市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

2020年東京オリンピックと不幸

2015-09-09 | 政治
 2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレイムをテレビ公開で初めて目にしたとき、がっかりしたのを今でも思い出す。なんだこれ、煙草の箱か、清涼飲料の缶のレッテルにしかみえなかったのだ。オリンピックという人間ドラマも、世界の中心という存在感もない、ただ商品のモノを目立たせる幾何学的デザインにしかみえなかった。なんで、こういうものを公募の結果、決定したのかといういらだちだけはのこっていた。ところが、このデザインの盗作疑惑が発生し、かれの否定にもかかわらず、かれの他の作品に盗用がつぎつぎと発見されて、ついに作者、佐野研二郎デザイナーが撤回を組織委員会に申し入れ、撤回されたわけである。はじめ、公募条件などと考えてもみなかったのだが、今度は、公募条件をゆるめるなどという報道をしって、最初の条件はどうだったのかと、にわかに興味がわいて募集要項をみると、以下のようなものである。

 「応募資格があるのは、東京ADC賞やTDC賞、ONE SHOW DESIGNなど組織委員会が指定した国内外の7つのデザインコンペのうち、2つ以上を受賞しているデザイナー。エンブレムはオリンピックとパラリンピックの両大会を対象に様々な場面で活用されるため、単なるアイデアだけではなく、様々なシーンでの汎用的な使用も考慮したデザインであることが条件になっている。」

 まず、このばかばかしい権威づけ、聞いたこともないコンペの賞、その国内外7つのデザインコンペで2つ以上の受賞者というのだ。つまりコンペ賞さへとっていれば世界をおどろかす作品が可能という、その意識があるのだ。しかして、その結果は煙草ケース・缶ジュースのラベルになったのだ。むしろ既成の受賞者よりも、未知のアウトサイダーのほうに、時代を動かすアーティストが潜んでいる確実が高いはずである。曽木委員会のメンバーには、アートのそういう常識さへないのだろうか。その愚弄さにおどろかわれる。さらにエンブレイムについては、様々なシーンでの汎用的な使用も考慮したデザインであること」という条件も付けられていた。なるほど、これじゃ、商品パッケージにもなるようなデザインになるだろう。一方では、国の威信、他方ではさまざまのシーン、この意味の格好付けした文句にそって、応募者は、煙草箱やジュースの宣伝ラベルにも使用可というデザインに至るのをさけられなかったのかと、思うのだ。で、その賞金は、デザイン料と著作権譲渡料を含めて100万円というのだ。1000万円のマチガイじゃないかとおもえるほどの金額である。

べ この公募にうかがえるのは、大衆を、つまり安倍首相のいう「国民のみなさま」を愚弄した、下位にみた、権威こそすべて、であるというかれの知性の低さ、そして、国民を教導せんとする思い上がりと、に従った役人根性である。世界の中心で美しい日本をさけぶという趣旨のオリンピックはないよりもそこに人間個人の存在は、じつは消えているのだ。こうみたとき、すでにその不幸は、この前のイラクの建築家、ザハ・ハディドの新国立競技場の設計撤回にも、おなじ権威主義があったと理解できる。あのグロテスクな巨大感だけが売りのような建築物が、日本の存在の権威づけに適すると、組織委員会が、思い込んだと考えられる。だが、コストが高過ぎた、というより、やはり大衆感情を逆なでするような国威発揚の不快感が、人々の反感を買ったのだ。大衆はばかでなにのだ。

 今、東京オリンピック開催は、国民を上からの教導という安倍政権の本質が生み出している不幸なのではないか。かくして、不幸は条件がのぞかれないかぎり、なんどでもつづくと思えてならない。ことわざにも言う、不幸は重なるもの、二度あることは三度ある、不幸はつづくもの,Misfortune never come single.不幸は重なるものである。もう一つ条件をつけくわえるならば、異常気象の5年後は
どうなっているのか、原発が災害に遭うかもしれないのだ。
 

 

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