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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和駅西口再開発事業エリアの記録写真

2021-07-24 06:26:57 | ご近所情報

街の風景として、あそこにあんなお店があって、その隣りにはこんなお店があった。

あの通りは雰囲気があってよかったよナー。

といった記憶が再開発による解体によって記憶までもが消えてしまい、

あのお店はどの辺だったかな?といったもどかしい経験は誰にでもあると思います。

今回、浦和駅前の最後の再開発予定地も最近かなり動きが出てきたようで、

いずれ今の街並みは消えていく運命。

その前に写真で記録として残しておくことが数十年先に貴重になると感じ、

テクテク歩きながら写真に収めてきました。

それによるとこのエリアには「旨い店シリーズ」と

「隠れた名店シリーズ」に掲載したお店が20軒もありました。

その中には、このお店はこれを機にどうするのだろうという気になる店がいくつもある。

今回の対象エリアは駅の南側の地区(南高砂地区)で約1.8haの施工区域がある。

ここにご覧のような建物が計画されていて商業・業務・公共公益施設(市民会館うらわ)・

共同住宅(約506戸)・駐車場が予定されている。

RC造・SRC造・S造の地上27階・地下2階、延床面積は約3万坪だ。

まずは田島大牧線(最近旧中山道からR17号までの拡幅道が開通した)。

通称・日の出通りに架かった歩道橋からスタートだ。

左側には超高層マンションのコスタタワー。

この路地の右角には中国からの料理人が頑張っている「天天香」(2013-5-15付~その89~)がある。

このABCビルの左1階には、日の出通りの拡幅によって東口から西口へ移ってきた

「栄寿司」(2019-5-25付~その430~)が入居している。

この通りから左側が再開発対象エリア。

右側の朝日生命ビルは残る。

ここには短い期間であったが会員制倶楽部で昼はホテルカレーが食べられた

「浦和倶楽部」(2017-8-31付~その342~)がある。

前の天天香の道を進むと右側に「スナック 信ちゃん」。

ここのオーナーは県の飲食業組合の会長を務めていたその道の有名人だ。

左側角には「和食の飃(つむじ)」(2013-11-16付~その117~)がある。

先日アップしたばかりの「嬢々苑」(2021-6-30付~その543~)が入居している。

ビルの1階には昔よく通った「PUB マダムローラン」と

2階にスペイン料理の「シェフ・デ・ブッシュ」(2013-1-11付~その76~)がある。

その隣りには評判が高いイタリアンレストランの

「アランチャ・デルソル」(2013-3-27付~その82~)の一軒家がある。

玄関前にあるシンボルツリーの大きなみかんの木も切られてしまうのか。

その先には建物全体が緑で覆われている

「かき氷の蔦」(2014-9-5付~その174~)がある。

この日もそうだが、暑い日はいつも長蛇の列ができる人気店だ。

こちらの商店街通りには書道用具の老舗・鵞毛堂、クリニックなど古いお店が並んでいる。

その通りにあるこのビルは半地下に焼肉では浦和エリア評価1・2の

「伽倻の家」(2016-6-21付~その288~)、

2階には寿司店の「とと浜」(2018-5-2付~その380~)がある。

路地が多いエリアの中に、ひときわ狭く

人がすれ違うのがやっとの道の向こうに超高層マンションが。

この建物の落差は半端ではない。

この賑わいのある商店街の中でも、この角の「鶏そば 一瑳」

(2011-4-21付、2021-1-16付~その15~、15-Ⅱ)は

いつ見てもウエイティング客のない日はない程の人気店で

食べログで絶えずNo1をキープしている。

この人気ラーメン店を右に曲がった通りがパチンコ屋(MiRi)のある通りに出る。

もう一本、西側の路地が再開発の西端にあたる。

この反対側はワシントンホテルだ。

今までは、いかにも路地街の町であったが、こちらは表側・県庁通り。

駅そばの「bagの店あぶらや」と「浦和菓匠 花見」(隠れた名店2018-8-29付~その10~)だ。

花見さんの社長がこの再開発組合の理事長を務めている。

やはりこちらの商店街も県庁通りに面している。

浦和コルソの向かい側だ。

ここには「らーめんのなかじま」(2013-10-5付~その110~)と

「牛丼の松屋」(2015-8-21付~その226~)がある。

今回の再開発エリアで唯一の銀行・三菱UFJ信託銀行・浦和支店。

銀行の移転はそう簡単ではなく大変だ。

この辺りもごちゃごちゃして写真で残しておかないと

記憶ではわからなくなってしまいそうなエリアだ。

この路地もすごく懐かしい道でスミダマンの同級生がやっている

「ちゃんこ 市川本店」(2015-7-30付、2018-4-7付~その82、82-Ⅱ~)と

ハイレベルの和風居酒屋「くら川」(2014-10-23付~その183~)。

この通りもよく歩いた道だ。

今はかなりさびれた雰囲気で店がいくつも変わっては消え、

再開発の時間の経過に翻弄された人も大勢いたことでしょう。

今まで何本もの路地とお店を紹介してきたが、

なんといってもこの通りが一番思い出深い通りと店がある。

特に「やき鳥の南蛮亭」(2011-4-23、2017-10-15付~その16、16-Ⅱ~)は

48年間通り続けた青春の名店で、このコロナ禍で長期間閉店していて、

幾度となく食べたい症候群が襲ってきている。

また、隣りの「美家古鮨」(2011-6-10付~その25~)も

先代が当社ビルに昭和30年代・柳橋から分店独立し、

現在の2代目の時代、スミダマンがここを斡旋したといういきさつがある。

ほかに「りゅうらーめん」(2014-5-8付~その152~)、

「カルニチン堂」(2015-2-17付~その198~)もある。

2階の「庄や」では、よく歓送迎会をやったものだ。

 

 

 

ここに紹介した皆様は今再開発プラス・コロナ禍というダブルの荒波にもまれ、

本当に苦労している事と拝察いたします。


どんぐり山 感謝状贈呈式

2021-07-03 06:45:49 | ご近所情報

当社から撮った通称どんぐり山児童遊園地。

このどんぐり山の自然についてスミダマンのブログでは今まで3回アップしてきた。

2012年11月20日付「どんぐり山の紅葉」

2014年5月1日付「どんぐり山に春が来た」

2020年4月24日付「どんぐり山の八重桜」

このどんぐり山に今年久し振りにスポットライトが当たり、

第4回目の報告ブログとなった。

どんぐり山公園は前地三丁目自治会が管理をしていて、永らく自然のなせるまま樹木が成長し、

特にクヌギの木は大木に育ち毎年私たちの目を楽しませてくれていた。

しかし一方では枝の電線への接触、倒木の危険の可能性、根のアスファルト塗装の浸食、

そして大量の落ち葉によるゴミ問題などマイナス面もあった。

そこで自治会長さんが変わったことを機にどんぐり山に色々手が入った。

このどんぐり山は写真では分かりにくいがこの上段の広場と下段の公園の2段になっており、

ちょうど山地と低地の縁にある。このことが素敵な風景を作り出している。

この土地は地元の有名な地主さんが無償で地域住民の為に提供しており、本当に立派な方だ。

今回の樹木の伐採費用も大金の負担をされたとか。

本当にありがとうございます。

樹木の伐採・剪定後も子供向け、大人向けにアフターケアも情報提供もされており素晴らしい。

・「どんぐりの木は生きています。また枝や葉っぱも出てくるよ!

みんながさんぱつするのとおなじだよ。

すこし時間がかかるけど待っていてね!」どんぐりより。

・「伐採、剪定後の樹木は約3年後に枝葉が再生し、

約10年後に今までの様な状態に戻る見込みです」前地三丁目自治会より。

どんぐり山には春になると知る人ぞ知る、一目見ると夢心地にさせてくれた数本の枝垂桜があった。

まるで滝が流れ落ちるような美しさで人々を魅了していた。

この枝垂れ桜の根が隣のブロック塀を浸食して危険ということで、

一番奥の一番大きな木だけ残してやはり伐採されてしまった。

一市民のエゴといえば否定できないが、身を切られるような非常に残念なことでした。

この公園には我浦和東ロータリークラブの創設の時代に

数々の地域社会貢献事業を行ってきた歴史がある。

その詳細が書かれた看板が長年の風雪で朽ちてしまい、

自治会からの要請により新たに看板を作り変えたのがこれです。

その内容は50年前の昭和46年にしだれ桜、つつじ、れんぎょ、あじさい。

昭和47年水銀灯2灯。

昭和48年、赤マロニエ6本、つつじ100本。

昭和49年アメリカ花ミズキ12本、昭和50年藤棚2基を寄贈していた。

今回、新看板作成と合わせてご覧のような白いベンチ4基も寄贈させていただいた。

土と緑の中でとても目立つお洒落なベンチで大いに利用されればと願っています。

この一連の事業に対して過日(6月5日(土))に前地3丁目自治会さんより

浦和東ロータリークラブに対しての感謝状の贈呈式が行われた。

下の写真は自治会長さんより東ロータリー会長への感謝状授与の光景。

当日はこの公園の提供者の地主様も参加してくれた。

後日、どんぐり山公園の掲示板にはこの日の報告と写真が掲示されているのを発見し、

改めて「良いことをして皆様に喜ばれたこと」が伝わってきた。


さいたま子ども食堂

2021-06-26 06:47:52 | ご近所情報

昨日の「こどもフリーマーケット」のブログで紹介したNPO法人「このまちで暮らす会」の

代表理事の方から紹介推薦を受けた子供食堂が今回の「さいたま子ども食堂」です。

実は当社スミダ工業(株)の3つの経営目標の1つに

「社会に役立ち 地域の信頼を得よう」という目標があります。

この具体的な表現として数年前から

埼玉県の「川の国応援団」(2020-5-26付、2021-6-7付ブログ参照)及び

さいたま市の「ロード・サポート・ボランティア事業」(2020-1-6付ブログ参照)に参加してきました。

さらに浦和東ロータリークラブが支援をした

「子ども食堂開所式」(2019-3-16付ブログ参照)に刺激を受けて

今年度の会社方針の1つに子ども食堂の支援を掲げ、調査してきた結果、

こちらのこども食堂にたどり着いたというのが事の経緯であります。

さいたま子ども食堂(さいたま市緑区原山3-20-9、TEL048-789-7340)は

藍建築工房(株)・古民家カフェ藍の代表である

本間香さんが代表をされており始めて5年になるそうです。

また、こども食堂の埼玉県全体のネットワーク、

一般社団法人埼玉県こども食堂ネットワークの代表をも務めているたいへんな方であります。

https://saitama-kodomoshokudou-network.org/

本間代表曰く、「埼玉県内には現在133ヶ所のこども食堂があり、

全国で一番多く、活発で熱心な県です。」との事。

ということは埼玉県の代表を務めている本間さんは

日本一のこども食堂の実践者ということになります。

そのことがこの日の活動を通じて実感することができました。

現在ほとんどのこども食堂はコロナ禍の中で子供達、その親御さんと一緒に食事をする

あるいは活動をすることは感染防止の観点からできなくなっています。

そこで食事のサポートはお弁当をはじめ、さまざまな支援物資の配布に

サポートの支援が変わらざるを得ないのが現状だそうです。

当食堂もこの日のように2週に一回、土曜日15:00~お弁当の配布に変えたそうだ。

古民家カフェ内部はこのように陶器の販売をはじめ、レストランをやっているようだ。

写真を撮り忘れてしまったが、ランチのメニュー看板が置かれてあった。

次の機会は浦和エリアの旨い店取材として一度食べに来てみよう。

こちらは建築関係の仕事もやっているゆえ、その事務所にもなっていた。

写真を撮ってしまって申し訳ございませんでした。

いよいよお弁当作りの準備が始まった。

この日は100個のお弁当作りだそうだ。

後程一段落して参加者の自己紹介でわかったことだが、

この女性ボランティアの方々は明治安田生命の方々であった。

実は偶然だが、数日前に明治安田生命の所長さんが来社し、

「食材を子ども食堂に寄付するフードドライブ活動」をスタートしたので

協力してくれないかとのお願いがあった。

こども応援ネットワーク埼玉(埼玉県)と埼玉県子ども食堂ネットワーク(代表:本間香)との

連携との話で、数日後に本間代表と会うことになっていると話したらビックリされていた。

因みに明治安田生命が展開している「地元の元気プロジェクト」理念に基づく活動だそうだ。

当社としてもこの日のボランティアのお手伝いに

この事業に共感してくれた女子社員2名が参加した。

胸にはファーストネーム、愛称の名札を付け

初めて会った人との垣根がなくなるよう工夫もされ感心した。

狭い台所で懸命に料理を作っていた赤いシャツの方が代表の本間さん。

隣りの若い男性は代表の息子さんだそうだ。

とにかく本間代表のパワーはすごいこと。

後程紹介する牛のテールシチューを作るのにほとんど徹夜だったとか。

彼女の生い立ちを聞いてその生き様の凄さ、前向きさ、明るさに感銘を受けた。

この日は差し入れのお米が古米だったのでパエリアにしてそれを皆で仕上げていった。

現在こちらの活動は広く地域、企業、団体などに賛同が広がり、

さまざまな食材の無料提供があるとのこと。

この野菜もしかり、この日のメイン料理の牛テールもまるまる尻尾ごと提供があったとの事だ。

そしてお弁当と同時に配られた、山形つや姫5kg、たんぽぽコーヒー、

駄菓子、バナナ、傘カバー、ベルンのチョコミルフィーユ、サッポロ製麺の冷凍麺など

その種類、数の多さにビックリだ。

この日で第207回目、午後3時を過ぎるとボチボチと親子で受け取りに来た。

お弁当は事前の申し込みになっているようで代表からお弁当の種類と個数の指示がある。

代表の話ではシングルマザーの家庭は1/3程、

最近はコロナの影響で川口方面から外国人家族の方も来るとの事。

近くの人もいれば遠くから来る人もいるが、お弁当を受け取る時の表情は皆明るい。

これがこの日配られた北欧産手長エビメインのパエリアと

ケンタッキー・フライド・チキン提供のチキンパエリア、それに子供用のパエリアの3種。

子ども0円、大人500円。

お手伝いした私達にもあみやげとしていただいたが、

これがすごく美味しく、愛情をたっぷりと感じた。

こちらがこの日のメイン牛のテールシチュー。

皆、事前に言われていたらしく鍋持参で代表はこのシチューの説明をしながら、

大きなテールを豪快に鍋によそっていた。

この大きな鍋を2つ完成するのに明け方までかかったと屈託のない笑顔で言っていた。

すごい、すごい!!

浦和レッズも子ども食堂の活動を応援しているそうだ。

先日もゴールキーパーの西川選手も来てくれたと言っていた。

 

 

 

尚、子ども食堂では国連が提唱している持続可能な開発目標『SDGs』目標17項目のうち

8項目(1、貧困をなくそう 2、飢餓をゼロに 3、すべての人に健康と福祉を

4、質の高い教育をみんなに 8、働きがいも経済成長も

11、住み続けられるまちづくりを 12、つくる責任、つかう責任

17、パートナーシップで目標を達成しよう)に関わる活動をしています。

 

 

本間香代表は言っています。

「地域の中に一人ぼっちの子がいて、おなかをすかした子がいて、

働くことにちょっと疲れたママがいて・・・

何か私にできないか?と考えた人たちが子ども食堂を始めています。

子ども食堂の一番のだいご味は[絆]です。

地域とつながる、子供とつながる、企業とつながる・・・

子ども食堂運営者はたくさんのつながり、絆を大切にしています。

そこには、笑顔と元気と勇気があふれています。」


浦和消化器内視鏡クリニック オープン

2021-06-14 06:31:43 | ご近所情報

浦和駅東口の近くにある当社のビル、スミダワン本館2階に

和食レストラン「夢庵」の後を受けて6月1日(火)に浦和消化器内視鏡クリニックが新規開院した。

https://urawa-endoscopy.jp/

TEL 0120-36-7149

開院の2日前の5月30日(日)に医院の設備等を見学することができる

見学会が行われるということで訪院してきた。

入口の所には数多くの祝花が飾られ、

その中に当社としても開院祝のお花を贈呈させていただいた。

尚、当院の姉妹クリニックとして東京北千住の「千住・胃と腸のクリニック」がある。

当院は内視鏡検査と腹部エコー検査の専門クリニックで、

院長さんはこれまで新東京病院消化器内科・副部長、

うらわ共済病院消化器内科・部長を歴任し、

多くの患者様を診察し、多くの内視鏡検査を行ってきた先生だ。

他にも5名の医師の先生方が勤務されている。

当クリニックの特徴は大きく3つ。

1、経験豊富な専門の医師による静脈麻酔を使用した

痛みの少ない内視鏡検査を目指している

2、胃・大腸の同日内視鏡検査および、大腸ポリープ切除可

3、新型コロナウイルス対策

(強制換気システムおよび深紫外線LEDを搭載した空気除菌装置の導入、

院内の定期的アルコール消毒)

そしてビジネスマンの現役世代にありがたいのが土・日も

検査・診察をしていることではないだろうか。

院長曰く「特に炎症性腸疾患(以下、IBD)の方は、

腸の炎症のため検査中に痛みを感じやすい傾向があります。

内視鏡検査の際は、常に苦痛なく検査を受けて頂けるよう様々な工夫をしてきました。

また、胃カメラや大腸カメラの内視鏡より長いスコープを使用する

「小腸内視鏡検査」も多数経験しており、よりスマートな内視鏡挿入法を体得しています。

過去に検査がつらいと感じられた方も、初めて内視鏡の検査を受ける方にも、

不安や苦痛なく検査を受けて頂けるよう、丁寧な診療を心掛けております。」

これは自動精算機。

診察券のバーコードをかざすと精算できる。

今や精算は機械が中心になってきた。

姉妹クリニック「千住・胃と腸のクリニック」の

膵臓がん早期発見のための超音波内視鏡検査のポスター。

当浦和消化器内視鏡クリニックのモットーは

「検査を躊躇わないでください。

責任世代~シニア世代までの多くの人々を

胃癌・大腸癌から守ることが内視鏡医の使命と考えています。

我々が丁寧に診察・検査をさせていただきます。」

久し振りのスミダワン本館。

コロナの影響をまともに受けている6階のカラオケ店「DAM」の営業が

7月からカラオケ大手の「カラオケBanBan」に変わります。

当店はカラオケ事業から撤退したシダックスの営業を全国ほとんど受け継いでいる。

 


羽田空港 新飛行経路の運用状況 PARTⅢ

2021-05-19 06:18:32 | ご近所情報

(2019-2-16付ブログ、2020-2-1付ブログ参照)

ちょっと前(たしか3月頃)に「さいたま市民の皆さまへ」と題して

国土交通省から「羽田空港のこれから 羽田空港 新飛行経路の運用状況のお知らせ」の

チラシがポスティングされていた。

それによると

今般、夏ダイヤの運用実績がとりまとまったことから、

新飛行経路の運用実績や国の取り組みなどについてのお知らせをしますとの事。

新飛行経路は2020年3月29日から運用を開始しています。

開始後、各地で騒音測定を行い、その結果の分析を行っております。

又、航空会社や新飛行経路を実際に運航したパイロットからヒアリングを行い、

安全上問題なく運航ができていることを確認しております。

※最近の運用報告(運航便数や騒音・部品欠落等の情報)はホームページからご確認下さい。

羽田空港のこれから 検索

◎新飛行経路と1時間当たりの運行予定便数

南風時(年間約4割)

運用時間 15時~19時(うち3時間程度)

浦和上空 A滑走路への着陸 14便程度/時

川口上空 C滑走路への着陸 30便程度/時

約6,000ft(1,800m)未満の経路を記載

◎騒音について

さいたま市内でも常時騒音測定を行っている。

低騒音機の導入促進などの騒音対策を講じている。

◎落下物について

確認された落下物は0件(2020年11月30日まで)

国が定めた落下物防止対策の航空会社への義務付けや、

国の職員による機体チェックなどの落下物対策を講じています。

(運用報告)

新型コロナウイルスの影響により減便が続いています。

南風時の新飛行経路の運行便数は5月には予定していた便数の約23%でしたが、

10月は約58%となっております。

◎さいたま市の騒音の状況

運用開始から10月までの騒音測定結果(実測値の平均)

さいたま市立岸町公民館(A着陸 好天時)、推計平均値(3月29日~10月)

大型機66~65㏈、中型機62~58㏈、小型機63~56㏈

さいたま市立岸町公民館(A着陸 悪天時)、推計平均値(3月29日~10月)

大型機70㏈、中型機66~64㏈、小型機67~63㏈

◎航跡について

全体的に想定航路の範囲内を飛行しております。

◎航空会社・パイロットへのヒアリング結果

6月~9月にかけて新飛行経路を運航したパイロットと意見交換を行いました。

・新飛行経路での着陸は現在のところ問題なく実施できている

・気温が高い夏場は航空機の実際の高度が計器上の高度より高くなるが、

3.45度を超える降下角で進入後、

3度で着陸する2段階の進入も用意されており、問題なく着陸できている。

(騒音・落下物対策などの取り組みについて)

騒音対策8項目、落下物対策7項目について取り組んでいる。

◎運用開始後、市民からの意見

・落下物防止対策を強化してほしい

・航空機の部品をしっかりとチェックしてほしい

・騒音の測定地点を増やしてほしい

・新飛行経路の固定化の回避に向けて取り組んでほしい

(情報公開について)

◎羽田空港のこれから

http://www.mlit.go.jp/koku/haneda/

◎羽田空港飛行コース

https://www.ntrack.mlit.go.jp/NtrackTop/show

(インフォメーション)

◎HANEDA GLOBAL WINGSに羽田空港跡地が生まれ変わりました。

HANEDA GLOBAL WINGS第1ゾーンでは2020年9月18日に

「文化産業と先端産業の融合」をコンセプトとした

「HANEDA INNOVATION CITY」が本格稼働しました。

第2ゾーンでは13,000坪に及ぶ大規模複合施設の「羽田エアポートガーデン」を整備(開業日未定)。

羽田空港跡地で「未来に向けて羽ばたくまちづくり」が推進されています。

◎羽田空港は物流拠点としての役割を担っています。

◎羽田空港では約5万7千人の方が働いています。

 

 

 

この件に関してのお問い合わせは

TEL 0570-001-596

国土交通省

受付時間 7:00~20:00(土・日・祝含む)

自宅から撮った飛行機だが、どうしても対比するものが撮れなくて大きさがわかりずらい。

いずれにしてもこの航路を飛び出して、最初は物珍しく、

騒音も少し気になったが、今はすっかり慣れてしまった。

あとは事故が起きないことを祈るのみだ。

 

 

 


田島大牧線太田窪工区ーⅡ

2021-03-13 06:42:22 | ご近所情報

田島大牧線太田窪工区(前地-産業道路太田窪交差点)に関して、

2016年1月15日付ブログで第一回目の情報提供をした。

その時のスケジュールによると完成予定は平成32年とある。

昨年が完成の予定だった。

そしてその時の感想は「まだあと5年もかかる」とブログには書かれてあった。

そして先日、都市計画道路田島大牧線の工事説明会の案内が

さいたま市建設局・南部建設事務所・道路建設課より届いた。

それによると現在令和7年3月末の使用開始を目指して工事を進めているとの事。

それは当初の計画より4年遅れているということになる。

令和3年度発注工事では現道の車線切替えを行うにあたり、

地元関係者の方々に工事概要及び事業進捗の説明を行うべきのところですが、

新型コロナウイルス感染防止の視点から資料の配布をもって

工事説明会に代えさせて頂くとのことでした。

この資料によると令和2年度は日の出通り北工区の道路工事は地盤改良・雨水貯留の工事、

令和3年度になると北工区は道路改良・道路切換(令和4年いっぱい)、

又、南工区は令和4年は地盤改良・雨水貯留、

令和5年になって北工区は地盤改良、南工区は道路改良・道路切換、

そして令和5年いっぱい道路改良工事をやって完成というスケジュールに変わっている。

この資料を見ると新しい信号機の位置が書かれており、従来より内容がより具体的にわかってきた。

それによると藤右衛門暗渠の一方通行の通りは押しボタン式信号のようだ。

市の資材置場ライオンズマンションの交差点には信号がつく。

令和2年10月中旬頃から令和3年3月12日頃まで下水道管の新設工事を行っている現場の光景。

中を覗いてみると通常ではわからない地下部分で大工事が行われているのがうかがいしれる。

隣りの工区で令和3年3月19日まで行われる地盤改良及び雨水貯留設置工事。

軟弱地盤改良とは将来車道の地盤を固める工事。

雨水貯留設置工事とは雨水流出抑制対策施設で

降雨時の道路排水を貯めるために雨水貯留施設を設置する工事。

ここに立てかけてあるもう一つの看板が市民にアピールしてくる。

「ウイルスに負けない!!Don't give up! We are one!」

 


昼の別所沼公園-Ⅱ

2021-02-26 06:39:51 | ご近所情報

2014-10-9付で早朝の別所沼公園のブログを書いたが、

コロナ渦の緊急事態宣言下でかなりストレスも蓄積し、

すっかり運動不足になっているので久し振りに別所沼公園を散策してみた。

これが別所沼公園の案内図。

別所沼の周りを一周している赤いコースがトリムコースで

真剣に歩いて15分程度かかるカッコウの散歩コースだ。

この公園の歴史は大正15年、深川の小島長次郎が私財を投じて沼の周囲を買い、

周辺に桜や藤棚などを植え、野球場やプールなどを造った。

この遊観地を昭和園と名付け、大変な賑わいであったという。

昭和26年、旧浦和市が荒れていた昭和園を買い取り、

別所沼公園と改称して都市公園として整備を始めたが市の財政悪化にともない

昭和31年に埼玉県へ寄付する形で移管した。

その後、平成13年、さいたま市の合併により公園の管理権が埼玉県から市へ。

平成15年、さいたま市政令指定都市移行を記念して所有権もさいたま市に移管(事実上の返還)された。

別所沼は大宮台地が浸食されてできた谷底低地から湧き出した水が溜まり

沼になったものと考えられている。

公園全体は約8万㎡あり、市街地に大規模な公園の少ないさいたま市内では貴重かつ人気の高い公園だ。

沼の周囲の公園にはラクウショウ(沼杉)約500本、メタセコイア(曙杉)約300本が植えられ、

ご覧のようにウォーキング、ランニングコースをはさみ、素晴らしい景観を作り上げている。

弁財天に行く入口には今は亡き、やなせたかし作の浦和のうなこちゃんのミニ石像が。

一時前この像が行方不明になり話題になったことがあった。

かつてはここ別所沼でウナギも棲息し、うなぎが浦和宿の名物となった。

関東大震災後、浦和画家と呼ばれる文化人や医師、官僚などが沼の周囲に多数移り住み、

浦和など代表される文教都市浦和としての礎を築いたエリアがここの地域だ。

その為、現在でも周囲の常盤や別所は首都圏でも屈指の高級住宅街となっている。

落羽松がある周囲を巡るこの島は古くから弁天島と呼ばれるように「別所沼弁財天」が奉祀されている。

昭和2年この島を構築した小島長次郎によって東京・深川の洲崎神社から分祀された。

その後、昭和40年に氏子・有志により覆屋・向拝官を改築、手水舎も建立し、現在に至っている。

その手水舎も今、新型コロナで使えなくなっている。

詩詩「四季」を舞台に活躍した詩人・立原道造は卒業設計で辰野賞を受賞し、

卒業論文や評論などで豊かな思惟を表現した建築家として知られている。

1937年、東京帝国大学卒業、その翌々年に24歳の若さで病に倒れるが、

亡くなる数年前から自らの独居住宅をこの別所沼畔に建てようと試案を重ね

「風信子荘(ヒヤシンスハウス)」と名付けていました。

残念ながら実現しなかったこの建物を彼を私淑する詩人や建築家たちの呼びかけで

建設しようという市民運動が盛り上がり、2004年秋に詩人の夢は別所沼畔に竣工しました。

別所沼から南へ志木街道を渡る歩道橋は龍がうねるような奇妙な姿で造られていてとても目立つ意匠だ。

志木街道に沿ったウォーキングロードの両サイドのメタセコイアの枝は見事に切り落とされ

一本の幹のみが天に延びている異様な空間を造っていた。

この日は晴天の日曜日ということで多くの釣り人が沼に糸を垂れていた。

釣り人の横には古びた注意看板が。

「ブラックバスやブルーギルのリリース(再放流)はやめましょう」と。

以前来た時はこんなカフェ無かったが、ここ「アナーザー プレイス カフェ」以外にも

もう一軒いかにも沼畔に似合う可愛らしいカフェがオープンしていて、別所沼にリゾート性が増えた。

逆に今まで無かったのが不思議な位だが。

真っすぐ天に伸びたメタセコイアの並木のウォーキングコースはやはり絵になりますネー。

最後の〆の一枚としてベンチの所にさりげなくかけられた動物のお人形さん。

なんとなくポエム・・・。


天王川コミュニティ緑道とジョギングコース

2021-02-22 06:45:37 | ご近所情報

第2回目の緊急事態宣言発令の中、運動不足解消の為快晴の中、かなり遠距離のウォーキングにトライしてみた。

我が家から約5分程度の「本太坂下交差点」。

ここはR463号線と旧越谷街道などが合流する6差路。

それぞれ各道路の交通量も多く、この交差点は渡りにくい。

そして目に飛び込んできたのが昨年浦和東RC50周年記念でリニューアルした交通安全標語塔

「無理するな 青に変わらぬ 赤はない」

近くの市立原山中学校生徒の作品で浦和警察署長賞を授与された(2020-3-24付ブログ参照)。

この本太坂下交差点の近くからかなり長い遊歩道

(元町緑道天王川コミュニティ道 天王川遊歩道・緑の散歩みちる)が始まる。

このスタート地点は駒場運動公園ルートで途中に距離表示がされている。

ジョギングコースと書かれている通り、ジョギングを楽しんでいる人々が通り抜けていった。

ここからは遊歩道の名称が変わり天王川コミュニティ緑道(510m)になった。

この緑道もさらに緑のゾーンと水と緑のゾーンの3つにゾーニングされている。

そして鉄柱には文化の小径マップコースと書かれてあった。

いずれにしても天王川という小さな河川の暗渠であることに変わりがない。

そしてこの遊歩道は1998年に彩の国さいたま景観賞を取っているらしい。

大宮台地南部には「針の先端のように台地に入り込む浸食谷」がある。

天王川は長い浸食谷の北端、上木崎あたりから始まり、針ヶ谷と領家の間を進み細い谷を流れ、

駒場と本太の境あたりで別の谷から水路(神花川・暗渠)と合流し藤右衛門川(暗渠)となる。

そして川口市で一級河川芝川に合流する。

天王川の名は夏に流行る疫病を封じる「牛頭天王」からきているとされている。

昭和初期まではフナやドジョウ、ウナギも捕れたという天王川。

大雨が降ると洪水になることもあった。

現在は暗渠となり天王川遊歩道(一部天王コミュニティ緑道)として

多くの人がウォーキングを楽しむ道となっている。

このゾーンの歩道にはご覧のような鯉(?)が泳いでいるような造りがいくつもあった。

こんなちょっとしたアイディアで遊歩道も豊かになりますネ。

しばらく歩いていくとかなり広い公園に出てきました。

元町東公園です。

このエリアは高級住宅地なのによくこんな広い公園が取れましたネ。

何かの跡地だったのかしら?

快晴な空、心地よい陽気の中、テクテク散歩は続きます。

遊歩道を歩き始めてから約25分が経ちました。

遊歩道には春到来を感じさせる紅梅も咲いていました。

今度は領家二丁目公園の前を通過。

この公園の開園は平成2年4月だそうで、その当時の市長は中川健吉氏。

2時代前のイメージです。

ここで歩きながら発見した珍百景的なものを2つアップしてみました。

1つはかなり急な下り坂、オレンジ色の三角が5つ、道路に書かれていました。

急坂ですヨ!という表示だろうが、あまり見ませんよネ。

2つ目はマンションの綺麗に刈られたサザンカの生け垣の所にあった標識

「駐車禁止 消防車用空地」これも初めて見ました。

以前、消防車でトラブルがあったのですかネ?


旧制浦高・浦中・埼玉師範跡地

2021-02-16 08:38:31 | ご近所情報

旧浦和市は昔から教育意識が高く、それを具体的に体現した名門の学校が戦前からいくつかあった。

今回はその跡地を訪ねてみて往時を振り返ってみた。

北浦和駅西口から数分の所に県立北浦和公園がある。

ここは1974年(昭和49年)に市立浦和北公園とともに開園された。

その県立公園の東側に旧制浦和高等学校時代の正門が当時のまま保存されている。

この正門は同校の姿を今に伝える唯一の構築物だ。

公園内には旧制浦高の当時の貴重な写真が掲示された記念板が設置されてあった。

旧制浦和高等学校は大正10年に埼玉県北足立郡浦和町に設立された官立旧制高等学校で

全国で第20番目の設立になる。

敷地は2万坪もあり寄付されたもの。

昭和20年5月、米軍の空襲で講堂と本館は焼失した。

昭和22年、旧制高の廃止により、昭和25年3月に最後の卒業生(第26回)を送り出した。

当時の学校の周りはクヌギ林とサツマイモ畑の続く自然環境の豊かな所でした。

多感な学生たちは、このような環境の中で勉学に励み、多くの本を読み、議論し、

スポーツや芸術にいそしみ青春を謳歌したといいます。

白線の入った学帽にマント姿の学生たちは、ほうば下駄を履き浦和の街を闊歩したそうです。

昭和47年11月12日に旧制浦和高等学校同窓会によって建立されたモニュメント。

彫刻道標は柳原義達氏、碑文は今日出海氏、書は長谷川成二氏と書かれてある。

その建立趣意の一節は「この地はわれらの魂のふるさと旧制浦和高等学校のあったところである

開校50周年の記念日にあたり、われらの青春多感の三星霜を追憶し、

はるかなる未来に向かって心から賛歌を捧げる」

当校は東京帝大への進学率は一高についで第2位の位置を占めていた。

ここで5,418名の卒業生の名から名を成した方々をご紹介いたします。

文化人として金田一春彦(言語学者)、今日出海(小説初代文化庁長官)、武田泰淳(小説家)、

先日亡くなった半藤一利(作家)、福田恒存(翻訳家)、三木鶏郎(作曲家)、諸井三郎(作曲家)。

政治家として伊東正義(外務大臣)、沢田悌(公取委員長)、髙木文雄(大蔵次官・国鉄総裁)、

田中龍夫(田中義一の長男、通産・文部大臣)、畑和(埼玉県知事)、

原文兵衛(参議院議長、警視総監)、渥美健夫(鹿島建設名誉会長)、石原俊(日産自動車会長)、

飛島斉(飛島建設社長)、原島保(日本セメント社長)、

諸井虔(太平洋セメント・秩父セメント社長、日経連副会長、スミダマンのお仲人)、

山下勇(JR東日本初代会長、三井造船社長)等々。

このように素晴らしい人材を世に輩出し、戦後日本の復興と繁栄に貢献された。

明治28年6月18日に設立された埼玉県第一尋常中学校は旧制浦和中学となり、

明治29年、浦和町鹿島台(現・常盤)に校舎を竣工した。

現在の埼玉県知事公館、浦和警察署のあたりである。

この記念碑は創立100周年を迎えた平成7年10月5日に発祥の地に建立された。

現在の浦高の地・領家には昭和12年に移転した。

名門・浦和高校は東京大学への平成累計合格者数1,069名で公立校として全国1位になっている。

本高(本中)の卒業生としては先日逝去した相川宗一浦和市長・さいたま市長、

井原勇与野市長、新藤享弘大宮市長、岡村幸四郎、奥ノ木信夫川口市長など地元市長をはじめ、

大河原良雄元駐米大使、須之部量三元外務事務次官、駐韓大使、

杉田和博現内閣官房副長官、金子真吾凸版印刷社長、川野幸夫ヤオコー社長、

木村恵司元三菱地所会長、桑原道夫元ダイエー社長、國部毅三井住友銀行頭取、

最近話題になった半沢淳一三菱UFJ銀行(次)頭取、村井満第5代Jリーグチェアマン、

井本元検事総長、天野篤順天堂医院長、画家の街・浦和の高田誠、

渡辺武夫、斉藤三郎、小松崎邦雄など。

佐藤優作家・評論家、タレントの愛川欽也、歌手のタケカワユキヒデ、

若田光一宇宙飛行士など多士済々の人材を世に送り出している。

現在のさいたま市役所入口のロータリーの一角に「埼玉サッカー発祥の地」の碑がある。

埼玉のサッカーは明治41年6月に埼玉師範(現在の埼玉大学)ではじまり、

多くの指導者が浦和を中心に教師として赴任したことにより、普及・発展をとげた。

埼玉師範学校は明治7年6月に設置許可がおり、

明治34年4月にご当地浦和町鯛ヶ港(現在のさいたま市役所)に校舎を新築し移転した。

埼玉師範がサッカー全国大会で初優勝を飾ってから60周年を記念し碑を建立した(平成9年4月)。

 

 


さいたま市民会館うらわ 写真展

2021-01-21 06:17:34 | ご近所情報

現在の「さいたま市民会館うらわ」は令和3年3月31日をもって閉館となります。

閉館に伴ってご利用いただいたすべての皆様と

たくさんの思い出を育んできた市民会館への感謝の気持ちを込めて

特別展「ありがとう50年・思い出のさいたま市民会館うらわ」が

令和2年12月4日(金)~令和3年3月28日(日)、

1階ロビーにて開催されているので行って来ました。

尚、入場は無料です。

これが1階ロビーの展示風景とついでに外の人工芝の庭。

閉館するにあたって1階のレストランは閉店し、

コロナの緊急事態宣言もあって各会合も少なく

全体的にガランとして寂しい空気が漂っていた。

この展示では開館当時の写真を中心に約35点の懐かしい写真を集めたとの事。

この展示会のパンフレットには「どうぞ会館の最後を皆様で見送ってください。」と。

これを読んで思わずジーンときてしまいました。

それでは展示された写真を紹介しましょう。

昭和44年6月10日 起工式の写真。

今から約51年前です。

杭打ち工事の写真を見ると思ったより敷地が広い。

敷地面積は3,291㎡(約997坪)もあります。

建設中の写真、構造はSRC(鉄骨鉄筋コンクリート造り)、地下1階、地上8階、

延床面積は7,090㎡(約2,148坪)。

その当時としては高層建物と記憶している。

落成記念式典(昭和46年2月11日)の写真。

落成記念イベントとして女子バトンガールが市内をパレードしていたのには驚いた。

入口のテープカットしている人は前さいたま市長・相川宗一氏のお父さんで、

相川曹司・元浦和市長が写っているのは懐かしい。

同じく落成記念式典の模様。

下の写真をよく見ると行進している市民の手には日の丸が。

又、ねじり鉢巻の集団は鳶組合の人達らしい。

昭和40年代にはこんなにも大勢の鳶職人が居たんだ。

そして市民会館の落成が市・市民にとって大きな出来事だったことがわかる。

開館祝賀行事として落成した3日後に各種音楽イベントが行われた。

この当時の演奏している中学生は今64~66歳の高齢者になっていると思うと歴史を感じる。

開館当時の周辺の様子写真3枚。

現在の浦和ロイヤルパインズホテルの所にあった旧浦和市役所・木造庁舎。

この前には映画館、その後ボーリング場があったのを知っている人は少なくなった。

浦和駅西口駅前広場も木造の建物しかなかった。

今は市街地再開発で伊勢丹・コルソのビルに変わった。

さいたま市民会館うらわは市民の文化の向上と福祉の増進を図ることを目的に、

文化活動や集会、催し物などの場として50年間の長きにわたり愛用されてきた。

この会館で行われた各イベントの写真。

写真もカラーに変わっている。

TV笑点で御馴染みの落語家・春風亭昇太、林家たい平、三遊亭好楽の独奏会も行われた。

閉館後、いずれ解体されるであろう市民会館の雄姿を写真に収めておこうと

外に出てシャッターを押した。

個人的にも当会館での想い出は尽きないほどある。

30歳で入会した某会議所の理事会で入会承認が決まるまで

1階ロビーで5人の仲間と待っていたこと、

長唄の会で浴衣ざらいを和室でやったこと、

会社の安全大会をクーラーがあまり効かない部屋で汗をかきかきやったこと、

最近では浦和地区の安管法定講習会を年4回大ホールで実施したこと等々、

書き出したらキリがない程の想い出がここには詰まっている。

外の庭の一角には相川曹司その当時の市長が書いた浦和市民憲章の碑がある。

あれから50年、今年さいたま市が誕生して20年目の節目の年に

新たに「さいたま市民憲章」を秋に向けて作ろうとしているのも

歴史の因縁、巡り合わせを感じる。

スミダマンのブログ~その461~(2020-3-16付)でアップした市民会館うらわレストランも

すっかり空っぽになって兵どもが夢の跡といった感じで惜別の情を感じる。

 

 

 

尚、市民会館うらわは、いつ始まるかわからない浦和駅西口南高砂地区

第一種市街地再開発事業で整備する複合施設へ移転することを予定している。