スロベニア・ブレッドの街からクロアチア・ザグレブ市に入り、
そこからずっと続いていたバルカン半島内陸部のバスの旅もいよいよ最終段階。
もうすぐ海岸エリアに近づいてきた。
ここまで来てわかったことはバルカン半島の山は
石灰岩でできていることが多い事。
その結果ポストナ鍾乳洞、プリトヴィッツェ湖群などの景勝地を生んできた。
これは自然の恵みの贈り物。
逆に生活上のマイナス面も多くあるのだろう。
いよいよ旅の工程も5日目にしてエメラルドグリーンのアドリア海が見えてきた。
これが最初に目にしたアドリア海。
海というよりは深く陸地に入り込んだ湾。
一歩間違えると湖のように見えてしまう。
これが到着したシベニク(Sibenik)の港と旧市街の風景。
陽気の方も山のリゾート地の涼しい気候から
地中海的な暑い夏の気候に変わってきた。
シベニクは要塞のある小さな漁村だったが、
クロアチア王・クレシミル4世によりシベニクと名付けられて以降、
アドリア海の貿易港として発展していった。
聖ヤコブ大聖堂の城壁と外の広場。
植物もヤシの木のような南国的樹木に変わり芝生の緑もずっと濃く感じる。
太陽の光も強く木陰がとても心地が良い。
海岸沿いの街路樹にネムの木並木があった。
2019-6-1付ブログ「ねむの木の庭」で紹介した花はこの花です。
美智子上皇后が愛していたネムの木の花を思い出して撮ってみました。
聖ヤコブ大聖堂の裏門の階段で1人ポツンと座っていた女性が絵になっていて
思わずシャッターを押してしまいました。
カトリックの聖ヤコブ大聖堂は2000年にユネスコの世界遺産に登録された。
レンガや木の補助を全く使わずに建てられた
石造建築の教会としては世界で一番大きい。
1991年9月、セルビア人部隊によりシベニク砲撃で
大規模に破壊されたが数年で修復された。
この大聖堂の建設計画は1298年からあったらしい。
1431年に工事が着手し、巨匠ジョルジョ・オルシーニの指導により
多くのベネチア人と地元職人たちが
ゴシック様式の教会を建立し、1555年に献堂した。
この建物の特徴はアーチ型ドームの天井で高度の技術力がいった。
又、柱のアーチ型も特色がある。
聖堂の隣には小部屋の洗礼台があり、現在でも使用されているそうだ。
洗礼とは新約聖書の福音書において、
洗礼者ヨハネがヨルダン川にて行っていた浄化儀式で、
頭部に水を注いだり(藻水)、頭部に水で水滴をつけたり(滴礼)、
身体を水に浸す(浸礼)やり方がある。
とにかくシベニクという街は古い。
まるで古代ローマの街に迷い込んだ錯覚に陥るほどだ。
ここはクロアチアの歴史的都市でアドリア海東岸では
クロアチア最古の街だ。人口は都市部で34,302人。
街全体が真っ白い色調の中で赤とか黒がここはとても目立つ色だ。
又、街角のカフェで撮影会をしていたのが
生活感があって印象的な風景だった。
クロアチアはサッカーが盛んな国。
ロシアワールドカップで活躍し、準優勝に導き、
大会MVPゴールデンボールを受賞。
又、レアルマドリードで2018年クロアチア人初となる
バロンドールにも選ばれたルカ。
モドリッチ選手のユニフォームが売られていた。
モドリッチはクロアチアの英雄になった。
路地に敷かれた石畳はローマ時代のものがそのまま残っている。
それにしてもここは暑かったナー。
古いこの街は路地が多い。
又、この路地が味があって絵に成るんだナー。
この街の路地が街全体の風景を造り上げている。
今回の同行ベテランガイドさんのすごさを1つ紹介します。
この小さな穴は猫の水飲み場だそうですが、
ガイドさんからこの穴の説明を受けた後、
「もう1つこの先にもあるので見ていって下さい」と。
いくら幾度も来ているとは言え、
こんなささやかな事を良く知っているなと感心してしまった。
こんなケースの話が旅中に幾つもあった。
ここ聖アンナの城の洞穴はクロアチア人が実際に定住する前の長い間、
居住に利用されてきた所で歴史的に価値のある場所だそうだ。
この街には白いテント、庇がよく似合う。
年配の男性グループが井戸端会議(?)で
盛り上がっていたのがなんとも微笑ましかった。
思わずシャッターを押したくなったワンショット。
本当にこの街は絵になる。
古い街で珍しく建設現場に遭遇。しかも大型現場だ。
手前には鉄筋が散乱し、錆がひどい。
日本だったら配筋検査でアウトになるような鉄筋だ。
街角で見かけた電動チックスクーター。
他の街でも見かけてとても気に成っていた。
しかもこの少年が楽しそうに路地を乘り回していたのでパチリ。
日本ではあまり見ないですよネ。
城壁の外で見つけた地球儀のようなペットボトル用の大きなごみ箱。
見ようによっては前衛的な芸術作品にも見える。
クロアチアは環境問題にはなかなか厳しい国の様だ。