スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

昼の別所沼公園-Ⅱ

2021-02-26 06:39:51 | ご近所情報

2014-10-9付で早朝の別所沼公園のブログを書いたが、

コロナ渦の緊急事態宣言下でかなりストレスも蓄積し、

すっかり運動不足になっているので久し振りに別所沼公園を散策してみた。

これが別所沼公園の案内図。

別所沼の周りを一周している赤いコースがトリムコースで

真剣に歩いて15分程度かかるカッコウの散歩コースだ。

この公園の歴史は大正15年、深川の小島長次郎が私財を投じて沼の周囲を買い、

周辺に桜や藤棚などを植え、野球場やプールなどを造った。

この遊観地を昭和園と名付け、大変な賑わいであったという。

昭和26年、旧浦和市が荒れていた昭和園を買い取り、

別所沼公園と改称して都市公園として整備を始めたが市の財政悪化にともない

昭和31年に埼玉県へ寄付する形で移管した。

その後、平成13年、さいたま市の合併により公園の管理権が埼玉県から市へ。

平成15年、さいたま市政令指定都市移行を記念して所有権もさいたま市に移管(事実上の返還)された。

別所沼は大宮台地が浸食されてできた谷底低地から湧き出した水が溜まり

沼になったものと考えられている。

公園全体は約8万㎡あり、市街地に大規模な公園の少ないさいたま市内では貴重かつ人気の高い公園だ。

沼の周囲の公園にはラクウショウ(沼杉)約500本、メタセコイア(曙杉)約300本が植えられ、

ご覧のようにウォーキング、ランニングコースをはさみ、素晴らしい景観を作り上げている。

弁財天に行く入口には今は亡き、やなせたかし作の浦和のうなこちゃんのミニ石像が。

一時前この像が行方不明になり話題になったことがあった。

かつてはここ別所沼でウナギも棲息し、うなぎが浦和宿の名物となった。

関東大震災後、浦和画家と呼ばれる文化人や医師、官僚などが沼の周囲に多数移り住み、

浦和など代表される文教都市浦和としての礎を築いたエリアがここの地域だ。

その為、現在でも周囲の常盤や別所は首都圏でも屈指の高級住宅街となっている。

落羽松がある周囲を巡るこの島は古くから弁天島と呼ばれるように「別所沼弁財天」が奉祀されている。

昭和2年この島を構築した小島長次郎によって東京・深川の洲崎神社から分祀された。

その後、昭和40年に氏子・有志により覆屋・向拝官を改築、手水舎も建立し、現在に至っている。

その手水舎も今、新型コロナで使えなくなっている。

詩詩「四季」を舞台に活躍した詩人・立原道造は卒業設計で辰野賞を受賞し、

卒業論文や評論などで豊かな思惟を表現した建築家として知られている。

1937年、東京帝国大学卒業、その翌々年に24歳の若さで病に倒れるが、

亡くなる数年前から自らの独居住宅をこの別所沼畔に建てようと試案を重ね

「風信子荘(ヒヤシンスハウス)」と名付けていました。

残念ながら実現しなかったこの建物を彼を私淑する詩人や建築家たちの呼びかけで

建設しようという市民運動が盛り上がり、2004年秋に詩人の夢は別所沼畔に竣工しました。

別所沼から南へ志木街道を渡る歩道橋は龍がうねるような奇妙な姿で造られていてとても目立つ意匠だ。

志木街道に沿ったウォーキングロードの両サイドのメタセコイアの枝は見事に切り落とされ

一本の幹のみが天に延びている異様な空間を造っていた。

この日は晴天の日曜日ということで多くの釣り人が沼に糸を垂れていた。

釣り人の横には古びた注意看板が。

「ブラックバスやブルーギルのリリース(再放流)はやめましょう」と。

以前来た時はこんなカフェ無かったが、ここ「アナーザー プレイス カフェ」以外にも

もう一軒いかにも沼畔に似合う可愛らしいカフェがオープンしていて、別所沼にリゾート性が増えた。

逆に今まで無かったのが不思議な位だが。

真っすぐ天に伸びたメタセコイアの並木のウォーキングコースはやはり絵になりますネー。

最後の〆の一枚としてベンチの所にさりげなくかけられた動物のお人形さん。

なんとなくポエム・・・。


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