市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

 青島三丁目の帰路

2009-04-18 | 日常
 青島三丁目を後にして、帰路は木花から清武町に抜け、そこから池田台団地にのぼり、そのまま天満橋にいたる新道を走ることにした。去年冬、新道が開通されたとき、ここから青島へ行こうとして道に迷ったので、気になっていたのだ。

 青島から運動公園を10分でぬけると、すぐに左へ広いバイパスが清武のほうへ通じていた。ここをしばらく走ると、大きなレストランと、その隣がイタリア料理、その向かいが喫茶店といずれもおしゃれな店がまえであった。立ち寄ってみたかったが、すでに昼食は終ったので、そのまま走っていく。右手は丘陵だが、左手は田畑がひろがりクンパチや双石山の山並みがつづいている。そのうち平野がつきて、右手にも台地がせまってきだした。あれ、これはおかしいと気づいたら、この道は、清武町に直通する木花から役場前へ直進できる道ではなかったとわかった。この道は丘陵の北にあり、ここは南だ。

 ようやく丘に登って、宮崎大学をみつけだして丘を下ると、目的の木花道路は、まだ数キロも遠く、その間には清武川も流れていた。その土手にたどりつくと、思いだしたのは、20年前にはじめてジープを購入して、石の川原を走ったところであった。ラングラーのジープよりこの自転車のほうが何倍も快適であると、ここでも確信して気分は爽快になるのであった。

 清武町を無事ぬけて橋をこえ、坂道を越えると安井息軒生誕地という案内票柱があり、ここから池田台団地の坂になる。ここでもうひとふんばりすると、新道に到着した。

 この新道の坂を1キロほど上りだす。ふとギアをみると3-3で走っていた。平地並より一段だけギア比をかえただけで走っていけるのだ。勾配がゆるいわででなく、装がいいのだ。初めて走ったとき、ここは自転車用のサーキットになると確信したが、まさにその通りである。まずだれも走ってない。広い、安全、そしてアスファルト舗装の羊羹の肌を思わせる路面を時速24キロで軽々と飛ばしていける。口径2センチに満たないタイヤで振動も感じずに走れる道は、この道しかないとあらためて思う。そういつかは、この快適はうしなわれるだろうが、それまでは楽しむか。

 せめて都市計画の無残さを、工夫してそれなりにまずは楽しんでいくしかないではないかと、思うのだ。青島三丁目は、青島中学校で町をいう授業をしたときに訪れたのだが、授業を終って生徒たちに自分の町、青島はどうしたいと質問した。すると何人かがさっと挙手して、言った。早くブティックができるといいとか、いやコンビにだ、デパートもできたらいいと、次々と笑いと興奮の話だった。そうかれらは、郷愁や自然よりも都会的刺激をほしがっていたのだ。あれから6年、三丁目は稲葉の白ウサギのように表皮をずるっと剥ぎ取られたが、あとにはかれらの希望したものはなにも生まれてきてなかった。これが大人たちの都市開発である。それなら自分で楽しむ、ここから出発しよう。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮崎市青島三丁目 迷路の今 | トップ | 宮崎市若草通り 観光案内 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常」カテゴリの最新記事