スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ザグレブ新市街 (クロアチアの旅 前編)

2019-09-05 06:09:07 | 旅 ~海外

前回もアップしましたが、とても印象深い路面電車だったので又アップしました。

このモダンな車両はクロトラムと言ってザグレブ市内を昼間15系統、

夜間4系統運行している。1度乗ってみたかったナ!

これも又々アップした落書き。

丸みを帯びたアルファベットは日本でもよく見かける。

これは世界中の共通した落書きなのか?

早朝散歩で最初に目に付いたのがこの路上駐車。

縦に入れるのもあれば横のもある。

歴史ある古い建物の時代は車の駐車場の概念がなく

仕方なくこの方式になったのかも。

クロアチア国立劇場は最初1836年に旧市庁舎に建てられたが、

1895年に現在のローワータウンにあるクロアチア共和国広場に建てられ移転した。

この時オーストリアハンガリー皇帝のフランツヨーゼフ1世が

除幕式に出席したとの事。

この建物は有名なウィーンの建築家フェルディナンド・フェルナーと

ハーマン・ヘルマーの作品だ。

劇場の入り口に生命の泉の像がある。

ここは宿泊したホテルの近くにあり、徐々に朝日が劇場の壁に射してきて、

黄色味を帯び、美しさを増していった。

劇場の周辺は広々とした空間が拡がり、

この様に花が植えられ大変整備されている。

この劇場の前には詳しくはわからないがミュージアムらしき

威風堂々とした建物が建っていた。

外壁は国立劇場と同じイエロー系。

この2棟が相乗効果になって一つの空間を造り上げていた。

この建物の隣にはご覧の様な超モダンなビルが建っている。

周囲が中世のような建物群の中で際立った存在だ。

まるで古風な街に宇宙船が舞い降りてきた様な印象を持った。

この場所から眺めた宿泊先のウェスティンホテルが真ん中に見える。

このエリアは看板をよく見るとミュージアム、シアター、

ギャラリーなどが集中した場所で、文化的施設が固まってあるようだ。

この洒落た味のある建物はザグレブ大学の校舎。

設立は1669年で現存するクロアチアの大学としては最も古く、

中央ヨーロッパの中でも古い大学に属する。

この建物も重厚で素晴らしかったのでパチリ。

いくつかの垂れ幕を見るとミュージアムかもしれない。(ミラマ美術館)

やはり左側に宿泊先のウエスチンホテルが見える。


ザグレブ旧市街(クロアチアの旅  前編)

2019-09-04 06:06:18 | 旅 ~海外

クロアチアの首都ザグレブの旧市街のセンター地域に

飾られてある青銅製の市街地模型。

この模型を見ながらガイドさんから説明を受け観光がスタート。

ザグレブはカプトルとグラデツというふたつの集落が

この街の始まり。互いにライバル関係だったが

17~19世紀に統合してザグレブとなった。

ザグレブの名が現れたのは1094年頃。

旧市街地はゴシック様式とバロック様式の建物が多い。

全体的には中世の街並と

高層ビルが混然としている。

尚、ザグレブ市の人口は市街地で686,568人。

市域で792,895人。(2011年国勢調査)

ザグレブ都市圏としては1,110,517人の人口だ。

カプトル地区の丘に建つザグレブのシンボル的存在で

高さ105Mの尖塔が印象的な聖母被昇天教会。

元々はロマネスク様式の大聖堂であったが、

1242年のモンゴル来襲により破壊された。

その後、ゴシック様式で再建されるが1880年の地震で

損壊し、20世紀初頭にネオゴシック様式の

現在見られる姿となった。

内部はルネッサンス様式の祭壇や

バロック様式の説教壇などが残っている。

外壁、展示されてある尖塔の色の濃淡を見ても

その歴史の変動が見て取れる。

キリスト像の上に彫られたあまり見たことのない

不思議な文字。これはスラブ語圏で最古の

グラゴール文字らしく、キリル文字の原型となったそうだ。

主祭壇の奥には列福アロイジエ・ステピナツの石棺がある。

ステピナツ大司教は現代クロアチア史で

激動の時代を生きた聖職者だ。

カプトル広場には噴水と4体の黄金の天使に守られた

聖母マリア像をいただく塔が建っている。

これは広い広場の中でひと際目立ち、

全体の空間を引き締めている。

カプトル広場から青果市場の方へ緩やかな坂を

下っていくと遠く聖マルコ教会の塔が見える。

聖母被昇天教会の前で見かけた上品な色のクラシックカー。

とても目立ったのでパチリしてしまった。

かわいい車ですネー。

さらに青果市場のある広場を渡って白いテントが

張り出されたショップがある路地を下っていく。

路面は古いヨーロッパの街特有の敷石で

時代を感じさせる風情がある。

この坂を下り切ると色とりどりのかわいいカフェなど

賑やかなトカルチチェヴァ通りに出る。

ここで一軒の両替商で皆マネーイクスチェンジ。

ガイドさん曰く

「財布にお金の出し入れはなるべく見られない様に

気を付けて。外国人のひったくりが居るから。」

歩くのに疲れた私はここで見張り役を引き受けた。

この商店街の一角に立っていた等身大のマリア。

ユリッチ・ザゴルカ像。

残念ながらこの女性がどのような人だかわからない。

ガイドさんの説明で初めて知ったのが

クロアチアはネクタイ発祥の国。

これは意外な事。知らなかったナー。

これ以降、ネクタイのお店を幾軒も紹介された。

同行の人がこのネクタイを買って値段を聞いて驚いた。

数十万円もしたそうだ。

ザグレブの石の門教会のすぐそばにある

馬上の騎士が巨大な悪竜を退治したことで有名な

聖ゲオルギウスの像。

3世紀頃のローマ時代の殉教の聖人だそうだ。

これは恐ろしく古い時代の話だ。

ザグレブの起源となったこの街グラデツは中世の時代には

王国自由都市だった。

街は敵の侵入を防ぐ城壁で囲まれていたが、

この石の門は城壁の出入り口のひとつ。

当初は木造の門だったが18世紀に石で固められ

現在の姿になった。

1731年に大きな火災があり、木造部分は焼け落ちたが

焼け跡からイエスを抱えるマリア像が無傷で発見された。

そのマリア像を納めた礼拝堂は今でも篤く信仰されていると言う。

道路の一部には礼拝するテーブルがあり、

この日も敬虔な信者が祈っていた。

グラデツ(現ゴルニィ・グラード地区)の丘に建つ聖マルコ教会。

13世紀にゴシック様式で建てられ、18世紀に再建されて

現在の形となった。

1880年に造られたモザイクの屋根が特徴的で

3つの紋章がひとつになっているのが

クロアチア王国の紋章。

城が描かれているのがザグレブ市の紋章だ。

上が大統領官邸で下が国会議事堂。

昔の建物を使用している為か意外に簡素だ。

丘の頂上付近のこのあたりは政府の重要な建物などが集まっている。

塔があるから教会に見えるが、無ければ普通の建物の中にある

ギリシャ正教の教会。

ここにはエジソンを凌ぐといわれる

天才ニコラ・テスラのレリーフがあった。

交流発電機などを発明したクロアチアが生んだ巨人の一人だ。

ここで奇妙な車と遭遇。

車上にトランクがあるから観光客の車か?

4隅にクロアチアの国旗。

1本はお人形が持っている。

2匹のキツネの人形の間に2組のスキー板が。

とにかくこの車、目立ったナー。

アッパータウンから望むザグレブ市街の全景。

ここは丘の上で眺めがとても良かった。

因みにクロアチアの人口構成は

クロアチア人が92%、セルビア人が2.41%、

ボシュニャク人が0.8%、ムスリム系1.02%、

アルバニア人0.83%、スロベニア人0.14%、、モンテネグロ人0.27%

クロアチア人以外は少数だが、バルカンの国は多民族国家

だということがよくわかる。

同じくアッパータウンから見た聖母被昇天教会と聖マルコ教会。

スロベニアではあまり見なかった落書きが

クロアチアではひどく目立った。

この狭い通りはあえて行政側が落書きを認めた壁だとか。

高校生が多く書くらしいがモラルの差を感じてしまう。

カプトルとグラデツの丘の中間にある広場で

街のほぼ中心にある共和国広場。

クロアチアの国民的英雄の名前をとってイエラチッチ広場とも

呼ばれ、広場の中央には彼の像が立つ。

広場の周囲はカフェテリアやレストランが取り囲み、

ザグレブ市民の憩いの場となっている。

古い街並のザグレブ市内をモダンな路面電車が走っていて

市民の大事な足になっている。

 

 


京都迎賓館(真夏の京都 前編)

2019-09-03 06:19:26 | 建物

京都迎賓館は日本の歴史、文化を象徴する都市

京都で海外からの賓客を心をこめてお迎えし、

日本への理解と友好を深めていただくことを

目的に平成17年(2005年)4月に開館した国の迎賓施設です。

所轄の行政は意外にも内閣府が担当している。

京都の観光ではここは意外に隠れた穴場だと思う。

参観の方式は自由参観方式とガイドツアー方式があり、

事前予約制と当日先着順制の2つのやり方がある。

自由参観方式は一般1500円、

ガイドツアー方式は一般2000円だ。

公開時間は10:00~17:00(15:30受付終了)。

公開時間のちょっと早めに行ったら

まだあまり参観者が無く、楽々申し込みができた。

当館は築地塀を巡らせた品格のある和風の佇まいをしている。

入母屋造りなど日本建築の伝統的な屋根の

形式が組み合わされ、それぞれの技が用途にふさわしい

外観を形成している。それらは千利休が

茶の湯を通じて広めた数寄屋造りという

和の意匠で整えられている。

海外からの賓客のご一行は、車列を組んで

正門(2枚目の写真)から入ってこられ、

この正面玄関に停車し、迎賓館長が

玄関前でお迎えしてご入館する。

東京にある迎賓館赤坂離宮とともに、

国公賓などの賓客の接遇の場としての役割を果たす為の

国旗掲揚塔もある。

正面の玄関扉には樹齢700年の欅の一枚板が

使用されている。又、賓客をお迎えする際には

正面に屏風を置き、その前に生け花をしつらえて

歓迎の心を表わす。

この玄関の巨大な庇の軒天も木が使われ

やさしい存在感を伝えている。

迎賓館の中には随所に伝統的技能が生きた

多くの調度品が配置されている。

この行灯も、釘隠しも然りだ。

なんでも、11種類の伝統技能者の技

(ex.大工、左官、建具、表具など)と

14種類の伝統技能

(ex.漆、蒔絵、螺鈿、西陣織、七宝など)を

活用してまるで現在の日本伝統工芸のオリンピックの様な建物だ。

聚楽の間。ロビーとしての位置付けされる

空間で晩餐会などが行われる際に随行員の

待合とするなど多目的に利用される。

他の部屋と異なり自然光が入らないことから、座面は

鮮やかな赤色の布地を用いて華やかに演出している。

又、各部屋でDVDでの説明もされていた。(自由参観用の為)

夕映の間。ここは大臣会合などの会議や立礼式の

お茶のおもてなし、晩餐会の待合としての使用もされている。

東西の壁面は日本画家の箱崎睦昌氏の下絵を基に

綴織りの技法を用いて制作された織物だ。

東側の作品は京都の東にそびえる比叡山を

月が照らす様を描いた「比叡月映」、

西側の作品は京都の西に連なる愛宕山に

夕日が沈む様を描いた「愛宕夕照」だ。

東西の壁面は可動式になっており、部屋を三分割して

使用することもできる。

最後の写真は北村繁作 螺鈿飾り台「山紫水明」

当館の庭園は深山幽谷から流れ出る水が

注ぎこむ広大な池が、まわりの建物に融け合うように配置されている。

これが古くから日本人の住まいに貫かれた伝統

「庭屋一如(ていおくいちにょ)」

の思想だ。この池にじっと動かない鷺がいた。

京都には鴨川、他の寺院の庭などに鷺を多く見る。

とても絵になり、あまり動かないので写真も撮りやすい鳥だ。

ここ藤の間は、京都迎賓館で最も大きな部屋で、

洋食の晩餐会や歓迎式典の会場として使用されている。

藤の間の舞台では、舞・能や琴の演奏、雅楽などが

披露され、訪れた方々へ日本の伝統文化を紹介している。

部屋の一部コーナーに櫛型にテーブルを並べて

宮中晩餐会方式の雰囲気を演出している。

並べられた椅子、テーブル上の食器も

どれも一流で素晴しい。

桐の間は、和食を提供する「和の晩餐室」だ。

最大24名までの会合が可能なこの部屋では

京料理でおもてなしいたします。

食事中に芸妓さんや舞妓さんによる舞や琴の演奏などが行われ、

宴席に彩を添えている。

この間の座卓は全長12メートルの漆の一枚仕上げという

すごい作品だ。座椅子は蒔絵で背面に

「五七の桐」が描かれている。

これは明治時代より日本国政府の紋章として使用されているもので、

京都迎賓館の紋章でもある。

又、畳も特殊な折りとなって真ん中に筋が通っている。

このガイドツアーのグループは約20数名、

ベテランの女性ガイドさんがマイクで詳細に説明してくれる。

所用時間は約90分間。

真夏の暑い京都でクーラーが効いた建物を

鑑賞できるのは最高だった。

東西の建物をつないでいる廊橋。

この橋を境に池の水深が変わっており、北側の池には

錦鯉が放たれている。

池の中の大きな石柱は豊臣秀吉の時代 天正時代のもの。

この橋の4隅には大工さんの遊び心で4つの虫が彫られ、

このトンボは池の水面の幻想的な光を受けて

神秘的にさえ見える。

ガイドさんの説明によるとこの屋根の素材も特殊なものを使い

サビも出なく、屋根の勾配も優しく

曲線を描いた造りになっているとか。

この施設の概要は敷地面積20,140㎡(6100坪)

構造はRC 一部S、SRC造 日本の空間を感じられる

和風の意匠に配慮し木を活用している。

建築面積は約8,000㎡(2424坪)延床面積約16,000㎡(4848坪)。

地上1階、地下1階 設計は㈱日建設計で

施工者は大林組・鹿島建設・竹中工務店のJV。

総建設費は約200億と聞いた。

京都迎賓館の経緯は平成2年

「平成6年が平安建都1200年の節目」に当たることを記念して

京都に和風の迎賓館建設を、地元知事、市長、

商工会議所会頭連名で内閣総理大臣に要望。

平成6年10月閣議了解、平成17年4月17日に

会館披露式典を挙行した。

海外から賓客に日本の文化「舟遊び」を楽しんでいただく舟和。

2011年11月 ブータン国王、王妃両陛下が舟和を楽しんだ写真。

この時期は東日本大震災があり、宮城県岩沼市の岩沼警察署へ

慰問に行った時、ブータン国王も来られて

警察の方々が大変忙しい思いをさせてしまったことを思い出した。

この迎賓館は広い広い御苑の中にある。

御所の塀は風情のある築地塀で囲まれ、

全く別の世界の様だ。

御苑の中は旧宮家、旧公家の屋敷の遺構も多く残っている。

たとえば近衛家、閑院宮家、桂宮家、賀陽宮家、有栖川宮家

西園寺家、鷹司家、一条家など、とても興味深い。

 

 

 

 

 

 


知恩院 (真夏の京都 前編)

2019-09-02 06:29:38 | 旅 ~京都

https://www.chion-in.or.jp/

知恩院は浄土宗の総本山で山号は華頂山。

承安5年(1175年)に法然が開いた。

浄土宗の宗祖、法然が後半生を過ごし、

没したゆかりの地に建てられたのがこの寺院だ。

現在のように大規模な伽藍が建立されたのは、

江戸時代以降、徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、

今も京都の人々から親しみを込めて

「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。

なんと言っても国宝のこの三門は迫力と威厳がある。

元和7年(1621年)徳川二代将軍・秀忠が寄進して建立された。

入母屋造、本瓦葺き、五間三戸の二重門で現存する

日本の寺院の三門(山門)の中で最大の二階二重門だ。

そして様式は禅宗様に成っている。

因みに日本三大門は法隆寺三大門、東福寺三門、

そしてここ知恩院三門と言われている。

どこのお寺、神社も一年間色々な催事を行っている。

この催事に参加するのは観光客では無理がある。

何時は一時でも京都に移り住んで様々な寺の催事に 

行ってみたいと夢見ている。

知恩院では僧の法話に力を入れているようだ。

三門をくぐると急な石段が待っている。

この階段は男坂といい、右側にはスロープに成っている坂がある。

これを女坂という。

知恩院の境内は、三門、塔頭寺院のある下段、

本堂など中心伽藍のある中段、そして勢至堂、

法然廟などのある上段の3つに分かれている。

ここが本堂などがある中段のエリア。

上段は開創当初の寺域であり、中段・下段の大伽藍は江戸時代になって

徳川幕府の全面的援助で新たに造営されたものだ。

この敷地は徳川幕府が隣の青蓮院から知恩院に与えたもので、

そんな事情から今でも青蓮院と知恩院は仲が悪いと

MKタクシーの運転手は言っていた。

本堂の御影堂、本尊の法然上人像を安置している。

寛永10年(1633年)に焼失、寛永16年(1639年)に

徳川家光によって再建された。

江戸幕府造営の仏堂として偉容を示している。

外観は保守的な和様を基調としているが

内部は禅宗様(唐様)の要素を取り入れている。

2002年に国宝に指定されている。

現在、法然上人800年大遠忌を迎えたのを期に

平成の大修理中で来年3月に竣工予定だそうです。

宝仏殿。本堂の南側に北面して建つ寄せ棟造の仏堂。

平成4年の建立で、内部には阿弥陀如来立像と四天王像が安置されている。

小髙い丘の上に建つ納骨堂。

そこへ行く石橋と池に咲く蓮の花が印象的であった。

唐門の先には大方丈と法然上人御堂(集会堂)が見える。

大方丈は寛永18年(1641年)に建立された書院建築で重要文化財だ。

本堂の東方に建つ宝形造本瓦葺き裳階付きの経蔵。

三門と同じ元和7年(1621年)に建立された建物でこれも重要文化財。

境内東側、急な石段を上った先の小髙い場所にある

勢至堂(本地堂)へ行く階段。

この建物も重要文化財。左の銅像は法然上人像。

本堂の向かって左に東面して建ち、本尊阿弥陀如来坐像を安置する。

明治時代の再建だが正面に掲げられている大谷寺という

勅額は後奈良天皇の宸筆である。

この建物が知恩院の新玄関になっている。

京都は文化財の宝の山。

木造建築の敵は火災ということで、ここぞという寺院には

放水銃が設置されてあった。

新玄関から裏手に抜け黒門に至る石段の光景は

寺院というよりは城の様な造りになっている。

石垣には立派な苔が付き、とてもいい感じ。

知恩院では大変ユニークな運動が展開されていた。

それは「おてつぎ運動」。

この夏もおてつぎこども奉仕団と称して2泊3日の

お寺合宿が行われていた。

私たちは「なぜ生きているんだろう?」

「死んだらどこへいくんだろう?」

多くのお坊さんたちが残してくれた言葉をお寺で学ぶイベントだ。

知恩院前の駐車場にあるトイレの横に

自動販売機と並んで、外貨両替機を発見。

さすが国際観光都市・京都。

両替も随分手軽にできるようになったものだ。