興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

真実が聞かれる時 (when the truth is believed...)

2006-10-30 | プチ臨床心理学

今日の研修のゲスト・スピーカーの一人に
Rape Crisis専門の弁護士団体の弁護士が
いたのだけれど、長年に渡って性犯罪の
被害者の為に戦ってきた彼女の話からは
非常に学ぶところが多くありました。

そのお話の中から、特に印象的だったものを
皆さんとシェアしてみたいと思ったので、
ここに簡潔にまとめてみます。


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性犯罪という暴力が被害者の人生に与える
ダメージというものは、本当に計り知れない。

レイプの傷は、時が経てば自然に癒されるなどという
誤った考えを持った人は世の中に多いけれど、
この前の記事でも書いたように、レイプの経験は、
時に致命的といえるほどの大きな影響力を持っている。

また、惨事の後に、被害者がどのような経緯を
辿ったかによって、その人の人生は大きく変わってくる。

性被害において 最悪な状況の一つに、被害者の
体験を、誰も信じてくれない、というものがある。

「レイプなど存在しなかった」という、周りからの
全面的な現実否定である。

残念ながら、こうした現実否定は実に多い。そこには、
親やきょうだいや配偶者や友達といった身近な
人間は特に、

「そのような酷いことが自分の大切な人間の身に起こった」

などと言うことは聞きたくないという、話を聞くこと
そのものに対するネガティブな姿勢からくる防衛機制が
関係している。

また、たとえこれらの身近な人々に聞いてもらえても
警察に通報するなど、法的手段に出ずに泣き寝入りする
被害者は非常に多く、例えばLAにおいては、法的措置に
乗り出さないケースは90%にもなると言う。

全被害者のうちの、実に10%しか、リポートしない
という悲しい現実だ。性犯罪における社会的意識の
進んでいるLAにおいて、この数字なのだから、わが国
日本において、一体どれほどの人たちが泣き寝入り
しているのかは おおよそ見当もつかない。

しかし、法的手段に乗り出すと決意した女性達を
待ち受けているのは、様々な種類の新たな苦痛である。
ただでさえ 誰にも話したくないような話を、警察に
始まって、病院の看護師や医師、弁護士、裁判官など
実に様々な人たちに、様々な場所で、何度も何度も
話さなくてはならない。

しかも、そうした聞き手の全てが被害者に対して
共感的な姿勢を持っているわけではもちろんなく、
被害者は、批判的で心無い法的関係者などとの
接触の中で、「Second Rape」(セカンド・レイプ)とも呼ばれるような、
新たな精神的傷を負うことも多い。

こうした背景に加えて、被害者は事件当時、非常に
混乱しているため、適切な判断ができなくなっている
ことが多い。そんなことが自分の身に起こったという
こと自体忘れてしまいたいのが人間だと思う。

言うまでもないことだけれど、警察へのリポートは、
早ければ早いほど良く、時の経過とともに証拠は
どんどん薄れていく。病院で採取されるべき、
加害者の精子や唾液や汗などの、DNA鑑定に
関する証拠も、身体に残った傷も、すぐになくなってしまう。

例えば、人間、眼細胞の傷の回復は非常に早い
ことが知られているけれど、ヴァギナの傷の
回復も非常に早いことは、意外と知られていない。
月曜日に付いた傷が、木曜日には完治している
ことが多いという。

つまり、事件の直後、まだ 服や身体に犯人の証拠が
残っている時に警察に通報することが、法廷に
おいて勝訴ために非常に大切なプロセスなのだけれど、
ここが、被害者の置かれた最大のジレンマの一つだ。

一番 精神が混乱していて、正しい判断が一番難しい時に
訴えるかどうかの判断を下さないといけない。

(もちろんその後でも訴えられるけれど、一番
確実な手段として、法律関係者は直後の通報を
 奨励している)

性犯罪の被害者の弁護士や支援者が一番よく聞く、
彼女達の 後悔は、ここにある。

「あの時、すぐに行動に出ていればよかった」と。

時の経過とともに、カウンセリングや、家族や
友人などのソーシャルネットワーキング等を経て
被害者は癒されていくわけだけれど、その中で
残りの人生においていつまでも残る後悔は、
犯人が捕まらなかったことや、裁判で真実が
認められなかったことだったという。

自信を回復して、精神が安定し、正しい判断が
出来るようになったとき、ほとんどの女性は、
法的手段を取るべきだったと思うという。そして、
その時には 全ての証拠が消えうせていることが多い。
なんともやりきれない話である。

性犯罪の被害者の癒しのプロセスで、ある意味で何よりも
パワフルであるのは、犯人が捕まって、法廷で勝訴したとき、
つまり、真実が真実として、人々から信じてもらえた
時だという。その時の、癒しの力は、絶大だという。

長い間うやむやにされていた 真実が聞き入れられた時
人々は癒される。

(余談だけど、殺人事件や、酷い事故の遺族や、
 子供がいじめによって自殺した親たちが、
 自分達の全てを掛けて、法の上に真実を追究するのも、
 真実が認められたとき、彼らの心の傷が
 癒されるからだろう。愛するものの死の
 真実が明らかにされたとき、死者は報われ、
 遺族達は癒される)

しかし、前述の、「一番混乱しているときに、
一番大事な決断を迫られる」というジレンマは、
どうにか回避されるべきである。それは、被害者に
とって、あまりにも酷である。

そこで、この講義の弁護士が実践している教育は、

「もし 自分が性犯罪の被害者になったときどうするか、
 あらかじめ決めておく」

ということだった。その可能性について、以前から
よく考えて、決めておくことによって、その時に
なって決断することを避けられるということだ。

もちろん、そんな事件に巻き込まれたら、どうしたって
人は大混乱に陥るけれど、この方法は、機能するようだ。

「自分が性犯罪の被害者になったら・・・」

こんなこと、誰も考えたくない。
しかし、世の中の女性の4人に1人が、人生の中で
レイプの被害にあうという統計が示すように、
性犯罪というのは、実は身近なところにある。