
ジンバブエの国旗。国名はショナ語で「石の館(家)」を意味する。
かつては南ローデシア(イギリス領)だったが、
2003年イギリス連邦を脱退した。
首都はハラレ。人口は1372万人。モザンビーク、ザンビア、
ボツワナ、南アフリカ共和国と隣接している。

ジンバブエは共和制国家だが、1980年から36年間
強権的政治手法でロバート・ムガベ大統領が統治している。
ジンバブエの平均年齢は1990年62才だったが、現在は36才。
世界で最も短い年齢だそうだ。一体この26年間で何があったのか?
昨日アップしたザンビアよりすごい事で驚きの一語に尽きる。
国民の3割がHIVに感染しているのも大きな理由だろう。

ここがジンバブエとザンビアの国境ライン。入国手続きをしている間に
バスの窓越に、目で何かを訴えている様な切ない顔で
独自通貨ジンバブエドルを広げている。「これは一体何?」。
始めはよく理解できなかったが、その後意味が分かった。
ジンバブエドルをUSドルで買ってほしいという事。


なんとこれが500億ジンバブエドル紙幣と200億ジンバブエドル紙幣。
こんな桁のお金見たこと無い。思わずゼロの数を数えてしまった。
250億ジンバブエドル=1US$だそうだ。これは
ムガベ大統領が第二次コンゴ戦争へ派兵した結果、
経済、医療、教育、治安が悪化し、第2次世界大戦後、
世界で最悪と言われているハイパーインフレが起きているとの事。
なんと年間インフレ率は約2億3000万%だとか。ビックリ仰天です。


観光地には必ずこの様な土産物屋がある。動物はじめ、
民芸品を中心に所狭しと置いてある。全体的に数百円単位の物が多いが、
値段交渉するとすぐ30%位はディスカウント。この交渉が結構楽しめる。
そして建物の屋根は日本では無くなってしまった茅葺きがほとんどだ。
ゆるやかな曲線がなんとも言えず、良い。
この国にはまだまだ茅葺き職人が沢山居るのだろう。
技術レベルもかなり高そうだ。

いろいろな場所で、ポイントポイントに現地の人が民族衣装で
民族楽器を使って歓迎の踊りで迎えてくれる。民族楽器
「ムビーラ」は親指ピアノと別称されるジンバブエのショナ人の
伝統的な民族楽器。これを見ると今、アフリカにいるんだナーと実感できる。



「さー次は市場に行きましょう」ということで来たのが、この土産物売り場。
簡易の屋根のバラックの様な小屋の下に、所狭しと民芸品が並んでいる。
ちょっと見ていると、店員が寄ってきて、売りつけられそうな空気だ。
丁度日中でカンカン照りで肌には暑いが
空気は乾燥していてどことなく心地が良い。

さあ昼食時間。ここがレストラン「THE LOOKOUTCAFE」。
この写真から見るととてもレストランとは思えないでしょう。
土の広場の奥に忽然と現れるといった感じ。不思議な空間であった。



ここも茅葺きであとは柱、梁だけの掘建て小屋の様なレストランだが、
これがかえってお洒落ないいレストランだった。
ロケーションは断崖絶壁の端に建ち、景色は絶景。
ご覧の建物だけに風通しは良く、とても気持ち良かった。
何か久し振りといったバンバーガーにポテトフライ。ベィリーグッドであった。
レストランの隣りでは渓谷の上を渡るワイヤケーブルの様な
恐怖のアクティビィティに若い欧米人が挑戦していた。



ここは街中にある立派なスーパーマーケット。商品は驚く程豊富だった。
ここで又、ジンバブエについて記してみる。面積は日本とほぼ同じ。
公用語は英語で前述通り、ハイパーインフレの為2015年
ジンバブエドルは廃止され、USドルが現在使われている。
1965年~1979年ローデシア紛争があった為か
反英反米反白人感情が強い。ここでも最近中国との友好関係を深めている。
在留日本人は86人在日ジンバブエは153人
意外にもツアートーナメントで活躍しているプロゴルファー
ニック・プライスはそういえばジンバブエ出身だと思い出した。



アフリカンの女性の髪形、ファッションは大胆で素晴らしい。
最貧国なのにこの髪を結うのに美容院で1500円もかかると聞いた。
女性の美に対する追求心はお金の世界を超えている。


かと思うと働く女性の姿も神々しい。頭の上に荷物をのせて運ぶのは
イメージとして女性の方が絵になる。アフリカンな柄の服装で
頭上だけでなく背にも荷を背負っている。

蛇足として帰国して日本で聞いた話を一つご紹介します。
1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」
に対して与えられるノーベル賞のパロディーのイグ・ノーベル賞。
天の橋立の股のぞきを通じて物の見え方がどう変わるのか
研究した立命館大学教授と大阪大学教授にイグ・ノーベル賞
「知覚賞」が授与され、賞品として1兆ジンバブエドル(5000円)が与えられた。