躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

agnostic

2009-07-02 12:59:58 | Weblog
このところ続けざまに何人もの新しい出会いがあったり、
気のおけないじっくり話系の人たちと話し込んだりする日が続いた。

昨日は友人から突然の電話で、
ご近所のうちにインドの僧侶が来られるからと誘ってくれた。
そのご近所というのはインド人のお宅で、
インド好きの私は、大喜びでとうちゃんとでかけた。
とっても素敵なインド人ご夫婦。

ま、それはともかく、
ヒンズー教の僧侶の話が、当り前なんだけど神の話。
ヒンズー教ではひとつの神が色々な形をとって現れる。
自分が好きな神様を選んで崇拝するけど、
結局元はどの神も同じひとつの神ってこと。
この宗派の崇拝する神さまはインドではポピュラーな神だけど、
布教活動をしていて、新興宗教っぽい感じもした。

僧侶のお話は続く。
神と人間は別のもので、
人が神に近づけるように努力すれば、
来世はより良い生まれ変わりができるし、
ゆくゆくは神と融合したり、生まれ変わることも必要なくなるらしい。
と、まあ、よく聞く話だった。
と、思ったのは私たちくらいで、
集まった15人ほどのお洒落住宅地の人たちは、
僧侶の話にいちいち「え~!そうなんですか!」
つくづく私たちは世間ではアヤシイ夫婦なんだろうなあ。(笑)

この宗派の考えを知りたくて、アヤシイついでに質問をした。
「梵哲学(インド哲学)の本に、
アートマン(人の心の核みたいなもの)ブラフマン(最高神)とは同じと書いてましたが?」
「そういう考え方もあり、インドには2通りあります」
「人と神は別だと言いますが、人の心には神様の欠片があるのですか?」
「ある人もいます」
「みんなにあるわけではないのですか?」
「あります」(通訳がはいったせいか曖昧)
「人間を創造したのは神ですか?」
「そうです」
場の空気を読んで(笑)この辺で止めた。
他の宗教でも同じこという宗教があるけど、
じゃあ何で神はわざわざ不完全な人間を作ったんだろう。
それでもって、修行や崇拝で私に近づきなさいなんて、
とんでもない奴(神)。
そんな神様ならいらないと、バチあたりなワタシは日頃から思っている。

いろんな人と話していて思うには、
「神」のイメージが人それぞれだってことで、
「神」を出して話していくと話がかみ合わなくなってくる。
そればかりか、神好きの相手を傷つけることもある。

これ系の話をする時はどうしたら良いのか。
「無神論者」というと軽蔑されることもあるらしいので・・・と、
見つけたのが、「不可知論者(agnostic)」
神がいるかどうかは知ることができないという立場。
(ついでに、お釈迦様は不可知論者になるらしい)
ちょっと違うかなあという気もするけど、
とりあえず、agnosticでいこう。
カッコいいし。(笑)

まあ、どうしても「神」を持ち出すならば、
イメージできない無限の宇宙のすべてとそのメカニズムというのが、
今のワタシには一番しっくりくるのかな。

でも、ヒンズー教の話にもどれば、
シバ神もクリシュナ神もビシュヌ神もカーリー神も好きで、
神に熱烈恋するようなインドの人達の信仰心が心地よい私は、
やっぱ、アヤシイわ。(笑)