スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編422~

2022-12-14 06:21:46 | 食~番外編(京都)

点邑(てんゆう)

京都市中京区麩屋町通三条上ル

TEL 075-212-7778

定休日 火曜日

https://www.ten-you.jp/

当店は日本一の旅館と評判の俵屋旅館にほど近い麩町屋にある。

その俵屋がプロデュースをしている天婦羅の名店で、

2015年現在の場所に移転してきた。

ご覧のように京都独特の奥行きのある土地を活かして路地を設けているのが素敵だ。

京都らしい趣のある路地を進んでいくと

ガラスとコンクリート打ち放しモダンな空間がお客を迎えてくれる。

この落差がよりお洒落といった印象を与えて、お客に対して期待感をかき立てる。

1階は4人席と6人席の個室のみで、個室それぞれから趣きのある庭を見ながら

食事を楽しめるよう造られている。

1階入り口のところのトイレのところには、

さりげなく俵屋オリジナルのタオルが置いてあった。

スミダマンが通された2階は10名座れるL字型のカウンター席のみ。

ここの客席もゆったりした空間で、ここからもガラス越しにお庭を眺めることができ、

京都の風情を感じながら揚げたての天ぷらを賞味できる。

いやー、贅沢で最高ですネー。

ちなみに当店はミシュラン京都2018で1つ星を取っている。

こちらがさりげない水彩画が書かれたメニュー。

昼は3コース、夜は2コースの限定。

懐石天ぷらコース14,300円をお願いした。

これ以外に要予約コースとして季節の献立すっぽんコース16,500円もある。

お通し、柿と菊菜の白和え。

鯛のお造り。

身のコリコリした食感は活きの良さを感じる。

素晴らしい鯛だ。

鯛と蕪の炊き合せ。

とても美味しかったのは覚えています。

鰆の塩焼き。

いよいよ天ぷらコースの始まり。

天つゆ、塩、大根おろしにレモン、味付けのセットが揃って準備完了。

海老と海老のカシラ。

白紋油であっさりと揚げられ、なんて上品な味に仕上がっているのでしょう。

ギンナン。

本当は3個でしたが、1個美味しくいただいてから慌てて写真に気が付いたため2個でパチリ。

失礼!

珍しいです。

ぐじのしそ巻き。

かぶらの天ぷら。

 

これはアオリイカです。

やさしい旨味があって最高でした。

これははっきりわかります。

椎茸です。

天つゆの中に泳ぐ椎茸チャン。

これも何だっけ?後で分かりました。鱧です!

とにかく旨かったナ。

これは大好物の穴子ちゃん。

紐を結んだのも素敵です。

隣りの人のを見て旨そうだったので追加注文した、うに海苔巻き天ぷら。

贅沢!!

最後の〆は天茶。

これより天丼だったな?!

こちらは相方のかき揚げ天丼。

こちらの方が正解でした。

ハイ、天ぷらではありません、デザートです。 

梨とイチジクにミント。

 

 

 

 

 


京漆器 象彦

2022-12-13 06:07:04 | 地元企業

京都市中京区寺町通二条上ル西側要法寺前町719-1

TEL 075-229-6625

定休日 火曜日

営業時間 10:00~18:00

この建物は岡崎より2014年5月12に移転オープンした象彦さんの寺町本店。

コンクリート打ち放しのモダンなお店で季節に合わせた漆器を中心に

日常使いからギフト商品まで幅広く販売している。

なお本社は京都市上京区真倉町、東京営業所は東京都千代田区麴町にある。

https://www.zohiko.co.jp/

寛文元年(1661年)象彦の前身である象牙屋が開舗、漆器道具商としての道を歩み始める。

朝廷より蒔絵司の称号を拝受した名匠・三代目彦兵衛が晩年「白象と普賢菩薩」を描いた

薪絵額が洛中で評判となり、人々はこの額を象牙屋の「象」と

彦兵衛の「彦」の二文字を取り「象彦の額」と呼んだ。

それ以来の通り名が時を経て、また信頼を深めて今日に至っている。

四代目彦兵衛は仙洞御所の御用商人をつとめ、

六代目は風流の道に通じ数々のお好み道具を製作した。

八代目は漆器の輸出を行い漆器貿易の先駆者と呼ばれ、

京都蒔絵美術学校なども設立した。

漆の色7色のサンプル(上から黒、朱、洗朱、妹、溜、青、白)。

漆とはうるしの木からにじみ出る樹液。

漆木は枝が折れたり蒸しや動物に傷つけられた時に漆をにじみ出して傷を守ろうとする。

うるしの語源は「うるわし(麗し)」とも「うるむ(潤む)」ともいわれ、

水に濡れたようなみずみずしい漆の艶やかさを表している。

漆は強い接着力を持ち薄く塗りこむこともできるので

丈夫で美しい光沢を出すことができます。

1階店内の展示光景。

建物も新しいし、素晴らしい漆製品、蒔絵が上品に並び、

京都ならではの雅な空気が流れとても高級な文化感をゆったりと味わえる。

現在も蒔絵の高級品だけでなく日常使いの食器やインテリアなど幅広く展開、

新たな可能性を広げるべく海外企業やクリエイターとのコラボレーションも積極的に行い、

京漆器の語り尽くせぬ魅力を世界に広げていく歩みを続けている。

この象彦の丸形、扇形、月形のネックレスなど漆の素晴らしさが表現されていていいですネー。

ちなみに約2万円ほどです。

蒔絵とは漆器の器面に漆で文様を描き、それが乾かぬうちに金粉、銀粉を蒔いて

華やかな絵模様を生み出す技法だ。

8世紀から12世紀にかけて現在の形が完成し、貝を使った「螺鈿(らでん)」や金銀の薄板を

はりつける「平文」などをはじめとして、

材料や工程によって多種多様な技法が今もなお受け継がれている。

とりわけ、長年都の地であった京都では、平安京の時代から、

朝廷や寺社が求める超一流品が作り続けられ、蒔絵の技法が磨き上げられてきた。

こちらは2階の特別フロアー。

この赤いジャンパーの外人さん、1階でも熱心にじっと各商品を見ていたし、

2階では象彦の社長さんと話をしていた。

漆に相当興味をお持ちのようで最後は何か買っていました。

2階一番奥にいた着物の方が(株)象彦の社長・西村毅さん。

とてもフランクな方でスミダマンにも伊藤若冲の作品について熱心に説明をしてくれました。

それがこの作品若冲鶏図蒔絵「硯箱」。

ちなみにお値段は550万円(税込)。

社長は特に蓋裏について力説をしていました。

銀研切蒔絵と呼ばれる銀地に水墨画風に黒の濃淡を文様を表す技法を用いており、

趣きある風合いに仕上げてあると。

本朝三老之図飾皿とその原画。

これは38万5,000円(税込)。

 

 


寺町通りブラ散策

2022-12-10 06:26:38 | 旅 ~京都

今年の祇園祭の時も寺町通り(御池通りから下がったエリア)を紹介しましたが、

今回は御池通りから上がったエリアを散策してきました。

(2022-9-8付スマート珈琲店、2022-9-7付鳩居堂など参照)

寺町通りは京都の南北の通りの1つで、

北は鞍馬口通から南は五条通まで全長約4.6km。

途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っすぐではないのが特徴。

平安京の東京極大路にあたる。

豊臣秀吉による京都改造によって天正18年、

通りの東側に寺院が集められたことからこの名前になった。

寺を集めた目的は税の徴収の効率化と京都の防衛のためとのこと。

かつてはこの通りに路面電車が走っていたが今は静かな通りとなった。

このエリアは古美術店、家具屋、画廊、骨董店などが多く集まっているので知られている。

それではブラブラ歩きながらお店を覗いてまいりましょう。

当店は古美術の「一言堂(いちげんどう)」。

東洋美術、仏教美術、中国陶磁器、書画などを扱っている。

2017年秋オープンと新しいお店だ。

高級洋菓子店の「アッサンブラージュ・カキモト」。

ケーキとチョコが有名でかなりの有名店らしい。

建物を見るとお洒落なケーキ屋さんにはとても見えないが、これが京都です。

寺町通から東西の道に入った夷川通(えびすがわどおり)。

建具・家具屋街として有名。

家具の川上は評判らしい。

囲碁本因坊発祥の地を発見。

寂光寺の塔頭「本因坊」に住まいしていた僧侶の日海(1559~1623)は、

信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く、

江戸幕府が開かれると徳川家康の命によって寺を弟子に譲り、

本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の墓所を任された。

以降本因坊の名は世襲されてきたが、

二十一世の秀哉は真の実力者が本因坊を名乗るべきとして

その名跡を日本棋院に譲り渡し、

昭和11年(1936年)今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生した。

京都で茶舗で有名な「一保堂」。

創業は1717年(享保2年)。

近江商人の渡辺利兵衛が拓いた「近江屋」がはじまり。

幕末に山階宮(やましなのみや)から「一保堂」という屋号を賜った。

「扱うお茶がおいしいから、これからはお茶一つを保つように」という思いを込めて

一保堂という屋号になったとか。

1864年蛤御門の変により店舗を焼失、現在の場所に店舗を新築した。

今や東京丸の内、ニューヨークにも店を構えている。

ご覧のように店内は大盛況。

あまりの混雑にお茶もいただけずに早々と店を出た。

一保堂店に隣接した1995年オープンの喫茶室「嘉木」。

当店も満席で入れず。

30分待ちでした。

店舗の壁の一角には、南禅寺、天龍寺、妙心寺、相国寺など

京都の名だたるお寺の御札が所狭しと貼られていた。

当店の店主はさぞ信仰心が深い方なのだろう。

一保堂の数軒隣りにはロシアンケーキ、クッキーで有名な「村上開新堂」があり、

ここでお茶しようと思っていたが残念ながら定休日にあたってしまった。

当店は明治40年に当地で西洋菓子舗として創業。

この昭和初期に建てられた洋風の建物は明治・大正の面影を色濃く残しており、

当時では大変めずらしく最も贅沢な建造物でした。

村上開新堂の近くにあったアンティークショップ新・古美術「熊谷道具處」。

この地で創業して約100年の老舗店だ。

京焼・伊万里焼・国焼などの陶磁器や御茶道具、書画などを取り扱っている。

店名はわからないがショーウインドーにディスプレイされた陶器と紅葉した枝が

素晴らしい空間を演出しているのが目に留まり入店してみた。

若い店主が色々説明をしてくれて、その知識量に圧倒され、とても勉強になった。

 


下御霊神社

2022-12-09 06:04:07 | 旅 ~京都

寺町通り丸太町を下ったところにある下御霊(しもごりょう)神社は,

平安初期の貞観5年(863年)に神泉苑で行われた御霊会で祀られた

宗道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原吉子、藤原浩嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂の六座に、

吉備聖霊と火雷天神を加えた八座、すなわち八所御霊を

出雲路(上京区)の地に奉祀したのが始まりであります。

いずれも無実の罪などにより非業の死を遂げた人物で、

疫病流行や天変地異はこの怨霊によるものと考えられ、それを鎮めるために御霊が祀られた。

この正門は天明の大火(1788年)後に造営された仮皇居(御所)の建札門を

下賜され移築したものと伝えられています。

大きい梁の中央に龍が飾られ、表側の化粧梁には玄武と朱雀に乗った仙人が、

裏側の梁には麒麟と鳳凰が飾られている。

境内図

御旅中に神輿が奉安され、例祭で舞楽が奉奏される建物がこの拝殿。

寛政10年(1798年)増築された。

現本殿は天明8年(1781年)の大火で旧社殿が焼失したのち、

仮皇居の内侍所仮殿を下賜され寛政3年(1791年)に移建したものです。

本神社は当初、御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから

下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、

以後、社地を転々とし、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の命により当地に移転した。

古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間(1716年~1736年)に

霊元天皇が当社に行幸し震筆の祈願丈を納めている。

ここ垂加社には、江戸時代の神道家、山崎闇斎を祀っている。

当神社の手洗舎の手水も名水として有名です。

「御霊水(ごりょうすい)」と名付けられて地域の人に愛されている。

ちなみに持ち帰る水の量は1日1回のみ20リットルまで。

これは江戸時代の天保年間に書かれた当社祭礼の「御霊祭」の絵図。

祇園祭と同じように神幸祭と還幸祭が今も行われている。

当社にも鬼門封じとして京都では多く見かける立派な南天があった。

南天は難を転ずるという意味を持つ。

 

 


蘆山寺

2022-12-08 06:11:42 | 旅 ~京都

寺町通りを挟んで梨木神社の真向いが源氏物語執筆の地、紫式部邸宅址の蘆山寺だ。

当寺は天台圓浄寺の大本山で天慶年間(1938年)比叡山第18世座主元

三大師良源(慈恵大師)が京都の北船岡山南麓に開いた興願金剛院に移まる。

本尊元三大師(良源)を安置している持ち三大師堂。

他に安置している毘沙門天像は京都七福神の1つ。

この木像どこかで見たことある。

後日ご紹介したいと思います。

境内の紅葉もちょうど見頃。

もみじも桜と同じで紅葉しないとその存在がよくわからない。

京都ではもみじの葉が下に落ちじゅうたんのようになるのを敷紅葉と表現している。

この邸宅址は考古学者角田文衛博士によって昭和40年(1965)に考証され、

新村出博士によって顕彰碑に「紫式部邸宅址」と揮毫される。

現在の本堂は寛政6年(1974)に光格天皇が仙洞御所の一部を移築し

女院、閑院宮家の御下賜でもって改築されたものである。

明治維新までは御黒戸四箇院と云って宮中の仏事を司る寺院が

4寺(蘆山寺、二尊院、般舟院、遺迎院)あり、その中の1つであった。

昭和23年(1948)圓浄寺として元の四宗兼学(丹、蜜、戒、浄)の道場となり、今日に至っている。

紫式部は百年ほど前に式部の曽祖父の中納言藤原兼輔(877~933)が

建てた「旧い家」で一生の大部分を過ごしたと言われ、

この邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り1人娘の賢子(たかこ)を育て、

源氏物語を執筆した。

入場券を買うところで係員の方から「今堂内で舞妓さんの撮影会やっていますヨ」との話があり、

ご覧のように源氏庭の廊下に10名ほどのカメラマン(アマorプロ?)が

真剣にファインダーを舞妓に向け様々な角度、なかには廊下に寝そべって撮っている人もいた。

ワンポーズを撮り終えると誰かが「べにを付けるポーズをとってください」とか

「まゆを描いてください」とか指示をしてまたパチャパチャ撮り始める。

思わずその熱気に誘われてスミダマンも飛び入り参加したのがこの写真です。

素人写真はどうですか?

御門仏殿(本堂)に安置されている来迎の三尊仏である阿弥陀三尊座像

(平安鎌倉時代重要文化財)と隣室に展示されていた寺宝の数々。

この中には国宝の慈恵大師遺告状(平安時代)もある。

紅葉が見頃を迎えた「源氏庭」。

平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭で

コンパクトでとても趣があるお庭だ。

南門のところに見事に紅葉したもみじは感動的ですらあった。

撮るのに舞妓さんと同じくらいシャッターに集中した。

当寺には慶光天皇の墳墓はじめ貴族方のお墓が多数ある。

また仏師定朝、画家住吉如慶、具慶、狩野正桜、

「源氏物語」注釈書「岷江入楚」筆者、中院通院、明治天皇曽祖父中山愛親、

光格天皇御生母大江磐代などの墳墓もある。

 


梨木神社

2022-12-07 06:23:57 | 旅 ~京都

京都御苑東に鎮座する梨木神社(なしのきじんじゃ)は

明治18年(1885年)に創建された旧別格官幣社で、

明治維新の功労者三條実萬公・実美公父子を祀り、

三條家の旧邸が梨木町にあったことにちなんで名づけられた。

前述の鳥居から次の鳥居の間になんとマンションが建っているではないか!

これは当神社が社殿の修復等の資金集めに苦慮していた2013年、

境内の参道を含む土地をマンション開発事業に60年の期限付きで貸し、

その地代を社殿の修復費用に充てる計画をたてた。

しかしその計画が神社本庁の承認を得られなかったことから

神社本庁から離脱をし単立神社となったとか。

この分譲マンションは平成27年に完成。

60年後には更地にして土地は梨木神社に返還される予定という。

何かすごい話ですネ。

ということで見た目にはこの2番目の鳥居から神社の境内がはじまるといった感じだ。

2022年秋、京都梨木神社にて新たな夜の拝観が始まった。

「光の宮」と称して、SDGs先進都市京都にふさわしい環境配慮型のナイトプログラムとして

伝統的な和ろうそくによる灯りの演出、そして拝殿で舞踏が行われるそうだ。

当社「萩の会」初代会長で、日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の歌碑。

湯川博士は生涯のほとんどを京都大学名誉教授など歴任され、京都で過ごした。

ここは社務所と茶室「虚中庵」。

当神社の名水染井の井戸のお茶をいただくことができる。

ご祭神の1人、右大臣正一位三條実萬公は当時「今天神」と人々から尊称され、

才色兼備のお方であった。

光格・仁孝・孝明三天皇に仕え、皇室の中興に尽くし、

王政復古の大義を唱えて、明治維新の原動力ともなられ、

安政の大獄の折、幕府より圧迫を受けて一乗寺村に幽居の後、58歳で没された。

明治2年、その功績を愛で、天皇より「忠成公」の諡を賜り、

同8年10月旧邸の地名にちなみ梨木神社として創祀せられるに至った。

実美公は父実萬公の遺志を継ぎ、朝威回復、攘夷決行の急進派少壮公郷の中心人物として活躍。

しかし文久3年8月18日の政変で頓挫し同志の公郷と共に長州西国に赴かれ、

銀難辛苦を経て、維新の大業を達成せられた。

そして明治維新では右大臣・太政大臣・内大臣等を歴任された明治の元勲である。

公は明治2年東京へ遷都の際、御所廃止の論が起こるもこれに極力反対された。

今日なお栄えて在る京都の大恩人である。

のち大正4年、大正天皇即位ご大典の折、合祀せられた。

当境内には約500株の萩が植えられており、別格萩の宮とも当社は呼ばれており、

9月中旬から下旬には萩祭りがおこなわれる。

拝殿の周囲ももみじ、萩の紅葉がちょうど見頃の頃となり、美しく色づいていた。

晴れていればもっと美しかっただろうに。

本殿の中では結婚式が執り行われていた。

格子越しの向こうでは白無垢姿の花嫁がとても神聖な姿に見えた。

京都では各神社・お寺でこのような光景を多く見ることがある。

やはり京都の結婚式は「和」が似合う。

梨木神社でもう1つ有名なのがこの御神水「染井」。

京都三代名水(京都御苑の縣井、堀川通五条西入った左女牛井とここ染井の水)

の1つで現存している唯一の水で飲料にもできる。

ちなみにお水汲み1回(5リットルまで)100円を奉納する。

前述したように当神社の隣りは京都御苑。

清和院御門でいかにも御公家さんは御所の近くに住んでいたかがわかる。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編421~

2022-12-06 06:13:41 | 食~番外編(京都)

うどんそば 権太呂 本店

京都市中京区麩屋町通四条上ル桝尾町521

TEL 075-221-5810

定休日 水曜日

https://gontaro.co.jp/kyoto/

京都に到着したのがちょうど昼頃。

この日の昼食ははじめからここ京都老舗のうどんそば店「権太呂」に行くことに決めていた。

当店は創業明治43年。

112年の歴史を誇る京都の有名うどん店だ。

当ビルは昭和50年に建て替えられ、京都らしさ、季節感の演出に心がけたとのこと。

狭い敷地に大きなシンボルツリーの松が空間を圧倒している。

手打ちそば店につきもののそば打ち台室。

この日の作業が終わっている(?)のに電灯をつけ何かを訴えているようだ。

この松の幹を見ても樹の大きさがわかるというものだ。

今回の旅で一番目についたものの1つに、

この南天の木が多くの家に植えられていたことだ。

京都では柊(ヒイラギ)と南天(ナンテン)が鬼門除けとして重要視されているとか。

南天の名が「難を転じて福となす」の難転からで

盗難除け、魔除け、火災除けの役目になると言われている。

権太呂さんの玄関の上にはあまり見かけない鯉山山鉾の粽(ちまき)が下げられていた。

京都のお店、家にはほとんどと言っていいくらい

この縁起物の粽が掛けられている。

お店の会計台の上にはゑびす神社の福笹飾りが掛けられていた。

当店はこの本店以外に岡崎店、金閣寺店の2店舗がある。

当店はかなりの大型店でこの1階席も含めて60席もある。

1階は廊下が石畳で各席がのれん、腰壁などで半個室的コーナーになっていて、

京都ならではの雰囲気が流れていた。

当店の信条は「味づくりは人づくり」「心のごちそう」

「ハッピーライフ」の3つを上げている。

とても素敵な表現だ。

ついついブログ取材の癖で厨房内部という舞台を垣間見てしまった。

当店は3階まで(?)店が続き和の雰囲気いっぱいの木の内階段があるが

普段はEVを使っているのでこれは雰囲気作りの階段になってしまっているのではないでしょうか。

こちらはスミダマンが通された3階フロアーの入口。

壁にはドキッとするような大胆なデザインの壁絵が迎えてくれる。

若い仲居さんの大きく権太呂と書かれた前掛けもいいですネー。

EV横の坪庭的コーナーも京都で超有名な作庭家・重森美玲風のデザインで

いかにも京都という風情が流れている。

この日は到着した時は満席で若干のウエイティングになりましたが、

この3階の部屋に通されました。

どうやら地元の人より旅行客の若い女性が多いようです。

また、モダンな柄の襖もあって

華やかな京都初日の昼食となりました。

これが当店のメニュー。

京料理はその美しい形と旬を活かした味との調和が命と言われています。

当店では味は心、料理は心の表現、

料理はつくる人の心を映す鏡と考えているそうです。

それぞれの人柄をそのときどきの想いをありのままに伝えること。

そして本当に喜ばれる料理とは、その中に人を愛しくいたわる優しさが

込められた味に託した心が息づいているものと言っています。

今回注文したのは京都人が大好きと言われている「けいらん」1,100円だ。

京都人はあんかけ、卵料理が本当に大好物だそうだ。

当店は命の出汁と称して羅臼昆布でとった究極の出汁を活かした

うどんそばを提供している。

見ておいしく、食べておいしい料理を情勢をもって届けるのが「権太呂」だそうだ。

お店の入口に京都では多く見かける地蔵菩薩を祀った祠があった。

京都ではお盆を過ぎた8月末頃に各町内で子供達の地蔵盆が行われるのが風物詩となっている。

 

 


「そうだ京都、行こう」

2022-12-03 06:03:54 | 旅 ~京都

これが今年秋の「そうだ京都、行こう」のイメージポスターです。

キャッチコピーは「秋が待ち遠しかった。と語る人は今年もきっと多い。

私がそうであるように。」

実はスミダマンもそうだ。

この美しい紅葉のお寺は紅葉の名所として知られる高野の神護寺です。

こちらは蘆山寺の山門の紅葉。

詳しくは後日アップします。

実は昨年京都へ出発する前日に体調を崩し医師にドクターストップ。

(新型コロナ感染の疑いがあり。結果は陰性でした。)で

急遽予定が中止になったことがありました。

今回は同じ日程を組み、昨年のリベンジといさんでいたところ、

今年も直前にいろいろとゴタゴタガあって今年もまたダメかと思っていたが

なんとか行けるようになり、この日を迎えました。

4泊5日の長い旅であったが満喫した紅葉の秋の京都を

これから約1ヶ月半ほどかけて連載していきますので、

お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

これが京都駅に着いた時のタクシー乗り場の風景。

今まで見たことのない長蛇の列に話は聞いていたが、

改めて京都の人出のすごさを実感いたしました。

これは全国旅行支援と地域クーポン実施が

大きく背中を押している事は間違いないと思います。

旅するといろいろな出会いが待っていますが、

前述の蘆山寺でさっそく舞妓さんの写真撮影会に出くわし、

飛び入り参加をしてしまいました。

この1枚は苔で有名な嵯峨野の祇王寺で撮った苔と紅葉の物語。

この旅ではこんなポエムの場面と向かい合い、詩人になってしまうスミダマンでした。

こちらはやはり紅葉の名所、嵯峨野、二尊院の紅葉の馬場で撮った1枚。

タクシーのドライバー曰く、「京都は桜の季節よりも紅葉の季節の方が人が出る」とか。

日に当たった紅葉(もみじ)はとにかく美しい。

今回気が付いたひとつにコロナ禍ですっかりいなくなったインバウンド客が

今年のキャッチコピー通り、京都、日本の秋が待ち遠しくて多勢外国人が

京都に観光に来ていたのが、あちこちで見受けられた。

かたや、京都の風物詩になっている女性観光客の着物姿もチラホラ見られ、

いかにも京都の街に溶け込んで雅の雰囲気作りに貢献している。

コロナ以前にはものすごく大勢の浴衣姿を見たが、

この女性達はほとんど中国からの観光客と聞いた。

タクシードライバー曰く「まだ中国からの団体はほとんど見ない」とのこと。

しかし、徐々に通常の京都に戻りつつあることを感じた次第です。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編420~

2022-12-01 08:47:14 | 食~番外編(県外)

割烹 たる池

栃木県小山市中央町2-5-23

TEL 0285-23-6660

定休日 月曜日

駐車場 有

昭和50年創業。

地元市民から長年愛されている小山市の老舗の割烹料理店。

「親子二代、修業が全て。貫くものは、美味しいへの情熱。食材とお客様への感謝」

ということで地元小山の商工会議所のご紹介で

ドローン研修の前の昼食でお世話になった。

少人数から最大100名様、大広間から接待向け個室まで、様々な用途での宴会を承っている。

当店は小山市のブランド牛である国産小山和牛を贅沢に使ったすき焼き鍋が名物。

他にも小山の豚肉おとんや地元食材を活かした和食料理を提供している。

それではこの日に出てきたフルコース料理プラスアルファをご紹介しましょう。

当店はテレビ東京「よじごじDays」(2021年8月10日放送)にて

激ウマ地元グルメ!として紹介されるなど、各種メディアでも取り上げられている。

これが名物、国産小山和牛を使ったすき焼き鍋。

こちらは当店の自慢の味、小山の豚を炭火でジュワーっと焼いた「おとん丼」。

見ればおわかりの茶碗蒸し。

彩りも美しく旨そう!

外には当店自慢の仕出し、天丼・おとん丼、

そしておとん弁当の立て看板が、お客のご来店を呼んでいるようだ。