興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

対人論法と人間関係

2006-10-07 | プチ認知心理学

哲学用語で、「対人論法」という言葉がある。 


基本的にこれは、議論において、論点を、
相手自身の属性にずらす技法、つまり、発言者の 人格や、経歴や普段の行動などを理由にして、 発言内容が誤っていると推測するもので、これは 論理的誤りであり、実質は人身攻撃に過ぎないものだ。

例えば、シングルマザーやシングルファーザーが結婚生活の秘訣について 語ったときに、「離婚歴があるこのヒトの結婚の秘訣話 なんてあてにならない」と決め付けて適当に話を 聞いたり、また、全然聞かなかったりするのがこれに 当たるもので、このような論理的誤りは、私たちの日常生活の中に溢れている。

でも、聞き手だって誰もが、それぞれの人格や経歴や 価値観や考え方があるわけで、「発言内容そのものに耳を傾けて正当に評価する」というのは、時として非常に困難であることは、誰もが経験的に理解できることだと思う。

聞き手にとって、相手に対する印象がはっきりしている場合、対人論法の脆弱性ははっきり分かるものだけれど、これがもっと曖昧な形で働いている場合、なかなか
気付かなかったりする。

例えば、大した感情は持たないけれど、どちらかというと苦手だったり嫌いだったりする人の発言内容は、どちらかというといい感じの相手のそれと比べて、 微妙な具合に批判精神を持って聞くものだけれど、そうしたわずかな偏見というものに、人はそうそう気付かないものだ。

対人論法とは、基本的に、相手の発言を攻撃する、ネガティブなインターラクションにおいて使われるものだけれど、これが全く逆に働いている例も実に多い。

例えば、有名人の発言は、その人自身が持っている人気や魅力などが理由で、

「あの人が言うんだから間違いない」

などと、「対人論法」的に、ポジティブな論理的誤りに繋がる現象は、枚挙にいとまがないもので、有名な教授や名医が、実は言わずもがななどうでもいいことを言っていたり、おかしなことを言っているのに、

「そうだ!そうだ!」

と彼らの属性ゆえに過大評価されることは多い。


対人論法は、人間誰もが持っている、自己愛(自分を大事に思う気持ち)や防衛機制
(自己が不快な感情を体験することを回避する、様々なこころの機能)と深く結びついていて、ある程度、このような傾向を持っていないと、明らかに自分に悪意のある者や、自分の心を乱す人間の発言に耳を傾けすぎて精神に支障を来たすことにもなるので、「ある程度」は必要だと思われるけれど、問題は、それほど自分の精神衛生と関係のない誰かの発言内容において、私たちがそのような論理的誤りをもっていて、不当な判断をする場合だ。

また、自分の対人論法性を客観的に見つめてみると、ある人と自分の現在の人間関係などにおいて、意外な洞察が得られたりする。

自然な好奇心を持って、話す内容そのものに耳を傾けられる相手もいれば、その人が話す前から、強い先入観が存在する人もいる事と思う。そのように、対人論法を使って発言内容を判断したくなる傾向が強い相手は、自分にとって相当な問題となっている人だけれど、ふとした瞬間に、その人の話を素で聞いてみて、目から鱗が落ちるようなこともあるから、自分の対人論法性の傾向を普段から観察しながら周りの人間と付き合っていくことは、それに無自覚でいるよりも、はるかに有益だと思う。