夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

終戦になっても親が迎えにこない  *ボクの見た戦中戦後(19)

2014年01月27日 | ボクの見た戦中戦後

  戦争は終わった。疎開していたクラスの何人かは親が迎えに来て、都会へ帰っていった。

しかし、ボクの親は迎えにこなかった。祖母が北海道へ出かけた。あとで知ったことだが、父母に秋田へ転居するようにと説得に行ったとのことである。

食糧の不足していた時代である。母は秋田に来る前に栄養失調のせいか気を失い、倒れたそうである。当時撮った父の写真はガラガラに痩せていたのを姉は見たという。

北海道では親子8人の食糧を確保するのは難しかったせいかも知れないが、父母は秋田へ転居することにしたらしい。

母は11月の初めに2歳の妹とまだ赤ちゃんの弟を連れ、貨物船で津軽海峡を渡ってきた。父が秋田へ来たのは翌年の1月であった。親子8人が揃ったのは半年ぶりであった。

 

ボクは父母がいない間、さびしく思ったことが2度あった。

一つは、近所におもちゃ売りが来たときである。子供たちが母親からおもちゃを買ってもらっている様子を見て羨ましくなった。メンコやコマなどではなかったかと思うが、祖母にねだったら叱られて買ってもらえなかった。それどころか次々と小言を言われ、ボクは悲しく寂しい思いをこらえていたのだ。そのときは親が恋しかった。

2度目はボクがパンツをはいていない事を、親戚の子に言いふらされたときである。

北海道にいたときは、寝床に入る前に、必ず下着や上着をきちんと畳んで枕元に置いていた。夜中に空襲警報のサイレンがなると飛び起きて、急いで身支度をして防空壕へ飛びこんでいたのだ。空襲のときは下着を着る暇もなく、半ズボンや上着だけで避難したことがあったのかも知れない。

疎開した日も飛び起きて急いで身支度をしたのだろうか、パンツをはかずに半ズボンをはいたままだったのだ。あの疎開のどさくさで、母親も下着のチェックが出来なかったのだろう。

ボクは母親が秋田へ来る3か月余り、パンツなしで洗濯をしない半ズボンで過ごしたのだ。ベルト代りに結んでいた布ひもの折り目には、びっしりと虱(シラミ)が並んでいた。

母が秋田へ到着する時刻を待っていたとき、突然、祖母に床屋へ行くように言われた。ぼうぼうに伸ばしたままだった頭を母に見せないようにしたのだろう。床屋から帰ったときには母は家に着いていた。姉は駅へ母を迎えに行くことができたが、ボクは間に合わなかった。

 

 親戚の家には祖母と叔母と2人の従姉妹の4人が住んでいた。叔父はこの年の4月に亡くなっていたのだ。

そして、一つの屋根の下でボクの家族8人と、叔母の家族4人が暮らすことになった。



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9 コメント

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辛い時代でしたね (motommz )
2014-01-27 21:37:28
辛い日々の思い出 忘れようにも心の奥深く焼き付いて
忘れられるものでは無いと思いますが今の人たちに
是非今後とも聞かせてあげて下さい、お願いします
心の中に辛い気持ちが在るとは思いますが
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Unknown (かさね)
2014-01-27 23:16:35
戦前主人の姉は疎開していて疎開先から友人たちが東京に戻って東京大空襲に巻き込まれ亡くなられたそうです。小学校の卒業証書は60歳になってから頂き現在は82歳になられとても元気です。
生きているうち戦争を語り継がなければと話しています。

すけつねさんもこのようにブログを書かれ語り継ぎをされて見た方が同感する人もいると思います。
このようなことを書くことも大切ですね。
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貴重なお話 (sumi)
2014-01-28 08:03:36
ぼくの見た戦中戦後のお話はたくさんの方に読んでいただきたいブログです。特に若い方には是非、、
毎回、衝撃的なお話です。貴重なお話を読ませていただいています。
普通に朝がきて、家族が「おはよう」と言える事がどんなことか、、
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僕の見た戦中戦後 (isikoro(石山))
2014-01-28 09:36:09
おはようございます。

戦後今は亡き姉に、シラミ退治に髪に塗られたスギ軟膏

という物を思いだしました。

良く色々な事を覚えて居られて感心しています。
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現実 (夏雪草)
2014-01-28 17:14:45
こんにちは。

切ないですね。
胸が痛くなります。
でも、これは現実。
それをくぐりぬけていらしたのですよね。
絶対繰り返してはいけない事だと思います。
もっと多くの人に聞いて欲しいです。

ありがとうございました。
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優しさの裏づけを見た (suzuki)
2014-01-29 07:02:03
Suketsuneさんの
人懐っこい暖かな御人柄

それは・・お辛かった経験から醸成されたものなんですね
現役教師の時代も・・弱きもの、小さなもの・・を大事にしてくださった!
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戦中戦後の回想 (ひろし爺1840のGooブログ)
2014-01-29 07:56:46
!(*^_^*)!すけつねさん、お早うございま~す!
最近の天候や気温は目まぐるしく変化しして居ますので、お互いに体調管理に気を付けて過ごしましょ~!
何時お越し頂き心温まるコメントやグッドを有り難うございます。
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*小生は昭和16年生まれなのであの当時の記憶は余り定かではないのですが、貴重な色んな経験をされたのですね。
今では懐かしい記憶でしょうが、2度と起きてほしくない出来事ですね。
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('_')今朝からは愛媛県の四国札所巡礼旅を再開しますので一緒に行った様な観光気分で御付き合い頂ければ幸せます。
!(^^)!何時もの閲覧感想のご意見やコメントをお待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!
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皆様へ (すけつね)
2014-01-29 18:57:05
たくさんのコメントを頂き感謝しております。皆様のコメントに励まされました。これからも古い記憶を書いていこうと思います。
戦争体験は強烈な印象ですので忘れることはできません。昔住んでいたところや空襲に遭ったところや、青函連絡船記念館などを訪ね歩きました。すると、忘れかけていた細かな記憶がよみがえってきました。
若い人たちへ武力による戦争を決して起こさないように努力していただきたいと思います。
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戦争反対 (kawaiihukutyan)
2014-01-30 14:31:02
人間は賢くなければいけません。戦争をするなんて愚の骨頂です。この普通の生活が一番幸せなんです。これができなくなるなんて。しかも人間によってだなんて。
それでなくても災害などもあります
これからも戦争だけは声を大にして恐ろしさを伝えてください。
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