当町の教育を推進するためのイメージキャラクターの発表会が、本日の午前中に役場で開催されました。私も招待されスーツ姿で出席すると、予想通りに殆んど教育関係者ばかりの集まりでした。普段着の方は、一般の方と思われる老人たち数名と、取材に来ていたケーブルテレビの女性スタッフくらい。先日の、地元中学卒業式で来賓席に座っていた方々や中学の教頭先生を見かけました。
教育委員会の教育理念は、「町民の誰もが、歴史と文化、自然豊かな郷土に愛着を持ち、『しなやかに、すこやかに、いきいきと』暮らすことのできるまちづくり・ひとづくりをめざすこと」だそうです。特に『』の言葉は、覚えやすく印象に残るよう、工夫されたのが良く分かりました。そこで、いよいよイメージキャラクターの登場となります。モデルは、今から500年以上も前の足利幕府の時代の方です。
名を千葉勝胤(かつたね)と言います。資料によると、彼は生まれながらの屋形様(やかたさま)、つまり千葉県の下総領域を治めていたお殿様が父であり、本人は現在の佐倉市近隣地域を繁栄させた3代目の城主でした。晩年は、領地を奪われながらも佐倉港を中心に城下の繁栄を築いたことから、文武両道と勝利をイメージして「勝っタネ!くん」が創作されたとのことでした。
絵を見ても分かりにくいので、簡単に説明します。1514年に編さんされた連歌集「雲玉和歌集」の中で、千葉勝胤を歌ったものに「武に優れ、大和歌にも通じ、地に幸草の種をまいた(繁栄の基礎を作った)」とうたわれていたそうです。そこで、創作者は希望と幸せのタネが鎧をまとったキャラをイメージしたとか。お腹に顔を描いて腹踊りしている姿にも見えると言ったら、怒られますね。
教育委員会の教育理念は、「町民の誰もが、歴史と文化、自然豊かな郷土に愛着を持ち、『しなやかに、すこやかに、いきいきと』暮らすことのできるまちづくり・ひとづくりをめざすこと」だそうです。特に『』の言葉は、覚えやすく印象に残るよう、工夫されたのが良く分かりました。そこで、いよいよイメージキャラクターの登場となります。モデルは、今から500年以上も前の足利幕府の時代の方です。
名を千葉勝胤(かつたね)と言います。資料によると、彼は生まれながらの屋形様(やかたさま)、つまり千葉県の下総領域を治めていたお殿様が父であり、本人は現在の佐倉市近隣地域を繁栄させた3代目の城主でした。晩年は、領地を奪われながらも佐倉港を中心に城下の繁栄を築いたことから、文武両道と勝利をイメージして「勝っタネ!くん」が創作されたとのことでした。
絵を見ても分かりにくいので、簡単に説明します。1514年に編さんされた連歌集「雲玉和歌集」の中で、千葉勝胤を歌ったものに「武に優れ、大和歌にも通じ、地に幸草の種をまいた(繁栄の基礎を作った)」とうたわれていたそうです。そこで、創作者は希望と幸せのタネが鎧をまとったキャラをイメージしたとか。お腹に顔を描いて腹踊りしている姿にも見えると言ったら、怒られますね。
ちょっと怒りました(笑)。
でも、貴重なご意見です。ありがたく頂戴します。
早速、後日、教育課の人々にも伝えて、今後の参考にさせて頂きます。
発表会では、ご出席ありがとうございました。
これからも暖かく見守ってやって下さい。
そして、また何かありましたら、是非ご意見を下さい。
よろしかったら、上に明記した私のHPも見てやって下さい。
千葉氏と幕末維新というページで勝っタネ!くんをアニメで動かしていますので。