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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

モン・サン・ミッシェル

2015-02-20 07:45:46 | 旅 ~海外

隔年で行われている「さいしん海外旅行シリーズ」

今回でなんと11回目。しかも全県で13班 合計約500名募集というすごい企画です。

憧れのフランス、芸術の都パリと海に浮かぶ奇跡の世界遺産モンサンミシェル

王政象徴の地ベルサイユに銀行の要請により行ってきました。

パリ市の南寄りにあるモンパルナス駅にTGVに乗る為、朝向かう

駅構内はかなり広い。主にフランス西部、南西部方面の列車の始発駅である

モンパルナス駅は1840年に開業したという

なんと江戸時代末期の頃だ

フランス自慢のフランス国鉄(SNCF)が運行する高速鉄道

名称は「TGV]

最初に考案されたのは1960年代で日本が東海道新幹線の工事を始めた直後であった

上が新しいTGV、下の列車に乗ってレンヌ駅へ向かった

駅には改札がなく、乗車する前にホームの入口にある

この刻印機で切符に日付を刻印することが義務付けられている

この刻印がないと検札の際に追徴金を支払うことになるらしい。

旅行者にとっては勝手がわからないと、えらい目に合う。

フランスのごみ箱はアールヌーボー調で芸術的だ

こんなところにも芸術の都パリを感じてしまった

モンパルナス駅から約2時間。レンヌ駅に到着。

途中、ル・マン24時間レースで有名なル・マン駅を通った。

レンヌの市街地。レンヌは西部に位置する人口約20万人の都市で

ブルターニュ地域圏の首府。プジョーシトロエンがある。

ここはモン・サン・ミッシェル観光の起点となる街で

仙台市と姉妹都市を結んでいる

レンヌからモン・サン・ミッシェルまではバスの旅

道中はゆるやかなアップ&ダウンヒルの草原が続くのどかな田舎の風景だ

土地はあまり肥沃でないとガイドさんは言っていた

車中から見た非常に気に成った樹木

ヤドリギといわれ、樹木の幹に寄生して成長する

鳥の巣のような姿の植物。幸福の木とも言うらしい。

さーこれから奇跡の世界遺産モン・サン・ミッシェルだ

これは島内の案内図

ブルターニュ半島とコタンタン半島との間にあるアンマロ湾

奥に位置する小島。8世紀初め(708年)に

建てられた小礼拝堂を起源とするベネディクト会

修道院の建物があり、フランスでもっとも有名な巡礼地

モン・サン・ミッシェル全景をのぞめる写真撮影の絶好ポイント

ここで最初のため息が皆出た。

「すごい!」

海の海水と川の水をせき止めているポンプ場のような施設

目の前を丁度、馬車が通ったので思わずパチリ

フランスは馬車がよく似合う。ポエムだ

レストランのホールの所でこのDVDが流れていたので

ちょっと拝借。行った日はあいにく曇天の日だったので

晴れたこのDVDを見ればその美しさがさらに良くわかるはずだ。

島の入口(ラ・ヴァランセノワ)の横ではためく

トリコロールの3色旗(フランス国旗)

青は自由、白は平等、赤は博愛を表すと言われている

1794年に現在の旗となった。

参加者全員の記念写真を撮ってくれたご夫婦の写真家を逆写

二人に送りたいいい写真だ

ホテル ルレ・サン・ミッシェルから大型相乗りバスに乗り約5分

寒風吹きすさぶ中、木道の道を

島へ歩いていく。バスはなぜか途中で止まってしまう。

今回の旅で一番寒かった場所だった。

1870年に島をつなぐ道路ができたが、従来の景観に戻すために

現在工事が行われている

ガブリエルの塔。16世紀の国王代理官ガブリエル・デュプイが設置した砦

全方位からの攻撃に対応でき、中には大砲が備えられていた

モン・サン・ミッシェル修道院は御覧の様に

岩盤の上に建っている。建物の随所にこの岩が

一部露われている。さぞ、建築した人たちは大変苦労したことだろう。

有料トイレ。トイレはここのみ 50セント(約70円)払う。

ヨーロッパの建物は基本的に石積造だが、ここもご覧のような積み方だ。

島の入口から修道院へと続く石畳の細道、両側にはホテルやレストランカフェ

ショップが立ち並びいつも賑やかなグランド・リュ

ここの名物、ミル付グランド産お塩。12ユーロ(約1650円)

 洞窟内に建てられたサン・ピエール教会。現在も周辺住民がミサに訪れる

入口横に見えるのはジャンヌ・ダルク像

いよいよ島のハイライト、モン・サン・ミッシェル寺院が近づいて来た

ロマネスクとゴシック建築の建築芸術だ

修道院まではかなり急な坂道と階段(300段ほど)を歩く(15分ほど)

足腰が弱い人にはかなりきつい所だと思う。

修道院入口の手前でちょっと小休止。振り返ると

有名な干潟が眼下に雄大に広がっていた

まだまだ階段が続く。この辺で皆、悲鳴が出てくる

「きつい、まだ着かないの?」

動物の姿を借りた雨樋。いかにも修道院にピッタリだ。

遠く右上の方にかかっている小さく見える橋が前述した

写真撮影の絶好ポイント(ポンプ場)の所

時代とともに変化してきた修道院が模型で展示してあった

モン・サン・ミッシェルの歴史は708年、司教オベールの夢枕に立った

大天使ミカエルのお告げにより聖堂が建てられ10世紀には修道院が設置された

11~12世紀には巡礼者で賑わい13世紀にはほぼ現在の姿に

14世紀英仏百年戦争が勃発すると域塞となり難政不落を誇る

フランス革命後は監獄となり「海のバスティーユ」

として恐れられた。19世紀末から観光地となり1979年フランスで最初に

世界遺産に登録された。

鐘楼と尖塔は1897年の完成。尖塔の先には大天使ミカエルが見える

教会の正面にある広場。これは墓石だそうだ

石畳の床には職人のサインが残されている。

大聖堂の中

聖堂の手前の天井はアール木造

バイキング・ノルマン人の影響とガイドさんが言っていた

驚異(ラ・メルヴェイユ)と呼ばれる棟の最上部

列柱廊と中庭。僧たちの憩いと瞑想の場だった

どことなくスペイングラナダのアルファンブラ宮殿の香りがする。

まるでハリーポッターの世界だ

僧たちが静寂のなかで食事をとったという広々とした食堂

59の窓から光が差し込む明るい空間が人々を圧倒する。

最も古い礼拝堂。石を積んだだけの本当にシンプルな教会だ。

外へ出ると一部修復工事をしていた

この単管足場、初めて見た。きっとつばの様な所に足を掛けるのだろう

夕食後幻想的にボンヤリとライトアップされた

圧巻のモン・サン・ミッシェル

時差ボケで夜なかなか寝られずホテルの窓から見た満天の星(星を撮るのは難しい)

なんとロマンチックな一日だったことか

まだまだ旅は続く。


雄、台北の旅

2014-12-17 07:47:59 | 旅 ~海外

中華民国の国旗は青天白日満地紅旗と呼ばれ、国旗の左上に描かれている青天白日の紋章は

中華民国の国章であり、中国国民党の党章にも使われている。

ホテルの部屋から撮った雄市市街地の光景。道路が広く、碁盤の目のようになっている

雄市は台湾南部に位置し、台湾第2の都市で人口は約280万人弱。

市周辺に重工業地帯が広がり、台湾最大の港を有している。

治安がいいということで早朝散歩に出た

途中、出会ったミニ市場のような所

繁雑な雰囲気が人間的で、海外にいるといった気分になる。

早朝の散歩は思わぬ出会いがあって、旅の醍醐味だ

日本の信号と違うのに気が付いた。日本にも一部残時間の目安を出している信号はあるが

台湾のはより具体的に秒数まで出ている。ある意味こちらの方が合理的だ

かなり斬新なデザインの建物だ。ルイ・ヴィトンなどブランドショップと伊勢丹が入っているビルだ

中央公園の入口にあった人形。目に止まったのでパチリ。この公園は各所に芸術的作品が飾ってあった

公園内でリスを発見。日本では市街地でリスを見ることはできないが

雄には自然がある

緑籬迷宮。漢字から想像を廻らせてみたが答えが見つからない

中国人の読者がいたらコメント下さい。

広い公園内で随所で色々なグループが太極拳らしきものをしている。

日本のラジオ体操みたいだ。

こちらは路上のパーキング。これもなかなか合理的だナーと思った。

道路が広い為こんなことができるのだろう。

あれ!日本のタイムスが雄まで進出している。これにはビックリ

日本のパチンコホールを発見。後でガイドさんに聞いてみたら

パチンコは勿論、麻雀も禁止になったとか

麻雀の本場、中国、台湾で禁止とはこれも意外なことだ。

散歩して気に成ったのが大きなビルの壁に建設会社名が書いてある

それも半端じゃない。

雄にはこんなに沢山建設会社があって競争が大変だなーと思ったが

これもガイドさんに聞いてみたら施工者が宣伝の為か、書き残すらしい。

日本だったら景観を壊すといってすぐに取り外されるのでは

所変われば品変わるだ

因みに雄に比べれば台北の方が少なかった

この写真ではちょっとわかるずらいが、雄の道路は広い

雄という地名は1920年台湾総督府により

旧名「打狗」と発音の近い内地の名所である

「雄」と付けられ、そのまま今日に至っているという。

この早朝散歩で大変感動的な体験をした

約1時間歩き、情けない事に迷子に成ってしまった

最初に道を尋ねた85才の老人が非常に親日家で

日本語を久し振りに喋れて楽しいと色々なことを聞かれた

そしてホテルまでの道を教えてもらったが、どうも違う場所へ

行ったみたいで、再度50代の男性に道を聞いた

この人は日本語は全くわからなかったがホテルのカードを見せた所

ホテルまで一緒に行ってあげるとの事。

ホテルチェックアオウトの時間もあり、その人が天使のように見えた

私の接した台湾人に限っては、本当に親切な人ばかりで

感銘を受けた次第です。

謝々!

 

蓮池潭にある七重の塔「龍虎塔」

龍の口から入って虎の口から出ると、ご利益があると言われている

それにしても龍と虎の色は派手な色だ

湖の辺にある四重の仏塔「春秋閣」

 

「慈済宮」ここの屋根の飾り物も賑やかな造りだ

湖中には中国式建築の「湖裡亭」がある

この湖は淡水湖で蓮の花で知られている

2人の作業員が蓮の手入れをしていたが、ご覧の通り

水深は膝の所まで浅い

湖の回りに中国の汚職キャンペーンのPR看板があり

台湾でも注目されているの感じた

雄市内西に位置する壽山公園の近くにある「忠烈祠」

ここは高雄市内や港を望むスポットだ

又、ここはカップルに人気があり、夜はカップルで賑わうらしい

この写真はいかにもカップルの熱い雰囲気が伝えわってくる

何という寺院だか忘れたが立派な建物だ

雄市で一番高いシンボル的建物「東帝士85大楼」

高さは378M。展望台から撮った雄市内の風景です。

なかなかの大都会だ。

打狗英国領事館文化園区。看板には「重返1879風華歳月」と書いてあったが

ちょっと意味分からず

ここに行くのにはこの階段を登っていく

年配者にはかなりきつい観光名所だ

写真で見るとそのきつさよりも幾何学的階段の美しさの方が印象的だ

登り口の隣には国立中山大学の入口がある

台湾では有名な名門大学らしい。

領事館から見た東帝士85大楼。雄も工業都市で

ご覧の様にどんよりスモッグがかかっていた。

小高い山を下りて来ると英国風の人形があり写真撮影のスポットになっている

リアルな人形が並んでいた。

台湾と英国の歴史的関係は不勉強の為わからない。

丁度行った時は台湾全土で地方統一選挙が行われていた

日本では考えられない大看板で候補者のポスターが至る所にあり、ビックリした

(上2枚が雄市 下1枚が台北市)

写真を見ると若いそして美人女性の候補者が多い。

選挙結果は国民党が大敗し、馬英九総統が退任に追い込まれたのは

日本でも報道された通りだ

美麗島駅のステンドグラス。大きな地下駅の天井一面と

丸柱一面に見事なステンドグラスがある

これはすごい。一見の価値ありだ

旧雄駅。日本統治時代末期の1940年に建てられた

帝冠様式の建物で、日本の匂いがする

その建物の素晴らしさから保存を望む声が寄せられ

現在地に移転、街のシンボルとなっている。

台湾の名物の1つ「からすみ」ぼらの卵巣からつくられる塩乾物で

18世紀の初め中国から日本へ伝来した。

日本では江戸時代より肥前国のからすみは、越前国のウニ

三河国のコノワタとともに日本の三大珍味と呼ばれている。

雄から新幹線で台北に移動

日本の新幹線技術を海外に輸出した初めての事例で

全長約345KMあり最高速度は時速300KM

台北駅を左営駅間は最短1時間40分で行ける

車輌内部は日本の新幹線とソックリだ

駅は鉄道駅とは思えない程広く、超近代的だ

まるで空港のようで台湾も近代化が進んでいるのを実感した。

台北駅。開業は古く1891年

建災防としての視察は2回目ということで、今回はあまり観光客が行かない

所をリクエストした

ここは艋舺公園。台北の下町ぽい雰囲気の所で

台北市民が多く集まる新宿みたいな所だった

麻雀など賭け事が禁止されている為、宝くじの予想屋

みたいなことをこの公園でしていた。ここは宝くじ売り場

ここは公園の隣りの旧市街。廣州街(?)

歩道の各所にこの様なプレートが埋め込まれている

ここは歴史資料館みたいな所で、レンガ造りの古い建物

この様な資料が小部屋に展示されている

たぶん日本統治時代の「二宮金次郎像」

日本の物と比べて顔が福よかで思わず

プッと吹き出したくなった。

電柱にこんなプレートが貼ってあった。

「南無阿彌陀佛」日本の念仏と同じだ

台湾は漢字が多少わかるだけに、興味深い発見が多い

花売りオバサン。なかなかいい一枚だ

台北でも黒ねこヤマトの宅急便とセコムを発見

一瞬ここは日本ではと錯覚してしまいそう。

台北の夜市に行く入口で大規模な開発の建築現場を通った

意匠がなかなか凝った建物で完成が待ち遠しい

「夜猫族(イェマオズゥ)」・・・台湾では宵っ張りにこう呼ぶ」

台北の人は、夜なかなか眠らない

それもそのはず、夜市へ繰り出すから。

毎日夜7時頃からにぎわい始め、ピークは10時から深夜1時頃。

この日の夜は夜猫族になって

人込みを散策してみた。

台湾桃園国際空港の出発ロビーの風景。

こんな満員電車のような混み方は初めて見た

ほとんどが中国本土の観光客だと思うが

13億人のパワーのすごさを新ためて感じた

それにしてもマナーが悪い国民だ。

 

 

 

 


フィリピンマニラの旅2(国際奉仕プロジェクト)

2014-10-20 07:44:19 | 旅 ~海外

フィリピンの大統領官邸・マラカニヤン宮殿。

上の写真が正門、内はわからないが、想像していたより

質素に感じた。このエリアは道路にゲートがあって警備は厳しい。

写真を撮っていたら軍人がすっ飛んで来て、撮影禁止と注意を受けた。

日本人ガイドさんの話では、1986年のエドゥサ革命の時

大統領夫人イメルダ・マルコスの贅沢品が道端まであふれ

その気になれば、宝石を持っていくことも出来たと言っていた。

マラカニアン宮殿正門の前にあるスペイン料理のレストラン「Casa Roces」。

マニラの752軒のレストランの中では12位に

ランキングしている高級レストランだ。

町の喧騒から離れた静かな雰囲気の店で

古い歴史的建物をリニューアルしたらしい。

今回は国際ロータリー3800地区国際奉仕プロジェクトの

事前検証の為、約70名のロータリアンと行って来た。

(2014.3-17付ブログ参照)

今回も地元フィリピンのロータリアンに心のこもった歓待を受けた。

夜のウェルカムパーティ&支援金授与式は地区ガバナーの自宅で行われた。

自宅の真ん中にはプールがあり

約100名が入る大きな部屋がある。フィリピンの金持ちは

日本とはちょっとレベルが違うような印象を持った。

この方が女性ガバナー。宝石商を営んでいるらしく

3世代ガバナーを務めているとか。スピーチの英語も留学したのだろう。

ネイティブなアメリカンイングリッシュだった。

この大きな部屋がオーナーの自宅。ピアノも置いてあった。

フィリピン国歌斉唱。フィリピンの人は右手を左の胸に必ずあてる。

他の国もそうだが。

この豪邸のエリアは高級住宅地らしく入るのにゲートがあり

ガードマンが数名整備をしていた。

マニラの郊外モンテンルパの孤児院を視察に行った。

孤児院の前の広場の向かい側に高架水槽があり

大きくD.2840(群馬県エリア)が寄贈したのが書かれていた。

ここまで来るのに道幅ギリギリの所が

何ヶ所もあり、ドライバーの運転テクニックの上手さにはビックリした。

モンテンルパはメトロマニラエリアでも最も貧しい地区らしく

家の中を覗いてみたが、ブロッグむき出しの暗い部屋に

10名位の家族が寝起きしているという。日本と比べると

想像を絶する悲惨な住環境だ。

VOICE OF DREAM孤児院の入口

ここにもR1 3830地区のRC名が印されている。

フィリピンは敬虔なキリスト教国家だけに、いたる所に

キリスト教の祭壇が祀られている。

この孤児院には小学校から高校までの

ストリートチルドレン約100名が収容されている。

ここでもまず最初に国歌斉唱だ。

そして子供たちがダンスで歓迎してくれた。

かなり練習したのだろう。子供とはいえリズム感が素晴らしく思わず見とれてしまった。

タオル等孤児に支援品を支給、子供たちの笑顔を見ると、こちらが感動してしまう。

「モンテンスパ」といえば年配者は聞き覚えがある響きを感じるのでは。

ここは太平洋戦争中の激戦地フィリピンにおいて

戦後処刑された「マレーの虎」こと山下奉文大将以下17名が葬られた場所だ。

又戦後、戦犯釈放にまつわる逸話の渡辺はま子のヒット曲

「モンテンルパの夜は更けて」で知られる戦犯収容所の所在地であった。

この逸話は書くと長くなるのでやめるが本当に感動的な実話だ。

やはり日本人はこのことを忘れてはいけないと改めて痛感した。

私たちの奉仕の旅はある意味、日本人の償いの旅かもしれない。

孤児ではない近所の子供たちも網を登ってこちらを

じーっと見つめていたのが印象的だった。

 

今回の旅で気に成った一つにこの巨大な広告看板。

そのでかさたるや日本では信じられない大きさで

道路沿いに至る所で見うけられた。

ちょうど行っている時にマニラ付近に台風が上陸。

この巨大な看板はヨットの帆のようになる為、皆巻き込んで下していた。

フィリピンの国技はバスケットボール。街角の至る所にバスケのゴールがあり

ストリートサッカーではなく、ストリートバスケをしている風景を多く見た。

翌日私たち12グループに別れてメトロマニラ郊外のプロジェクト検証に出かけた。

最初に向かったのはバレンズエラ市の3つの

バランガイセンターの医療施設。

ここでも歓迎の幕で熱烈に迎えてくれた。

一番目に行った診療所。といっても名ばかりで3ヶ所全体で

歯科医師が一人だけという。白衣を着た人がその先生。

待合室は屋外で屋根がかかっているだけ。

ローテンション表

主に妊婦が多い様で、各所に助産婦さんがいる。

フィリピンはキリスト教徒が圧倒的に多い為、中絶が認められていない。

だから子供がすごく産まれる。

次に向かったのがBIGNAYヘルスステーション

この人がバランガイのボス。ここもリーダーは女性だ。

ここが一番立派な診療所だった。

どういうノートだかわからないが、見せてくれた。

カルテの様なものか、ビッチリ書きこんである。

バランガイの事務所

バランガイとはフィリピンの都市と町を形成する最小の地方自治単位であり

村、地区又は区を表す独自のフィリピン語。

日本でいうと大きな自治会に行政権限が与えられた組織といえるかも。

急遽、バレンズエライーストRCのメンバーの鞄工場を見学させてもらうことになった。

ここは小学生の通学鞄を作っている。

お世辞にも良い製品とはいえず、おそまつな鞄だった。

次にサンファン市に移動。サンファンRCの案内で

市内最大のサンファン小学校を視察した。

ご覧のようにとても立派な学校だった。

ここにもキリスト教の像が祀ってあった。

一番手前の人が校長先生、あとは教師の皆さん。

ここでも女性がリードしている。フィリピンという国は本当に女性が頑張っている国だ。

男性は一体何をしているのだ。

ここにも歓迎の幕。ここのは日本語も書かれていて、感激。

ここではトイレの修繕を依頼された。

屋外にあるトイレで全て使えない状態だ。

一ヶ所は天井が一部落ちかかっている。

日本だったら公共事業ですぐ修繕するのにサンファン市は何をしているのだろう。

素朴にフト疑問に感じる。聞いてみたら市にお金が無いそうだ。

教育が一番大事なのにこの国はやはり、どこかおかしい。

校内で日本では考えられないものを見つけた。飲料浄水器だ。

飲むのに有料とはビックリ。子供たちは飲み水を一体どうしているのだろう。

 

 

今回の旅は2度目ということで、新鮮な感動や驚きだけでなく

素朴な疑問が生まれてきたのも事実だ。

ここで、聞いた2つの話をご紹介してこのブログの〆とします。

・私たちの奉仕プロジェクトを現地の人たちはどう受け取っているのだろう?

当然感謝していると思うが、それよりも神の恵み・神のご加護と思うらしい。

・前回もお世話になったマニラ会(現地人と結婚した日本人の会)の

鈴木副会長の話によると、1965年日本からの金銭援助ではなく

6万袋のセメントでマニラ大聖堂を修復した援助で

反日感情はいっぺんに無くなったという。

よくその国の文化を勉強することが大事だと言っていた。

 

 

 

 


フィリピン マニラの旅

2014-03-19 08:04:04 | 旅 ~海外

フィリピン国旗、4つの色からなる。白は平等と友愛、青は平和、真実と正義

赤は勇気と愛国心を象徴。黄色い太陽は自由を意味している

3つの星はルソン島、ミンダナオ島、ヴィサヤ諸島と主な島を表している

戦争の時には天地を逆にして「勇気」「愛国心」を表す赤を強調するといった

他の国旗にはない特徴を持つ

ニノイ・アキノ国際空港。1983年8月に空港内で暗殺された

ベニグノ・アキノ・ジュニア上院議員(愛称ニノイ)を祈念して改称された

他国の空港がどんどん新しくなるなかで、この空港は前時代的な感じだ

ホテルから見たメトロマニラの高層ビル風景

16市1町で構成されるメトロマニラは人口約1200万人

東京23区よりやや広く、遠くに見えるビル群は副都心マカティ地区

ホテルの近くにはショッピングモールのロビンソン(高層ビルの谷間)があり

多くの人で賑わっている。

市内にはトライシクルと呼ばれている自転車タクシーがウジャウジャ走っている

最近ではトライバイクと呼ばれるバイクのタクシーも増えているとか

とにかく車の渋滞の中をこのトライシクルがウロチョロ、そして

人が自由奔放に車道を横断

それに対して車はクラクションを鳴らすし

交通ルール無視といった町だ。その割に事故はあまり無いという不思議な国だ

フィリピンの街の名物タクシー「ジプニー」互々がド派手な飾りつけをして

競い合っているようだ。なぜかベンツの大きなマークを付けている車が多い

ジプニーの歴史はアメリカ軍のジープを払い下げた時

なんとか使えないかという所から始まったらしい

現在は20~30年前の日本車のトランスミッションを乗せて

フィリピン車だと国民は自慢しているらしい。

8人乗りで8ペソ(20円)後ろに乗った人はお金を手渡しでドライバーに渡す

無銭乗車防止策でキリストの絵が貼ってあり

お金を払っていないことを神様は見ているといった

プレッシャーで防いでいるとか。本当に信仰心の厚い国だ

ロビンソン1階のスーパーは広大な面積だ

フィリピンは農業国。主な生産品はサトウキビ、ココナッツ、タバコ、マニラ麻そしてバナナ

この写真を見ても分かるように特に果物はものすごく豊富だ

バナナの種類も何種類もあってビックリ。国が違うので当然だが

魚も日本と似ているようで違う。とにかくこのスーパーマーケットは商品が豊富

たぶん富裕層の人達が来ているのだろう

フィリピン人の主食は日本人と同じで米

フィリピン人にフィリピン米と日本の「ささにしき」とどちらが旨いか

アンケートを採った所が圧倒的にフィリピン米の方が

旨いと答えたそうだ。食とはそうゆうものかもしれない

このスーパーの外には機関銃を持った警備員がいた。

マニラ随所にこの様に銃を持ったガードマンがいる

一部本音だと思うがフィリピンは「盗難アジア」と言われるぐらい

治安が悪い。盗まれた方がバカというお国柄だ。

私の友人がタクシーでお金を落とした。その時ガイドはなんとか捜そうとしないで

そのタクシーの運転手はラッキーだと言ったとか。

道路にはこのように露店が沢山あり、歩いていると子供から大人まで物を売りに来る

フィリピンは階層がはっきり分かれており、2011年のGDPは2131億ドル、丁度、福岡県と同じ位

一人当たりのGDPは2223ドル、世界平均の約20%水準

1日2ドル未満で暮らす貧困層は3842万人

約40%以上のフィリピン人が貧困層だ

都会の真ん中というのに路上にゴミの山がある。

乗ったバスをよく見たら「琴平参宮電鉄株式会社」のプレートが

そのまま貼ってあった。このバスは日本からの中古バスだ。

バクララン教会隣りの商店街というよりは闇市のような街

すごい人込みの中をジプニーが列を成して走ってくる

そして人は皆若い。熱い日だった

雑踏のアップ。何を売っているのかすごい熱気の風景だった

とにかく物が安い、このサンダル250円だ

LRT(路面電車)のピアが途中で止まっている。

この国の鉄道は遅れている。これは統治したアメリカの政策が影響しているらしい

アメリカは自動車と飛行機を売る為に鉄道を軽視した

今の鉄道網は日本が作ったそうだ

道路のインフラ整備も遅れていてマニラは世界一渋滞がひどいらしい

アジア最大のバクララン教会、フィリピンは東南アジア唯一の

キリスト教国(東ティモール除く)人口の90%以上がキリスト教徒だ

日曜礼拝(ミサ)の光景。

日曜日は8回ミサがありこの時も教会はいっぱいだった。この礼拝場は約3500名

入り、一番多い水曜日は一日10万人ミサに参加するそうだ

そして礼拝にはみなドレスアップして(そうは見えなかったが)

デートの場所になっているという話を聞いた

もう一つ、この教会の夜はフィリピン人妻に捨てられた高齢の日本人男性が

300人位野宿しているとか。フィリピン女性と結婚している日本人男性の数は

10万人位と言われ日本で生活している人は成功し、フィリピンでは

苦労しているという話も聞いた

 

厳粛なミサの空気を読者に伝えようと動画も撮ってみた

ここでフィリピンの歴史について触れてみます。

1521年フィリピンはマゼランが発見。スペインに占領された

その当時フィリピン人には名(苗字)が無かった為、スペイン名の名前をつけた

そしてスペイン人は皆、男性ばかりだったので多くのフィリピン人女性と結婚

その3世、4世は今80才位になっている。

1898年スペインはアメリカに2~3万ドルでフィリピンを売った

そして1946年にロハス大統領の下で独立した

歴史的には華僑、インド、サウジアラビアそして日本に占領された時もあった

太平洋戦争では100万人日本軍が約50万人も死んだ

所変われば品変わる。ガソリンスタンドとセブンイレブンが一緒の業態を発見。

これいいかも

フィリピンのタクシーには車体にエアコン付の表示がしてあり、無いタクシーと

差別化しているのはおもしろい

マルキーナ市内にある教会とマリア像

かなり古い教会らしい。

短い滞在中に幾人もの赤ちゃんを抱いた女性の物乞いを見た

人に聞いた所によると赤ちゃんはレンタル

鳴かない赤ちゃんはレンタル料が高いとか

そして嘘か本当か知らないが、赤ちゃんに睡眠薬を飲ませているとか。

有名なマニラ湾の夕陽

(数十年居る日本人ガイドさんの話)

フィリピンは日本とあまりにも違う、この国で生活する

秘訣はこの国の文化、風習を勉強することが一番大事

フィリピン人は明るくてやさしく、人が良い

しかし、熱しやすく冷めやすい人達だ。


マレーシア・クアラルンプールの旅

2013-12-06 07:58:23 | 旅 ~海外

 

1963年に制定されたマレーシアの国旗。赤白あわせて14本の縞は

13の州と連邦政府を表している。星の14条の光も同じ。

新月は国教イスラムのシンボル。

飛行機から撮ったクアラルンプール近郊の森。ずーっと続く

植林されたパームヤシの森。この木がマレーシア経済にとって重要なことは後でわかった

ハイビスカス(ブンガ・ラヤ)はマレーシアの国花。5つの花びらは

マレーシアの5つの国是(①神への信仰②国王及び国家への忠誠③憲法の遵守

④法による統治⑤良識ある行動)を表している。

国家記念碑にあったマレーシア国のエンブレム、2頭のタイガーはハリマ王というらしい。

街を一望に見渡すことができる小高い丘にある

独立記念碑。1949年~61年の独立戦争で共産主義ゲリラと戦い

亡くなった兵士たちを悼むために建てられた記念碑。記念碑には日付が刻まれている

1950年代の独立戦争で勇敢に戦った7人の兵士を称える

ブロンズ像。アメリカの硫黄島の碑に似せて建てられたとか

国立回教寺院(モスク)マレーシアの人口は約2800万人

その内の6割がマレー人、3割が中国人、1割がインド人

故に国教はイスラム教だ

モスクの回廊の回りには水路があり、素足で歩く大理石の上には

ひんやりとして気持ちがいい。

イスラム教徒の女性はビジャブという頭をかくす服装をする。

マレーシアに来て一番印象的なのは町中を歩くイスラム教徒女性の姿だ

つくづく異国に来たという思いになる

モスクの礼拝堂の中。祭壇みたいなものは無く聖地メッカの方向に向いて礼拝する

中はとにかく広かった

入口に掲示されてある礼拝の作法のマニュアル

ガイドが詳しく説明してくれたが、とにかくイスラム教は色々規律があった本当に大変だ

モスクの入口にあったこれがパームヤシ(アブラヤシ)

この木の果肉と種子から油脂が取れ、商業作物として大規模な栽培(プランテーション農業)が行われている

 

そして、幹と果実のアップ写真。この果実から採れる

油脂は植物中屈指で石鹸や食用植物油に使われる

1995年には世界の生産量の51%を占めるまでになった。

マレーシアといえば以前は天然ゴムで有名だったが

現在は世界全体の9%余りしか生産されていない

ゴム価格の低迷と賃金上昇で採算が合わなくなったからと言われている。

ムルデカ独立広場。1957年8月31日午前0時に

この広場に掲げられたユニオンジャック(英国国旗)が降ろされ

マラヤ連邦国旗が掲揚された。

かつてイギリス植民地時代、行政府として使われた建物

イギリス建築家によって設計された、ムーア様式のレンガ造りのビル

クアラルンプールの象徴のひとつとして親しまれている。

独立広場の近くに流れている川。この場所からクアラルンプール

(泥の川が交わるところの意味)という地名が付いた

 

高さ421M、276Mの所に展望台があり、360度のパノラマが楽しめるKLタワー

施工ははドイツ企業が請け負った。4年の工期をかけて1996年に完成した

 

そのタワーから見た市中心部、ひときわ大きく見えるのが

ペトロナス・ツイン・タワー 今やクアラルンプールの近代化を

象徴する建物としてシンボルとなっている。

この付近周辺は近代的超高層ビルが林立している

そして今もどんどん街の姿が変貌しているのがよくわかる程、建築ラッシュだ。

今回の旅の本来の目的は大成建設(タイセイコーポレーション)でのマレーシアの建設事情の研修

海外勤務地が6か国、マレーシア在住20年の超ベテランゼネラルマネージャーの研修を受けた

クアラルンプール事務所はヘッドクォーターでコスト等

トータル判断でシンガポールから移転したとの事

現在、日本人スタッフ15~16名、現地スタッフ50~60名

ゼネコンの海外事業の貴重な話が沢山聞けたので紹介します。

 

①マレーシアは16C英国植民地で胡椒、ゴムなど採る為に監督としてインド人

作業員として中国人を移民させた。これが今日の多民族国家のルーツ

②マレーシアは地震、台風が無い為、垂直過重だけを考えればよい

その結果、設計の自由度は高く、凝ったデザインの建物が多い

③日本人は戦後も平作戦の長期戦略が下手で

戦時中と変わっていない。これが日本人ビジネスの弱点だ。

④中国人は自分の国を信じていない。

⑤職人不足はこちらも同じだ

そして所長は勉強会終了後、午後からシンガポールに日帰りの仕事に出かけて行った

ここは非常に住みやすい所だと言っていたのが印象的だった。

目立つ意匠のビルの1例

泊まったホテルの前にあった建設現場、施工者は韓国の大宇建設(Daewoo)朝の朝礼はまるで

デモのシュプレヒコールのような大きな声を張り上げていてビックリした。

仮囲いにマレーシア国旗が張ってあるのが印象的

レッカーのアームに日本の企業名を発見。中古重機がこんな所で活躍しているとは

クアラルンプール近郊にある巨大な洞窟、バドゥ洞窟。

マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地。洞窟に入るには

272段の階段を上がらなければならない。

そして入り口に立つ金色の巨大な像

入口の門にはいかにもインドの香りがする。

この辺りには野生の猿が生息している。観光客がバナナを投げると

眼光鋭く、奪い合い、あまりかわいくない。

クアラルンプール随一の商業地区ブキッ・ビンタンにあるショッピングセンター

この時期になるとクリスマスの飾りつけが始まり、賑わいを増している。

ここは、東京、ニューヨーク(?)と一瞬分からなくなるほど

お洒落なデコレーションだ

マレーシアの発展振りがここでも伺える

そして近代マレーシアのシンボル

「ペトロナス・ツインタワー」の夜景

外壁材が光り輝く鋼鉄(ステンレス製)とガラスでちょっと見たことがない夜景の美しさだ

ドキッとする位素晴らしい風景だ。

20世紀の超高層ビルとしては最も高い、高さ452Mの88階建て

マレーシアの国立石油会社ペトロナスによって1998年完成した。

建設当時はシカゴのシアーズタワーを抜き世界一を誇っていていたが

2003年台湾の台北101(509M)に世界一の座を譲り渡した。

設計はアルゼンチンのシーザー・ペリ&アソシエーツ

施工は日本のハザマがタワー1、韓国のサムスン物産建設部門がタワー2を建設した

この渡り連絡橋(スカイブリッジ)は41階、42階にあり

フランスの建築会社が施工した。当日は10時に

一番乗りで上がり、最高の気分

エレベーターの途中には女性ポリスがいたが、快く写真撮影に応じてくれた

頭を見ると彼女はイスラム教徒なのがよくわかる

この塔はイスラム様式でマレーシアのモスクに似せて作られており

特徴的な尖塔を持っている

86階にある展望内部の映像

行くまでは知らなかったがご覧のとおりクアラルンプールの周りは山に

囲まれている盆地にあった

今回の旅でインド人のガイドさん(マッチャン)や大成建設の人から聞いた範囲では

如何に政治が重要な事かとゆうこと。

22年間首相を務めたマハティールがルックイースト政策(日本に学べ)

で大いに国を発展させ、今、日本が民主党政権になって混乱したのを

横目に見て逆の面から日本に学んで、政権交代に慎重になっている。

そして、中国の存在感が大きくなる一方、日本の存在感は

相対的に薄くなっているというのは、日本人の一人として

大変残念なことだ。

 

 


大航海時代

2013-07-08 11:38:38 | 旅 ~海外

国際ロータリー年次大会(リスボン)出席の為

ポルトガル、スペインに旅して来ました。

「発見のモニュメント」

大航海時代(15C中~17C中)に活躍した帆船型モニュメント

ポルトガルの英雄エンリケ航海王子を

筆頭に約30人の像が立ち並び、新しい国に

到達した年が刻まれている。

日本は1541年、1543年に種子島に漂着して鉄砲を伝えた。

 

ジェロニモス修道院。大航海時代の富によって

建てられたポルトガルで最も華麗な修道院

マヌエル1世が16世紀初頭に建築を開始

完成したのは19世紀

天正少年使節団も立ち寄った

同修道院に安置されているヴァスコ・ダ・ガマの棺

1497年7月8日、マヌエル1世に命じられて

リスボンを旅立、喜望峰を経てインド航路を開拓した

ヨーロッパ人初の人

これによってポルトガル海上帝国の基礎が築かれた

 

スペイン第4の都市「セビーリャ」にある大聖堂(世界遺産)

世界ではローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンの

セント・ポール寺院に次いで3番目の規模

13世紀半ばイスラム寺院であったが、レコンキスタにより

キリスト教聖堂として造り替えられ

約100年の年月をかけて建造された

(参)レコンキスタ イベリア半島からイスラム勢力を駆逐しようとする運動

 

この大聖堂内にコロンブスの廟がある

4名で担がれている棺の中にコロンブスの遺体があるとか

クリストファー・コロンブス(ジェノバ商人)は1492年

フェルナンド5世、イザベル1世の支援を受け

サンタ・マリア号他2隻でバルセロナ港から出港

アメリカ大陸を発見した。

セビーリャの公園にあるコロンブスの記念塔

スペインにはいろいろな所にコロンブスの像や塔があり

その存在の大きさがわかる

 


タイ・バンコックの旅

2012-11-19 15:14:58 | 旅 ~海外

 

ホテルから見たバンコック市街。人口は600万人以上

ひょっとしたら800万人位いるかもしれないらしい。

近代的なビルとバラックが混在している、地震も無い

車は左側通行でほとんどが日本車。絶えず渋滞している。

一つの原因に小学校低学年の子供を親などが

迎えに来るのがあるそうだ。夕方近くは学校周辺は車が動かない

ワット・ブラ・ケオ 本堂にエメラルド色の仏像を祀ってあることから

別名「エメラルド寺院」と言われている。その寺院の入口

タイ王室の守護寺院、唯一僧侶のいない寺院としても有名

仏舎利が安置されているという黄金の仏塔チューディー

目にも眩しい。タイの人は本当に金が好きなようだ。

2番目の入口の鬼たち。とにかく大きい。顔はなんとなく愛嬌がある。

この寺院はとにかく太陽の光を反射してピカピカして派手で美しい

ほとんどは硝子で旭硝子㈱が施工したとか

因みにタイではルビー、サファイアが採れる

タイの寺院の屋根は大変特長がある。屋根の突端部分には

「チョー・ファー」と呼ばれる神聖な棟飾りが乗せられている。

この形は神や天使が住む天界園に生存する

創造上の鳥の頭の形をモチーフにしている。

タイのプミポン国王とシリキット王妃の写真

タイの国民は国王と王妃を深く敬愛している。国民の心の

寄り所であり王室を侮辱するような発言や行為は外国人

でも許されないと言われている。街中のいたる所に

国王、王妃の写真、絵があったのには驚いた。

寺院の中は短パン、ミニスカート、サンダル等での入場はできない

多くの外国人観光客は腰巻のようなものをレンタルで借りて見学していた

チャックリー・マハー・プラート宮殿。上部はタイ様式

下部は欧米様式の建物

国王が外国の賓客を迎えるのに使われる

ワットポー涅槃寺。全長46mもある。金ピカの寝釈迦仏

を安置している。とにかくデカイ

どの寺院も派手で金ピカ、欧米人の観光客に人気があるのが

わかるような気がする。

タイの古典舞踊。古典ドラマ「ラーマキエン」を題材に

セリフはない。身のこなし、指の優雅な動き

本当に素晴らしかった

微笑のタイ美人

今やタイのナイト観光の名物となったニューハーフショー

の劇場「カリプソ」のある倉庫街を再開発したエリア

これを見なければバンコックに来たとは言えないと言われている。

人気のショー。女性が多いのにもビックリした。

ワンドリンク付 約3000円

歌あり踊りあり、笑いあり、日、中、韓の出し物も盛り込まれている

美空ひばりの「川の流れのように」のショーにはまいった

この2つのビデオを見ればなんとなくその雰囲気が

分かると思います。3000円で2時間は安い

大いに楽しめた

出演者も多く、皆、男性なのに男が女装したり

ニューハーフがコラボレーションしたりと見ているうちに

頭が混乱してくる。

何とも不思議な時間であった。

ショーが終わるとお客をニューハーフが見送ってくれる

日本の宝塚スターと感違いしてしまうが全く逆のシチエーション

記念写真を一緒に撮ろうと誘ってきたが、やめた

後でわかったことだが、けっこう高いチップを取られるらしい。

アップで見ても美人だ

 

 

 

 


タイ・アユタヤの旅

2012-11-16 08:55:42 | 旅 ~海外

 

業界研修でタイに行って来ました。これはタイ国の国旗

センターのブルーは王室。白は小乗仏教、赤は国家を

表していると聞いた。町じゅうに国旗が掲揚されていたのが

印象的でした。

「ソンブーンシーフード」という海鮮料理店の店内。タイは

つい最近まで家にキッチンが無く外食文化が発達していると言う

この店も大変混みあっていた。

著名人が多く訪れるらしく、小泉純一郎元首相も来たとか

その時の写真が壁に掛っていた。

どこへ行っても「SINGHA」というビールが出てくる

タイの地ビールで口当たりも良い

タイは俗に「微笑みの国」と言われ民族性はやさしく

親日的な国です。これも仏教の影響ではないかと思います。

チャオプラヤー川を舟で3時間かけて世界遺産アユタヤに行きました。

船の舶先にはタイ国旗となぜか蘭の花。気候は湿気のある

日本の夏と同じで暑かったが、川面の風が心地よかった。

三島由紀夫の小説「暁の寺」の舞台となった

ワット・アルンラーチャワラーラーム(一般にはワット・アルン)

10バーツ硬貨にも描かれている。

川には魚がびっくりする程おり、パンを投げると写真の様に群がってくる。

アユタヤ「バンパイン宮殿」の案内図。バンコク王朝では

夏の離宮として歴代国王が過ごした。

池の上に経つプラティーナン・アイスワンステップアート離宮

大量の黄金を使って建てられた

庭園も手入れが行き届いていて大変美しい

池の魚やスッポンの餌のパンを無料で配布している。

のんびりした女性でずっと読書をしていた。

洋風の迎賓館、秋篠宮様も宿泊したとか

なんだか分からないがこの塔に登るとアユタヤの街が

見渡せるとか

タイ国中華総商会から寄附された明天殿という中国風の宮殿

ワットヤイチャイモンコ(仏教寺院)入口の標識

タイの文字は丸まっていてまったくとっかかりがない

境内の仏塔は1592年にビルマ王との戦いで勝利した

記念に建てられた

お釈迦様の涅槃仏。タイは徹底した小乗仏教国

来世のことを真剣に考えている国民性だという。

石仏のお顔が日本人の心とどこかつながっているような気が

するのは私だけだろうか?

ワット・プラ・マハタート 1956年に修復した際

数々の黄金仏や宝飾品が発見された。

木の根に埋め込まれた仏像、これで有名な寺院

説明文に日本語が表示してある、中国語や韓国語はない

まだまだ日本観光客が主流の現れかな?

バンコックへの帰路、昨年7月頃から続いた大雨による

大洪水で膨大な被害にあったロジャナ工業団地に視察に行った

ここはテレビ等で報道された新車1055台が水没した

ホンダの工場

この大洪水は50年に1回あるかどうかのすごい水害で

2~3Mの高さまで浸水したとか

昨年末に完全に水が引き、今年4月から復旧した

今回の大洪水後、政府が工業団地周辺をぐるり

防水堤防を築いていた。