎(初代)、喜一郎(第二代、実質的創業者)、石田退三(第三代、中興の祖)、中川不器男(第四代社長)、豊田英二(第五代)、章一郞(第六代)、達郎(第七代)、奥田碩(第八代)、張富士夫(第九代)、渡辺捷昭(第十代)、そして現在の豊田章男社長と、必ずしも豊田家ばかりではないことがわかります。「豊田自動車ではない」という精神が、今も受け継がれているのでしょう。先日、章男氏から、4月からは佐藤恒治氏に経営が引き継がれることが発表されました。

 なお、トヨタの城下町・愛知県豊田市は「とよたし」と読みます。昭和26年(1951)に市制を施行した当初は、「挙母市(ころもし)」という珍しい名称だったそうです。しかし、自動車産業が本格的に発展を迎える中、世界のトヨタの本社所在地として昭和34年(1959)、「豊田市」に改称されたということです。そういう次第で「とよたし」と読むわけです。

先日の「ダットサン」に続いて、車の雑学でした。

知らなかった。日産「ダットサン」の「ダット」は「脱兎」だったんだ! - 住みたい習志野

 

 

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自分の生まれ育った地、100年耕した農地を機動隊の暴力で奪われた成田農民、市東さん。怒りのインタビュー

2023-02-16 21:47:54 | 人権、環境

先祖代々100年耕した農地を、夜中に機動隊の暴力で奪われた成田農民、市東孝雄さん。怒りのインタビュー

2月15日から16日にかけて、「執行官が説明して収用する」という手続きすらふまず、機動隊の暴力で、先祖代々100年耕してきた農地を奪われた成田農民、市東さんの怒りのインタビューです。「国策」のもとに人間としての権利、尊厳を奪われている多くの人たちや、何でも勝手に力ずくで強行してしまう今の政治に怒る多くの民衆の気持ちを代弁してくれているのではないでしょうか?

執行官が来て説明して、言うこと聞かなかったら機動隊が来て何かやる、というのならわかるけど、いきなり機動隊が来て、押し倒して、こんなやり方、本当に認められないね。

権力持っている上にこういう暴力、やっぱりやっちゃいけないよね。

国であれば、国民の権利を守らなくても、自分たちのやりたいようにやる。そういう姿勢が大っ嫌いだ。それを直してもらいたい。間違っているのは空港会社だから。

(メディア)執行官から何か通達があったんでしょうか?

何もないですよ。いきなり機動隊が突っ込んできて、オレ、2回ぐらい倒されちゃったんだけど。

立ち上がってから「執行官を呼んでくれ」と言ったら、今そこにいるから呼ぶ、と言ってる割にどんどんこっち側に押して来た。

(メディア)市東さんとお話ししてない?

会ってないです。

(メディア)この場所はご自身が生まれた場所なんですよね。

そうです。

(メディア)それが今このような形になってどうお感じですか?

やっぱりくやしいですよね。悔しいのと、無念と。何でこんなことされなきゃいけないのか、と思う。

国策という名のもとに住民を無視したやり方、それが納得できないし、裁判を見ても「三権分立」と言うけど、今「三権分立」なんて全然ないですね。

法律を国の使い良いように変えちゃって、オレたちは、裁判は公平だと思ってた。しかし、裁判をやってる中で、それは間違いだ、と痛感しましたね。

(メディア)強制執行をどう思いますか?

強制的手段とらない、と言っていたのにね、こういうやり方をしてくるのは納得できないし、許せない。

(メディア)この土地に想い出があると思うんですが

やっぱり先祖から長い間耕した畑で、親父の遺言で跡を継ぐって帰って来たんで、悔しいし、無念。

こういう暴力で片付けられちゃうのは、納得いかない。

執行官連れてきて説明してやればいいけど、いきなり機動隊持ってきて暴力の力でやる、というやり方は納得できませんね。

自分たちが正しいんであれば、こんな暗くなってからやらないで、昼間やればいいんですよ。堂々と。

それが出来ないということは、やはり自分たちに正義性がないんですよ。

(メディア)農地に多くの(機動隊が)足踏み入れようとしてますけど

信じられないし、許せないですね。そういう気持なんか全然わかってないですよ。

自分たちの子どもと一緒なんですよ。野菜でも何でも。それを踏みつぶされたりするのは悲しいし、納得できない。

(編集部より)

強制執行は執行官が執行理由を当人に説明し、白昼堂々とやらなければならない。
(次の動画は、谷中村の土地収用と闘った農民や田中正造を描いた映画「襤褸の旗」の「強制執行」のシーンです)

強制執行は許せませんが、それでもこの映画のシーンのように、一応の手順を踏んでやる。今回のように、執行官が顔も出さず、収用の説明も一切なし。機動隊がいきなり暴力で本人に襲いかかり、押し倒す。しかも夜間コソドロみたいに乱入し、丹精込めた畑を機動隊が土足で踏み荒らす。あり得ません。この国はどこまで腐っているのでしょうか?

まるで「戦時徴用」。100年耕した成田農民の農地を夜陰に乗じて機動隊暴力で奪う岸田政権とNAA - 住みたい習志野

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

親子三代100年耕してきた農地を暴力で奪い取る岸田政権と闘う農民・市東孝雄さん - 住みたい習志野

50年前の「国家暴力による農地強奪」を再度強行する岸田政権。緊迫する成田。 - 住みたい習志野

「成田空港を軍事利用」するため、親子三代100年耕した農地を奪い取る岸田政権 - 住みたい習志野

親子三代100年耕した農地なのに、戦争のせいで所有権を認められなかった成田農民の農地、今年中にも50年ぶりの「強制収用」で奪われようとしている - 住みたい習志野

50年前、成田でミャンマー軍部のようなことをやっていた政府。また農地を暴力で取り上げようとしている。 - 住みたい習志野

アラブ世界も注目。今年の「ニュースの顔」、農地とり上げと闘う成田農民、市東孝雄さん - 住みたい習志野

ここまでやるか?岸田政権凶暴化。台湾有事=成田空港軍事利用のため、100年耕した農民の土地を暴力的に取り上げ - 住みたい習志野

「100年耕した農地を強制収用するな」と、成田農民がNAA(成田空港会社)に申し入れ - 住みたい習志野

みんなが市東孝雄になる。 非暴力でいこう。(市民の投稿) - 住みたい習志野

ジュネーブの国連会議で、成田農民の「100年耕した農地を強制収用しないよう勧告を!」の訴えが配布されました

 

 

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反対意見があったのに「原発運転60年」を決めてしまった原子力規制委員会(読者投稿)

2023-02-16 07:32:33 | 投稿

(ブログ読者の投稿です)

原発運転60年超えても大丈夫?

13日に開かれた原子力規制委員会は、原発の運転について、60年を超えての運転を可能にすることに決定したそうです。

(ANNニュース)

 習志野市では築45年の文化ホールが「老朽化」して取り壊しになるとか、稼働から20年余りの清掃工場が既に「老朽化」していると言われていますから、60年を超えた原発など、本当に大丈夫なのだろうかと心配になってきますね。

 ところで、13日の会議は全会一致ではなく、多数決(賛成4対反対1)で決定したそうです。新聞は「全会一致が通例とされてきた会議で、極めて異例なこと」だったと伝えています。またテレビで見ると、反対意見を述べた石渡明委員がコップの水を飲み干すのが印象的でした。あの空気の中で反対意見を述べることがいかに大変なことだったのか、雄弁に物語っていましたね。

「全会一致が慣例」という「慣習法」を無視して強引に「多数決」で決めてしまって大丈夫?

 この委員会は多数決で議案を決定するそうですが、重要議案については昔から「全会一致」が慣例になっていたといいます。それだけ13日の決定は異例だったのでしょうが、「全会一致」とは言い換えれば、委員一人一人が拒否権を持っている。一人でも反対すれば、可決できない、ということを意味します。そしてそれが「慣例」になっていた、というのですが、もしそれが慣習法と言っていいぐらい根付いていたとすると、それを多数決で押し切ってしまっていいのだろうかという疑問が湧いてきます。これまでもすべて、多数決だったのだ。たまたま全会一致になっていただけで、全会一致でなければ議決できないというわけではない、という言い方もできそうですし、原発政策の根本に関わる重要な変更をするのだから、単なる多数決ではなく全会一致を要するはずだ、という言い方もできそうですね。

「1足す1は3にしよう」なんて、事実に反することを多数決で決めてしまう日本

 日本人は「正」(テーゼ)と「反」(アンチテーゼ)をぶつけ合い、その葛藤の中から「合」(アウフヘーベン)を見出していく、ということが非常に下手です。「反」が出てきたら何としても説得し、丸め込み、全員「正」で異議なく一致した、ということを好むのです。「12月上旬をもって対米開戦」となったら、「アメリカ相手に戦争なんて出来るわけないじゃないか」と思っても、黙ってうなずかざるを得なかったという歴史があります。「広く会議を起し、万機公論に決すべし」と言っても、公論とは多数意見のことなのか、全員一致のことなのか、謎に包まれたままです。なお、多数決というものは、結果の成否が明らかなものにはなじみません。例えば「1足す1は3ということにしよう」「そうだ、そうだ。賛成」と決議したとしても、それで1足す1が3になるものではなく、間違いは間違いなのです。

何十年もたってから後悔してもおそい

 そうした日本にあって、原発に関する重要国策が多数決で決定されたというのは、なかなか考えさせられる問題です。石渡委員は「(60年を超えても大丈夫だということは)科学的・技術的な新知見に基づくものではない」と述べたそうですが、それ以上この少数意見を討論することもなく多数決で押し切ったといいます。石原委員の意見の当否は筆者にはわかりませんが、何十年も経ってから「令和5年のあの時、もっとよく考えておけばよかった…」などという愚だけはやめてもらいたいものですね。

「空気」で決められてしまった日米戦争

イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏が「日本人とユダヤ人」の中で、全員一致の決議は無効、2千年前のユダヤ人はそう考え、そう実行した。一方、全員一致の決議こそ最も有効、日本人は現在もこの言葉に疑いを抱かない。なぜだろうと問いかけてから何年経ったのでしょうか。山本はまた、「『空気』の研究」という名著も残しました。彼は、日本人がものごとを決めるとき、もっとも重要なのは「空気」である、と言います。日米戦争への道も、誰も反対できない「空気」の中で決められていったのだと指摘して見せたのでした。平成3年に亡くなった山本が今回の原子力規制委員会を見たら、いったい何と書いたでしょうね。

 

 

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