夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

遺骨は白木の箱の紙切れ1枚  *ボクの見た戦中戦後(32)

2017年04月07日 | ボクの見た戦中戦後

4月8日は、お釈迦様の誕生を祝う花まつりの日である。

この日、ボクはいつも思い出す歌がある。

《 豚の遺骨はいつかえる、4月8日の朝かえる 》と、子供の頃、よく歌っていた歌である。

「山の淋しい湖に ひとり来たのも 悲しい心」と歌う湖畔の宿の替え歌である。

 

   ♪ きのう生れた豚の子が 蜂に刺されて名誉の戦死

      豚の遺骨はいつかえる 4月8日の朝かえる

      豚のかあさん悲しかろ

    ♪ きのう生れた蜂の子が 豚に踏まれて名誉の戦死

      蜂の遺骨はいつかえる 4月8日の朝かえる

      蜂のかあさん悲しかろ

    ♪ きのう生れた蛸の子が 弾に当たって名誉の戦死

      蛸の遺骨はいつかえる 骨がないからかえれない

      蛸のかあさん悲しかろ

 

高峰三枝子の湖畔の宿の替え歌であことを知ったのは、大人になってからであった。

戦地で散った父や夫や兄たちの遺骨を、迎えることがかなえられなかった遺族たち。

遺骨として親族にかえされたのは、白木の箱一つ。

中には名前を書いた紙きれ1枚。 骨はない。

戦時中は身内が戦死しても、涙を他人に見せることができなかった時代だ。

戦意を削ぐようなことがあれば、非国民と罵倒された。

ただの紙切れでなく、本当の遺骨は、お釈迦様の花まつりの日に、かえってほしいと願う人々の心を代弁して作られた歌だろう。

これは厭戦歌だ。 作者不詳。

子供たちは本意を分からず、面白おかしく歌っていた歌だが、大人たちは厭戦歌であることに気がついていただろう。

思想を取り調べる当局は気がついても、取り締まることはできなかったようだ。

 

硫黄島へ毎年のように遺骨収集に出かけているという知人に会った。

彼の父は硫黄島へ出征。 帰らぬ人となった。

遺骨として受け取ったのは、白木の箱の紙切れ1枚という。

 

 

 



最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
湖畔の宿替え歌 (kazahana)
2017-04-07 20:23:53
すけつね様
兄妹のようだった従兄は陸軍の特攻隊で戦死、夫の長兄も戦死、遺骨はありません。
父は支那事変で出征3年間戦地へ、敗戦後は3年間樺太に抑留、家族も皆つらい思いをしました。

湖畔の宿の替え歌は知りませんが、二度と戦争はいやです。
返信する
悲しい歌ですね (MOTOMMZ)
2017-04-08 07:38:09
すけつねさんおはようございます
高峰三枝子さんの高峰三枝子の湖畔の宿にメロデーを合わせて歌われたのですか
遺骨が箱には無く紙切れ一枚と云う話は戦後お聞きしたことが何度も有ります
もう二度と繰り返すことの無い事を祈るばかりですが、最近は中東の事が気にかかります

高峰三枝子の湖畔の宿は群馬の上州三山の一つ榛名山の榛名湖が歌われたと云われます
返信する
Unknown (せたしじみ)
2017-04-08 08:16:32
おはようございます。私の友人2人も帰ってきた遺骨の箱に遺骨らしきものはなかったと話していました。一人は現在94歳の方でお腹に赤ちゃんが宿っていることを知ることもなく駅のホームで見送ったということです。
シリアで又恐ろしい化学兵器が使われ子供たちが犠牲になったと報じていました。人間は何故こんな愚かな戦争をするのだろうと、やりきれない気持ちになってしまいます。
返信する
私もこの歌うたっていました (chidori)
2017-04-09 09:00:10
戦争の悲しさなど思わずに、面白おかしく歌っていたような気がします。

私の身内はいとこがやはり戦地で亡くなったということぐらいしか知りません。

兄二人は無事帰ってきました。

下の兄は陸軍少年飛行兵で15歳 幸い訓練を終えたころ反戦でした。

やはり番組で取り上げたいですね。
返信する
皆様へ (すけつね)
2017-04-10 09:09:25
kazahana様、MOTOMMZ様、せたしじみ様、chidori様
コメントありがとうございました。

国のためにと赤紙一枚で徴収され、紙切れ一枚にされて返された若い命。 あまりにも惨いことです。
戦争で犠牲になるのは、戦争を起こした当事者でなく、関係のいない弱い人々です。戦争は絶対に起こしてはならないと思います。
今の日本は戦争を仕掛ける準備をしているように思えてなりません。
返信する

コメントを投稿