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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

クアンチュン・ソフトウェアシティ

2006-09-13 02:52:34 | 工業団地
クアンチュン(光中)通りの名は、18世紀末「タイソンの乱」の三兄弟の一人、グエン・フエに由来します。破竹の勢いで清朝、乾隆帝の大軍をも打ち破ったベトナムのナポレオンと呼ばれた光中帝です(清朝末期、既にボロボロになってからの日清戦争とは訳が違います)。ベトナムの歴史上の人物の中で僕ですら興味を持ってしまう傑出した一人ですが、日本語の文献で紹介されたものが少ないので詳しくは知りません。もしもフランスの支援を得たグエン・フック・アインの息の根を止めていたならば、ベトナムの近代の迎え方も違っていたのではないか、などとも考えてしまいます。それほどの意味がこのタイソンの乱=近世ベトナムの大動乱には孕まれていたに違いない。あるいは今日のナショナリズムに繋がるものをその中に見出せるのではないだろうか、と(根拠薄弱ながら)思ってます。

ゴーバップ六差路を西に進む広い道がクアンチュン通りです。2・3km走ると左手にメルセデスの工場があり、これに隣接していすず自動車の工場があります。更に進み国号1A号との立体交差を越えた右側にクアンチュン・ソフトウェアシティは位置します。総面積43ヘクタール。ホーチミン市の重要プロジェクトの一つで現在は約70企業、5000人ほどが働いています。2010年には2万人規模になる計画だそうです。その内ソフトウェア技術者が半分としても1万人。実際にそんな規模になるかどうかは疑問です。各大学・短大では年々IT関連学科の学生数を増やしているようですが、卒業後にその道に進む比率は半分以下。したがってIT技術者の育成も外資に依拠する傾向が増えています。

入居企業の多くは外資系企業もしくは外国向けの仕事内容のため、ウェブサイトもベトナム語のほか、英語、日本語、韓国語で見ることができます。とはいえ、翻訳ソフトで訳したまんまという感じの日本語です。「ソフトウェアシティ」も日本語としては違和感が残ります。ベトナム語から直訳すれば、「ソフトウェア公園」となりますが、日本語にすれば「ITパーク」というところでしょうか。しかし、そもそもそんなような場所が日本にはないのでは。
かつて日本でも「投げる不動産屋」とか「スーパーという名の地上げ屋」などという言葉を聞きましたが、今のサイゴンやハノイ周辺では至るところ不動産ブーム。建築・土木業大繁盛という観があります。
まだまだ始まったばかりの過程なのか、あるいは過熱気味の現象であるのか、そのどちらでもあるような印象を受けます。


VSIP

2006-08-25 03:56:02 | 工業団地
ベトナム南部の日系工業団地の一つにベトナム・シンガポール工業団地(VSIP)があります。グーグルの航空写真で確認すると工場の姿は疎らですが、既に3期分計500haが契約済みで工場数約220社(内、日系工場60社ほど)だそうです。かつて小金井市に住んでいた子供の頃、近所に鴨下製糸とかいう小さな工場がありました。若い女工さんの群れが放つ「色気」のようなものに得たいの知れない後ろめたさを感じ、たじろいだ記憶が残っています。まだ田んぼが多く残る風景で、農家のおばさん達が湧き水で収穫した大根などを洗っている姿もありました。どちらも同じ工場という名ではありますが、大規模造成された工業団地は思春期の女工さん達の色気をも飲み込んでしまうほどの無機質に覆われているように感じます。

レベッカの「MOON」という曲に「工場は黒い煙を吐き出して・・・」という歌詞が出てきます。その一節があることもレベッカが好きな理由の一つです。たぶんその黒い煙は多くの有害物質を含んでいて人々の健康を蝕んだのかも知れません。それでも、環境対策も含めてインフラの整備された工業団地の風景はどう考えてもロックの歌詞になりそうもないし、ここよりは「古き良き時代」という気がしてきます。
このVSIPのあるビンユン省やドンナイ省ではさらに建設中の工業団地が増え続けています。この辺では、多くはかつてのゴム林の丘陵を工業団地に造成したもののようです。メコンデルタの水田地帯では1haの農地での収入が一家庭の生活を支えるようですが、工業団地ではわずか6ha程度の用地で8000人もの労働者の生活を支える場合もあります。その意味では、工業化が如何に過剰人口の問題解決に有効であるかを解らせてくれるものです。しかし、人口問題の解決にはなっても人間の問題としてはどうなのでしょうか。

今の最終学歴は、この周辺で中学未卒業者2割、中卒2割、高卒2割、短大・大卒等4割というところ。他方、工場が必要とする労働力は平均して中卒8、高卒1.5、大卒0.5という比率かと思います。当然のこととして中卒の単純労働力が圧倒的に不足し、地方の農村部から集めることになります。かつての日本の集団就職と異なり、会社が寮を持っているところは皆無に近いため、最近日系企業が社員寮を建てたところ、新聞でも大きく取り上げられたほどです。殆どの地方出身ワーカーは住宅難に直面し、劣悪な住宅環境に我慢しなければなりません。国道13号線を北上して1・2時間バイクを走らせた地域にも工場団地とその周辺の労働者用住宅を見ることができます。

「資本の蓄積とは非資本制生産領域からの収奪」とかいう数十年前に読んだ言葉を思い出す光景を見ることがあります。新聞にも「家畜小屋」と書かれる住宅での生活は、今日の工業化が地方農村の貧困を前提に成立したのもとも言えそうです。

タントゥアン輸出加工区

2006-08-06 02:51:41 | 工業団地
ホーチミン市を代表する工業団地、7区のタントゥアンEPZに行く機会がありました。日系企業が50社ほど操業しています。10数年前、最初のベトナム投資ブームの時にさかんに名前を耳にした工業団地。ここ数年は、トヨタ、ホンダ、松下等の工場もあるハノイへの進出が目立ちます。南部ではホーチミン市の北側に隣接するビンユン省で工場建設が多く、べトナムーシンガポール工業団地の日系企業数は50社を超えました。最近の日系企業のベトナム進出の特徴は、中国一国集中リスクの分散化志向と共に、今までの100%輸出型からベトナム市場での販売をある程度考慮したものへの変化ということでもあるようです。
タントゥアンEPZは、市中心部に近く、また4区のサイゴン港に隣接していることでもあり、リース料は平米100ドルと最高額。ホーチミン市内の外資企業ということで適用される最低賃金水準も最高額です。ビンユン省のリース料は20~50ドル程度(1へクタールの50年リースで2300万~5700万)。それでも昨今のホーチミン市やハノイ中心街のオフィスビル賃貸料の高騰を思えば割安なのでしょう。

工業団地内の道路は広く、仕事時間中は閑散としています。通勤時間帯の混雑とはまるで別世界。どこの工場の前でも就業時間前後には女工さんを送迎する家族やボーイフレンドのバイクが群がり、また、人の群れがあるところには様々な物売りが集まって来ます。
GO VAPにも工場は少なくありませんが、区画分譲された工業団地はありません。外資系では、メルセデスといすずの自動車工場がQuan Trung通りにあります。バイクでその通りを走るとメルセデスの工場敷地の長さに驚きます。グーグルの衛星写真で見るとタンソンニャット空港敷地の北側にくっきりと確認できます。この写真で見る限り家から空港敷地まで直線で500m、メルセデスの工場まで3kmです。このグーグルの衛星写真、以前見た時よりも随分と拡大できるようになりました。家の周辺もゼンリンの住宅地図並みに判別できます。ただ樹木の感じが少し違うので1年以上前の写真のようです。当分ベトナムのグーグルマップは期待できそうもありませんので、せめて大きな建物の屋根には目印を入れて欲しいものです。例えば工場の屋根にロゴマークを描くとか。あるいは住所表示をすべて緯度経度併記にしてしまえば検索が楽になりそう。

日本の新聞に「偽装請負の内部告発者を隔離 松下子会社」との記事。先日パナソニックの電子レンジを買ったばかりでがっかり。正確に言えば「買って貰った」わけですが、サンヨーにしておけば良かった。「プラズマディスプレイ」を買うようなことにはなりそうもありませんが、とりあず松下のTVはパスします。そういえば日本で最初に工業団地を訪れたのは30数年前、狭山のダイハツ工場でした。川岸さんに連れられて森野君の解雇に抗議するビラ撒きだったような記憶が薄っすらと残ってます。
きょうの朝日の社会ニュースを見ても、日本の工場の中、というか日本社会が陰湿さを増しているような印象を受けます。サイゴン周辺の工場では今年のテトを前後して山猫ストの嵐が吹き荒れ、また内部告発等も日常茶飯事で、その渦中に身を置いた時には勿論シンドイ限りなのでしょうが、一過性のスコールという感じがしないでもありません。日本的なジトジト、ネトネトした虐めとは異なります。