クアンチュン(光中)通りの名は、18世紀末「タイソンの乱」の三兄弟の一人、グエン・フエに由来します。破竹の勢いで清朝、乾隆帝の大軍をも打ち破ったベトナムのナポレオンと呼ばれた光中帝です(清朝末期、既にボロボロになってからの日清戦争とは訳が違います)。ベトナムの歴史上の人物の中で僕ですら興味を持ってしまう傑出した一人ですが、日本語の文献で紹介されたものが少ないので詳しくは知りません。もしもフランスの支援を得たグエン・フック・アインの息の根を止めていたならば、ベトナムの近代の迎え方も違っていたのではないか、などとも考えてしまいます。それほどの意味がこのタイソンの乱=近世ベトナムの大動乱には孕まれていたに違いない。あるいは今日のナショナリズムに繋がるものをその中に見出せるのではないだろうか、と(根拠薄弱ながら)思ってます。
ゴーバップ六差路を西に進む広い道がクアンチュン通りです。2・3km走ると左手にメルセデスの工場があり、これに隣接していすず自動車の工場があります。更に進み国号1A号との立体交差を越えた右側にクアンチュン・ソフトウェアシティは位置します。総面積43ヘクタール。ホーチミン市の重要プロジェクトの一つで現在は約70企業、5000人ほどが働いています。2010年には2万人規模になる計画だそうです。その内ソフトウェア技術者が半分としても1万人。実際にそんな規模になるかどうかは疑問です。各大学・短大では年々IT関連学科の学生数を増やしているようですが、卒業後にその道に進む比率は半分以下。したがってIT技術者の育成も外資に依拠する傾向が増えています。
入居企業の多くは外資系企業もしくは外国向けの仕事内容のため、ウェブサイトもベトナム語のほか、英語、日本語、韓国語で見ることができます。とはいえ、翻訳ソフトで訳したまんまという感じの日本語です。「ソフトウェアシティ」も日本語としては違和感が残ります。ベトナム語から直訳すれば、「ソフトウェア公園」となりますが、日本語にすれば「ITパーク」というところでしょうか。しかし、そもそもそんなような場所が日本にはないのでは。
かつて日本でも「投げる不動産屋」とか「スーパーという名の地上げ屋」などという言葉を聞きましたが、今のサイゴンやハノイ周辺では至るところ不動産ブーム。建築・土木業大繁盛という観があります。
まだまだ始まったばかりの過程なのか、あるいは過熱気味の現象であるのか、そのどちらでもあるような印象を受けます。
ゴーバップ六差路を西に進む広い道がクアンチュン通りです。2・3km走ると左手にメルセデスの工場があり、これに隣接していすず自動車の工場があります。更に進み国号1A号との立体交差を越えた右側にクアンチュン・ソフトウェアシティは位置します。総面積43ヘクタール。ホーチミン市の重要プロジェクトの一つで現在は約70企業、5000人ほどが働いています。2010年には2万人規模になる計画だそうです。その内ソフトウェア技術者が半分としても1万人。実際にそんな規模になるかどうかは疑問です。各大学・短大では年々IT関連学科の学生数を増やしているようですが、卒業後にその道に進む比率は半分以下。したがってIT技術者の育成も外資に依拠する傾向が増えています。
入居企業の多くは外資系企業もしくは外国向けの仕事内容のため、ウェブサイトもベトナム語のほか、英語、日本語、韓国語で見ることができます。とはいえ、翻訳ソフトで訳したまんまという感じの日本語です。「ソフトウェアシティ」も日本語としては違和感が残ります。ベトナム語から直訳すれば、「ソフトウェア公園」となりますが、日本語にすれば「ITパーク」というところでしょうか。しかし、そもそもそんなような場所が日本にはないのでは。
かつて日本でも「投げる不動産屋」とか「スーパーという名の地上げ屋」などという言葉を聞きましたが、今のサイゴンやハノイ周辺では至るところ不動産ブーム。建築・土木業大繁盛という観があります。
まだまだ始まったばかりの過程なのか、あるいは過熱気味の現象であるのか、そのどちらでもあるような印象を受けます。