とんびの視点

まとはづれなことばかり

春が来た、そして展覧会3つ

2018年02月04日 | 雑文
今日から立春だ。暦の上では春ということ。先週までの寒さが少し緩んだ感じはするが、荒川の土手までランニングに行ったら、たしかに季節が変わっていた。とがった北風は止み、ゆるい暖かな空気が土手に満ちていた。家族が笑顔でゆっくりと散歩をしたり、折畳みの椅子に座って子どもの野球を眺めたりしている。ランニングや自転車の人たちも多く、体ものびのびとしている。

遠くの柳のあたりがうすい黄緑色にもやっとしている。毎年、土手で最初に春を感じさせるのは柳の木だ。でも若葉にはまだ早すぎる。木の下まで走っていった。うすい黄緑色の原因は枝そのものだった。冬の枯れた茶色ではなく、枝そのものが少し緑がかっていた。つまんでみると水分と張りがあり、つるんとしながらちょっと引っかかる春の草の感じがした。足下にはオオイヌノフグリの小さな青い花が1つだけあった。よく見ないと気付かないようなところから、春になっていく。

走りながら書くことを考えていたが、焦点が定まらなかった。答えにくい質問に、しどろもどろになりながら適当なことを話しているうちに、突然、スイッチが入って勢い良く話し出す国会で首相のように、だらだらと書いていれば、何かが勢いよく出てくるかもしれない。そんな気もする。とりあえず、美術展のことを書こう。

このところ3週続けて美術館に行っている。先々週は『岡本太郎美術館』、先週は横浜美術館で『石内都展』、そして一昨日は国立近代美術館で『熊谷守一展』。どの展覧会も迫ってくるものがたくさんあった。ほんとは1つ1つをきちんと言葉にひらいていけたらよいのだけど、その技量がないので印象を短く書く。

岡本太郎。すごい人だ。「芸術は爆発だ」に象徴される派手なパフォーマンスに焦点が集まりがちで、芸術家って変わってるよねと言わせる典型のように思われがちだが、実際はすごく知性の人だったのだと思う。太陽の塔は内側の展示内容からそれはすぐに分かる。そのすごさは圧倒的だ。思想とも言えるしっかりとした考えに裏打ちされている。限定された時代や地域を超える人類的な観点から作品を作っているので、特定の時代の権力者などには嫌われるだろう。現在の日本であったら、あれだけの仕事はできなかっただろうと思う。

石内都。「なめらかにざらざらしている」、写真をずーっと見ながら、あるところでその言葉にまとまった。写真は視角に訴えるものだ。そして視角から得た情報を脳で処理する。そして見ている写真が何であるか理解する。ふだん特に考えもせず、そんなことをしている気がする。でも石内さんの写真を見ていると、目から入った映像が脳を経由せずに自分の触覚に働き掛けてくる感じがする。だから言葉にならない何かで自分がいっぱいになる。(簡単に言葉にできたら、それは感動ではないのだろう。そして簡単に感動したと言葉にすると、何かが逃げていくのだろう。)

考えてみれば、彼女がそんな写真をとれるのは、そのように対象が見えているからだろう。自分にはあんな風に世界は見えていない。(あるいは、見ていない。)人の体の傷やヒロシマの原爆投下後に残された品物をとった写真も、あのように対象を見て、見たものを写している。すごく強い人だと思った。彼女の写真を対象として見るのではなく、彼女が見ていたように見ようと頑張って写真を見た。すごく疲れた。

そして熊谷守一。熊谷さんといえば、純粋な心で花や虫を観察し、シンプルで子どものような素直な絵を描く画家という印象がある。アリを描くために庭で観察していたら、左足の2番目の足からアリは歩き始めることを見つけた人だ。ほのぼのとしたイメージだ。でも、それだけではないだろうと思っていた。案の定、若い頃からすごくしっかりと絵を描いている人だった。もともと彼の絵は好きだったが、今回展覧会に行くことで、「いい感じの絵を描く人」から「すごい人」に変わった。(同期の青木繁には絵が下手だと言われたそうだけど。)

シンプルな線と色使いの三毛猫の絵や、水たまりに落ちる水滴の絵も良かったが(水滴の絵は一番すごいものだと思う)、考えさせられたのは、彼独特の赤い輪郭線の絵だ。(最晩年に向うほど、赤が暗くなり、90歳を過ぎると黒っぽくなっていた感じを受けた。)

最初は山の風景の絵で太めの赤い線で輪郭をとっていた。この輪郭線により熊谷は自分なりスタイルをひとつ確立したように感じる。しかし何十枚と「輪郭」の絵を見ていくと、ある地点で質的な変換を遂げていることに気付いた。初期の輪郭は、書き上がった絵に後から書き込んでいくものだ。つまり、輪郭を書き込むことで、もともと1つのものが分割されていくことになる。(その分割が色の使い方と連動して効果を発揮している。)

しかし、あるところから、後から描かれた分割線というよりも、輪郭線はキャンバスという地が残った部分のように見えてきた。つまり、描かなかった部分、塗り残した部分が、結果的に輪郭線として浮かび上がる。そんな風に見えてくる。そうだとすると、輪郭線の働きは初期の絵とは逆の働きをすることになる。初期の輪郭線が1つの風景を分割するものであれば、地としての輪郭線は描かれたさまざまなものを1つに結びつけるベースとして機能することになる。

輪郭線を多様に異なるさまざまなものを1つに受け入れる地と仮定する。これは個々の生き物や自然を描きながら、生命そのもののようなものを描こうとしている晩年の彼の方向性と繋がるのではないか。

専門家でもないし、ときどき気が向くと展覧会に行く程度の人間の書くことだから、ほとんど的外れだろう。正しい内容を書くことよりも、思ったこと(間違っているかもしれないこと)をきちんと言葉にするほうが、個人的な課題である。

無駄に長くなった。そろそろ時間切れである。この辺で終えておく。
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