GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

周達観が見た牛

2011-12-05 00:03:59 | 地理・歴史

「真臘風土記」の走獣(獣類)の項に牛の記述があります。

-牛は甚だ多いが、生きている[時に]決して乗らないし、死んでも[その肉を]決して食わず、またその皮を決して剥ぐこともせず、それが腐爛するにまかせるだけである。それが人間のために労力を提供するからである。ただ牛を車につけて[ひかせる]のみである。-

訳者注解によれば、牛を特別に扱うのはヒンドゥー教影響か、と書かれていますが、今でも牛が甚だ多いことに変わりはないようです。

また、山川(自然の地勢)の項には、-半港(半分の舟路)に至って、始めて広々とした田があるのを見る。全く低い気もなく、広く見渡せば、芃芃(草木の美しく茂るさま)として禾黍(稲ときび、すなわち穀物)のみである。野牛が千頭も百頭も群れをなして、この地に聚まる。-と記されています。

17世紀にオランダ人が残した航海日誌とも変わらぬ風景かと思います。河口から今のベトナム領内のメコン河沿いに人が住むようになるのは17世紀後半以降のことと思われます。この「野牛」が先の牛と同じ種類の牛なのか水牛なのかは不明です。水牛はこの地でも見掛けますが、数は少なく、個人的な印象ではベトナム中北部の方が多かったように感じます。

                 

メコン河の後背湿地を満たしていた水も引き始め、国道に逃れていた牛たちも下に降りて再び草を食むようになっていました。

カンダール州の牛の数は2003年の統計で水牛を含め15.8万頭で豚の数と同じでした。豚はバイクに積まれて運ばれる姿しか見にしません。風景の中に少なくても実数はまた別ということです。ベトナムでは人口の30%ほどの養豚数ですから、ベトナムの豚の多さが異常に思えます。もっとも子豚の内に食べてしまうことが多いので重量ベースでは分かりません。

ベトナムでは農業機械の普及に連れて労力としての牛・水牛の数は90年代から減少し続けていたと記憶します。カンボジアでも今はクボタの農耕機械の看板が目立ちます。果たして日本の農業機械はカンボジアの農村風景を一変させてしまうことになるのでしょうか?

プレイベンのメコン河

2011-12-04 00:27:26 | 天気

メコン河を挟んた国道一号線の対岸、プレイベン州まで行って来ました。2年ほど前の1月だったと思います。キャッサバの買い付けに同行した時に訪れたことがあります。1ヶ月ほどの違いはありますが、今年の水位は当時よりかなり高くなっていました。

日焼けするに十分な日差しでしたが、バイクで走ると風は冷たくて気持ちよく汗をかくこともありません。日が暮れてからの帰り道では身体が冷えました。

河の中州近くでは魚を獲る小舟の姿を多く見ました。






岸では獲った魚を種分けする姿がありました。何人かはポリ袋を持参して買に来て魚を選り分けていました。

主に三種類の魚でしたが、二つの種類は然程多い数ではありません。この時期トンレサップ川の流れがメコン河へと変わり、魚の種類が増えるのでしょうか?今まで見たことのない形の魚でした。



犬は近くまで来たもののつまみ食いをする勇気はないようでした。




ファングーラオ通り

2011-12-02 00:14:09 | 交通

ベトナム経由で日本に1週間ばかり帰り、月曜にプノンペンに戻りました。ANA便がサイゴンに夜10時過ぎに着くため一泊してからプノンペン行きのバスに乗ることになり、時間と宿泊費が無駄になるような気もします。バスの発着点がファングーラオ通りのため宿もバックパッカーが闊歩するその周辺にしました。

この辺には、15・6年ほど前に、安楽寺の向いにあるミニホテルで数か月過ごしたことがありました。そのミニホテルも今は無く、当時と比べると通りの店などもややお洒落な感じになってしまい、その分価格も上がっている様子。

通りを歩いてると見覚えのあるオッサンに声を掛けれれました。以前はかなりボロい店で安いコーヒーを出していたのに随分と小奇麗な店に変わっていました。店番をすると言うよりは一日中店のビールを飲み続けて近所の顔見知りの客と駄弁っているのは同じでした。それでも店は2軒を持つに至ったそうです。サイゴン政府軍の空軍に所属していたけど米軍が嫌いだったなどと、かつて聞かされたことがありました。

日本人の間ではファングーラオとの発音が定着し、自分もそう発音してしまいます。最初にこの通りの名を知ったのは近藤紘一の『サイゴンの一番長い日』だったような。ベトナム語ではPhạm Ngũ Lão(范五老)なので、「ファン」ではなく「ファム」にしないとタクシーの運転手には伝わり難いようです。その上このファムグーラオ通りはGo Vap区にもあるので要注意。

Phạm Ngũ Lão(范五老)将軍は陳朝の時代に元の侵略と戦った歴史上の人物だとか。ちょうど周達観の「真臘風土記」が書かれた時代です。はたしてその時代にこの地がどのようであったのかは「真臘風土記」からは窺い知ることはできません。

今回はKUMHO SAMCOバスに乗ってプノンペンに向かいました。KUMHOはたぶんKUMHOタイヤのKUMUHOだと思います。ビンユン省のミーフック工業団地に工場があり、労災やら窃盗とかで何かと良くない噂を耳にしますが。途中で3・4回止まって客を拾って乗せているのには驚きました。他のバスではなかったことです。運転手の他に乗務員が2名いましたが、あまり親切とは言えず、出入国手続きのために車内でパスポートを集める時にも説明がなく、初めてモクバイの国境を越える旅行客は不安のようでした。

クチのコープマートを過ぎた国道22号線に人だかりがあり、バイクが倒れ2体の遺体が見えました。まだムシロも掛けられていない状況でした。ヘルメットが無残に転がっていました。顎紐を掛けずにいたためなのか衝撃で飛ばされたのかは分かりません。早々に視線を逸らしました。

ベトナムへのビザなしでの出入国-空港とモクバイでは今回が初めてで、何か言われるかとも思いましたが問題ありませんでした。ベトナムの出国管理官もしばしば席を立つため黙って通り過ぎることは十分可能のように思えました。これで現金持ち込み等が摘発されるというのが不思議に思えるほどです。ただ、今回はカンボジア側の出入国手続きの際に指紋スキャナーを採られるようになっていました。