(ドイツ兵士の見たニッポン」の著者Hさんから以下のお知らせをいただきました)
こんなYouTubeを見つけました。
The late Mr. Alwihsio Fredrick narrates the account of three Pohnpeian men in Tsingtao during World War I, Pohnpei. The German District Administrator Kersting sent three young Pohnpeian men to attend vocational trainings in German-Tsingtao, China in August 1911. They are Joseph Georg and Samuel Joseph from Mwahnd, Uh, and William Helgenberger from Areu, Madolenihmw. William’s father is a German, August Helgenberger who was a station manager of the German owned Jaluit Company on Pohnpei in the 1890s. Upon the break of the World War I, Japan invaded Tsingtao in China and Micronesia, which were under the German control in 1914. So those Pohnpeian men boarded the German warship Jaguar and were captured by the Japanese military. They were sent to Japan as war prisoners after the fall of Tsintao. The Japanese found those three Pohnpeians among German soldiers at a prisoner's camp in Japan and sent the Pohnpeians back home in the 1920s before the Germans. This narration was recorded by NGO Pasifika Renaissance Executive Director Takuya Nagaoka in 2004. Photo: German war prisoners, including three Pohnpeians men, in Japan (Source: Narashino City Board of Education)
故アルウィシオ・フレドリック氏は、第一次世界大戦中、ポンペイの青島にいた 3 人のポンペイ人男性の話を語っています。
1911 年 8 月、ドイツ地区管理者のケルスティングは、3 人の若いポンペイ人男性を中国のドイツ地区青島での職業訓練に参加させました。そのうちの一人 ウィリアムの父親はドイツ人で、1890 年代にポンペイにあるドイツ人所有の Jaluit Company の駅長だった August Helgenberger です。
第一次世界大戦が終結すると、日本は 1914 年にドイツの支配下にあった中国の青島とミクロネシアに侵攻しました。ポンペイ人はドイツの軍艦ジャガーに乗り込み、日本軍に捕らえられました。 彼らは青島陥落後、捕虜として日本に送られました。 日本人は、日本の捕虜収容所でドイツ兵の中にいるこれら 3 人のポンペイ人を発見し、1920 年代にドイツ人より先にポンペイ人を帰国させました。
このナレーションは、2004年にNGOパシフィカ・ルネサンス事務局長の長岡拓也氏によって録音されました。
写真:在日ドイツ人捕虜(ポンペイ人3名を含む)(出典:習志野市教育委員会)
なお、フレドリクさんの写真は、「ドイツ捕虜余話」
https://jdg-chiba.com/about/pdf/kouennroku_2.pdf
の「第三話」で見ることができます。
(編集部より)
「第三話 ポナペ島の子孫」の一部をご紹介します。今はポンペイと呼んでいますが、昔は「ポナペ」と呼ばれていました。
習志野ドイツ人俘虜収容所にいた三人のポナペ兵
浅草の本願寺で撮った記念写真をそうやって複写していましたら、中にどうも、白人じゃない顔が見えるんですね。(編集部注:さきほどの動画に使われていた写真です)
当時、南洋群島がドイツの領土でして、そこの原住民が青島に送られ、ドイツ兵として戦って捕虜になった。そういう姿を見つけました。捕虜名簿を確認すると、現在はミクロネシア連邦となっているポナペ島の出身者が3名、習志野に収容されていたことがわかりました。
それから、平成12年にクレスト・ホテルで史料展をやりましたが、その会場に寄せられた情報として、太平洋戦争の折、この方は兵隊として、アメリカ軍の侵攻に備えてポナペ島に駐屯していたのだそうですが、パッシーバという島の娘と親しくなった。ある日、部隊を率いて山で対空陣地を築いていると、偶然パッシーバと行きあった。私の家はこの近くで、父は大変な日本びいきなので、ぜひ会って行って欲しい、と言われて行ってみると、ウェリヤムと名乗る父親が出てきた。大正の日独戦争の折、日本の捕虜となって習志野の収容所にいた。私が今日あるのは日本のおかげである、といって、私の部隊に大変なごちそうをしてくれたことを、今、何十年ぶりに思い出しました、という情報なのです。
そこで私から、在ミクロネシア連邦日本大使館に手紙を出しましたところ、当時の中島さんという大使がたいへん驚かれまして、現地で懸命に調査してくださいました。その結果、さきほどの記念写真に写っている3人のどれが誰だということも、ウェリヤム・ヘルゲンバーガーの子孫は大変に栄えており、ミクロネシア連邦の上院議員だのポナペ島のホテル王だのいるのだが、皆、「ウチの祖父さんが、写真だけど若くなって帰って来た」と、この話に驚いている、ということがわかりました。余談ですが、このポナペ島にはナンマドール遺跡という巨大な海底遺跡があります。
(編集部注:ナン・マドール遺跡、こんな遺跡です)
ララ・ポンペイ公式サイト - ミクロネシア:ポナペの旅行(ツアー)、ナンマドール、マンタ等のダイビング、フィッシング案内
一説にそれが竜宮城だ、浦島伝説の始まりはポナペ島だという話がありまして、あながちいい加減でもないらしいのですが、それはともかく、写真とは言え何十年ぶりに祖父さんが帰ってきたのですから驚いたんでしょう。また、ヘルゲンバーガー家の伝えでは、ポナペから青島に行った3人は、最初は軍艦のコックとして連れて行かれた。ところがウェリヤムだけは目が
非常に良かったので、軍艦のマストの上に登って、見張りをする役にさせられた。ところが戦争になり、青島で日本の軍艦と海戦になった際、ウェリヤムはマストから振り落とされてしまい、助けを求めているのにドイツの軍艦はどんどん逃げて行ってしまった。
もうこれまでだとあきらめたら、何と日本の軍艦が近づいてきて、救助してくれた。また、捕虜になってからも、日本の収容所長は大変によくしてくれて、最後は日本の船に乗せてポナペ島まで送ってくれた。だから軍艦の艦長の子孫と、収容所の所長の子孫がいれば、ぜひお礼を言いたいと言っている、というのです。
青島で助けてくれた軍艦のことは、いくら記録を調べても、いまだにわかりません。
しかし、捕虜収容所の所長のことはわかっています。一人は西郷寅太郎さんだし、西郷さんが亡くなった後、彼らをポナペに送り返す仕事をしてくれた二代目の所長は山崎友造という人だ、ということは前回もお話しました。その山崎所長のお孫さんに当る方が、大東文化大学で先生をされていまして、しかもそのご研究のフィールドがトンガ王国なんですね。そこでこの川村千鶴子先生、女性ですから結婚されて山崎姓ではなくなっていますが、川村千鶴子先生にお願いをしまして、次回トンガに行かれる際には、ちょっと手前のポナペ島で“途中下車”していただいて、ウェリヤムの子孫に会ってもらえま
せんか。両方の子孫の「ご対面」としませんか、と無理なお願いをしてみました。それが実現した写真がこちらです。右が川村先生、左がウェリヤムの長男フレドリックさんです。手にしているのは山崎所長の写真なんですが、現れたフレドリックさん、なんと日本語ペラペラだったそうです。川村先生が行ってくださった平成17年の時点で、フレドリックさん、80歳ですから、生れた時はこのポナペ島は既に日本になっていました。出来たばかりの国際連盟が「委任統治」といって、この旧ドイツ領だった南洋の島々
の統治を日本に委ねたのです。それで物心ついた時から日本人の先生に日本人としての教育を受けた。学校では、東京の宮城遙拝だの、ポナペ神社参拝なんていうのもあったそうです。もちろんポナペ人の現地の言葉もありますし、第二次世界大戦後はアメリカの信託統治領になりましたから英語が出来なければ暮らせないそうですが、やはり子どもの頃それで教育された日本語が一番なんだそうでして、「三つ子の魂百まで、ですよ」と笑っていたそうです。どうです。そう言えば風貌も、ポナペの南洋の人というよりも、農作業で色の浅黒い、久しぶりに会った茨城の伯父さん、といったくらいの風貌に見えませんか。
フレドリックさんが語ることには、習志野からポナペに戻ったウェリヤムは、日本の南洋経営の下で、砂糖きびや椰子のコプラなどを扱う実業家として大成功し、富を築いた。(編集部注:引用はここまで。詳しくは本文をお読みください)
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