3月になりました。時が経つのは早いもので、もうあの大災害から3年が経とうとしています。当時、自分がブログに投稿した文章を見直してみました。当時の投稿を原文そのままで、あらためてご紹介させて頂きます。掲載した写真は、昨年の7月に銀婚式記念で女房と東北を旅した時のものです。岩手県宮古市の津波による大災害を受けた「田老地区」に行って、ボランティアの方から当時の話を聞き、合掌してきました。
『3月11日午後2時半過ぎに発生した大地震は、その後も原稿を作成している12日早朝7時まで余震が続いています。私は成田空港で3交替制勤務をしており、夜勤明けで12時半に帰宅出来ました。もし、残業していたら、鉄道がストップし空港内に泊まったことでしょう。ニュースでは、空港に8500人の人が足止めされているとの報道もありました。
我が家の被災状況は、母屋では瓦屋根の一部が落ちるくらいで済みましたが、木造2階建てのため、材木がきしむ音が絶えず、揺れを激しく感じました。敷地内の車庫では、瓦屋根が全体的に崩壊し今にも地面に落ちてきそうです。隣りの家では、生活道路沿いのブロック塀が全て倒れ、道を塞いでしまったので、我が家から5人が復旧作業の手伝いに行きました。
テレビでは、東北地方の津波被害や火災、市原LPGの大火災の模様が報じられています。近隣市町村の一部では停電し、信号も故障したため交差点が大渋滞したようです。幸い我が家では、女房が学校で待機していた高1の次男を車で迎えに行き、7人全員が自宅で無事を確認出来ました。ライフラインも問題なしです。しかし、電話が繋がらないのには困りました。
親族の安否を確認したくても連絡方法がなく、心配が募るばかりです。ツイッターやフェイスブックは通常通りに利用できたので、多くの災害情報を得ることが出来ました。帰宅難民になった親友のAさんは、徒歩と復旧した電車を乗り継ぎ、12日未明(4時頃?)に無事帰宅できたことをツイッターで知りました。被災者の皆さんの無事を祈りたいです。
11日夕方からの開催が予定されていた退職者の合同送別会には、鉄道がストップしていたうえ、余震の恐怖で参加を急遽取り止めました。多くの出席予定者の皆さんは、成田空港から業務を終えて会場の成田駅前のホテルに鉄道を利用して向かう予定でしたから、もしや送別会が開催中止になっていたかもしれません。電話連絡が取れず、未だに状況は分かりません。』
『3月11日午後2時半過ぎに発生した大地震は、その後も原稿を作成している12日早朝7時まで余震が続いています。私は成田空港で3交替制勤務をしており、夜勤明けで12時半に帰宅出来ました。もし、残業していたら、鉄道がストップし空港内に泊まったことでしょう。ニュースでは、空港に8500人の人が足止めされているとの報道もありました。
我が家の被災状況は、母屋では瓦屋根の一部が落ちるくらいで済みましたが、木造2階建てのため、材木がきしむ音が絶えず、揺れを激しく感じました。敷地内の車庫では、瓦屋根が全体的に崩壊し今にも地面に落ちてきそうです。隣りの家では、生活道路沿いのブロック塀が全て倒れ、道を塞いでしまったので、我が家から5人が復旧作業の手伝いに行きました。
テレビでは、東北地方の津波被害や火災、市原LPGの大火災の模様が報じられています。近隣市町村の一部では停電し、信号も故障したため交差点が大渋滞したようです。幸い我が家では、女房が学校で待機していた高1の次男を車で迎えに行き、7人全員が自宅で無事を確認出来ました。ライフラインも問題なしです。しかし、電話が繋がらないのには困りました。
親族の安否を確認したくても連絡方法がなく、心配が募るばかりです。ツイッターやフェイスブックは通常通りに利用できたので、多くの災害情報を得ることが出来ました。帰宅難民になった親友のAさんは、徒歩と復旧した電車を乗り継ぎ、12日未明(4時頃?)に無事帰宅できたことをツイッターで知りました。被災者の皆さんの無事を祈りたいです。
11日夕方からの開催が予定されていた退職者の合同送別会には、鉄道がストップしていたうえ、余震の恐怖で参加を急遽取り止めました。多くの出席予定者の皆さんは、成田空港から業務を終えて会場の成田駅前のホテルに鉄道を利用して向かう予定でしたから、もしや送別会が開催中止になっていたかもしれません。電話連絡が取れず、未だに状況は分かりません。』
佐倉マラソンは走りません。かつて2回完走したことはありますが、今はマラソンのような長距離を走る事に魅力を感じていません。
先日、フェイスブックで知り合い、実際に何度か一緒に走った仲間が44歳で逝去されました。以前から意識していたのですが、スピードの追及は求めず、ストレス発散とか健康志向で走る事自体を楽しみたいと思っています。
くれぐれも走りすぎないでください。佐倉マラソンは参加されますか?