スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

寺町通りブラ散策

2022-12-10 06:26:38 | 旅 ~京都

今年の祇園祭の時も寺町通り(御池通りから下がったエリア)を紹介しましたが、

今回は御池通りから上がったエリアを散策してきました。

(2022-9-8付スマート珈琲店、2022-9-7付鳩居堂など参照)

寺町通りは京都の南北の通りの1つで、

北は鞍馬口通から南は五条通まで全長約4.6km。

途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っすぐではないのが特徴。

平安京の東京極大路にあたる。

豊臣秀吉による京都改造によって天正18年、

通りの東側に寺院が集められたことからこの名前になった。

寺を集めた目的は税の徴収の効率化と京都の防衛のためとのこと。

かつてはこの通りに路面電車が走っていたが今は静かな通りとなった。

このエリアは古美術店、家具屋、画廊、骨董店などが多く集まっているので知られている。

それではブラブラ歩きながらお店を覗いてまいりましょう。

当店は古美術の「一言堂(いちげんどう)」。

東洋美術、仏教美術、中国陶磁器、書画などを扱っている。

2017年秋オープンと新しいお店だ。

高級洋菓子店の「アッサンブラージュ・カキモト」。

ケーキとチョコが有名でかなりの有名店らしい。

建物を見るとお洒落なケーキ屋さんにはとても見えないが、これが京都です。

寺町通から東西の道に入った夷川通(えびすがわどおり)。

建具・家具屋街として有名。

家具の川上は評判らしい。

囲碁本因坊発祥の地を発見。

寂光寺の塔頭「本因坊」に住まいしていた僧侶の日海(1559~1623)は、

信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く、

江戸幕府が開かれると徳川家康の命によって寺を弟子に譲り、

本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の墓所を任された。

以降本因坊の名は世襲されてきたが、

二十一世の秀哉は真の実力者が本因坊を名乗るべきとして

その名跡を日本棋院に譲り渡し、

昭和11年(1936年)今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生した。

京都で茶舗で有名な「一保堂」。

創業は1717年(享保2年)。

近江商人の渡辺利兵衛が拓いた「近江屋」がはじまり。

幕末に山階宮(やましなのみや)から「一保堂」という屋号を賜った。

「扱うお茶がおいしいから、これからはお茶一つを保つように」という思いを込めて

一保堂という屋号になったとか。

1864年蛤御門の変により店舗を焼失、現在の場所に店舗を新築した。

今や東京丸の内、ニューヨークにも店を構えている。

ご覧のように店内は大盛況。

あまりの混雑にお茶もいただけずに早々と店を出た。

一保堂店に隣接した1995年オープンの喫茶室「嘉木」。

当店も満席で入れず。

30分待ちでした。

店舗の壁の一角には、南禅寺、天龍寺、妙心寺、相国寺など

京都の名だたるお寺の御札が所狭しと貼られていた。

当店の店主はさぞ信仰心が深い方なのだろう。

一保堂の数軒隣りにはロシアンケーキ、クッキーで有名な「村上開新堂」があり、

ここでお茶しようと思っていたが残念ながら定休日にあたってしまった。

当店は明治40年に当地で西洋菓子舗として創業。

この昭和初期に建てられた洋風の建物は明治・大正の面影を色濃く残しており、

当時では大変めずらしく最も贅沢な建造物でした。

村上開新堂の近くにあったアンティークショップ新・古美術「熊谷道具處」。

この地で創業して約100年の老舗店だ。

京焼・伊万里焼・国焼などの陶磁器や御茶道具、書画などを取り扱っている。

店名はわからないがショーウインドーにディスプレイされた陶器と紅葉した枝が

素晴らしい空間を演出しているのが目に留まり入店してみた。

若い店主が色々説明をしてくれて、その知識量に圧倒され、とても勉強になった。