羅臼国後展望塔に設置されていた看板。
「北方領土は日本固有の領土です。」
ここ羅臼町から国後島は僅か25㎞しか離れていない。この距離は浦和駅から東京駅位の距離。
実際に島を目で見ると近い!
展望塔に上がる所にある、知床らうす八景に入っている知床望郷展望台。望郷という言葉の中に色々な思いが詰まっているのだろう。
羅臼市街を見下ろす海抜167mの高台にある眺望スポットの羅臼国後展望塔。
展望塔からは港や羅臼岳をはじめとする知床の山々、そして北方領土の国後島まで一望できる。
展望塔の一階では北方領土に関する様々な資料を展示してある。また映像室では羅臼の魅力が詰まった映像が見られる。
それにしても今回の旅、ポイントポイントに「さいしん埼玉県信用金庫」ののぼりが立っていて、地元の歓迎ぶりが伝わってくる。
想定で地元に一億円以上も落としてくれるのだから当然か。
これが展望台から見た国後島。
この島に先住していたアイヌ人はアイヌ語で「クナシル」と呼んでおり、日本語名もロシア語名も国際表記もこれに起源を持っている。
国後島は長さ123㎞に及ぶ細長い島で、沖縄本島より大きく、日本では本土千島を除いて2番目の大きさだ。
因みに一番大きい島は北方領土の一つ、択捉島だ。そして島全体の人口は6801人(2006年)いるらしい。
同じく展望台から見た羅臼の街。羅臼町は世界自然遺産知床に代表される世界有数の自然に囲まれた町で人口は5387人(2016年)。
1960年に森繁久彌が作詞作曲して大ヒットした「知床旅情」の歌は映画の撮影で羅臼町に長期滞在した際に作られ、
最後の日に羅臼の人々の前で「さらば羅臼よ」という曲名で披露された。
北方領土4島の航空写真と知床半島と国後島との方向指示版。
この写真、地図を見てもいかに国後島が北海道に寄り添っているのかが分かる。
目に見る北方領土の歴史のパネル。
1・松前藩の統治と古地図
2・択捉島に日本領土の標柱
3・初の条約―国境の取り決め
4・千島と樺太の交換
5・ソ連の北方領土占領
6・戦後の処理―サンフランシスコ平和条約
7・日ソ平和条約への話し合い
8・交渉は続く
上記のことが書かれている。
国後島泊村祭典の写真
国後島作喜小学校の大運動会(昭和8年)
引き揚げ時の様子。