興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

進化する恋活・婚活事情

2015-12-23 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 何かの目的に到達するために積極的な行動をとる様々な活動を、「○活」と呼ぶ近年の傾向は興味深いもので、それはもともと就職活動の略、「就活」辺りから始まったのではないかと思うのですが、これが「恋活」、「婚活」、「妊活」・・・・・と、どんどん広がりつつあるような気がします。一昔前までは、恋も、結婚も、妊娠・出産も、どちらかというと自然な成り行きで起きていたと思うのですが、昨今は、こうした多くのことが、とても意図的、目的的、戦略的になっているような印象があります。そこには当然、社会や文化の変化に伴う人々の価値観や考え方、ライフスタイルの変化などが複雑に絡み合っているわけですが、この「社会的、文化的」な変化には、IT革命が可能にした膨大な情報とネットワーク、こうしたものへの人々のアクセシビリティ、利用可能性という要素も大きいと思います。

 今回のテーマである、恋活、婚活も、こうしたテクノロジーの影響を多分に受けています。

 恋人や、将来の配偶者を、ウェブサイトを使って探すことは、アメリカなど、海外では、E-harmony、match.comなど、だいぶ前から行われていましたが、最近はわが国日本でもその傾向が顕著になってきました。世代にもよると思いますが、皆さんの周りにも、インターネット上のソーシャル・ネットワーキング・システム(Social Networking System、SNS)を用いて良いパートナーを見つけて、幸せな結婚をしている人が、結構出てきているのではないかと思います。私の周りにもたくさんいます。先日出席した旧友の結婚パーティーで、その大恋愛を通しての結婚のそもそものはじまりが、やはり婚活サイトだと知った時には、正直少し驚きましたが。私の印象では、とくに彼女は婚活サイトを使わなさそうな人だったからです。

 これは比較的新しい現象であり、日本人はとくに、インターネット上の出会いに対する警戒心がある方も依然と多く、また、こうしたSNSが、これまでのいわゆる「出会い系サイト」などと混同され、ネガティブな先入観や誤解や偏見によって、否定されたり敬遠されたりしているのも見受けられます。それから、こうした先入観や偏見はないものの、「やっぱりそういう出会いは自然に起きて欲しい」、「不自然」、「ネットに頼りたくない」、という理由で敬遠している方の話も良く聞きます。こうした人たちが、一向にそうした「自然な良い出会い」がないままでいる一方で、SNSを使って積極的に自分にとって最適な相手をみつけて幸せになっていく人が多いのも事実です。もちろん、SNSで失敗する人も少なからずいますが。

 さて、それではなぜ、こうした一見人工的で不自然な出会いによって、実際に多くの人が、自分にとってぴったりのパートナーを見つけて、そのなかの多くの人が、実に結婚にまでたどり着くようなことが起こるのでしょうか。今回はその秘密について、臨床心理学・恋愛心理学的に、考察してみたいと思います。今回は、基本的な仕組みについて扱うため、ストレート(異性愛の方)を対象としたサービスを前提にします。

 まずはじめに、こうしたSNSと、日本に既存の、セックスを目的とした、テレクラなどに流れを汲む「出会い系サイト」との大きな違いについて説明します。セックスを目的とした出会い系サイトは、いうまでもありませんが、基本的にセックスを目的とした人たちの集まりであり、真面目に恋愛相手や将来のパートナーを探している方はここにはいないでしょう。もしいたとしたら、それは、「木に縁りて魚を求む」です。魚は水の中に住むものなので、木に登って魚が取れるはずがありません。一方、SNSは、その多くが、真面目に恋愛したい人、結婚したい人たちのコミュニティです。そしてこうしたコミュニティは、「ペアーズ」や「Omiai」を筆頭に、その多くが、Facebookを経由したもので(しかしFBのあなたの友達には決してばれないようになっています)、さらには、会員になるために、免許証などの身分証明書が求められ、怪しい活動をしている人は、すぐに通報され、退会させられるようになっているので、「出会い系サイト」と比べて、格段に安全です(残念ながら、セックスを目的とした方や、ただ遊びたいだけの方が皆無ではないようですし、それはこれだけ多くの方が参加するようになった今では、ある程度仕方のないことだとは思いますが)。

  このように、参加者のほとんどの方が、同じ目的、つまり、まじめにお付き合いできる相手を見つけること、を共有しているため、そこにはいろいろな暗黙のルールや協調、協力などの心理も働くので、これだけでも、成功の確率はあがるわけです。

 さて、気になる実際の方法ですが、どのような仕組みになっているのでしょう。それは意外とシンプルなようです(これは私がいろいろな方の体験談を聞いたり、リサーチしたりした情報ですので、多少異なるところはあるかもしれません)。

 まず、入会して、あなたのプロフィールと写真をアップロードして、探している相手の特徴(たとえば年齢の幅、職業、趣味、居住地、移住の可能性、収入、婚姻歴、子供の有無、宗教、国籍、などなど)を選択して検索すると、それに該当する異性の写真とプロフィールがたくさん出てくるようです。そうした写真とプロフィールをゆっくり見ていって、「この人いいな」と思ったら、「いいね」ボタンを押すそうです。すると、あなたが「いいね」を押したことが、その相手に伝わり、今度はその方があなたの写真とプロフィールを見ます。もし相手の方があなたに好感を持ち、「いいね」ボタンを押すと、この時点でマッチングが成立します。この時点ではじめて、あなたはこの方にメッセージ(SNS上のメール)を送ることができるようになります。これ以降はあなたとお相手の方がメールのやり取りで自由に交流して、好きな時に実際に会うことができます。

  さて、このメールのやり取りが、あなたが実際にその方とお会いできるかどうかを左右します。それから、マッチングは成立したものの、実際に会いたい相手かどうかは、このメールの交流で分かってきます。ここで良く出てくるのは、相手のコミュニケーション能力です。交流も少なにすぐに会いたがる人は、要注意です。やめた方がいいかもしれません。それから、空気が読めなかったり、常識がなかったり、無神経な感じの人も、そう感じたら、やめたほうが良いでしょう。そうした問題がなくても、なんとなく話が合わなかったり、話を続けるのに労力が必要な相手は、あまり相性が良くないかもしれません。自然に、楽しいやりとりがテンポよく続く相手が良いでしょう。

  このメールのやり取りの期間をどのくらい続けるのかも個人差があるようです。あまり短いのも考え物ですが、逆に、メールのやり取りが長すぎて、間が抜けてしまって駄目になってしまうこともあるようなので、その見極めも大事です。会ってみたいなあ、と思ったら、そのように触れてみるのも大切です。会うまでのやり取りの期間は、だいたい2週間から1カ月ぐらいのようです。ただ、これはあなたがこうしたSNSに慣れてきて、感覚がつかめたら、もっと短いやり取りでも良いかもしれません。

 さて、実際にどこで会うかですが、多くの場合、初回はどこかのレストランなどでディナーが基本のようです(この辺も文化がでていると思います。LAの人たちは、初回はコーヒーショップでごく気軽に、というケースが多いです)。いうまでもありませんが、あなたが男性でしたら、初回は極力あなたが全部支払いましょう。この辺り、意外と大事なようです。もしこの最初の会食で、「次はないなあ」と思っても、払いましょう。これは礼儀であり、相手へのリスペクトです。あなたが女性でしたら、サッとお財布を出して、払う意志がある、という仕草をしましょう。お財布も出さずに、奢ってもらって当然、という態度は減点のようです。男女関係のステレオタイプのようですが、この辺はあまりこだわらないほうが良さそうです。というのも、この辺りにこだわったり、意固地になったりして、うまくいくものもいかなくしてしまっている人が意外といるからです。恋活・婚活において、柔軟性、臨機応変性は大切です。

 と、以下、永遠に続くわけですが、紙面と筆者の集中力の都合ではっしょります。今回もだいぶ前置きが長くなりましたが、いよいよ本題に入ります(より具体的なアドバイスをご希望の方は、スカイプ相談室またはメールセラピーをご利用ください)。

 それではどうして、このような、「人工的で、非・自然発生的」なカップル達が、彼らの今までの人生における恋愛において、それまでになかった次元の満足度を経験しているのでしょうか。どうして、学校や仕事関係で自然に出会ったカップル達に質的に匹敵していたり、それ以上の強い結びつき、マッチングが成立するのでしょうか。どうして、自然発生的に出会った恋人とは結婚に至らなかった人たちが、ネットで見つけた異性と結ばれるのでしょうか。考えてみると不思議な話です。

 それにはいくつかの理由があります。

 まず、現在のように、ネットがなかった時代は、人々は、好むと好まざるとに関わらず、その生活圏内に相手を見つけなければいけませんでした。それは多くの場合、大学のサークルや研究会が一緒であったり、会社の上司や同僚であったり、取引先の出会いであったり、合コンの出会いでした。友人の紹介、お見合いなどかもしれません。つまり、ネット以前の世界では、ひとりの人間が生涯で出会える人の数は今よりもずっと限られいていて、そこにはある程度の妥協もあったわけです。それは相手の性格かもしれませんし、価値観かもしれませんし、センスかもしれませんし、容姿かもしれませんし、趣味かもしれませんし、ライフスタイルや経済状況かもしれません。人々は、その潜在的なパートナーの数の有限性についても自覚していました。いわゆる「落としどころ」をわきまえていました。もちろん、あらゆる関係性について、ある程度の「落としどころ」は必要でしょう。しかし、ネット以前の環境では、その落としどころや妥協が今よりもずっと早かったかもしれません。もちろん、ウルフルズの『バンザイ』的な、自然発生的な出会いで死ぬまでハッピーな関係性の方たちも世の中にはたくさんいます。そうした方たちは、真に幸運な方たちかもしれません。

 しかし、インターネット革新によって、このような問題は一気に解決しました。

 沖縄の石垣島に住む女性が、北海道の苫小牧に住む男性と、趣味のSNSを通じて出会い、意気投合し、そこから一緒に飛び出して、実際に会ってみて、さらに盛り上がり、結ばれる、というようなことも、一昔前まではなかなか想像できないことでした。アメリカのニューヨークとハワイのふたりが出会うこともそうそうなかったでしょう。地理的・物理的に、ほとんど不可能でした。出会いようがありません。当時の人々は、誰かが「この世のどこかに自分にぴったりの相手がいるかもしれない」、「この世には数えきれないくらいの異性がいるのに」などというと、「夢をみている」とか、「現実逃避」とか、「たわごとを」、「また始まった」、などと、まともに取り合いませんでした。

 ところが、ネット革新によって、これが現実的になってしまいました。

 現在のSNSは、そうした地理的・物理的な問題が解消されているので、その人の生活圏内を超えたところに相手を探すことができるようになりました。確率的にいっても、たとえばある女性が、その人の生活圏内にいる5人の男性の中から相手を選ぶのではなく、そこから半径100キロまで拡大した範囲内の、20人の中から選んだほうが、その人とより相性の良いマッチングが成立する相手を見つけられる可能性は格段に高くなります。

 また、データベースからのスタートなので、相手の容姿、身長などの体型、職種、年収、婚姻歴、趣味、ファッションセンス、ライフスタイル、喫煙の有無、お酒の量、宗教、スピリチュアリティなどが事前にわかり、さらに知りたいことは、実際に会う前のメールのやり取りによるチューニングもできるため、自然な出会いや合コンにありがちな、付き合ってみてしばらくして明るみに出てくる、隠れていた好まざる要素などを、はじめから相当に除外することが可能になりました。

 こうした過程を経て、実際に会うわけですが、いざ会ってみると、写真とは様子がだいぶ違っていたり、メールではわからなかった会話のテンポやかみ合いの問題なども出てくることがあり、この時点で、さらなるスクリーニングが起きるわけです。

 このようなふるいに掛けられて残った相手というのは、あなたにとって、相当に相性が良く、満足度の高い方なので、それまで合コンや生活圏内の出会いで進展がなかった人が、自然に結婚までたどり着くことも多くなるわけです。ここには当然、お互いの、きちんとしたお付き合いをしたい、良い結婚をしたい、という意識的、無意識的な協力や協調という心理も働いています。

 ここまでネットによる新しい出会いの光の部分について書いてきましたが、もちろん良いことばかりではありません。先ほど、「妥協」や「落としどころ」がない、ということについて触れましたが、これも実際のところは程度問題であり、そうしたことが「全くない」例は少ないでしょう。

 人生、いざという時の見極めと覚悟も大切です。コミットメントの問題です。

 これは具体的にどういうことかといえば、もともと無意識的に、異性との真の親密さに不安や葛藤のある人、過去の恋愛関係のトラウマで、相手と本当の関係を築くこと、長期的な関係に入ることを、こころのどこかで恐れている人は、やはり無意識的に、常に相手の欠点を探しているところがあるので、いつまでたってもしっくりいく人が見つからなかったり、また、もし誰かと出会って恋愛関係が始まっても、何か問題をみつけてその関係性が深まる前に終わらせてしまうことが往々にしてあります。このように、潜在意識でコミットメントに葛藤がある人が、「妥協しない」と、自分の問題に気づかずに延々と相手を探して年月を費やしてしまうケースもあります。ネットによって可能性が広がったことで、ある種のひとたちは、その幸せの青い鳥症候群を極端化させてしまいます。もしあなたが、自然発生的な出会いでも、恋活アプリでも、恋愛が長続きしなかったり、なかなか相手が見つからないようでしたら、こうした潜在的な可能性について分析してみるのも良いかもしれません。

  最後に、もうひとつやや気がかりなことは、最近の若い世代の人たちのなかには、自分の身の周りの生活圏内の可能性をはじめから度外視して、いきなりネットから入る方もおられることです。婚活・恋活アプリをうまく活用できる人というのは、見ていると、やはり、多かれ少なかれ、過去に自然発生的な恋愛を経験している人が多いです。私たちは、そうした自然発生的な恋愛経験を通して、さまざまなことを学びます。それはソーシャルスキルであったり、異性の心性であったり、恋愛特有の様々な情緒体験だったりします。そうした土台があってネットを利用する人と、そういう土台もなくネットを利用する人とでは、そこから展開される関係性にも質的な違いがでてくるように思います。

 


 


話し合いと最後通告の違いについて

2015-12-23 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 近年、コミュニケーション能力について社会的な関心が高まっていて、コミュニケーションを取ることの大切さについて人々の意識も高まっています。それ自体は非常に良い現象だと思うのですが、こうした流れの中でしばしば感じることは、かなりの人たちが、この「コミュニケーション」というものの意味について、誤解をしているということです。

 たとえば、最近は、プレゼンテーションが非常に上手な学生が増えていますが、彼らの中には、プレゼンテーション能力=コミュニケーション能力であると思い込んでいる人たちが少なくありません。しかし、プレゼンテーションで自分の伝えたいことを効果的に聴衆に伝えることだけでは、コニュニケーションというものの半分しか達成できていません。というのも、コニュニケーションと呼ばれるものには、自分の意思を相手に伝えるだけではなく、相手の意見を聞いて、それについて、オープンに話し合う、という相互理解が伴わなければならないからです。「意思の疎通」、「伝えること」は、コミュニケーションの一部でしかないのです。

 本当にコニュニケーション能力の高いプレゼンターは、見ていてよくわかります。特徴としては、聴衆を自分のプレゼンテーションにうまく巻き込みますし、スライドばかり見ていることはなく、聴衆全体を見回しながら皆に「話しかけて」います。聴衆が自分の話をきちんと理解しているか、自分についてきているか、きちんと把握しています。質問など大歓迎で、ひとつひとつの質問に、対話という形で答えます。プレゼンテーションが終わった後でも、聴衆がそれにどのような意見、感想を持ったのか、興味を示し、聴衆と生き生きとした会話を展開します。

 例によって前置きがだいぶ長くなりましたが、カップルや夫婦の関係においても、しばしばこのように「報告」と「コミュニケーション」を混同している方を見かけます。よくあるのは、ふたりのうちの一方が、二人の生活のなかの何かにフラストレーションを感じているものの、言葉に出せずにずっと怒りを抑制していて、あるとき遂に我慢の限界がきて、それについて相手に伝えたことを、「話し合った」と言っていることです。それで、二人の間でどのようなやり取りがあったのか聞いてみると、実はその人の一方的な宣言であり、その宣言について、相手がどのようにコメントしたか、どのように反応したか、そうしたことが抜けています。伝えたことで一応満足してしまっていたり、後は相手がどのように受け取って、どのように動くか次第だ、という風に思っていることも多いです。

 しかし、こうした人たちが「話し合い」だと思っていることは、報告であったり、最後通告であり、話し合いではありません。

 これはまた、いわゆる「亭主関白」と呼ばれる人たちの間にも多いです。本人は、話し合っているつもりでも、それはその人のなかで既に決定したことの報告、通達であり、配偶者はただそれに従う、という図式で、これはコミュニケーションではありません。

 実のところ、本当の話し合いは、その人の「最後通告」が言葉によって相手に伝えられたところからはじまります。というのも、相手にとってはそれは発言者の考えや気持ちに関する真新しい情報である場合も多く、また、それまでにそのことについて話し合う機会もなかったため、それを聞いた側としても、いろいろと思うところ、感じることはあるのです。そして、普段本当に思っていることを言わない人が「本音」を言ったところから、真に意味のある「本音トーク」、本当のコミュニケーションが始まるのです。相手に何かを伝えるのであれば、その相手に向き合うことが大切です。向き合って、自分の発言に対して相手がどう感じたのか、どう考えているのか耳を傾けて、それについて、さらに話し合っていきます。こうした「相互」の心的・言語的やり取りが、相互理解につながる、真の話し合いであり、コミュニケーションです。