北野天満宮 2019-8-27付ブログ参照
京都の人々からは北野の天神さん、北野さんと呼ばれ親しまれている北野天満宮。
その入口の所の一の鳥居。
京都では御所の四方の鬼門の北西を護っている大事な神社だ。
この日2月25日(土)は年に一度の梅花祭の日だ。
今回の旅は京都の催事に行きたいという思いが、梅を見るのは若干早いのを承知でこの日を最優先に組み立てた。
一の鳥居から楼門までの広い参道には、毎月25日道真公の御縁日に沢山(約300店程)の露天が立ち並ぶ。
特にこの日は年2回道真公の誕生日(6月25日)と命日(2月25日)に由来する特別の縁日(骨董市)だ。
今やこの縁日も国際化しスペイン、フランスの国旗が立つ露店も現れていた。
この骨董市には多くの着物の古着屋さんも出店しておりコロナが治まってきた中、外国人の姿を多く見かけた。
この様に着物を着飾った外国人女性もかなり見かけた。
鳥居の入口にはどこの縁日でも見かける屋台のおでん、煮込み屋さんがその匂いで誘ってくる。
結果的にお昼はここのおでんを食べればよかったと後で後悔した。
この写真を見てもわかるように3年間という長いコロナ禍ではほとんど見かけなかった大変な人出。
この参道はすっかり通常の縁日に戻っていた。
縁日の露店というと、どこにでもあるイメージの店が出ていると思うが、
この骨董市にはここならではのお洒落なコーヒー関係の店、
古都ならではのお線香、ローソク専門の店、又、古銭を扱っている店など個性的な露店が数多くあった。
食べ物でも地域名産の「丹波干柿」を売っている露店も新鮮だ。
この社は学問の神様である菅原道真公を祀りする全国の天神様天満宮の総本社で学業成就、
学力向上祈願、入試合格、各種試験の合格祈願にご利益があると言われている。
境内には「なで牛」と言われる寝そべった牛が十数体もある。
体の悪い部分を撫でると病気やケガが治ると言われている。
その中、一体だけ、本殿に立ち上がろうとする未だ謎の唯一の立ち牛というのがある。
平安時代、天暦元年(947年)この地に朝廷によって社殿が創建された。
400有余年と新しい桃山時代から今に残る稀少な社殿は国宝だ。
他にも数多くの国宝、重要文化財が奉納されている。
当神社の神紋は「星梅鉢紋」だ。
現在の絵馬所は元禄12年(1699年)に建てられ規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と言われている。
百人一首(?)の絵札が飾られていて、一味も二味も違う建物になっている。
重要文化財の「三光門」。
御本殿前の中門で日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれている。
実際には星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として天神さんの七不思議に数えられている。
この時も小雪が舞って京都らしい風情と成った。
北野名物長五郎餅が販売されていた。
長五郎餅は太閣秀吉が開いた北野大茶会の際用いられたという
由緒正しきお餅でなんとこのお店は創業天正年間という。
本当に京都の歴史はすごい。
天満宮の東門から出て参道と平行して南北にある道路にもびっちり露天が出ていて大変な人混みだ。
本当に外国人も多く熱心に骨董をチェックしていたのが印象的だった。
こちらはやはり東門から出て東方面の花街上七軒に向かう途中の広場に出店していた露店。
ここの露店は本格的な骨董品が多く見応えがあり、北野天神の骨董市にきたナーという感じをじっくり持てた。
北野天満宮の骨董市はリサイクル着物やハギレの宝庫で着物市としても名を馳せている。
着物が1枚1000円と信じられない価格で売られており、女性達の目は真剣だ。
この女性は人気者らしく地元の男性から「この娘、おたべにそっくりやねん」といじられていた。
ここ北野天満宮の骨董市は東寺の弘法市とともに二大骨董市と言われている。
明後日、上七軒をアップするつもりですのでよろしくお願いいたします。
私も北野天満宮の骨董市に行った事があります。
飼い猫の写真を売っている店、前掛け(問屋や
酒屋など)を買ってもちろん骨董も。
上七軒を抜けて、しばらく歩きました。
また行ってみたいです。