スミダマンのほのぼの奮戦記

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さいたま市民会館うらわ 写真展

2021-01-21 06:17:34 | ご近所情報

現在の「さいたま市民会館うらわ」は令和3年3月31日をもって閉館となります。

閉館に伴ってご利用いただいたすべての皆様と

たくさんの思い出を育んできた市民会館への感謝の気持ちを込めて

特別展「ありがとう50年・思い出のさいたま市民会館うらわ」が

令和2年12月4日(金)~令和3年3月28日(日)、

1階ロビーにて開催されているので行って来ました。

尚、入場は無料です。

これが1階ロビーの展示風景とついでに外の人工芝の庭。

閉館するにあたって1階のレストランは閉店し、

コロナの緊急事態宣言もあって各会合も少なく

全体的にガランとして寂しい空気が漂っていた。

この展示では開館当時の写真を中心に約35点の懐かしい写真を集めたとの事。

この展示会のパンフレットには「どうぞ会館の最後を皆様で見送ってください。」と。

これを読んで思わずジーンときてしまいました。

それでは展示された写真を紹介しましょう。

昭和44年6月10日 起工式の写真。

今から約51年前です。

杭打ち工事の写真を見ると思ったより敷地が広い。

敷地面積は3,291㎡(約997坪)もあります。

建設中の写真、構造はSRC(鉄骨鉄筋コンクリート造り)、地下1階、地上8階、

延床面積は7,090㎡(約2,148坪)。

その当時としては高層建物と記憶している。

落成記念式典(昭和46年2月11日)の写真。

落成記念イベントとして女子バトンガールが市内をパレードしていたのには驚いた。

入口のテープカットしている人は前さいたま市長・相川宗一氏のお父さんで、

相川曹司・元浦和市長が写っているのは懐かしい。

同じく落成記念式典の模様。

下の写真をよく見ると行進している市民の手には日の丸が。

又、ねじり鉢巻の集団は鳶組合の人達らしい。

昭和40年代にはこんなにも大勢の鳶職人が居たんだ。

そして市民会館の落成が市・市民にとって大きな出来事だったことがわかる。

開館祝賀行事として落成した3日後に各種音楽イベントが行われた。

この当時の演奏している中学生は今64~66歳の高齢者になっていると思うと歴史を感じる。

開館当時の周辺の様子写真3枚。

現在の浦和ロイヤルパインズホテルの所にあった旧浦和市役所・木造庁舎。

この前には映画館、その後ボーリング場があったのを知っている人は少なくなった。

浦和駅西口駅前広場も木造の建物しかなかった。

今は市街地再開発で伊勢丹・コルソのビルに変わった。

さいたま市民会館うらわは市民の文化の向上と福祉の増進を図ることを目的に、

文化活動や集会、催し物などの場として50年間の長きにわたり愛用されてきた。

この会館で行われた各イベントの写真。

写真もカラーに変わっている。

TV笑点で御馴染みの落語家・春風亭昇太、林家たい平、三遊亭好楽の独奏会も行われた。

閉館後、いずれ解体されるであろう市民会館の雄姿を写真に収めておこうと

外に出てシャッターを押した。

個人的にも当会館での想い出は尽きないほどある。

30歳で入会した某会議所の理事会で入会承認が決まるまで

1階ロビーで5人の仲間と待っていたこと、

長唄の会で浴衣ざらいを和室でやったこと、

会社の安全大会をクーラーがあまり効かない部屋で汗をかきかきやったこと、

最近では浦和地区の安管法定講習会を年4回大ホールで実施したこと等々、

書き出したらキリがない程の想い出がここには詰まっている。

外の庭の一角には相川曹司その当時の市長が書いた浦和市民憲章の碑がある。

あれから50年、今年さいたま市が誕生して20年目の節目の年に

新たに「さいたま市民憲章」を秋に向けて作ろうとしているのも

歴史の因縁、巡り合わせを感じる。

スミダマンのブログ~その461~(2020-3-16付)でアップした市民会館うらわレストランも

すっかり空っぽになって兵どもが夢の跡といった感じで惜別の情を感じる。

 

 

 

尚、市民会館うらわは、いつ始まるかわからない浦和駅西口南高砂地区

第一種市街地再開発事業で整備する複合施設へ移転することを予定している。

 

 


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