スミダマンのほのぼの奮戦記

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伊能忠敬旧宅・記念館

2018-07-11 08:55:48 | 旅 ~国内

伊能忠敬は1745年(延享2年)、上総国(現九十九里町)に生まれ

17才で佐原村の伊能家に婿入り、1800年(寛政12年)から

1816年(文化13年)まで足かけ17年をかけて日本全国を

測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させ、国土の正確な姿を

明らかにした偉人だ。1818年(文化14年)69才で没した。

ここは国指定史跡になっている伊能忠敬の旧宅だ。

この旧宅は正門、店舗、炊事場、書院、土蔵からなっていて

江戸時代より家の規模が縮小されて、昭和20年代まで

住居として使われていた。忠敬が17才で伊能家に婿養子に入り、

主な家業である酒、醤油の醸造、貸金業を営み、

伊能家で東北3年分の米の買い占めが可能な程の財産を築いたという。

今でも旧宅は江戸時代の雰囲気がよく残っている。

これが旧宅の全貌。規模が小さくなったとはいえ、

639.21㎡(193.7坪)もある。居室だけでなく、店舗を兼用していた

ことも広くさせている。伊能家は佐原村の名主であったことも

影響しているのだろう。

伊能忠敬家には3ヶ条の訓書がある。この中から

偉人の生き方、考え方を学ぶ価値は必ずある。

伊能忠敬旧宅から桶橋(ジャージャー橋)を渡ると

正面に伊能忠敬の関係資料が公開されている伊能忠敬記念館がある。

当館は平成9年に完成し、所蔵の伊能忠敬関係資料は

2,342点にも及び平成22年6月29日、国宝に指定された。

https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/

館内に入ると正面にいきなり伊能図とランド・サミットから

見た日本列島の比較地図、写真が展示してあった。

1821年完成の「大日本沿海輿地全図」(東京国立博物館蔵)は

実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに

芸術的な美しさを備えている。

記念館では、忠敬の人生を年代順に追い、その業績の

結晶である伊能図をあますことなく紹介している。

江戸中期の佐原村の人口は5,000人。関東でも有数の村で

江戸天領で、武士は1人も住んでいなかったという。

村政は村民の自治によって決められることが多く,

忠敬は佐原の名主、村方後見を務めていた。

人生50年の時代、忠敬は当時50歳を過ぎ、隠居した第2の人生で

天文学を修学、さらには日本を歩いて測量し、初めて実測沿海図を

完成させる大偉業を成し遂げた。測量に当たっては

富士山などの山々が目標とされ、富士の高さを最初にほぼ

正確に測ったと言われている。忠敬のロマンは

「地球を測りたかった。」だそうだ。

日本地図の歴史や楽しい世界の地図を紹介しているコーナー。

伊能忠敬がつくった伊能図により日本の正確な姿が

紹介された19世紀以前においてヨーロッパの人々は

日本の姿をどのように理解していたのか。

ヨーロッパから見れば極東の地である日本について

様々な憶測やとぼしい地理情報に基づいて描いていた。

見ても楽しく興味深いものがある。

記念館のロビーから見た大きく立派な木造日本家屋。

現在はカフェで使われている。

伊能忠敬をNHK大河ドラマで取り上げてもらおうと

ドラマ化推進協議会が立ち上げたポスターを見つけた。

2018年,没後200年「200年の時空を超えて今蘇る」

そういえば、このポスターを見て、浦和の地でも友人が以前

浦和、川越に縁がある保科正之を大河ドラマで取り上げてもらおうと

運動をしていたが、保科正之の人生が地味だとの理由で

却下されたとのエピソードを思い出した。

記念館から旧宅を望んだ風景。まるで江戸時代へ

タイムスリップしたみたいな一枚だ。


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