市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎市青島三丁目 迷路の今

2009-04-14 | 日常
 一昨日の日曜日は、5年まえに訪れたことのあった青島三丁目の迷路がどうなったのか、知りたくなって、出かけていった。青島駅正面を右へ行くと自然にそこへたどりつく。先週の下北方の開発をみていたので、ここもどうなったのかと、不安はつのっていた。

 やっぱり、そこは変わってしまっていたのである。すべてがブロック塀になってしまっていた。そして庭の樹木が切り払わた。狭い通りを挟むブロック編の内側はむき出しの庭となり、日陰をつくっていた高い樹木は、通りから切り取られていたのだ。乾き、熱く、のっぺらぼうになっていた。5年前、ここの路地をひとつひとつまわっていたとき、自然石の塀、そこに陰をつくる樹木、放置された自転車、階段のこけ、干し物のしずくと、生活の濃さに気おされて、気兼ねもしながらもぞくぞくとして迷路の路地を回ったのだが、そこには、連絡路はかんじられても迷路はなく、均質なやや不便な住宅地があるばかりであった。その中心部にあった一間四方のお堂もなくなっていた。どこかひとびとの欲望をぬりこめられたような道脇の赤い祠堂が、さまざまの広告が貼られ、淫らで妖しげな生活臭を発していたのに、ただの地面になってしまっていた。

 国道220号線を挟んで海側にも青島4丁目がある。内海港に面したこちらは家屋が密集して庭もなく、カズバを連想させる野性味があった。ここも変わった。氏神の社殿が新しくなった。住宅が新築され、家屋それぞれも改修されて、新建材の家並みは、特有の生活臭を感じさせなかった。通りにの端にライブハウスがオープンしているのが、かえって、この港町の今を感じさせていた。

 もちろん、この変化は住民にとってより適応した形であったのだろう。部外者がたまに訪れて郷愁を感じる場ではないはずだ。5年前もそうは思ってはいた、だから、青島町は、このノスタルジー、人間臭さを観光資源にできないのかと、しかし目の前の即物的収入、消費生活の便がその余裕を奪いとるものであったろう。だからこそ、都市計画は、人間生活の豊かさを実現すべく歴史的地域の再生を図るべきアイデアを提示する必要があるのだが、のっぺらぼうにするしか知恵をもたぬようである。美しい公園化、それですべてが糊塗されていると思えて仕方がない。

 

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