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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

奈良の旅(その8) 法隆寺

2018-01-24 06:49:38 | 旅 ~国内

世界最古の木造建築がある世界遺産登録の法隆寺。

ここは約19万㎡の広大な境内に125の建造物を有する大寺院だ。

法隆寺の伽藍は西院と東院の2つに分かれている。

建造物の内、国宝に指定されているものが17件、

重要文化財に指定されているものが35件もある。

南大門は法隆寺の玄関口。国宝に指定されている。

法隆寺内の建造物では歴史が新しく、建造は1483年(室町時代末期)だ。

ここは金堂、五重塔を中心とした西院伽藍で飛鳥時代を

始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、

たくさんの宝物類が伝来している。法隆寺は聖徳太子が

建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、

特に1993年12月に、ユネスコの世界文化遺産のリストに

日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の

宝庫として人々の注目を集めている。

威風堂々とした金堂(飛鳥時代)の中には、聖徳太子のために

造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、太子の父君用明天皇のために

造られた金胴薬師如来座像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人皇后の

ために造られた金胴阿弥陀如来座像(鎌倉時代) それを

守護するように、樟で作られた我が国最古の四天王像(白鳳時代)が

邪鬼の背に静かに立っている。又、天井には、天人と鳳凰が

飛び交う西城色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には

世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在はパネルに画かれた

再現壁画がはめ込まれている)が描かれ創建当初の美しさが偲ばれる。

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり

仏教寺院において最も重要な建物とされている。

法隆寺の五重塔(飛鳥時代)の高さは約32.5メートルで

我が国最古の五重塔として知られている。

仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立された

大講堂(平安時代)。鐘楼とともに延長3年(925年)に落雷によって焼失した。

正暦元年(990年)に再建された。

西院伽藍から夢殿がある東院伽藍へ。この間の道は土塀に囲まれ

広々とした開放的な空間が続き、斑鳩の里の時間がゆったりと流れている。

鏡池の傍に正岡子規の有名な句

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑がある。正岡子規は

生涯に20万を超える句を詠んだが子規の作品のうち

最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」と

並んで俳句の代名詞として知られている。

鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚ともなって、

聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を

改造したのが、この聖霊隠だ。

東西の廻廊の外側には、それぞれ東室・西室という南北に

細長い建物がある。それらは僧侶の住居であったところから

僧房と呼んでいる。東室は奈良時代の建物で国宝。

妻室は平安時代の建物で重要文化財だ。

聖霊院から東に進むと宝物庫である綱封蔵(平安時代)がある。

その手前を北へ進むと食堂(奈良時代 国宝)や

細殿(鎌倉時代 重要文化財)などの建物の奥に新しい伽藍が見えてくる。

これが平成10年に落成した百済観音堂を中心とする大宝蔵院だ。

法隆寺に伝わる百済観音像(飛鳥時代)は、我が国の仏教美術を

体表する仏像として世界的に有名だ。又、日本の仏像には

珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は

多くの人々を魅了している。法隆寺では、この百済観音の

安住の殿堂を造ることが永年の悲願であった。

その夢がついに平成10年秋に実現した。

東大門を抜けて夢殿へ向かう道は広くて開放的な素晴らしい空間だ。

途中に2、3軒の屋台が出ていて世俗の世界に引き戻す。

これも又良い光景だ。

左右の築地塀は重要文化財になっている。7~8本の丸太で

塀を支えている姿は苦肉の策でなんとも痛々しい。

東院伽藍の中にある鎌倉時代に造られた東院鐘楼。

この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物で、内部には

「中宮寺」と印刻された奈良時代の梵鐘が吊されている。

601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、

聖徳太子の遺徳を偲んで、天平11年(739年)に建てた伽藍を

上宮王院といい、その中心になる建物がこの夢殿。

八角円堂の中央の厨子には聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を

安置している。この夢殿は、中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と

廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を

供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせている。


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