興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

人を信じるこころの強さ、人を疑うこころの強さ

2024-02-25 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 誰かを信じること、とくに、自分のパートナーを信じることは、その人間関係においてとても大切なことです。ただ、ここでいう「信じる」とは、相手を理想化することでもなければ、相手を妄信することでもありません。

 世の中の多くの人は、目の前の相手に善意があり、それなりに一般常識とモラルがあるのだという前提で、生活しています。

 そうでないと、日常生活はとても大変でストレスフルなものになります。

 たとえば、コーヒーショップの店員さんが、きちんとした衛生観念とモラルを持っており、お会計をちょろまかしたりしないという前提もそうですし、車の運転も、ほとんどのドライバーがきちんとしたドライビングスキルとマナーと判断力を持っている、という前提がないと、公道など恐ろしくて走れたものではありません。このご時世、こうしたことは、以前ほど確かではなくなってきているかもしれませんが、それでも、多くの人は、基本スタンスとして、こうした前提のもとで生活をしています。

 この記事を読んでくださっている読者の皆さんの多くにとって、こうしたことは、当たり前すぎてピンとこないかもしれません。今回は、そうではない人たちのために、この記事を書いています。たとえば、こうした前提がないと、昨今の恋活・婚活の主流となっているアプリの使用もとても難しいことになります。素性の分からない人と、マッチングして、メッセージのやり取りをして、実際に会う、というプロセスには、これから会う相手が、少なくともそれなりに善意と一般常識とモラルとソーシャルスキルがあるのだというある程度の前提がないと、なかなかできません。

 とはいっても、素性の分からない人がこうしたものを持ち合わせているのだと妄信するのはもちろん違います。実際、こうした前提で会ったけれど、とんでもない人だった、というお話はとてもよく聞きます。逆に、自己評価や自己肯定感が低かったりして、そのマッチングを諦められなかったり、断ることの気まずさや、その時の相手の反応が怖かったりして、相手のまずいサインを見て見ぬふりをしてしまう人は、良くない関係に入ってしまい、そこからなかなか抜け出せなくなったりします。

 普段とても猜疑心が強く、周りの人たちを疑ってばかりいる人が、世の中の多くの人がまず引っかからないような詐欺に遭って大金を失ってしまうケースはしばしばありますが、なんともバランスが良くありません。

 

 パートナーシップにおいて、相手を信じることは基本姿勢として大事です。

 ただ、時として、相手を疑うことも、勇気であり、その人のこころの強さを表すものだったりします。

 疑問に思ったことを言葉にして相手に伝えることで、相手が不機嫌になったり怒ったりするかもしれませんし、その関係が一時的に気まずくなるかもしれません。それでも伝えることで、もし相手が誠意のある健全なこころの持ち主の方だったら、あなたに誤解を与えてしまう行為を自分が取っていたのだと自覚して、きちんと説明してくれて、その後の言動に気を付けるようになるかもしれません。

 また、疑問に思ったことを言葉にしていかないと、相手の方は、そういうことをしてもあなたは大丈夫なのだと思ってしまうかもしれません。

 疑問に思ったことを伝えても、相手が真摯に向き合ってくれる、という信頼があるから、伝えることができる、ということもあります。さらに、もし相手が自分を裏切るような事を実際にしていた場合、相手としっかり向き合い、相当な精神的苦痛を伴う話し合いをしたり、場合によってはその関係を終わらせる心の強さがあります。

 

 ひとは、他者を信じるためには、ある程度の自信が必要です。

 自信とは文字通り、自分を信じることで、たとえば、人間関係の中で自分が感じた感覚、自分の受け止め方、自分の気持ち、自分の直感、感想などを、どれだけ自分で信じてあげられるか、ということです。また、自信のある人は、もし信じた相手が間違ったことをしてきた時に、うまく対応できるという自信があります。自信のある人ほど、他者を信じる強さも持っているのは、こうしたことによるからかもしれません。

 


優しさと穏やかさの違いについて

2023-02-19 | カップル・夫婦・恋愛心理学
 「主人は優しい人です」とか、「彼氏は優しいです」とか、「父はとにかく優しいんです」とか仰る方が、夫婦関係や恋愛関係や親子関係の悩みで相談にいらっしゃる事がよくあります。

 そこでパートナーの方との関係性や、その方の言動などについて注意深く傾聴していくわけですが、お話を聞かせていただく中でしばしば私の頭の中に湧き起こる疑問は、「その人の『優しい』ポイントが全然聞こえてこない」、「その方の一体どこが優しいんだろう?」という種類のものです。

 そこで、お連れ合いがどのように優しいのかお聞きすると、「怒らない」「キレない」「声を荒げない」、「暴力を振るわない」などと仰られる事が多いです。

 なるほど、「穏やか」な方たちではあるようですが、依然として、「優しさ」の要素が聞こえてきません。

 「家業の飲食店を継いでほしいから結婚はしないでくれ」と親御さんから懇願されたり、義理のご家族からひどい意地悪をされているのに夫が一切助けてくれなかったり、義理のご家族サイドについてしまったり、家事育児に全然参加してくれなかったり、1週間無視され続けて理由を聞いても教えてくれなかったり、不倫していたり、風俗に通っていたり、問いただすと貝になって部屋に引き篭もってしまったり、緊急性のある連絡をしても全然返事してくれなかったり。。。

 こうしたパートナーの方たちの多くに見られる問題点として、自己中心性、自分の事しか考えていない、相手を含む他者に興味関心がない、共感性の低さや欠如、相手の気持ちや事情に対する想像力の乏しさ、思いやりのなさ、ケチ、事なかれ主義、回避性、コミットメントの欠如、責任感のなさ、忠誠心の低さなどがあります。

 ところで、優しい人に穏やかな方は確かに多いですが(ドラマ「Silent」の湊斗(みなと)君など思い浮かべると分かりやすいです、まさに優しさの権化的な)、穏やかではないけれど優しい人も少なからずいます。短気でせっかちだけど優しい人もいますし、気難しくて神経質だけど優しい人もいます。

 穏やかだけれど優しくはない人、安定しているけれど優しくはない人たちは、実のところたくさんいます。

 冒頭の相談者の方たちが、その関係性に対して、相手に対して、自分のあり様や関わり方について深く考えたり新しい行動にでられるようになるのは、この方たちが「穏やかさ」と「優しさ」の違いについて理解できて、「あの人は優しい人なのに」という葛藤から抜け出せた頃です。

恋愛のハネムーン期の終わりに耐えられない人たち

2022-12-14 | カップル・夫婦・恋愛心理学

以前にもお話しましたが、恋愛には、いくつかのステージがあります。

恋愛、というと、少し語弊があるかもしれません。パートナーシップ、というともっと包括的でしっくりいくかもしれません。

尚、この記事では以下も便宜上「恋愛」という語彙を使いますが、それは私としては「ロマンスの伴うパートナーシップ」とほぼ同義です。

 

恋多き人生、というとなんだか良い響きですが、1枚のコインには常に裏表があります。

多くの場合、こうした人たちは、恋愛が長続きしないという問題を抱えて生きています。1つの恋愛が10年続いていたら恋多き人生にはなりません。こうした方たちは、お話を聞いていると、おおよそ数ヶ月から半年ぐらいで終わる恋愛を繰り返していて、長くても2年以内に別れています。パートナーシップが長続きしている人たちで「恋多き人生」なのは、決まったパートナーがいるのに忠誠心が保てずに不貞行為を繰り返す人たちです。つまり、誰かと恋愛関係を築くことはできても、それを深めたり維持していく能力に問題があります。

 
人が誰かと恋に落ちた時からしばらくの間を、ロマンスのハネムーン期と言います。この時期は、多かれ少なかれ、2人は浮かれていますし、幸福感に満ちていて、実際、脳神経学的にも、報酬系の脳内ホルモンが良く分泌されていて、人の通常のこころの状態とは異なります。
 
しかし、こうした特別に浮かれたハネムーン期というのはせいぜい半年、長くても1年ぐらいで終わります。
 
ハネムーン期が終わると、2人はその恋愛関係の次のステージに入るのですが、冒頭の恋愛至上主義の人たちは、この移行期間をなかなかうまく乗り超える事ができません。
 
最近はわかりませんが、昔はこうした頃合いを巷の恋愛心理学ではよく「倦怠期」と呼んでいました。「倦怠期をどう乗り切るか」とか。
 
ただ、2人の人間が恋に落ちて盛り上がってしばらく集中的に一緒に時間を過ごしていれば、関係性は少しずつ落ち着いていきます。関係性はハネムーン期より深まっていくわけですが、その中で良い事もあればそうでない事もあります。お互いに慣れるというのは、心理学や生物学でいうところの「馴化」の作用も関係しています。
 
つまり、同じような活動を繰り返していたら、その関係性に慣れてきて、新鮮なものではなくなるので、停滞しているように感じるのも自然なことなのです。それ自体には本来何の問題もないのです。
 
ちなみに、うまくロマンスが展開しているカップルを見ていると、多くの場合、次々に、2人で一緒に取り組むテーマやチャレンジがあります。適度な変化と負荷です。この適度な変化と負荷に2人が協力して取り組んでいく中で、彼らはさらに信頼関係を深め、親密さを維持しています。
 
分かりやすい例を挙げると、大学のサークルで知り合ってお付き合いを始めた2人が、互いに励まし合って就活を経て就職し、婚約したけれど、どちらかの家庭がなかなか複雑で一筋縄にはいかず、しかし協力してなんとか両家顔合わせを完了し、双方の親から祝福され、それなりに大きな結婚式を挙げ、子犬を飼い始め、まもなく第一子が生まれ、第二子が生まれ、どちらかの親御さんが老齢でサポートが必要になり、それにも互いに協力して取り組み、といった事例ですが、こういう仲良し夫婦は世の中少なくありません。
 
こうした人生のいくつものステージにおける自然なチャレンジやハードシップは、パートナーシップに常にハネムーン期のようなスリルやサスペンスを求めていたらなかなかうまくいきません。
 
そして、こうした恋愛における「本当」のチャレンジに挑戦してこなかった人たちは、それに伴うストレスに対する耐性も身についていないので、その自然に起きる困難な状況を、ふたりがうまくいっていないとか、合わないのだと錯覚して、パートナーシップを解消してしまったりします。
 
ストレスに対する耐性を身に着ける唯一の方法は、ストレスを経験することなので、ストレスを避けているといつまで経っても長期的なパートナーシップに辿り着けないという悪循環があります。
 
現在続いている恋愛関係に「倦怠期」や飽き、物足りなさなど感じていて、それでもその人と長期的なパートナーシップ、願わくば生涯添い遂げるパートナーシップを望むのであれば、ふたりで取り組める人生の新しいチャレンジに挑戦していくのが良いかもしれません。これは多くの場合それぞれのライフステージの変容に伴い自然発生的に起きることですので、もしかすると必要なのは、その深みに入っていくためのコミットメントなのかもしれません。
 
 
 

夫婦喧嘩と退行 (Marital conflict and regression)

2020-01-10 | カップル・夫婦・恋愛心理学

皆さん、こんにちは。

気づいたら令和2年も10日が過ぎていて、既に多くのクライアントさんとセッションを再開しています。

この時期、毎年いろいろな方がセッションで話題にされるテーマとして、クリスマスや年末年始中に起きたパートナーとの比較的大きな喧嘩です。

これは日本に限らず、私がLAでアメリカ人のクライアントさん達と会っている時も実によく出てくるテーマでした。

どうして楽しいはずのクリスマスや年末年始に喧嘩など起こるのか不思議に思われる方もおられるかもしれませんが、実際、こうした長期休暇は、うまくいけば特別に楽しいひと時である反面、争いが起きやすい要素も少なからずあり、むしろカップルや家族にとっては、要注意の時期でもあります。

たとえば、それぞれのメンバーの期待値は概していつもより高いですし、普段よりもずっと一緒に居る時間も長く、交わりも日常より深いので、それだけこころの距離も近くなります。

それから、非日常の慣れない場所で慣れない事をするのに伴う不安などで、お休みですが、実はいつもより心に余裕がなくなっているかもしれません。

普段忙しくてなかなか出来なかった事もこの時期にいろいろやるので、知らずのうちにメンタルリソースを消費しているかもしれません。

実家や親戚との対応もまた然りです。

こういうわけで、潜在的な問題はありつつも、普段はそれぞれが仕事や家事、育児などで忙しく、また、一緒に居られる時間は短く、交流レベルも表層的であるため、常に一定以上の距離が保たれていていてぶつかり合うことのなかったカップルも、こうした時期には思いがけない衝突を経験したりします。

ですから、「こういう特別な時期に仲良くできない私たちって」、などとあまり落ち込まないことです。

むしろこういう時だからこそぶつかりやすいということもあります。

喧嘩には、大きく分けると、建設的な喧嘩と破壊的な喧嘩があります。

大抵の喧嘩はこの両方の要素が混じり合っていますが、通常どちらかの要素が優勢です。

喧嘩の後でしばらく時間が経って振り返ってみて、あれは良い、必要な喧嘩だった、と思うものもあれば、関係に大きなダメージを与えてしまった、と思うものもあるでしょう。

例によって前置きがだいぶ長くなりましたが、今回のメインテーマは、夫婦や恋人同士の破壊的な喧嘩です。

ふたりの関係にとって有害な喧嘩は、一度始まってしまうとなかなか止められませんが、いくつかのまずい喧嘩のサインを頭の片隅に入れておくと、初期段階で互いにその否定的なやり取りを中断してダメージを最小限に防ぐこともあるいは可能です。

こうした喧嘩の特徴として、両者が退行(Regression)しているという点があります。

退行とは、(無意識的に起きる)こころの防衛機制のひとつで、耐え難い状況に直面した時に、その人の普段の精神状態からいくつか前の精神発達段階まで一時的に退くことを意味します。長子だった子が、きぃうだいが生まれてまもなく「幼児返り」を起こす時の退行は、イメージとして分かりやすいですね。大人の退行は、通常もっと微妙で分かりにくいものです。

それでも精神発達段階が普段より幼くなってしまっているので、なかなか相手を思いやったり冷静になって建設的な会話をすることができません。

こうした時のふたりの特徴として、極端な発言が目立つことが精神分析家のなかでは知られています。

それはいくつかの術語に現れるもので、「絶対に」とか「二度と」とか「いつも」とか「一度も」といったものです。

たとえば、「もう絶対に行かない!」、「絶対に許さない!」、「もう二度と協力しない!」、「いつもゲームばかりやって」、「いつも優柔不断で」、「一度も手伝ってくれないよね!?」、「一度も良かったことがない」、などです。

それから、「もう別れよう」、「離婚しよう」、「もう無理」、などの極端は発言も見られます。

こうした時、退行が起きていると言いましたが、同時に、分離(Splitting)という防衛機制も働いています。

分離とは、ひとつの対象や事物の良い面と悪い面を分離して、良い面を意識から切り離して、悪い面を肥大化させるもので、その時の相手は「最低な人」であり、事物は「最悪」です。

頭では、そんなことはない、相手にもこういう良い面はある、と分かっていても、情緒レベルでそう感じることはできません。

耐え難い怒りを感じることもあれば、その時はもう修復不能と思えるくらいに気持ちが冷め切ってしまうこともあります。

ただ、こうした状態は、通常長くは続きません。時間の問題で、分離も退行も解けていきます。

相手の良い面も再び情緒レベルで認識できるようになります。

防衛機制は通常、無意識レベルで起きているので、自分ではなかなか気づけません。

しかし、相手にその機制が起きていることは比較的気づきやすいので、お互いに仲の良い時、比較的調子の良い時に、こうしたことについて話し合って知識として共有しておくと有効かもしれません。

お互いが退行していたり、分離しているときに、お互い気づきやすく、その破壊的なやり取りを休止することも可能になります。

こういう時は、やり取りを続けても有害無益なことが多いので、とりあえず休止して、一時的にお互い物理的な距離を置いて(外に出て散歩をしたり、音楽を聴いたり)、お互いに落ち着いてから、話し合いを再開しましょう。話し合うのにも良いタイミングと悪いタイミングがあります。

いずれにしても、遅かれ早かれ落ち着いて話し合うことが大切です。


Romance in Relationships

2019-06-28 | カップル・夫婦・恋愛心理学
“But romance in relationships is not cultivated through a resolving of tensions, the discovery of a secret, a labored struggle to contrive novelty. The cultivation of romance in relationships requires two people who are fascinated by the ways in which, individually and together, they generates forms of life they hope they can count on. It entails a tolerance of the fragility of those hopes, woven together from realities and fantasies, and an appreciation of the ways in which, in the rich density of contemporary life, realities often become fantasy and fantasies often become reality.” —-Stephen A. Mitchell

パートナーとどれだけ共有できていますか?

2018-02-10 | カップル・夫婦・恋愛心理学

カップルセラピストとして、カップルや個人の結婚問題、恋愛問題に日々取り組んでいて、意識していることのひとつに、そのカップルが、どれだけ事物を共有できているかということがあります。

 実際、婚姻関係、恋愛関係など、あらゆるパートナーシップの問題は、そのふたりが何らかの重要な事物を共通できていないところにあるとも言えます。それはたとえば、妊娠、出産、育児に関することであったり、性生活であったり、お金や経済的なことであったり、趣味や余暇の過ごし方であったりと、様々です。

 これはまた逆も然りで、良好な関係とは、そのふたりがパートナーシップにおいて重要な点において、共有できているものが多いということも言えます。

 問題あるカップルにおいて、そのふたりの関係が改善や修復可能かどうかのひとつの指標になるのは、そのふたりが現時点で何らかの重要なものをひとつでもうまく共有できていたり、現時点ではそれが大きな問題になっていても、改善の余地が少なからず残っていることです。

 さて、「重要な点における共有」と言いましたが、それでは「重要な点」とはどんな点でしょうか。

 その具体的な事物に関しては、それぞれのカップルのユニークな関係性による個人差も大きいのですが、いずれにしても、それはおおよそ3つの分野に分けることができそうです。その3つの分野とは、情緒・感情(affect)、行動 (behavior)、認知 (Cognition)の3領域であり、「ABCの共有」などと呼べば、覚えておきやすいですね(脚注1)。

 この3領域は、基本的に相互作用が大きく、不可分なことも多いですが、まずは便宜的に切り分けて説明します。

 まず、A(Affect)、情緒・感情の共有ですが、これは、お互いが、どれだけ相手の気持ちをきちんと理解していて、また、自分の気持ちをどれだけ相手に理解してもらえているか、というところです。別の言い方をすると、お互いどれだけ心が通い合っているか、ということです。本当に仲の良いカップルは、何かをしているときのお互いの感情自体がよく似ています。旅行に出かけて、お互い一緒にいれることに幸せを感じていたり、ひとつの映画をみて、同じように感じていたり。もちろん、カップルと言えど、ふたりの人間が常に全く同じ気持ちということはありませんし、異なった感情を持つことも大切です。ただ、異なった感情を抱いていても、うまくいっているふたりは、相手がどうしてそういう気持ちなのか理解していますし、そこに共感することもできます。不仲なカップルは、多くの場合、それぞれが何を考えているのか分からなかったり、分かろうとしなかったり、不正確な決めつけがみられます。また、たまにあるケースで、関係性が本当に冷え切ってしまっているけれど、お互いがどんな気持ちであるのかは正確に分かっている、というカップルもいます。残念ながら、それぞれがお互いのその「正確に分かっている感情」に共感できませんが。

 次に、B(Behavior)、行動の共有です。これは、生活の中で、どれだけ行動を共有しているか、ということです。具体的には、一緒に食事をしたり、一緒に余暇を過ごしたり(これは映画であったりスポーツであったり芸術であったり、ドライブであったり、様々な形がありますね)、セックスをしたり、キスやハグやマッサージなどのスキンシップであったり、家事や育児であったり(これは必ずしも一緒に行うというわけではなく、きちんとした連携と分担ができているかどうかも含まれます)同じベットで寝たり、といったことの共有です。ちなみに、なんでもないおしゃべりなどの会話も行動の共有に含まれます。

 最後に、C(Cognition)の共有ですが、これは、物事に対する認識や価値観がどれだけ共有できているか、ということです。これはたとえば、金銭感覚(何にお金を掛けるべきか、どこをセーブすべきか、どのくらい貯金したいか、資産運用はどのようにするか、ローンは、などなど)の共有、子供の教育方針の共有、居住地や家などの生活環境(一軒家かマンションか、都会か郊外か、田舎暮らしか)の好みの共有、パートナーシップに求めるもの、大切に思うものの、優先順位の共有、政治や社会問題に関する考え方の共有、宗教や哲学、精神世界の共有などです。

 先述したように、これらは通常密接に関連し、連動していて、不可分です。つまり、そのカップルの生活のどの事物を分析対象に選んでも、そのふたりの関係性の質が見えてきます。

 今回は、ここ十数年で問題視されている、夫婦のセックスレスや、性の問題について考えてみたいと思います。

 まず、うまくいっているカップルですが、セックスをする頻度(行動)、セックスの質や内容などの好みや優先順位(認知、価値観)、セックスにおける情緒体験など(感情、気持ち)、いずれの面においてもうまく共有されていて、お互いにとってセックスライフが楽しくておおむね満足のいくものです(脚注2)。

 ところで、夫婦のセックスレスが、離婚の原因だと言われることがしばしばありますが、これは必ずしもそうとは言えません。セックスレスの夫婦の50%はいずれ離婚する、という統計がありますが、ここで注意しなければならないのは、これは「相関関係」(correlation) であり、「因果関係」(causality) ではない、ということです。つまり、セックスレス、という事象と、離婚、という事象が、必ずしも直結しているわけではなく、むしろ、互いにセックスをしたくないぐらいの心の溝、怒り、憎しみ、不信感、嫌悪感、無関心、距離感などの、「第三変数」のほうが決定的な要因である場合がほとんどです。それから、この統計でもうひとつ注目すべきは、50%は離婚するけれど、残りの50%、つまり、半分のカップルは、セックスレスだけれど離婚しない、という点です。

 日本人の結婚は世界的にも独特で、家庭内別居、家庭内離婚など、結婚関係が完全に破たんしていても離婚しないカップルが依然として少なくありませんが、こうした機能不全カップルではなくて、とても仲の良いセックスレス夫婦は、どうしてセックスレスで問題がないのか、ということも、このABCの共有という観点を用いると、理解できます。

 こうしたカップルに多いのは、お互いの愛着スタイルが「回避型」であり、セックスというものがお互いあまり好きではない、というケースです。このタイプのカップルが日本にはとても多いです。セックスは、本来とても親密なものですが、この身体感覚的な親密さを、回避型の愛着スタイルの人たちは、居心地悪く感じたり、煩わしく感じたり、ものすごいプレッシャーや負担に感じたりします。お互いがそのように感じているのであれば、あえてセックスをする必要はありません。むしろこうした人たちにとって、セックスは負担だったり苦痛だったりするので、ない方がお互い幸せなのです。お分かりのようにこのカップルは、セックスがあまり好きではない、という価値感を共有しています。

 一方で、性生活は存在しているけれど、夫婦仲はよくないというケースも少なからず存在します。たとえば、妻が妊娠出産授乳期間中で、体力も落ちていて、具合もよくなくて、初めてのことで余裕もないところ、育児にほとんど参加しない非協力的な夫が性交渉ばかり求めてきて、断ったらものすごく機嫌が悪くなり、暴言などがでてきて、仕方なく応じているけれど、嫌で仕方がない、というカップルや、とにかく性欲は盛んだけれど、非常に自分本位で相手を楽しませることをしない夫に対して、拒むと気まずくなるので仕方なく応じているけれど、前戯などもほどんどないとにかく射精するだけの行為であり、妻が望むセックスとかけ離れているケースのカップルにおいて、これはほとんど性交であってセックスではない(Intercourse wituout sex)という状態で、このカップルは、性生活において、気持ちも共有できていなければ、価値観も共有できておらず、さらには、性交渉はあるものの、きちんとセックスを共有で来ていません。 

 セックスレスだけれど仲の良い夫婦、性交渉はあるものの、不仲な夫婦について述べました。こうした例は日本にはかなり多く、セックスがなくても良好な関係もあれば、セックスがあっても破綻した関係もある、といことです。しかしこれらはどちらかというと非定型的なものであり、基本的には、セックスのあるカップルは比較的うまくいっていますし、セックスのないカップルは、問題のある関係である場合が多いです。

 これは言わずもがななことでもありますが、セックスレスが問題になるのは、どちらかに性欲があり、パートナーとの性交渉を望んでいるけれど、もう一方に性欲がなかったり、性欲はあるけれど、そのパートナーとの性交渉は望んでいない、という場合です。実際、パートナーシップや恋愛関係の問題で私のところにお越しになるカップルには、このタイプが一番多いです。お付き合いが始まった当初からセックスに問題があるカップルもいれば、何らかの出来事が起きたタイミングで性交渉が失われていくカップルもいます。セックスライフは、多くの人にとって、とても大事なことなのですが、この重要性を軽視してしまっている方は意外なほどに多いです。しかし、セックスの重要性を軽視して結婚したら、思いのほかセックスが重要なことに気づき、しかしふたりのセックスの相性(Chemistry)がどうしても合わずに困窮している、という方たちは、少なからずいます。

 良いセックスは、そのセックスという「行為」をふたりが共有することを通して、愛情や親密さといった「情緒体験」を共有するもので、大切な人から触れられることのニーズ(Need of touch, Need of being touched)という認知を共有するものでもあります。これには、質的な要素と、量的な要素が伴います。

 日々の生活の中で、家事、育児、セックス、家計、資産運用、趣味、余暇など、いろいろな主要な面において、ABCの共有度が高いほどに、そのカップルは親密であり、その関係性に対する満足度も高いです。

 逆に、こうした面におけるABCの共有度が低くなるほどに、ふたりの関係性は距離があったり、希薄であったり、緊張感があったり、確執があったりして、その関係性への満足も低くなります。

 現在、パートナーシップに問題を抱えている方は、こうした要素において、どれだけパートナーと共有できているか、また、できていないとしたら、どのようにして改善していけるか、ABCの観点で考えてみると、関係性の修復や、親密さの向上への糸口が見えてくると思います。

 また、今現在、決まった人がいて、結婚を考えているけれど迷っている、という方は、その方とどれだけの点で、情緒的、行動的、認知・思想的に、共有できているか、あるいは、できそうか、イメージしてみて、冷静に考えると、ふたりにとってのベストな答えが見えてくることでしょう。

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脚注1:ここでいうABCは、私の創作ではなく、アメリカの心理学ではよく用いられる言い回しです。

脚注2:ここで、お互いが「完全に満足」しているという場合もあれば、多少の不満はあるけれど、おおむね満足、というカップルも多いです。


 




不本意だけれどやめられない恋愛関係について

2017-02-06 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 職場の人間関係の問題で心身に支障を来した方からのご相談は非常に多いのですが、セッションのなかで何を話しても非難や批判や否定などをされることがないとわかると、クライアント達は、少しずつ、よりプライベートなお話をしてくださいます。

 こうしたなかで、しばしば出てくるのが、自分が現在「良くないと分かっているけれどやめられないお付き合い」をしている、という女性の方たちで、彼女たちはつまり、妻子持ちの既婚男性や、恋人のいる男性と、恋愛関係を持っている、ということです。

 今まで誰にも話せなかった。親にも親友にも話せなかった。話したら絶対猛反対されるから。このように話す彼女たちはこの恋愛関係においては本当に孤独で、良心の呵責に苛まれながら、ひとりで苦しいんでいます。

 いつも自分自身を責めていて辛いから、それ以上誰からも責められらくないし、それでもそれが問題になっていることもわかっているという葛藤から、セラピーが始まってもなかなかそれについて話せずに、自分にはそういう誰かがいると、非常に分かりにくい形でほのめかす方も少なくありません。

 注意深く、私というセラピストがどういう人間なのか、確かめながら話しておられます。やがて、大丈夫だとわかると、実はと、こうしたお話になります。

 もちろん私は彼女たちを責めません。責めるべきところでもないと思っています。そもそも私はどのようにしてそのような関係になったのか、その関係が維持されているのか、それは具体的にはどういう関係性であるのか、その関係性がどのような意味をもっていういるのか、その関係性がどのようにその人を蝕んでいて、また同時に、どのようにその人を助けているのか、こうしたことをまず深く理解したいと思っています。

 こうしたことをクライアントと一緒に探索しながら、クライアントの情緒体験を促進していくうちに、その関係性の本質の理解が深まっていきます。

 いろいろなケースがありますが、たとえばその人の父親との関係性が現在の恋愛関係で再現されていて、父親にかつて傷つけられていたのと同じように、今の男性に傷つけられている、ということが少なくありません(母親との関係性がベースになっている場合も多いです)。

 はじめは、父親と恋人が全く違ったタイプで、全く異なった性格だと思っていた人も、対話を重ねるなかで、驚くべき共通点を発見することがよくあります。たとえば、父親は暴力的だったけれど、今の彼は一切手を挙げない、という場合で、良く見ていくと、暴力は振るわないけれど、父親と同じように、絶対に謝ってくれない人だったり、いつも自分だ正しいと思っている人だったり、同じように批判的だったりします。こうした過去の人間関係の再現は、それに伴うネガティブな情緒体験も同様なので、そうした父親のもとで、低い自己評価に苦しんでいた人が、時間を超えて、今の恋愛関係で同じように低い自己評価に苦しんでいたりします。

 精神分析学の箴言に、"Remember! Not Repeat!"というものがあります。「思い出せ! 繰り返すのではなく!」。ここでいう「思い出す」とは、一般的な意味での思い出すこととは少し意味合いが異なります。ここでいう「思い出す」こととは、普段の生活の中では、無意識のなかに抑圧されていて、ひとりで努力しても思い出しようのないようなことで、つまり、無意識下で続いている人間関係のドラマです。無意識である以上、気づきようがないので、それはいつまでも繰り返されます。その無意識のドラマを、精神分析によって意識化して(Make uncouscious conscious)、理解することで、そのまずい流れに歯止めが利くようになり、さらには、新しい関係性を試して構築することができるようになるのです。

 このようにして、無意識になったものが意識化されたところで問題がすべて解決するわけではありません。

 そもそも、本人が、良くない良くないと思っていて、もし自分が相手の女性の立場だったら絶対に許せない、自分がしていることは人として最低だ、今の関係性に未来はない、自分は幸せにはなれない、そう思っていても、どうしてもやめられないのは、それでもその関係性に大きな意味があるからです。

 これにもいろいろなケースがありますが、よくあるのは、その男性との関係性でしか満たすことのできない依存のニーズです。実家の家族や友達との関係が希薄だからという人もいれば、そうではなく、実家とも良好で、友達もいるけれど、恋人は会社の上司で仕事が非常によくできて、その仕事は専門性が高いので、友達も家族も助けることができない、それから、仕事を通じた専門的で知的な会話が楽しく、そういう会話をできる人が他にいない、というケースもあります。

 いずれにしても、彼女たちに共通しているのは、低い自尊心や自己評価、ネガティブな自己イメージに苛まれていることです。慢性的な抑うつに苦しんでいる人も多いです。もともと自尊心が危うかったところに、このような不本意な人間関係が入ってくることで、さらに自尊心がダメージを受ける、というパターンです。

 何はともあれ、現時点でその恋愛関係が彼女たちを「生かしている」のも事実であり、「良くないと思っているなら今すぐやめなさい。会いたいと思ってももう絶対に会っちゃだめ。メールもLINEもブロックして、FacebookもTwitterもインスタもフォローするのをやめなさい。電話も出ちゃダメ。辛くても耐えるのです。耐えているうちに、耐性ができて、克服できるようになります。それがあなたの成長に繋がるのです」などとアドバイスしてもなかなかうまくいきません。

 それどころが、この無謀なアイディアを試してみたけれどできなくて挫折して、やっぱり自分はダメなやつなんだとさらに落ち込むことになるのは目に見えています。こんなことは、彼女たちは、友人や家族などからのアドバイスや、自分自身の思い付きで、さんざん試しています。試して、失敗しています。なかには、失敗して、落ちて、その彼に慰められ、やっぱり私にはこの人なしではダメだと結論付けてしまう方もいます。

 それではどうすればやめられるのでしょう。

 まずは、その人が本当にその恋愛を終わりにしたいのかについて、よく話し合っていく必要があります。私としては、誤解を恐れずにいうと、その人がその不倫関係を続けるかどうか、それ自体はあまり重要視していません。

 私にとって重要なのは、その人が慢性的なうつ病や、不安障害、低い自己評価、低い自尊心などを改善し、できれば克服して、本当の意味で幸せになることです。もしその関係を続けることで、彼女たちが本当に幸せになれるなら、その可能性も追求します。

 実際私はこのスタンスでセラピーをしています。つまり、ありとあらゆる可能性について、まずは現実的かどうかは傍らによけつつ検討していきます。

 ただ、矛盾するようですが、彼女たち自身が容認できない、彼女たち自身の倫理観や価値観に反することを続けている限り、彼女たちはこうしたことに苦しみ続けますし、本当に幸せになることができません。ここからヒントになるのは、彼女たちが、どうしたら本当の意味で自分を大切にできるようになるかです。

 そこで、やはり別れた方がいいという結論に達したとしたら、それではどうやったら無理なく確実に乗り越えられるか、考えていきます。もしその人が、友達や、実家の家族と疎遠になっていて、社会的に孤立しているならば、たとえその人を少しずつ蝕んでいる恋愛関係でも、現時点はその人が生きていくうえで必要です。少しずつ、それ以外の世界や人間関係を作りつつ、その恋人と会う頻度や連絡の回数を限定していくのもひつつのやり方です。これは以前にも紹介した、Harm reduction(有害なものの削減)という手法です。アルコール依存の人が、今夜からいきなり完全な断酒を宣言してもなかなか長続きしないけれど、毎晩ワインボトル一本空けていた人が、毎晩ハーフボトル、続いて毎晩グラス2杯、一杯、隔日にグラス一杯、という風に、長い時間を掛けて無理なく少しずつ減らしつつ、それ以外のストレス解消法や楽しみを見つけたり、同時に、飲酒のもとになっている慢性的な鬱やトラウマを解決していくことで、成功します。

 このやり方で、少しずつその人の人生全体を改善していきます。友好関係が希薄であれば、そこを強化したり、実家との関係が改善可能であれば、そこも改善しますし、職場の人間関係も最善なものにしていきます。そのうえで、先ほど話したように、その人の生まれ育った家庭環境の未解決な問題を解決したり、自尊心や自己評価を改善したりして、自信をはぐくみ、心理面も改善していきます。同時に、もしこの方が多忙などで自己管理が行き届いていないようでしたら、栄養状態や、睡眠衛生などについても改善を試みます。

 このように、「不本意だけれどやめたくてもやめられない恋愛関係」にはその人を生かしているところもあり、解決するためには、BioPsychoSocialな、つまり、生理学的(Biological)(体調など)、心理学的(Psychological)、社会的(Social, Sociological)と、総合的に改善していくことが、一番確実です。というのも、人間は本質的に社会的な存在であり、社会、つまり、他者との関りなしには生きられない存在であり、BioPsychoSocialと、すべてがつながっているのです。

 今回の例では、冒頭に、職場の人間関係がありましたが、「職場の人間関係に問題がある」とお越しになったクライアントの主訴を四角四面に受け止めてそこだけ扱うのではなくて、こうした繋がりを意識して取り組んでいく必要があります。もちろん、サイコセラピーでメインに扱っていくのは、その人個人のこころであり、情緒体験ですが、そのこころがどのように人間関係で影響を受けているか、また、そのこころがどのように人間関係に影響しているのか、そして、その人間関係が、その人のこころと体にどのように影響しているのか、円環的な理解も重要です。


恋愛関係・夫婦関係の温度差に注意しましょう。

2016-04-11 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 カップルセラピスト・サイコセラピストとしていろいろなカップルや個人とお会いしていて意識していることのひとつに、その2人それぞれの、その関係性に対する温度というものがあります。この2つの温度は、ほぼ同じであったり、微妙に異なっていたり、だいぶ異なっていたりします。この温度差が少なければ少ないほど、良くも悪くもこの2人の心的な結びつきは強いですし、また、大きければ大きいほど、2人のこころには大きな隔たりがあります。たとえば、付き合って間もない、「恋に落ちた」ハネムーン期の2人は30℃を超えるものがずっと続いている、熱帯雨林気候のようなものを共有しているかもしれませんし、また、20年一緒にいる仲良し夫婦は、20℃~25℃ぐらいの穏やかな温度を共有しているかもしれません。

 このように、カップルはそれぞれが関係性に温度を持っているのですが、もうひとつ私がしばしば感じるのは、問題のある関係性のカップルの2人の大きな温度差であり、また、2人がいかにその温度差に気づきにくいか、ということです。

 それでは温度差とは何でしょう。これにはいろいろな要素が関係しています。たとえばこれは、ふたりの人間関係におけるベクトルの方向性とも密接に関係しています。これは、星の王子様で有名なサン・テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)の、"Loving is not just looking at each other, it’s looking in the same direction." (「愛とは、ふたりがただ互いに見つめあうことではない。それは、ふたりが同じ方向を見ているということである」)という名言が良く表しているところです。

 どちらかの浮気が問題でカップルセラピーにやってくるカップルについても、同じことがいえます。浮気が問題となってカップルセラピーに来るカップルには、大きく分けて、3種類あります。

 便宜上、架空のカップルを想定します。悟さんと結衣さんは結婚3年目のカップルで、今回、最近発覚した悟さんの浮気が問題となり、ふたりは私のところにやってきました。

 さて、1つ目のケースは、結衣さんが激怒し、悟さんは猛省し、なんとか結衣さんの傷を癒して、許してもらって、関係を続けていきたい、というところです。結衣さんとしては、もう憤懣やるかたないのですが、悟さんのことはそれでも愛しているし、どうしていいかわからない、という状態です。

 2つ目のケースは、悟さんは猛省し、なんとか結衣さんの傷を癒して許してもらって関係を続けていきたい、というところまでは1つ目のケースと同じですが、結衣さんは今回の件で悟さんにすっかり嫌気がさしてしまい、もう彼と一緒にやっていける気もしなくなり、離婚を真剣に考えている、という状態です。

 3つ目は、浮気をした悟さんが逆切れしてその浮気を合理化し、浮気の原因は結衣さんのほうにあったのだと主張するようなもので、結衣さんとしても、悟さんの裏切り行為に深く傷つき、憤りを感じているものの、離婚だとか悟さんなしの人生など到底考えられず、どうしていいかわからない、というケースです(脚注1)

 このなかで、関係性の修復という意味で、セッションの進展が最もスムーズなのは、どのカップルでしょう?それは、1つ目のケースです。1つ目のケースは、ふたりともかなり精神を乱されていて、強い苦痛のなかにいますが、少なくとも、ふたりは「関係を修復して、結婚生活を続けていきたい」と望んでいます。悟さんは反省し、結衣さんの痛みを感じ、償いたいと思い、修復を望んでいますし、結衣さんも、悟さんの裏切り行為で深く傷つけられて怒りが収まらないものの、なんとか怒りを鎮めて、悟さんを許し、関係を取り戻し、結婚生活を続けていきたいと望んでいます。こういう意味で、ふたりの未来へのベクトルは同じ方向を向いていますし、ふたりの「温度」もあまり変わりません。

 残りの2つのケースは、どちらかがその関係性にまだ熱を持っているものの、もう一方は、冷め切っています。ひとりは結婚生活の存続を望んでいるけれど、もう一方は、離別を望んでいます。未来に向かうベクトルが正反対です。こうしたカップルの場合、余程のことがない限り、修復は難しいです。セラピーの流れとしては、はじめにありとあらゆる修復の可能性を模索しますが、どうしても一方が離別を望む場合、カップルセラピーの内容は、ある時点で、離婚カウンセリング(divorce counseling)へとシフトしていくことがあります(脚注2)。

 いずれにしても、浮気は結婚の終わりの始まりといわれるほどに2人の関係性において有害で破壊的なものであり、1つ目のケースでも、当事者のふたりだけではなかなかうまく解決できずにこじれてしまい、被害者のほうが徐々に冷めていって離婚に至るケースも多いですし、3つのいずれのケースも好ましくない状況です。浮気は相手のあらゆる意味での信頼を失うことにつながります。相手はあなたという人間が信頼できなくなるかもしれませんし、ふたりの関係性に対する信頼を失うかもしれません。そして、ひとたび浮気が明るみにでると、その修復には相当な努力と時間と労力が伴います。それでも修復できないケースもあります。

 つまり、あらゆるカップルにとって大切なことは、浮気を未然に防ぐ努力や工夫です。 と、ここまで浮気という一番目に見える問題を取り上げましたが、浮気やDV、借金やどちらかの配偶者の依存症など、あからさまな問題がなくてもふたりの温度差が大きくなり破局に至ることは少なくありません。

 そういうわけで、あやゆるカップルが常に気を配るべきものは、相手の自分や関係性に対する温度であり、また、自分の相手や関係性に対する温度です。

 ほとんどのカップルは、その付き合い始めは同じような温度を持っています。しかし、なかにはそうでないカップルもいます。一方が、相手のことをものすごく好きなのであけれど、もう一方はそれほどでもなかったり。こうしたケースで、さほど相手のことが好きでもなかった人が、ゆっくりと温度を高めていくケースもありますが、こうした初めから温度差のあるカップルは、注意が必要です。それでどちらかが強烈に好きで、積極的で、その勢いにもう一方が押される形で結婚、というのは避けたいところです。こうした場合、まずはしっかりとお付き合いして、ふたりの温度が同じようになってくるか様子をみる必要があります。温度が同じようになってくるようなら、縁がありそうです。

 さて、ふたりが無事に結婚して、新婚当初、多くの場合、ふたりは同様な温度です。問題は、これから自然に起こる様々な人生のイベントです。それは、それぞれの人生に起きるイベント(仕事、環境への順応、健康の問題、実家の親などのこと)もあれば、ふたりで共有しているイベント(子供ができる、家を買う、引っ越し、どちらかの親の世話を共有する、など)の場合もあります。お気づきの方もいると思いますが、「子供ができる」というイベントは、ふたりが「共有」しているところと、それぞれの人生でのイベントと、二面性があります。女性の妊娠から出産までの期間は、キャリアの面でも変化があり、また、「母親になること」(maternity)という、その個人の人生において非常に大きなプロセスを伴います。男性としても、父親になること(paternity)は非常に重要なプロセスであり、仕事を含む、様々な調整が必要です。

 ここで、男性のほうが、父親になることを自覚し、母親になる妻と、そのプロセスを共有し、ふたりで手を取り合って、女性の妊娠から出産までともに歩み、いろいろ工夫と努力を重ねてふたりで協力して子育てをしていく場合、ふたりは同様な温度を保ったまま結婚生活を過ごしていくことになり、好ましいケースです。逆に、妊娠し、いろいろ大変な思いをしている妻の母親になるプロセスに男性が寄り添うことができず、自分が父親になることに対する自覚も足りず、仕事に没頭し続け、何も変わらずに生活し続ける場合、ふたりの温度差が徐々に開いていく可能性は高くなります。実際、子供ができて、気づいたら、ふたりの間に大きな溝ができていたり、ロマンチックなムードが全くなくなってしまっていたりして、たとえばどちらか一方はセックスがしたいけれど、もう一方は到底そんな気分にはなれず、セックスレスが慢性化し、関係性が複雑化していくカップルは非常に多いです。

 このようにして見ていきますと、やはり大事なのは、それぞれのライフイベントや、ふたりが共有するライフイベントに対してふたりが常に敏感であり、興味を持ち、助け合ってやっていくことが、ふたりの温度を同様に保ち続ける秘訣といえます。有名人のカップル達についても、この辺りは如実にみられます。結婚したものの、とても短期間でふたりの間の温度差が致命的になり、非常に早く離婚に踏み出すカップルはよくいますし、このところ次々に報道される不倫問題などもこの温度差に該当します(脚注3)。逆に、山口智子さんと唐沢寿明さんを筆頭とする、長年連れ添っている仲良し夫婦は、こうした温度調整を、あまり意識することもなく、自然にしているのではないかと思います。この記事を読んで気になられた方は、あなたが今、パートナーと同じページの上にいて、同じ方向を見ているか、ゆっくり考えてみると良いかもしれません。また、パートナーと、こうしたことについて定期的に話し合いの場を持つと、「温度調整」がしやすく、室温を保ちやすくなるでしょう。

 

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(脚注1)4番目のケースとして、浮気をされた結衣さんは憤り、離婚を決意し、高額の慰謝料を考えていて、悟さんは逆上し、売り言葉に買い言葉で離婚を決意し、慰謝料はびた一文払わないと決意し、裁判が始まるようなものがあります。こうしたカップルは通常カップルセラピーには来ません。どちらも離婚を決意していて、さらに二人は関係の修復など念頭にありません。ある意味同じ温度では?などと思う方もいるかもしれませんが、この2人は、両者とも離婚を希望しているものの、実際にはふたりのベクトルはだいぶ異なった方向を向いていて、また、たとえば、結衣さんは憤りを感じながらも、氷点下にいるかもしれませんし、悟さんは激昂して50度ぐらいになっているかもしれませんし、ふたりが同じ温度であることはまずありません。非常に破壊的で醜悪な離婚にもつれ込む可能性も高く、こうしたふたりが離婚カウンセリングを利用するとだいぶ有益なのですが、ふたりはひとつの部屋に長い間同席することすら耐えられません。ただ、こうした人たちが、個人としてサイコセラピーにやってくることは良くあります。

(脚注2)こうしたカップルの多くには、育児中の子供がいますし、ふたりが離別を選んだところで、「親」として、子供のために、ふたりはパートナーシップを続けていく必要があります。離婚した両親が互いに憎しみ合って状態は、子供の精神発達において、非常に有害なので、ふたりは少なくともその子の親として、協力できるところは協力していかなければなりません。残念ながら我が国では、どちらか一方が100%親権を取り、もう一方の親には一切子供を会せない、というケースが依然として多いです。これにはもちろん、それぞれのカップルの独特な事情があるわけですが、こうした場合が多いことのひとつに、離婚するとき、ふたりの関係性があまりにも破壊的で醜悪であるので、そのようなパートナーシップなど到底考えられない、ということがあります。たとえ彼らに、子供にとっては両方に会えるほうが望ましいと思える場合でも、もう相手の顔を見るのも声を聞くのも嫌な関係性では、そうすることは非常に困難です。この状態は、子供にとって良くないだけでなく、ふたりにとっても良くないものです。なぜなら、誰かに憎しみを感じながら生きていくということは、その人のこころを蝕み続けるからです。このふたりにも、かつては良い時代もあり、良い思い出、良いできごともあったのですが、そうしたものをすべて否定して生きていくことは、自分の人生の連続性に断絶が生じるものであり、アイデンティティにも問題がでてきます。離別についてこころの整理がつき、自分の責任を取ったり、相手を許すことで、その結婚の良かったことは良かったとこととして認識でき、その結婚の良かったこと、悪かったこと、どちらもありのままに受け入れられるようになることで、離婚という経験がその人のアイデンティティに統合され、より成熟した人格へと成長します。離婚カウンセリングは、個人セッションとカップルセッションを組み合わせる場合が多いですが、このようにして、相手と向き合い、自分自身と向き合い、離婚と向き合って理解を深めることで、次の結婚や恋愛関係で同じような過ちを繰り返すことを防げますし、新しい、良い関係を築いていくことも可能になります。

(脚注3)もっとも、こうしたカップルは、配偶者のセックス依存症、病的に強い偽りの自己(false self)など、より深刻な問題を伴う場合が多く、実際は非常に複雑です。

 

 

 

 

 

 

 

 


ドメスティックバイオレンスのサイクル 続き(The Cycle of Domestic Violence, cont')

2016-03-21 | カップル・夫婦・恋愛心理学

(前回の続き)

この時期の二人はしばしば互いに強いこころの繋がりを感じ、「二人はやり直せるかもしれない」と感じるようになります。このようにして、この「仲直り期」("reconciliation period")を経て、このカップルは再び1の「平静期/ハネムーン期」へと進み、このサイクルが幾度となく続いていきます。ひとたびハネムーン期に戻ってしまうと、被害者はなかなか周りの声に耳を傾けられなくなります。

このようなサイクルの中で、被害者の自尊心、自己評価は、次第に悪化してゆき、加害者の人格攻撃をどんどん心の中に内在化するようになります。自己評価が低くなると、自分の意見や考え、気持ちに自信がもてなくなるので、パートナーの自分に対する暴言に対して、疑問を持つ力も失われ、自分は相手に言われるように無価値で無能で何の魅力もないのだと錯覚するようになります。そして、この有害な関係性から抜け出そうという、かつては僅かにでも存在していた意志も、挫かれてしまいます。自分はこのような扱いがふさわしい無価値な人間なんだとか、私のような駄目な人間は、この人と別れて他の人と一緒になっても、同じような問題に陥るだろう、相手が違ってもうまくやっていける気がしない、この関係に留まらないと自分は生きていけない、ひとりではやっていけない、といったことを信じるようになり、このサイクルから抜けられるかも知れないという希望も薄れていきます。

だだ、このサイクルは繰り返されるものの、多くの人は、自分はこのままではいけない、何とかしなければいけないという客観性は、多かれ少なかれ、持っています。このサイクルが複雑化していて、相当慢性化していた人が、ある時親友や家族の声に耳を傾けて、助けてもらってこの関係から脱出する、という例は、決して少なくありません。こうした人たちは、「底つき感」を経験しているわけで、世の中には、こうした被害者たちは底つき感を経験しない限り変われない、などと言う人もいますが、必ずしもそういうわけではありません。それから、底つき感を経験するころには、被害者は、自尊心を失い、心身共に相当にボロボロになっていて、複雑性PTSDなどを患っている方も多く、回復には相当な時間が掛かります。つまり、我々周りの人間は、そうした底つき感が訪れるのを消極的に待っているべきではありません。我々が目指すのは、「底上げ」なのです。もしあなたの周りに被害者がいるのであれば、たとえばこの記事に書かれているような、DVのサイクルと悪循環について、彼らが耳を傾けやすい時期、つまり、ハネムーン期以外、とくに、3、4の時期に、わかりやすく説明したり、事前にDVのシェルターや相談窓口について調べて押さえておいて(検索キーワードで、「DV シェルター」、「ドメスティックバイオレンス 相談」、などと入れると、地域の施設や相談窓口の連絡先がいろいろと出ています)、そうしたリソースや施設の存在についても教えてあげて、もし彼らがその関係性から脱出する意思があるのなら、いつでも手助けする、という意志を伝えておきましょう。被害者を責めること、非難すること、駄目出しすることは避けながら、共感的に、彼らに寄り添って、自分は味方であり、とても心配していると、根気よく伝えていきましょう(基本、ハネムーン期は避けましょう。被害者を防衛的にしてしまい、逆効果です)。被害者がなかなか耳を傾けてくれなくても、どうか諦めないでください。あなたは、本質的にとても難しいけれど、とても大切なことに取り組んでいるのだということを、常に心に留めておいてください。お節介者扱いされたり、軽くあしらわれたり、逆上されたりと、辛いこともあります。しかしそれは、決してあなたの問題ではなく、被害者が、そのような病的な関係にどっぷり浸かってしまっているゆえの反応です。極力個人的に受け止めないようにして、適度な距離を保ちながら、支持していきましょう。

もしあなた本人が、今、このような夫婦関係、恋愛関係に苦しんでいるのでしたら、まずは、この記事に書かれているような、非常に問題のある関係性にあなたが入り込んでしまっていることに、まずは自覚を深めてください。自覚して、客観的に見つめてみてください。あなたはもしかしたら、今の状況は、パートナーが言うように、自分のほうに落ち度があるのではないかと思っているかもしれません。しかし、どんな理由があるにせよ、誰もあなたに暴力を振るってはいけませんし、あなたはそのような扱いには値しません。手を挙げられることがなくても、あなたの人格を否定するような暴言は、それ自体が根本的に間違っています。あなたをそのように扱う人のところに、あなたはそれ以上居続けてはいけません。今私が言っていることがしっくりいかなくても、気になることがあれば、まずは、DVのホットラインなどの相談窓口に電話してみてください。「DV 相談」などで検索すると、連絡先がでてきます。まずは電話してみて、あなたの置かれている状況について、相談員にお話してみましょう。

もしあなたが今の人間関係から逃れなければいけないという自覚を持っているのでしたら、上記のようにネットで検索して、相談員に具体的なリソースやシステムについて教えてもらったりして、あなたには実際にはどのようなリソースがあり、どのような手順を踏めばよいのか、押さえておきましょう。それから、日ごろから、相手の暴力が始まったとき、暴力を振るわれる前兆がでてきたときに、すぐに避難できるように、持ち出し用のバックを用意しておきましょう。その中身は、通帳と印鑑、実印、運転免許証、保険証、携帯電話と充電器、あればipadなどのタブレット、パスポート、現金、クレジットカード、数日分の着替え、必要であれば、メガネやコンタクトレンズ、常備薬などです。いざという時に、どのように脱出するか、シュミレーションをしておくことも大切です。

もしあなたが、今でもそのパートナーのことを大切に思っていて、夫婦関係やパートナーシップを続けたいと望んでいるであっても、いや、そうであるのならなおさら、あなたは一度、あなたを傷つけるパートナーと物理的な距離を置くことがどうしても必要です。あなたは暴力に耐えてはいけませんし、相手の方も、あなたに暴力を振るうことが決して許されないのだと、そのようにして学ばなくてはなりません。あなたに暴力を振るう イコール 別居だと、理解しなければなりません。こうした境界線なしに、一緒に居続けることで、残念ながら、良いものは望めません。同じことを繰り返しながら、何か新しいものや変化を期待することはできません。新しいものや変化が欲しければ、あなたは新しい方法を試さなければなりません。互いにまずは物理的な距離を持つことで、一緒に居るときは不可能であった、心理的距離、客観性も持つことができるようになります。こうして、心理的、物理的、ともに適切な距離を確保できたところから、建設な考えや、希望も芽生えますし、あなたの心身の根本的な回復も可能になります【完】

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ドメスティックバイオレンスのサイクル (The Cycle of Domestic Violence)

2016-02-28 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 「友達が同棲している彼氏から暴力を受けている」、「娘が旦那さんからDVを受けている」けれど、当事者に自覚がなかったり、自覚はあるけれど、何らかの対策を取る様子でも、そこから抜け出す感じでもなく、理解できない、どうしたら良いかわからない、といった相談をよく受けます。こうした人たちの話を聞いていると、そのお友達や娘さんは、やっと耳を傾け始めてくれるようになったと思ったら、また聞かなくなった、少し前まで別れようとしていたと思ったのだけれど、といった困惑もしばしばみられます。これはまた、DVの被害にあっている当事者のお話を聞いていても、出てくる問題です。彼女たちは、別れたいと切に思う時期と、もう少し続けてみようかと思うときと、波があります。

 アメリカの女性の心理学者、Lenore E. Walkerは、今から30年以上も前に、こうした現状について系統立てた理論を提案しました。この理論は、"The Battered Woman Syndrome"(殴打される女性症候群)というもので、アメリカでは比較的よく知られているものですが、日本ではまだあまり知られていないようなので、今回ここに紹介したいと思います。私がこの理論に最初に出会ったのは、昔、アメリカのDVの被害者のためのシェルターで働いていたときに受けたトレーニングでしたが、その後も幾度となく触れる機会がありました。ところでこのモデルは、男女のカップルにおいて、男性から女性に向けられる暴力や暴言に限ったことではありません。近年は、女性から男性への暴力やモラルハラスメントが問題になっていますし、DVは、同性愛のカップルの間にも存在します。そしてこの理論は、こうしたすべてのDVのあるカップルの関係性に見られるものです。

 さて、このDVのサイクルは、大きく分けて、4つのステージがあります。これは円環していて、連続性のあるものですが、便宜上、スタート地点を設けます。今回は、スタート地点を1. Calm period/Honeymoon Period (平静期/ハネムーン期)にしますと、

1. Calm period/Honeymoon Period (平静期/ハネムーン期)

2. Tension building period (緊張感が蓄積される時期)

3.Incidedent (実際のDVの事件。Explosion 「爆発」とも言われます)

4.Reconciliation Period (仲直り期)

の4段階になります。

まず、1の平静期/ハネムーン期)ですが、この時期のふたりは比較的うまくやっています。後に紹介する、仲直り期の後ですので、緊張感もあまりありません。しかしこの時期は通常あまり長くは続きません。

この時期は時間の問題で、2の緊張感が蓄積される時期に入ります。この時期、加害者は不機嫌になったり、イライラしたり、気難しくなっていて、被害者は、相手のムードや顔入りが気になり、おどおどしながら過ごします。まるで、はれ物に触るように生きている人もいます。

さて、この蓄積されてきた嫌な緊張感はやがて一触即発というところまで張りつめて、時間の問題で、加害者は怒りを爆発させ、被害者に暴力を振るったり、暴言を吐いたりと、相手をひどく攻撃します。被害者は痛めつけられ、傷つき、最悪な精神状態に陥ります。このとき、被害者は、加害者との関係性について真剣に考えます。その関係を続けていくべきなのか、別れたほうがよいのか。また、その関係性にうんざりして、嫌になってしまっているのもこの時期です。この時期に、被害者は心理カウンセリングや公共のサービスを試してみようという気持ちになります。実際、DVのシェルターに連絡をして、助けを求めてくる方たちは、この時期にいる方たちが多いです。被害者の家族や近しい友人が、被害者が自分の置かれている状況に客観的になれていると感じるのも、この時期です。この時期が、その虐待的な恋愛関係、夫婦関係から脱出できる最大のチャンスです。

しかし残念ながら、この時期も長くは続きません。加害者は、被害者に、自らの暴力や暴言、モラハラなどについて、詫びます。謝ります。また、自己愛が強すぎて直接的に謝れない人は、花束やプレゼントを与えたり、被害者が日ごろ欲しがっていたものを与えたり、してほしいと言っていたことを叶えてあげたりします。これは、被害者が自分から離れていかないようにと、加害者が被害者のこころを操作しているわけですが、この操作については、通常、ほとんど無意識的に行われています。意図的に行っている人もいますが。こうした働きかけにより、最初は心底傷つき、相手にうんざりしていた被害者も、加害者と心的な繋がりを再び感じ始め、気分も回復し始め、加害者の謝罪や償い行為に応じるようになります。これが、第4段階の、「仲直り期」です。この時期の二人はしばしば互いに強いこころの繋がりを感じ、「二人はやり直せるかもしれない」と感じるようになります。(続く) 

 

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