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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ベトナム ホイアンの旅

2016-03-07 07:45:57 | 旅 ~海外

ベトナム国旗は金星紅旗とも呼ばれ、共産主義国家の

象徴したものとなっている。1955年11月30日に制定され

中国の国旗、五星紅旗と類似している

 

ここホイアンはダナンから車で約45分、古い港町で

人口は約12万人

平成11年「ホイアンの古い街並み」として世界文化遺産登録された

ちょうど行った日が偶然月一回の「ホイアンランタン祭」の日だった

街中の店先にはご覧の様な

お供え物が、それぞれの家スタイルで出されていた。

線香のにおいが街中に漂って何ともいえない雰囲気だった

この地域の木には下の方が白く何かが塗ってある

何か聞いてみたら、ネズミ、虫を防ぐ為の漆喰だそうだ

旧正月に塗るそうで、どの木も真新しく目立っていた。

トゥボン川には祭りの為か、小さな舟が沢山出ていたが

その中で、一際目立っていたのがこの船。ベトナム国旗で

満艦飾だ

あしが茂っている中を、優雅に進む観光用の舟

欧米人のカップルが、ゆっくりと景色を見ている光景はポエムだ

舟での見物を終えて、陸に上がる若き女性

笠を被った船頭の姿はこれがベトナムといった風景だ

ホイアンのシンボル「未遠橋(日本橋)」

1593年に日本人が建設したと伝えられる橋

幅3M長さ18Mの中国風の屋根付橋は

2万ドン札の裏側にも印刷されている。

提灯にカタカナが書かれていて、やはりこの橋が日本と縁が深いのがわかる

 

その理由は16世紀末以降、港に日本人が朱印船貿易(約30年間)として来航

大規模な日本人街を形成。江戸幕府の鎖国まで300人から1000人位の

日本人が住んでいたという。

ハッピーニューイヤーの横断幕。ここも中国の影響を

強く受けていて旧正月(春節)の最後にランタン祭を行うらしい。

この様に全ての通りにはランタンが飾られている

尚、ホイアンの街を観光するには世界遺産を守る為か入場料がいる。

ここは中国人街、観光名所、華人のフーンフンの家の2階から

撮った1枚。いかにも古い街並みだ

路上で売られていた切り抜きなどのみあげ物グッズ

あまりにも良くできていたので思わず買ってしまった。

切り抜き絵1ケ300円

こんなベトナム的みあげ物グッズ雑貨店が

古い街並みに数えきれない程、並んでいる。

絹の刺繍、ショールなどを作っている工場を見学した

その場での販売も行っていた。

本当に細かい刺繍を黙々と若い女工さんが

やっている姿は感動的だった

ベトナム人は細かい仕事を忍耐強くすることが得意の様だ

今では日本ではあまり見なくなった、かえったばかりの蚕と

日本では見ない黄いまゆ玉

一緒に行った40代の人が「本物の蚕を初めて見た」

と言ったのには驚いた

日本では絹産業はもう歴史に成ったのか!

ベトナム戦争で英雄になった旧北ベトナム政府初代主席

「ホーチミン」の画像

中国の毛沢東像と同じ様にベトナムには随所にこの画が飾ってあるのを見た

ホイアンで見た典型的な民家

ベトナム人の一般的な生活はPM9:00頃就寝

朝5:00頃起床、昼寝して午後働く

土地は自己所有できるが小さい。車を持っている人は金持ち

家には先祖を祀る祭壇が必ずあるという。

これが有名な民族服の「アオザイ」

18世紀に中国清朝から移入されたチャイナドレスが

起源とか。今のデザインは仏領インドシナ時代に

改良されたもの。現在では女性しかきなくなったとか

私のイメージでは、この写真がベトナム人だ

狭い路地を歩いていたら、大きな声で上手に鳴いている鳥を発見

初めて見た鳥だがなんという鳥だろう?

これまた、初めて見た柑橘系の実。写真では

ちょっとわかりづらいが、とても大きな実だ

2月だというのに鉢植えのコスモスが咲いている

これも日本から来ると珍しい風景に感じてしまう。

完全に日本の立派な菊と同じだ。なかには

花の下に赤いリボンが巻いてある。かなりの家の前に

あったので春節を祝う、日本でいう門松の様なしきたりかもしれない。

1773年に建設された福建系華人の為の会館

「福建会館」

建物の中には仏像が祭られ、中国仏教様式の

金箔色彩が美しい。今でも華僑の人々の憩いの場になっている。

門の両側に風見鶏の立っている

この所にもランタンだ

ここにもよく鳴く鳥がいた。外にいる鳥を撮るのは

非常に難しいが、烏龍の鳥はシャッターチャンスがゆったりとれる

ホイアン郊外で、綺麗に植えられた田んぼ

この周辺には沼みたいな所が沢山あり、ベトナム戦争の時は

ベトコンが水中に潜んでいたとガイドさんが説明をしていた。

この人がガイドのジェムさん。フエ大学で日本語を

勉強したとか。流暢な日本語をしゃべるが、日本へは行ったことがないと言っていた。

ランタン作りの職人さんと作品のランタン

明日はランタン祭を特集アップします。

 


ベトナム・ダナンの旅

2016-03-02 07:44:39 | 旅 ~海外

ベトナム第3の都市、ダナンに行って来た

ダナン市はベトナム中部に位置し、人口約80万人

ハノイ・ホーチミンに次ぐ街だ

このダナン国際空港新ターミナルビルは日本の協力の

元で2011年12月に完成。綺麗になった玄関で観光客を出迎えてくれる

到着は夜だった為、街並の第一印象は暗く持てなかったが

道路は片側3車線と広く古い建物とビルが無秩序に並び

狭い道路を縫うように走ることが多いハノイ、ホーチミン市とは

雰囲気が全く違う。街並みのイルミネーションも

ちょっと古い感じだが、メインストリートに続き、華やかだった。

郊外にそびえ立っている五行山。その名の通り五つの

山が連なってできており、山全体が大理石からできていることから

別名「マーブルマウンテン」と呼ばれている。

一番大きな山までは中腹までエレベーターで昇れる

入場料は1万5000ドン

日本円で約100円

それにしても、ベトナムドンは怖ろしい

桁の数字で、来て何にビックリしたと言えば

この「ドン」の数字だった。とうとう帰るまで

正確に計算する気に成れなかった

これがそこの案内図。各所に寺院が点在し一つの

観光地に成っている

七重塔のような寺に仏像が安置されてある

当然仏像は大理石でできている様だ

この展望台からの眺めは絶景でおススメの場所だ。

下の通りに並んでいるのは石像店

このエリアにはものすごい数の大小石像店が

あったのにはビックリだ

ダナンの特産品の1つ大理石。仏像から

マリア像あるいはインテリア彫刻から小さいものは

大理石玉・ネックレス等宝飾品まで

本当に幅広く売られている

ちょっとした大きさの石像は数十万~数百万もする。

このエリアだけでこんなお店が数10軒はあるだろうか

いったいどんな人が買っていくのだろう?

大きなお店に所狭しと大理石商品が展示してある

それもおびただしい数だ

市内を流れるハン川を挟んで近代的ビルが建てこんでいる中心部

ダナンには訪問外国人が8年間で

4倍近く延び、ここ数年の経済成長率は年10%と

国全体の倍に近い急成長している都市だ

中央政府からの独立ぶりから「ベトナムのシンガポール」

とも呼ばれている。

ハン川に懸かるロン橋。黄色の形をしている為

別名「ドラゴン・ブリッジ」と呼ばれている。

この橋は2013年3月29日のダナン開放記念日に開通した

週末には火や水を噴くという話題の橋だ

ダナンはインフラ整備と観光開発を迅速かつ計画的に進めた

2000年頃から海沿いの土地を海外のホテルに売って

インフラ整備資金と誘致を同時に実現した

得た資金で、道路や住居、橋、公園などをどこに

配置するか当局と住民が話し合い、街のグランドデザインを描いていった。

先頭に立ったのは地元の政治家

故グェン・バー・タイン氏

功績の大きさから「ダナン王」とも呼ばれる地元の

英雄だ。グェン・タン・ズン首相のライバルと目されていたが

昨年2月にガンで61歳の若さで死去した。

市街地の中心にあるCHO HAN市場。

ここには、肉、魚、野菜、果物、衣料から雑貨まで

ありとあらゆるものが売っている

ダナンではスーパーマーケット(ロッテ)は1つしかなく

人気がないと言っていた。

内には美容院まであった。

タイン氏の話に戻るが、氏がまず取り組んだのは

住民との団結、貧困、犯罪、非識字者などの

撲滅と持家促進や都会的生活を目指す

「5ない3ある」運動を提唱し、住民から

街づくりの改革案を公募した。

聞いた範囲では正に理想的なすごい政治家だ

若くして亡くなったのがベトナムにとって本当に惜しまれる

市場を出ると花店が続く、右の白い花輪は仏事に使うものらしい。

さすが南国、ヒマワリとランが入っている。

ガイドさんの話ではベトナムでは10%が仏教徒

1614年に入ってきたキリスト教徒が4.7%

他は社会主義の為か、宗教がない無宗教市民らしい。

フランス統治時代に建てられたダナン大聖堂

ピンク色の外観がとても印象的な教会だ

因みにダナン市は旧南ベトナムでベトナム戦争の時

アメリカ海兵隊が上陸した。1968年の旧正月の

テト攻勢でベトコンと激戦となった。

現在のベトナムの人口は約9000万人だ。

以前行ったホーチミン市内の通りはバイクで溢れ、交差点では

大量のバイクがクロスして走り、目が白黒してビックリしたが

ダナンで行き交うバイクの運転は穏やか

但し車もバイクもクラックションをやたら鳴らすのでうるさい。

ベトナムはまだ共産主義の国だと

いかにも思い起こさせるスローガン看板がポツンポツンと通りにあった。

またまたタイン氏の話になるが、氏はシンガポールをよく研究し

同国の「クリーンandグリーン」政策にならい、ごみを

捨てた人に20万ドン(約1120円)の罰金を科し

通報した人に報償として半額を還元した

そして当初は懐疑的だった住民はインフラ整備

観光客増加など実績が上がるにつれ

タイン氏に協力的になっていった。

 

 

米大手旅行サイト

「トリップアドバイザー」は昨年発売した

世界の魅力的な旅先としてダナンを第1位に選んだ

「清潔、安全で快適」との観光客の評価が多かった

2014年にダナンを訪れた外国人観光客は95万5000人だった

 


慶州の旅  その2

2015-05-30 07:34:13 | 旅 ~海外

世界遺産であり国宝第25号に指定された

「石窟庵」(ソックラム)に行った。

ここは751年、仏国寺付属の庵として吐含山頂上付近に創建された

鐘つき堂の藤の花が満開で、青空と相まって美しい一枚となった

境内の入口の所に、焼栗、野菜などを売っている露店が

ご覧の様に一列に成って店を開いている。

とてものどかな風景だ

石窟庵の山門。晴れた日には境内から日本海が見渡せるそうだ

ここでもお釈迦様の誕生日を祝う提灯が

幾色も無数に飾ってあった。山の中腹に見えるのが本堂

インドや中国の洞窟寺院を模倣し石窟を造り上げた

ここは日本統治時代に日本の郵便配達員が

発見したという逸話があるそうだ

この主室は花崗岩をドーム状に積み上げたもので

当時の技術水準の高さを物語っている。

本尊の釈迦如来座像は花崗岩を彫ったもので

高さ約3.26M。東アジアで屈指の美しさを誇り

韓国の一番の力の強い仏様と言われている。

日本と同じように瓦の寄進をここでも行っていた。

よく見ると、シンガポール、日本、香港、メキシコ

イタリア、アメリカ等世界中の人々がコメントを書いて寄進している

この山にはいたる所にリスが出没

しかも人懐っこくて逃げない。

観光客は見つける度にリスに目を奪われていた。

韓国で最も有名な寺「仏国寺」

勿論、ここは世界遺産だ。国宝が8つもあり

この寺を見れば他の寺を見る必要はないと言われている程だ

吐含山の中腹に建つ仏国寺は535年に創建され

751年に当時の大臣、金大城氏によって再建され

774年に完成された大伽藍の寺だ

入って二番目の「天王門」

ここでも巨大な仁王が邪鬼を踏みつけている

日本ではあまり見ない仁王像だ

石段の下半分が青雲橋、上半分が白雲橋で

その上に構えるのが紫雲門。現在、ここからは入場は不可

紫雲門をくぐることにより

天界へ至るということを表している

石段のなのに橋と呼ばれているのは

俗世と仏の国をつなぐという意味があるという。

四角と八角の複雑な組合せで、絶妙な均衡が

美しさを生み出している多宝塔

本堂の前に2つの塔を配置する様式は唐から

新羅に、そして日本に伝えられたものだ。

木魚らしきもの(?)

梁の所に龍の彫り物 発見

日本も中国もお寺には龍が付き物だ

大伽藍の中央に位置する「大雄殿」

釈迦如来の世界を表す本堂だ

石の穴の向こうにうっすらと見える(見えるかな?)

釈迦如来。これが見えるとご利益があるとか?

これがご本尊様だ

ここでもスーパーガイドさんの李さんの説明は完璧だった

ここは阿弥陀仏の世界を表す「極楽殿」

民族村的な新羅歴史科学館

ここでは陶器をはじめ韓国の民芸品が売られている

ここは有名な青磁器の窯元。その製造工程の説明を受ける

作品に触れて割ってはいけないとヒヤヒヤだった。

そして今でも使われているトンネル窯

気に入らない失敗作はこの様に割って

窯の横に山になって放置してあった。

これが、有名な透かし彫りになっている作品

値段を聞いたらとても手が届く金額ではない。

芸術作品だから当然か

新羅歴史科学館の村内風景

時がゆったりと流れとても良い所だ

 

<ガイドさんから聞いた韓国事情>

・韓国の人は見栄っ張りでベンツが大好き

ガソリンは1ℓ200円から180円に下がった

・釜山のタクシーは初乗り280円、地下鉄は1区間100円

自転車は子供ぐらいしか乗らない

・アカスリには健康の為週一回は韓国の人は行くそうだ

・家に入る時は尻を見せるのは失礼

・食事はおかわりの文化があり、ごはんはテーブルに置いて食べるのがマナー

・子供一人大学を卒業させるのに3000万円はかかる

韓国の3大有名大学はS.K.Y(ソウル大、高麗大、延世大)

・高速道路は非常時の時は軍用機の滑走路になる(直線で3Kmの道がいくつもある)

・ソウルの人は釜山の人に比べて競争が激しい為、厳しい

結婚相手も女性の家庭環境など条件を見る

・引っ越しの時は日本のそばの様にジャージャー麺を食べる

※何かの参考になればとアップしました。


慶州の旅  その1 

2015-05-28 08:09:45 | 旅 ~海外

2日目は釜山からバスで約1時間の歴史の都慶州(キョンジュ)へ行って来た。

慶州の街に入ると風景が一変する。このドライブイン、ガソリンスタンドも

屋根は瓦葺き。1967年に国立公園に成った為、景観に規制がかかっている。

建物はすべて瓦葺きだ。

ドライブインで見かけたチマ.チョゴリを着た女性。

日本でも和服姿が減った様に韓国でもこのチマ.チョゴリを着た女性はほとんど見なかった。

一昔前の韓国女性は若くして早く結婚したそうだが

今は30才過ぎから30才半ば位と結婚が遅くなったとか。

町中の街路樹にこの様な白い花の咲いた並木道がある。

実に爽やかで美しい。

この木は「ヒトツバタゴ」別名ナンジャモンジャノキ。

慶州は紀元前57年から935年まで約千年もの間

新羅の都として一回も都を変わらずに栄えた世界遺産がある町で知られている。

日本で言えば奈良、京都のような町だ。

世界遺産天馬塚(チョンマチョン)に入る門、「大陵苑」。

慶州には新羅の王が56代続いた。

慶州には市内に150基、市外に500基の古墳がある。

将に歴史の魂のような町だ。

韓半島の歴史は約70万年前にさかのぼり、紀元前4世紀頃に

古朝鮮が建国された。そして紀元前1世紀頃に北の高句麗、

西南の百済、東南の新羅、(その真中に文化の国伽倻)の三国が

半島を支配。仏教文化が花開いた。

ソウルの市鳥「カチ」AM中に見ると縁起が良いといわれている鳥だ。

世界遺産「天馬塚」(古墳公園)。5c~6cの築造と考えられている。

7基の王陵を含め、23基の古墳群がある広大な公園。

約1万2000点もの副葬品が発見された古墳で唯一内部が見学できる。

古墳の内部。1970年代に発見された。

下の写真は発見された当時を再現している。

天馬が描かれた白樺のあおり。天馬塚の名称の由来になった絵画である。

出字型と鹿角形立飾りがついた金製外冠(レプリカ)。

新羅の冠飾りを代表す外冠。

新羅の文化遺産を一目で見ることのできる韓国の代表的な博物館

「国立慶州博物館」。1975年現在の地に移転、開館した。

国宝「聖徳大王神鐘」770年代鐘の音が録音され流れていた。

なかなか良いアイディアだ。

新羅歴史館、ここが本館。他に新羅美術館、月池館の三つの

展示館と一つの特別展示館がある。

観覧料無料。日本では考えられない。

それでは自分なりに目に付いた展示物をいくつか紹介しましょう。これは銅剣。

発掘された積石木槨墳の写真。

新羅の古墳が盗掘の被害にあっていないのは出入口がなく

周囲を膨大な量の石で積み上げた古墳構造技術にあると言われている。

3世紀頃の頸飾。

冠(?)

よく見ると大正時代日本人によって書かれた金冠塚と建物の資料。

そういえばその時代は日本が統治していた時代だった。

1921年9月のある日、慶州中心街の路西洞で家を建てる為

主人が近くの丘から土を取ってくると古墳を発見。

新羅のはじめての金冠がそこから出土した。

6世紀前述の天馬塚から出土した金冠

金は砂金、ひすい、紫水晶の勾玉。これは国宝だ。

この掛け軸、よく見たらなんと14~16世紀の京都高山寺と書かれてある。

途中、寄ったアメジスト(紫水晶)屋さん。

女性店員から説明を聞く。慶州はアメジストが採れるそうだ。

アメジストの原石。1万年前にでき、6角形の形をしている。

アメジストは2月の誕生石で魔除けとなる。

ダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルドそしてアメジストは

五大宝石。ダイヤに近い硬度の石だ。

日本では五大宝石にアメジストの代わりに真珠を入れる。

3日間、お世話になった素晴らしいガイドの「李さん」。

説明はあんちょこを見ず、すべて、暗記している。

このブログのコメントも彼女の話を参考にしています。

彼女の日本語は完璧で、発音、イントネーションも日本人かと思う程だ。

釜山生まれで、日本語を独学で学んだとか。

日韓関係の悪化で日本人観光客が激減。多くのガイドさんが

リストラされたとか。彼女はその中で生き残ったスーパーガイドさんだ。

 


釜山の旅 その2

2015-05-26 08:52:49 | 旅 ~海外

釜山は地震がほとんどない

周辺の山は花崗岩の山だ。20階以上のマンションが

林立している。この写真の中には韓国一高い80階建てのマンションがある

ダイアモンドブリッジから見た新しい開発地域の薄暮の夜景

トンネルを境に山側がセレブ街側が庶民レベルと分かれているとか

釜山は平坦な土地が少ない為、高層マンションの数がすごい。

呼名は日本と逆で日本のアパートが韓国ではマンション

この様な建物はアパートと言うらしい。

又、日本の様にベランダは外に張り出してない

釜山の冬は寒い為そうなったとのこと。

この写真にも撮っているように建設、開発会社の企業名が

壁に書かれている。これによって中古価格が変わってくるそうだ

ある意味合理的だが

同じ業をしている者としては厳しい話だ

因みにアパート坪単位は100万円位だそうだ

ホテル周辺は日本の新宿、浅草的な所で

ネオンがギラギラしている

釜山の人は夜型で朝食は食べない人が多いらしい。

そして横断歩道が少なく、車優先の社会と言っていた。

街には日本の銭湯の様な煙突がいたるところにある。

これは有名なあかすり(汗蒸幕)だ

韓国人には生活の一部になっている施設だ

海岸沿いにある海東竜宮寺の入口参道にある

一二支の石像、猪は韓国では豚だそうだ

これは笑える

海東竜宮寺の全景、韓国のお寺は山の中で

修行する為、海にある寺は珍しい。

全国で3ヶ所だけとか

1374年高麗末期に創建。1974年、海から帰ってこない

漁師を奥さんが願をかけ

海から竜が出てきた夢をみて再建した

本尊の仏像

お腹を触ると男の子を授かるという達磨像

腹の部分は黒光りしている

本殿横の金色の像。名称は不明

一番後方の山側にある高さ10Mの観音菩薩立像

この時期どこのお寺に行っても、デザインは違っても

沢山の提灯が寄贈され飾られていた

これはお釈迦様の誕生を祝ったものだ

この提灯は鮮やかで美しい。

雄大な海辺に建っている、ちょっと異様な石塔

一種の仏舎利塔か?

海へ張りだした岩場にただ一つポツンとある薬師仏

ここの仏様は皆、黄金に塗られている

新羅の文武王の時代、678年に高僧・義湘大師によって

釜山の名山、金井山の麓に建てられた

名刹「梵魚寺(ポモサ)」

多くの建物が戦乱によって焼失したが

その後、1700年代に建てなおされた

曹湲門の柱は下部工が石造で、変わった造りだ

それにしても韓国の歴史は古い。

梵魚寺が創建されたのは日本では天智天皇の時代

我々の遺伝子はこの国と深い所でつながっている感を持った

この寺は禅宗総本山で丁度参内した時

大変な人数の高僧がお堂から出てきた

人の話によると韓国の著名な高僧の法要が

とり行われていた様だ

それにしても一人一人が品のある僧侶ばかりだった

きっと全国から高僧が集まって来たのだろう

片方からはこのような装束の女性も出てきた

この人たちはどうゆう人なのだろう。

ここでもお釈迦様の誕生を祝う提灯が、大変な数、飾られていた。

梵魚とは空から下りてき極楽の魚の意だとか

それにしても、韓国の寺は古いのにカラフルな色彩の

塗装がされているのが日本と違う。

当寺を取り囲んでいる土塀。日本とは

土質が違うのか、赤茶けた色がしている

梵魚寺の花は藤が有名だそうだが

この立派な桐の花がとても美しかった

現在韓国は感じがほとんど消え、ハングル文字に変わった

ハングルは朝鮮語を表記するための表番文字で

語順は日本語と同じ

1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が

一般市民がほとんど字が読めないため

訓民正音の名で公布した

基本的に24文字で組合せ

母音を含め最大40コでできている

一つの字で一つの音。

大変優れた文字と言われている。

 

 


釜山の旅 その1

2015-05-21 08:12:11 | 旅 ~海外

2泊3日で韓国、釜山、慶州へ行って来た

日韓関係の悪化から、日本からの旅行客は激減

旅行中に会った日本人グループは気が付いたのは1組だけだった

韓国側の反応がちょっと心配だったが、行った印象は逆だった

ホテルから見た釜山市の市街地。ご覧の様に海と山に囲まれた

ソウルに次ぐ韓国第2の都市である

人口は約340万人、晴れた日には対馬が目の前に見える(40km)というが

残念ながら見ることができなかった

到着早々、ロッテデパート内のロッテ免税店へ

ここにはホテル、カジノもある。

外貨の為替レート表。日本の観光客が減った原因の一つに円安も響いている。

確かに物価はそんなに安いとは感じなかった。

8階フロワーはブランドショップ。ブランド品も一時程、魅力を感じなくなった

ブランドフロアーからガイドさんのお奨めの化粧品コスメフロアーへ

途中の通路をスターアベニューと称し

韓国のスターの写真とサイン、手形が

ディスプレイされてあった。韓流スターには

全く興味が無い為、誰が誰だかわからない。

韓国で話題のコスメ「CCクリーム」

かたつむりが入っているらしく、大人気の為、韓国では

かたつむりがいなくなったとか、本当かね。

日本語が流暢な店員が熱心にPRしていた

店名は「DR.PHARM」

このクッキーも美味しいらしい。ついついつられて買ってしまった

まだたべてはいないが

ロッテの隣には屋台がずらり。夜又来てみたが

大変な賑わいだった。チヂミだとか焼肉が

安くてすごく旨かったと入った人が言っていた

入ったコンビニにいた若い軍人。日本の若者と

決定的に違うのは徴兵制度があること。

20才から28才の若者が2年間兵役につく

兵役期間中は苦しい為、芸能人とかサッカー選手は

ワイロで免除してもらうとか、コネで軍の配属も便宜が図れるらしい。

ウワサでは聞いていたが、韓国では整形がすごいらしい。

韓国の女性は美意識が高くプチ整形もいれると90%が

整形しているとか、本当なら恐ろしい事だと思う。

釜山の観光地「龍頭山公園」

丘の上にあり、釜山港や影島が一望できる

ここはカップルのデートの場所でも有名らしい。

この釜山タワーは1973年に完成

高さは約120Mあり、焼酎の有名ブランド真露(JINRO)が

スポンサーで建設されたらしい。

文禄、慶長の役において朝鮮水軍を率いて

日本軍と戦い活躍した韓国の英雄「李蕣臣将軍」の像

ソウルにある銅像と並び有名。

公園内に市民の寄付によって造られた大釣鐘

地面との差が30cmしかなく記念日に33回突くらしい

日本の鐘とは大分違う

市内の案内図。釜山の市名は地域の中心

「金海」が米の産地で、秋見ると釜のように

見えたことからついたとか。

戦後の頃は人口6万人位の小さな街であったが

朝鮮戦争でソウルが陥落すると難民が釜山に

多く移り住み大都市になった。

龍頭山西側一帯に約1400もの店がひしめき合う

国際市場(クッチェシジャン)戦後のヤミ市が前身

ここは値段が20~30%安いとか

釜山は皮製品が有名、シャネル、プラダなど有名ブランドが

免税店の1/10とか(たぶん偽物)

値段通り買うのはアホと言っていた

とにかく値切る(安くしてください・・・サゲチュセヨ)

これを楽しむ所らしい。

この財布は縁起物でめくらうなぎ製

とても有名な商品で使い易いと言っていた。

釜山では蛸、飯蛸、わたり蟹、太刀魚などが

今、採っている

因みに食べ物は値引きしないとか

韓国の消費税は(10%)は内税でわかりやすい

ここにも当然屋台が沢山ある。韓国のお好み焼き

「チヂミ」

そして韓国料理の定番「キムチ」この味は

お店、家庭によってすべて微妙に違う

種類は約300種あるとか

市場で見つけた、緊急避難所(シェルター)

韓国はまだ準戦時下で、有事には防空壕に逃げる

トラックに積まれたこの靴下の山、量を見てください。

たぶん一束500円だと思う。

それにしてもハングルはとっかかりがなくて全くわからない

韓国の人の気質は前向きで

物価がインフレ傾向で今を楽しもうという人が

多いとガイドさんが説明していた

日韓関係悪化については政府、役人レベルの問題で

市民レベルではあまり関係がない様だった。


ベルサイユ宮殿

2015-03-02 07:45:56 | 旅 ~海外

フランスの絶対王政の最盛期を象徴する絢爛豪華なベルサイユ宮殿。

太陽王ルイ14世の「史上最も大きく最も豪華な宮殿を建てよ」という命令により、

莫大な費用と半世紀の歳月をかけて1682年に完成した。

ゲートを入ると左側の宮殿が修復中。仮囲いがなんとクリスチャンディオール製のシート。

さすが芸術の国、これには驚いた。

宮殿からゲートに向かっての一枚。

ベルサイユ宮殿はパリから南西22キロのいわゆる「イル・ド・フランス」の中心に位置する。

バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名だ。

宮殿の中に入って最初に目にしたのが、スワロフスキー製のガラスインテリア照明。

比較的最近のものらしい。

王室礼拝堂。ここで行われたミサにルイ14世、15世、16世は毎日出席していた。

フランス・ブルボン王朝の紋章、ユリの紋章「フルール・ド・リス」

L L  ルイ国王のマーク(?)

ヘラクレスの間の天井画(フランソワ・ル・モワーヌ)

太陽王ルイ14世(1638-1715)のシンボルマーク(?)

ルイ15世(1710-1774)の肖像画

上は戦争の間のリニューアル前(ビフォアー)シャンデリア

下は鏡の間のリニューアル後(アフター)のシャンデリア、輝きのクリア差が違う。

有名な鏡の間(長さ73m 幅10.5m さ12.3m)367枚の鏡は富の象徴だ。

儀式や外国の賓客を謁見するために使われた。

1871年ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われ、

また第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約であるベルサイユ条約が

調印された場所でもある。

宮殿よりも噴水公園のほうが建設にかかった労力は上で

宮殿建設の25000人に対し、36000人が投入されている。

噴水にはルイ14世の三つの意図が込められている。

1. 水なき地に水をひく

2. 貴族を従わせる

3. 民衆の心をつかむ

王妃の寝室

マリー・アントワネットの像

マリー・アントワネットは1755年11月2日神聖ローマ皇帝

フランツ一世とオーストリア女大公マリア・テレージアの十一女としてウィーンで誕生した。

1770年アントワネットが14才のとき、王太子となっていたルイとベルサイユ宮殿で挙式。

1792年フランス革命が勃発し、1793年10月16日コンコルド広場において

夫の後を追ってギロチン処刑された。享年、37才。

天井画の修復に一番いいと日本の和紙が使われている。

ナポレオン戴冠式の絵。完成はルーブル美術館の絵の後で

ナポレオンは亡くなり微妙に違う。

ベルサイユ宮殿の石畳はほとんどその当時の石を使っており非常に歩きづらかった。

おかけで踵を少々痛めてしまった。いまでもまだちょっとおかしい。

愛人のポンパドゥール夫人の要望に応えてルイ15世が建設した

プチ・トリアノン。落成は1769年6月

プリ・トリアノンの案内図。プチというだけにかわいらしい規模だ。

入口、後にマリー・アントワネットがここをこよなく愛し使用した。

日々の華美な生活に明け暮れ、プリ・トリアノンに引き籠ることが多かったという。

マリー・アントワネットのシンボルマーク。よく見るとM・Aと書いてある。

マリー・アントワネットの肖像画。好きなバラを持っている。

マリー・アントワネットが愛用した椅子とベット。ベットが異常に小さいのが

分かると思いますが、その当時は病人と思われたくない為

上半身を起こして寝たとか。枕が二つあるのはその為。

今でも欧米系ホテルのベットに枕が二つあるのはその名残りだとか。

出口から写した一枚。樹木が整然と植えられている。

これが西洋式の考え方だ。

そして木々が床屋に行った様にきれいにスッキリと刈られていた。 


パリの街

2015-02-26 08:13:02 | 旅 ~海外

パリの象徴的な名所、エッフェル塔。写真を撮る絶好ポイント、シャイヨ宮から撮った2枚

フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた

第4回万国博覧会のために建造された

設計はギュスターブ・エッフェル。地上324メートル2年2ヶ月という

驚異的な速さで建設され、1人の死者も出さなかった

黄昏時のコンコルド広場から見たエッフェル塔

左に見えるのがエジプトのルクソール神殿から運んできたオベリスク

この広場であのマリー・アントワネットが処刑された。

夕方、ライトアップされたエッフェル塔、

なぜか一枚目の写真、第3展望台の

まわりがブルーの輪が写っている。なんだこれ!

建設当時はあまりに奇抜な外見の為、賛否両論評価が激しく割れたらしい。

展望台は3つあり、第1展望台の眺望自慢のレストランに向かった

 

塔脚の内部からの二枚。塔の下部アーチが何とも美しい

真下の方から撮ってみた、真ん中が吹き抜けていて

意外な空間が拡がっていた。

エッフェル塔の材質は鋼製ではなく、鎮鉄製だそうだ

それにしても錆防止の為の

定期的塗装は費用もかかるし、大変だろう

主柱の基礎ベースはよく見るとなんと自然石であった。

しかも斜目。構造計算はどのようにしたのだろう

その当時のフランス建設技術の高さをうかがわせる

パリのナイトライフを楽しむ為、地下鉄(メトロ)に乗った

地下鉄の改札風景

そしてプラットホームと車輌

車内の一枚。パリは黒人の人が多いのには驚いた

アフリカ系移民の人達だろう

そしてもっと驚いたのは、車内放送で日本語で

盗難に注意のアナウンスが流れたことだ。

これには皆、ビックリ。

フランクリン・ルーズベルト駅で乗り換え

駅名表示をよく見ると日本語、ロシア語、中国語

アラビア語の表示があった。日本でも最近、英語

中国語、韓国語表示が増えているが、やはり

ビックリだ。さすが世界一観光客が多いパリ。

パリのレビューショーで有名なのがムーランルージュ、(モンマルトル)、

リド(シャンゼリゼ大通り)、そしてここクレージーホースだ。

真っ赤なネオンがいかにもらしい雰囲気だ。

「Let's Go Crazy!」これがその時のチケット。

確かシャンパンのみで125ユーロ。すごく高かった。

写真に写っているダンサー16人位が1時間半ウットリするようなショーを演じた。

店内も怪しげな赤い照明。舞台の両サイドに金のビーナス像。

ステージは想像していたより小さかった。

売店でマドモアゼルの了解を取って撮らせてもらった。

売っているグッズはここにはちょっと書けないセクシーなもの。

ショーの間は一切、撮影禁止。幕開のカーテンに写したこの写真で皆さん想像して下さい。

話によると、クレージーホースのダンサーのレベルはものすごく高く

練習も厳しい。ここで不採用のダンサーが、ムーラン・ルージュ・リドに流れるとか。

背格好も全く同じ、上半身裸、ある時はほとんど全裸だったが、ちっともいやらしくない。

ここまで来るともう芸術だ。ライティングも素晴しかった。

残念ながらシャンパン一杯飲んでかなりの人がコックリコックリ。旅の疲れがドッとでてきた。

パリに向かう途中、立ち寄ったドライブイン。造りはコンテナだが、すごく洒落て見える。

これも芸術の国フランスのせいか。店内もコンテナが逆にいい感じを作り出している。

日本でやったらひょっとしてうけるかも。

 

シャルル・ドゴール広場に立つ高さ50mの巨大な門。これが有名な「凱旋門」

ナポレオンが造らせたもので1836年に完成した。

壁面を彩る彫刻や屋上展望台(284段の階段)からの眺望もため息モノだそうだ。

凱旋門から西側を撮った一枚

ぐるりロータリーになっていて、そこから放射線状に13本の道が延びている。

ここに行くには門の周囲がロータリーの為横断できない。

2ヶ所の入口から地下道でアクセス。天井は花と幾何学模様で飾られている。

左側のレリーフは1810年ナポレオンが勝利し女神から月桂冠を授かる場面。

右側は1792年の義勇兵の出陣が描かれている。

第2次世界大戦で連合軍が勝利し、パリの街に進軍行進した

ニュース画像を思い出した。70年前の歴史的瞬間もこの凱旋門は見守っていた。

第1次世界大戦で戦没した無名戦士の墓。追悼の炎が燃え続けている。

今回の旅で一番気がかりだったのがイスラム過激派のテロだ。

保険も今回は一番高いものを申し込んだ。しかしパリに来てみたら

意外にのんびりしていて2~3人組の警察軍隊はいたが

ピリピリ感は感じなかった。この2人のポリスもおしゃべりで夢中だった。

むしろパリで一番神経を使ったのはスリ。この若い女性のグループは

たぶんスリグループらしい。手にアンケートボードを持って取り囲む。

そして手荒くスル。今はルーマニア方面から来たジプシーが多いらしい。

このグループは後で大きな声を上げて仲間割れをしていた。

再度凱旋門下からパノラマ写真。

これが「オーシャンゼリーゼ ♪」のシャンゼリゼ大通り。

マロニエの並木道。歩道は本当に広い。

フランス、特にパリにはカフェがかかせない。シャンゼリゼ大通りの

有名なカフェは「フーケッツ」100年以上の歴史を誇り

映画系セレブの気分が味わえる。

今やすっかりおなじみとなった超定番スイーツのマカロン。

「ラデュレ」はマカロンで有名な店だ。本店はサントル通りにある。

艶やかで色鮮やかなマカロンは季節ごとに新作が登場。

さすが老舗店。味が複雑で奥が深い。たかがスイーツと侮るなかれだ。

どことなくアールヌーヴォの雰囲気のラデュレは食事もできる。

ご存知、人気ブランド「ルイ・ヴィトン」の本店。

このビルは日本人が建てたようなものとガイドさんが言っていた。

ヴィトンは一切値引きは無いものと思っていたが、日本より2~3割安いと後で聞いた。

このトンネルの13本目の柱に衝突してあの英国ダイアナ妃が亡くなった。

あまり速くてピンボケに成ってしまった。

それともダイアナが写真撮影を嫌がった為か。

世界に誇るオペラの殿堂オペラ座(オプラ・ガルニエ)

1875年にナポレオン3世の命により完成した。

ベル・エポックの華やかさを今に伝えている。

ここもスリのメッカらしい。(車窓より)

昼食後、外に出て目についた建物。いかにもパリらしい。

このような中層のビル・マンションでパリの街は構成されている。

シテ島南東にあり、1163年に約170年をかけて完成したノートルダム寺院。

1804年、35才のナポレオンが載冠式をした場所でもある。

ゴシック建築の最高峰と称され、ヴィクトル・ユーゴーの小説で一躍有名になった。

ノートルダムとは聖母マリアを指す。

聖堂内では先の尖ったアーチなどゴシックの特徴をもつ

祭壇にはピエタ像が施されている。

パリは紀元前3世紀頃、ノートルタム寺院のあるこのシテ島から始まった。

南と北のバラ窓。ステンドグラスの一部は13世紀当時のままでパリ最古。

この寺院は観光の為のものだけではない。側壁には懺悔の部屋があり

防音ガラスで仕切られている。この日一組、部屋に明かりがついていた。

ここでも軍隊が機関銃を持って警備していた。

テロリストは有名な観光スポットを狙うのではという趣旨で警戒しているらしい。

入口で列をなしている所に物ごいのおばあさんがいた。

大方の物ごいはこれを職業としているとか。

杖をついている人も仕事を終えるとスタスタ歩いて帰路につくらしい。

 


ルーブル美術館

2015-02-25 08:02:27 | 旅 ~海外

ルーブル美術館は、パリにあるフランスの国立美術館

世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡のひとつでもある。

美術館として正式に開館したのは1793年

先史時代から19世紀までの様々な美術品35,000点近くが展示されており

総面積60,600㎡(約18400坪)の

展示場所で公開されている。

毎年、800万人を超える入場者があり、世界で最も入場者数の多い美術館だ

もともと要塞として建設したルーブル城(ルーブル宮殿)は820年前に建てられた

1983年、当時のフランス大統領ミッテランが推進した

「パリ大改造計画」の一環での大ルーブル計画で建築家イオ・ミン・ペイ提案のガラス製

ピラミッドが1988年落成。直下の地下ロビーがエントランスと成った

中世ルーブル城の面影が残る城壁の一部が地下にある

大ルーブル計画の第2段階として1993年に地下の

カルーゼル・ショッピング・モールに採光用途を兼ねた

逆ピラミッドが完成した

ナポレオン広場の広大な地下エントランスが完成して入場者数は大ルーブル計画以前の

約2倍に増加した。

その内約65%が外国人観光客となっている。

ドゥノン翼の回廊の両サイドにはギリシャ時代の石像が並べられている。

階段の中段に威風堂々とした「サモトラケのニケ」がある

ヘレニズム彫刻の比類にない傑作と言われている

紀元前2世紀に製作され有翼の女神像

(ギリシャ語でニケ)と呼ばれている

発掘されて150年たっている。

「ナポレオン1世の戴冠式」ルーブルにおいて2番目に大きな巨大作品。

1806年頃、ジャック=ルイ・ダヴィットが描いたとされている

ノートルダム寺院で行われた

正面上段に描かれている女性がナポレオンのお母さん

ナポレオンはこの戴冠式のスケジュール演出を何日もかけて準備したという

ドミニク・アングルによる作品「オダリスク」

全体のバランスが誇張してくずしており、そのことによって

裸婦の美しさを表している。

天井高がすごく高く採光に工夫をしている館内

真ん中には椅子が置いてあり、じっくり鑑賞できるようにしている。

ウージェーヌ・ドラクロアの作品「メデューズ号の筏」

ドラクロアの代表作「民衆を導く自由の女神」

7月革命を題材にしている。自由の女神の隣にいる

銃を持った青年はドラクロア自身であるとの説もある

素晴らしい天井画だ

そしてルーブル美術館で最も有名な絵

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

解説は全く必要ない作品でしょ。

「モナ・リザ」の作品のまわりだけはすごい人集まりだ

ここには人混みの中に潜んでスリが多いらしい

ちょっと離れてスリがいないか見ていたが、この時はいなかったようだ

ラファエロ作「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)」1507年

館内の様子。大変な混み様だ

これも有名な「ミロのヴィーナス」

1820年4月8日に小作農夫によってオスマン帝国統治下のミロ島で発見された

「ミロのヴィーナス」がルーブルを出て海外へ渡ったことはただ1度だけある

1964年4月~6月

東京の国立西洋美術館と京都の京都市美術館で行われた

特別展示のみである

実は、私はこれを見に行った。まるで満員電車の中で瞬間

白黒写真を撮った記憶がある。

 

 

ルーブル美術館はあまりにも巨大な為、全部見るには

1週間は必要と言われている。

それを有名作だけピックアップ、数時間で回るのだから恐ろしい

せめてワイヤレスのイヤホーンで詳しくガイドさんから説明が聞けたのが

救いだった。


美しい街 ブーブロンアンノージュ

2015-02-23 07:38:26 | 旅 ~海外

モン・サン・ミッシェルからブーブロンアンノージュへ向かう。

途中、日の出を見た。この時期のフランスの日の出

時間は遅い。午前8:30頃だ

さー今日もどんな旅が待っているのだろう。

地図にものっていない様な小さな村ブーブロンアンノージュのポプラ並木

人口は250人程だそうだ

ここはミニチュアのような可愛らしい素敵な村だった

1982年から始まった「フランスの最も美しい村」

運動で全国157村が選ばれた。この村も

ノルマンディー地方の3つの村の1つに選ばれた

村に入って初めて見たフランス人。犬二匹と散歩をしていた。

何か物語を見ている様だ

街角に「親愛なる日本の皆様・・・・・ようこそ」と

書いてある看板があったとか、私達で3班目

あと、350人位の日本人がこの小さな村に訪ねてくるのだから

この看板も納得してしまう。

AM9;30頃だというのにほとんど人気が無い

村のメインストリート。街並みが朝日に輝いて

言葉にならない程美しい。

16世紀頃 建てられた木組の家。街中を歩いた中では一番立派な建物だった

左の家はみあげ物店。我々が村に入って店を開けてくれた

どこの店も看板がかわいらしい

実にゆっくりと時間が流れている村だった

ウィンドウショッピングをしていると目が止まって、気に成るお店を発見

木組みのミニチュアと本物の家が硝子に写っておもしろい一枚となった

後程この店も開けてくれた。小鳥の置物を2つ買ったが

会計がものすごくのんびり

「バスが出発するから急いで」と言っても

「ノープロブレム」の一点張りにはまいった

木組みの家は瓦の様なものを丁寧に重ねている

木材も粗削りの一本柱を使っている

やはり手造りは人の温もりが伝わってきて味がある

たぶん閉店の看板だろう。大人びた赤ちゃん顔がフランスらしく感じる

屋根は鉄平石のような石葺き。このストレート板はこの辺で採れるらしい。

意匠デザインも凝ってますネ。

パン屋さんの腰壁に手書きで画かれた絵

気に入って思わずシャッターを押してしまった。

最初に開店しているマカロン中心の雑貨屋さんを発見

このマカロンは手造りだそうだ

このマカロンには「YUZU]と書いてあると仲間が言ったのでアップで撮った

本当にやさしいマダムで、後でマダムが付けていた

イヤリングをプレゼントされたと聞いた。

おとぎ話に出てくるようなかわいらしい家がいっぱいある。

日本の鬼瓦の様に屋根のテッペンにリスだろうか置物が乗せてある。

こんな小さな村にも、立派な教会があった

フランスの宗教はほとんどがカトリック(59%)残り3%がイスラム2%がプロテスタントだそうだ。

教会の隣りにあった墓地。多くの墓石は立派で造花の花を飾ってあった

やはり十字架が印象的だ

フランスはほとんど土葬だ

庭先に置いてあった散水機だろうか

拘っているのだろうか、カラーはトリコロール

外国での楽しみ1つ鳥を見ることだが、ここでも見たことのない

小鳥を発見した。それにしても鳥をカメラで撮るのは難しい。

小さな増築中の家を見つけた。廃材のような材木を使い、なんと釘は木釘だ

帰り道は広々とした草原と手入れがゆき届いた並木道

素晴らしい村だった。

やはり、田舎の街が私は好きだなー!