興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

パートナーとどれだけ共有できていますか?

2018-02-10 | カップル・夫婦・恋愛心理学

カップルセラピストとして、カップルや個人の結婚問題、恋愛問題に日々取り組んでいて、意識していることのひとつに、そのカップルが、どれだけ事物を共有できているかということがあります。

 実際、婚姻関係、恋愛関係など、あらゆるパートナーシップの問題は、そのふたりが何らかの重要な事物を共通できていないところにあるとも言えます。それはたとえば、妊娠、出産、育児に関することであったり、性生活であったり、お金や経済的なことであったり、趣味や余暇の過ごし方であったりと、様々です。

 これはまた逆も然りで、良好な関係とは、そのふたりがパートナーシップにおいて重要な点において、共有できているものが多いということも言えます。

 問題あるカップルにおいて、そのふたりの関係が改善や修復可能かどうかのひとつの指標になるのは、そのふたりが現時点で何らかの重要なものをひとつでもうまく共有できていたり、現時点ではそれが大きな問題になっていても、改善の余地が少なからず残っていることです。

 さて、「重要な点における共有」と言いましたが、それでは「重要な点」とはどんな点でしょうか。

 その具体的な事物に関しては、それぞれのカップルのユニークな関係性による個人差も大きいのですが、いずれにしても、それはおおよそ3つの分野に分けることができそうです。その3つの分野とは、情緒・感情(affect)、行動 (behavior)、認知 (Cognition)の3領域であり、「ABCの共有」などと呼べば、覚えておきやすいですね(脚注1)。

 この3領域は、基本的に相互作用が大きく、不可分なことも多いですが、まずは便宜的に切り分けて説明します。

 まず、A(Affect)、情緒・感情の共有ですが、これは、お互いが、どれだけ相手の気持ちをきちんと理解していて、また、自分の気持ちをどれだけ相手に理解してもらえているか、というところです。別の言い方をすると、お互いどれだけ心が通い合っているか、ということです。本当に仲の良いカップルは、何かをしているときのお互いの感情自体がよく似ています。旅行に出かけて、お互い一緒にいれることに幸せを感じていたり、ひとつの映画をみて、同じように感じていたり。もちろん、カップルと言えど、ふたりの人間が常に全く同じ気持ちということはありませんし、異なった感情を持つことも大切です。ただ、異なった感情を抱いていても、うまくいっているふたりは、相手がどうしてそういう気持ちなのか理解していますし、そこに共感することもできます。不仲なカップルは、多くの場合、それぞれが何を考えているのか分からなかったり、分かろうとしなかったり、不正確な決めつけがみられます。また、たまにあるケースで、関係性が本当に冷え切ってしまっているけれど、お互いがどんな気持ちであるのかは正確に分かっている、というカップルもいます。残念ながら、それぞれがお互いのその「正確に分かっている感情」に共感できませんが。

 次に、B(Behavior)、行動の共有です。これは、生活の中で、どれだけ行動を共有しているか、ということです。具体的には、一緒に食事をしたり、一緒に余暇を過ごしたり(これは映画であったりスポーツであったり芸術であったり、ドライブであったり、様々な形がありますね)、セックスをしたり、キスやハグやマッサージなどのスキンシップであったり、家事や育児であったり(これは必ずしも一緒に行うというわけではなく、きちんとした連携と分担ができているかどうかも含まれます)同じベットで寝たり、といったことの共有です。ちなみに、なんでもないおしゃべりなどの会話も行動の共有に含まれます。

 最後に、C(Cognition)の共有ですが、これは、物事に対する認識や価値観がどれだけ共有できているか、ということです。これはたとえば、金銭感覚(何にお金を掛けるべきか、どこをセーブすべきか、どのくらい貯金したいか、資産運用はどのようにするか、ローンは、などなど)の共有、子供の教育方針の共有、居住地や家などの生活環境(一軒家かマンションか、都会か郊外か、田舎暮らしか)の好みの共有、パートナーシップに求めるもの、大切に思うものの、優先順位の共有、政治や社会問題に関する考え方の共有、宗教や哲学、精神世界の共有などです。

 先述したように、これらは通常密接に関連し、連動していて、不可分です。つまり、そのカップルの生活のどの事物を分析対象に選んでも、そのふたりの関係性の質が見えてきます。

 今回は、ここ十数年で問題視されている、夫婦のセックスレスや、性の問題について考えてみたいと思います。

 まず、うまくいっているカップルですが、セックスをする頻度(行動)、セックスの質や内容などの好みや優先順位(認知、価値観)、セックスにおける情緒体験など(感情、気持ち)、いずれの面においてもうまく共有されていて、お互いにとってセックスライフが楽しくておおむね満足のいくものです(脚注2)。

 ところで、夫婦のセックスレスが、離婚の原因だと言われることがしばしばありますが、これは必ずしもそうとは言えません。セックスレスの夫婦の50%はいずれ離婚する、という統計がありますが、ここで注意しなければならないのは、これは「相関関係」(correlation) であり、「因果関係」(causality) ではない、ということです。つまり、セックスレス、という事象と、離婚、という事象が、必ずしも直結しているわけではなく、むしろ、互いにセックスをしたくないぐらいの心の溝、怒り、憎しみ、不信感、嫌悪感、無関心、距離感などの、「第三変数」のほうが決定的な要因である場合がほとんどです。それから、この統計でもうひとつ注目すべきは、50%は離婚するけれど、残りの50%、つまり、半分のカップルは、セックスレスだけれど離婚しない、という点です。

 日本人の結婚は世界的にも独特で、家庭内別居、家庭内離婚など、結婚関係が完全に破たんしていても離婚しないカップルが依然として少なくありませんが、こうした機能不全カップルではなくて、とても仲の良いセックスレス夫婦は、どうしてセックスレスで問題がないのか、ということも、このABCの共有という観点を用いると、理解できます。

 こうしたカップルに多いのは、お互いの愛着スタイルが「回避型」であり、セックスというものがお互いあまり好きではない、というケースです。このタイプのカップルが日本にはとても多いです。セックスは、本来とても親密なものですが、この身体感覚的な親密さを、回避型の愛着スタイルの人たちは、居心地悪く感じたり、煩わしく感じたり、ものすごいプレッシャーや負担に感じたりします。お互いがそのように感じているのであれば、あえてセックスをする必要はありません。むしろこうした人たちにとって、セックスは負担だったり苦痛だったりするので、ない方がお互い幸せなのです。お分かりのようにこのカップルは、セックスがあまり好きではない、という価値感を共有しています。

 一方で、性生活は存在しているけれど、夫婦仲はよくないというケースも少なからず存在します。たとえば、妻が妊娠出産授乳期間中で、体力も落ちていて、具合もよくなくて、初めてのことで余裕もないところ、育児にほとんど参加しない非協力的な夫が性交渉ばかり求めてきて、断ったらものすごく機嫌が悪くなり、暴言などがでてきて、仕方なく応じているけれど、嫌で仕方がない、というカップルや、とにかく性欲は盛んだけれど、非常に自分本位で相手を楽しませることをしない夫に対して、拒むと気まずくなるので仕方なく応じているけれど、前戯などもほどんどないとにかく射精するだけの行為であり、妻が望むセックスとかけ離れているケースのカップルにおいて、これはほとんど性交であってセックスではない(Intercourse wituout sex)という状態で、このカップルは、性生活において、気持ちも共有できていなければ、価値観も共有できておらず、さらには、性交渉はあるものの、きちんとセックスを共有で来ていません。 

 セックスレスだけれど仲の良い夫婦、性交渉はあるものの、不仲な夫婦について述べました。こうした例は日本にはかなり多く、セックスがなくても良好な関係もあれば、セックスがあっても破綻した関係もある、といことです。しかしこれらはどちらかというと非定型的なものであり、基本的には、セックスのあるカップルは比較的うまくいっていますし、セックスのないカップルは、問題のある関係である場合が多いです。

 これは言わずもがななことでもありますが、セックスレスが問題になるのは、どちらかに性欲があり、パートナーとの性交渉を望んでいるけれど、もう一方に性欲がなかったり、性欲はあるけれど、そのパートナーとの性交渉は望んでいない、という場合です。実際、パートナーシップや恋愛関係の問題で私のところにお越しになるカップルには、このタイプが一番多いです。お付き合いが始まった当初からセックスに問題があるカップルもいれば、何らかの出来事が起きたタイミングで性交渉が失われていくカップルもいます。セックスライフは、多くの人にとって、とても大事なことなのですが、この重要性を軽視してしまっている方は意外なほどに多いです。しかし、セックスの重要性を軽視して結婚したら、思いのほかセックスが重要なことに気づき、しかしふたりのセックスの相性(Chemistry)がどうしても合わずに困窮している、という方たちは、少なからずいます。

 良いセックスは、そのセックスという「行為」をふたりが共有することを通して、愛情や親密さといった「情緒体験」を共有するもので、大切な人から触れられることのニーズ(Need of touch, Need of being touched)という認知を共有するものでもあります。これには、質的な要素と、量的な要素が伴います。

 日々の生活の中で、家事、育児、セックス、家計、資産運用、趣味、余暇など、いろいろな主要な面において、ABCの共有度が高いほどに、そのカップルは親密であり、その関係性に対する満足度も高いです。

 逆に、こうした面におけるABCの共有度が低くなるほどに、ふたりの関係性は距離があったり、希薄であったり、緊張感があったり、確執があったりして、その関係性への満足も低くなります。

 現在、パートナーシップに問題を抱えている方は、こうした要素において、どれだけパートナーと共有できているか、また、できていないとしたら、どのようにして改善していけるか、ABCの観点で考えてみると、関係性の修復や、親密さの向上への糸口が見えてくると思います。

 また、今現在、決まった人がいて、結婚を考えているけれど迷っている、という方は、その方とどれだけの点で、情緒的、行動的、認知・思想的に、共有できているか、あるいは、できそうか、イメージしてみて、冷静に考えると、ふたりにとってのベストな答えが見えてくることでしょう。

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脚注1:ここでいうABCは、私の創作ではなく、アメリカの心理学ではよく用いられる言い回しです。

脚注2:ここで、お互いが「完全に満足」しているという場合もあれば、多少の不満はあるけれど、おおむね満足、というカップルも多いです。


 



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不本意だけれどやめられない恋愛関係について

2017-02-06 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 職場の人間関係の問題で心身に支障を来した方からのご相談は非常に多いのですが、セッションのなかで何を話しても非難や批判や否定などをされることがないとわかると、クライアント達は、少しずつ、よりプライベートなお話をしてくださいます。

 こうしたなかで、しばしば出てくるのが、自分が現在「良くないと分かっているけれどやめられないお付き合い」をしている、という女性の方たちで、彼女たちはつまり、妻子持ちの既婚男性や、恋人のいる男性と、恋愛関係を持っている、ということです。

 今まで誰にも話せなかった。親にも親友にも話せなかった。話したら絶対猛反対されるから。このように話す彼女たちはこの恋愛関係においては本当に孤独で、良心の呵責に苛まれながら、ひとりで苦しいんでいます。

 いつも自分自身を責めていて辛いから、それ以上誰からも責められらくないし、それでもそれが問題になっていることもわかっているという葛藤から、セラピーが始まってもなかなかそれについて話せずに、自分にはそういう誰かがいると、非常に分かりにくい形でほのめかす方も少なくありません。

 注意深く、私というセラピストがどういう人間なのか、確かめながら話しておられます。やがて、大丈夫だとわかると、実はと、こうしたお話になります。

 もちろん私は彼女たちを責めません。責めるべきところでもないと思っています。そもそも私はどのようにしてそのような関係になったのか、その関係が維持されているのか、それは具体的にはどういう関係性であるのか、その関係性がどのような意味をもっていういるのか、その関係性がどのようにその人を蝕んでいて、また同時に、どのようにその人を助けているのか、こうしたことをまず深く理解したいと思っています。

 こうしたことをクライアントと一緒に探索しながら、クライアントの情緒体験を促進していくうちに、その関係性の本質の理解が深まっていきます。

 いろいろなケースがありますが、たとえばその人の父親との関係性が現在の恋愛関係で再現されていて、父親にかつて傷つけられていたのと同じように、今の男性に傷つけられている、ということが少なくありません(母親との関係性がベースになっている場合も多いです)。

 はじめは、父親と恋人が全く違ったタイプで、全く異なった性格だと思っていた人も、対話を重ねるなかで、驚くべき共通点を発見することがよくあります。たとえば、父親は暴力的だったけれど、今の彼は一切手を挙げない、という場合で、良く見ていくと、暴力は振るわないけれど、父親と同じように、絶対に謝ってくれない人だったり、いつも自分だ正しいと思っている人だったり、同じように批判的だったりします。こうした過去の人間関係の再現は、それに伴うネガティブな情緒体験も同様なので、そうした父親のもとで、低い自己評価に苦しんでいた人が、時間を超えて、今の恋愛関係で同じように低い自己評価に苦しんでいたりします。

 精神分析学の箴言に、"Remember! Not Repeat!"というものがあります。「思い出せ! 繰り返すのではなく!」。ここでいう「思い出す」とは、一般的な意味での思い出すこととは少し意味合いが異なります。ここでいう「思い出す」こととは、普段の生活の中では、無意識のなかに抑圧されていて、ひとりで努力しても思い出しようのないようなことで、つまり、無意識下で続いている人間関係のドラマです。無意識である以上、気づきようがないので、それはいつまでも繰り返されます。その無意識のドラマを、精神分析によって意識化して(Make uncouscious conscious)、理解することで、そのまずい流れに歯止めが利くようになり、さらには、新しい関係性を試して構築することができるようになるのです。

 このようにして、無意識になったものが意識化されたところで問題がすべて解決するわけではありません。

 そもそも、本人が、良くない良くないと思っていて、もし自分が相手の女性の立場だったら絶対に許せない、自分がしていることは人として最低だ、今の関係性に未来はない、自分は幸せにはなれない、そう思っていても、どうしてもやめられないのは、それでもその関係性に大きな意味があるからです。

 これにもいろいろなケースがありますが、よくあるのは、その男性との関係性でしか満たすことのできない依存のニーズです。実家の家族や友達との関係が希薄だからという人もいれば、そうではなく、実家とも良好で、友達もいるけれど、恋人は会社の上司で仕事が非常によくできて、その仕事は専門性が高いので、友達も家族も助けることができない、それから、仕事を通じた専門的で知的な会話が楽しく、そういう会話をできる人が他にいない、というケースもあります。

 いずれにしても、彼女たちに共通しているのは、低い自尊心や自己評価、ネガティブな自己イメージに苛まれていることです。慢性的な抑うつに苦しんでいる人も多いです。もともと自尊心が危うかったところに、このような不本意な人間関係が入ってくることで、さらに自尊心がダメージを受ける、というパターンです。

 何はともあれ、現時点でその恋愛関係が彼女たちを「生かしている」のも事実であり、「良くないと思っているなら今すぐやめなさい。会いたいと思ってももう絶対に会っちゃだめ。メールもLINEもブロックして、FacebookもTwitterもインスタもフォローするのをやめなさい。電話も出ちゃダメ。辛くても耐えるのです。耐えているうちに、耐性ができて、克服できるようになります。それがあなたの成長に繋がるのです」などとアドバイスしてもなかなかうまくいきません。

 それどころが、この無謀なアイディアを試してみたけれどできなくて挫折して、やっぱり自分はダメなやつなんだとさらに落ち込むことになるのは目に見えています。こんなことは、彼女たちは、友人や家族などからのアドバイスや、自分自身の思い付きで、さんざん試しています。試して、失敗しています。なかには、失敗して、落ちて、その彼に慰められ、やっぱり私にはこの人なしではダメだと結論付けてしまう方もいます。

 それではどうすればやめられるのでしょう。

 まずは、その人が本当にその恋愛を終わりにしたいのかについて、よく話し合っていく必要があります。私としては、誤解を恐れずにいうと、その人がその不倫関係を続けるかどうか、それ自体はあまり重要視していません。

 私にとって重要なのは、その人が慢性的なうつ病や、不安障害、低い自己評価、低い自尊心などを改善し、できれば克服して、本当の意味で幸せになることです。もしその関係を続けることで、彼女たちが本当に幸せになれるなら、その可能性も追求します。

 実際私はこのスタンスでセラピーをしています。つまり、ありとあらゆる可能性について、まずは現実的かどうかは傍らによけつつ検討していきます。

 ただ、矛盾するようですが、彼女たち自身が容認できない、彼女たち自身の倫理観や価値観に反することを続けている限り、彼女たちはこうしたことに苦しみ続けますし、本当に幸せになることができません。ここからヒントになるのは、彼女たちが、どうしたら本当の意味で自分を大切にできるようになるかです。

 そこで、やはり別れた方がいいという結論に達したとしたら、それではどうやったら無理なく確実に乗り越えられるか、考えていきます。もしその人が、友達や、実家の家族と疎遠になっていて、社会的に孤立しているならば、たとえその人を少しずつ蝕んでいる恋愛関係でも、現時点はその人が生きていくうえで必要です。少しずつ、それ以外の世界や人間関係を作りつつ、その恋人と会う頻度や連絡の回数を限定していくのもひつつのやり方です。これは以前にも紹介した、Harm reduction(有害なものの削減)という手法です。アルコール依存の人が、今夜からいきなり完全な断酒を宣言してもなかなか長続きしないけれど、毎晩ワインボトル一本空けていた人が、毎晩ハーフボトル、続いて毎晩グラス2杯、一杯、隔日にグラス一杯、という風に、長い時間を掛けて無理なく少しずつ減らしつつ、それ以外のストレス解消法や楽しみを見つけたり、同時に、飲酒のもとになっている慢性的な鬱やトラウマを解決していくことで、成功します。

 このやり方で、少しずつその人の人生全体を改善していきます。友好関係が希薄であれば、そこを強化したり、実家との関係が改善可能であれば、そこも改善しますし、職場の人間関係も最善なものにしていきます。そのうえで、先ほど話したように、その人の生まれ育った家庭環境の未解決な問題を解決したり、自尊心や自己評価を改善したりして、自信をはぐくみ、心理面も改善していきます。同時に、もしこの方が多忙などで自己管理が行き届いていないようでしたら、栄養状態や、睡眠衛生などについても改善を試みます。

 このように、「不本意だけれどやめたくてもやめられない恋愛関係」にはその人を生かしているところもあり、解決するためには、BioPsychoSocialな、つまり、生理学的(Biological)(体調など)、心理学的(Psychological)、社会的(Social, Sociological)と、総合的に改善していくことが、一番確実です。というのも、人間は本質的に社会的な存在であり、社会、つまり、他者との関りなしには生きられない存在であり、BioPsychoSocialと、すべてがつながっているのです。

 今回の例では、冒頭に、職場の人間関係がありましたが、「職場の人間関係に問題がある」とお越しになったクライアントの主訴を四角四面に受け止めてそこだけ扱うのではなくて、こうした繋がりを意識して取り組んでいく必要があります。もちろん、サイコセラピーでメインに扱っていくのは、その人個人のこころであり、情緒体験ですが、そのこころがどのように人間関係で影響を受けているか、また、そのこころがどのように人間関係に影響しているのか、そして、その人間関係が、その人のこころと体にどのように影響しているのか、円環的な理解も重要です。

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恋愛関係・夫婦関係の温度差に注意しましょう。

2016-04-11 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 カップルセラピスト・サイコセラピストとしていろいろなカップルや個人とお会いしていて意識していることのひとつに、その2人それぞれの、その関係性に対する温度というものがあります。この2つの温度は、ほぼ同じであったり、微妙に異なっていたり、だいぶ異なっていたりします。この温度差が少なければ少ないほど、良くも悪くもこの2人の心的な結びつきは強いですし、また、大きければ大きいほど、2人のこころには大きな隔たりがあります。たとえば、付き合って間もない、「恋に落ちた」ハネムーン期の2人は30℃を超えるものがずっと続いている、熱帯雨林気候のようなものを共有しているかもしれませんし、また、20年一緒にいる仲良し夫婦は、20℃~25℃ぐらいの穏やかな温度を共有しているかもしれません。

 このように、カップルはそれぞれが関係性に温度を持っているのですが、もうひとつ私がしばしば感じるのは、問題のある関係性のカップルの2人の大きな温度差であり、また、2人がいかにその温度差に気づきにくいか、ということです。

 それでは温度差とは何でしょう。これにはいろいろな要素が関係しています。たとえばこれは、ふたりの人間関係におけるベクトルの方向性とも密接に関係しています。これは、星の王子様で有名なサン・テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)の、"Loving is not just looking at each other, it’s looking in the same direction." (「愛とは、ふたりがただ互いに見つめあうことではない。それは、ふたりが同じ方向を見ているということである」)という名言が良く表しているところです。

 どちらかの浮気が問題でカップルセラピーにやってくるカップルについても、同じことがいえます。浮気が問題となってカップルセラピーに来るカップルには、大きく分けて、3種類あります。

 便宜上、架空のカップルを想定します。悟さんと結衣さんは結婚3年目のカップルで、今回、最近発覚した悟さんの浮気が問題となり、ふたりは私のところにやってきました。

 さて、1つ目のケースは、結衣さんが激怒し、悟さんは猛省し、なんとか結衣さんの傷を癒して、許してもらって、関係を続けていきたい、というところです。結衣さんとしては、もう憤懣やるかたないのですが、悟さんのことはそれでも愛しているし、どうしていいかわからない、という状態です。

 2つ目のケースは、悟さんは猛省し、なんとか結衣さんの傷を癒して許してもらって関係を続けていきたい、というところまでは1つ目のケースと同じですが、結衣さんは今回の件で悟さんにすっかり嫌気がさしてしまい、もう彼と一緒にやっていける気もしなくなり、離婚を真剣に考えている、という状態です。

 3つ目は、浮気をした悟さんが逆切れしてその浮気を合理化し、浮気の原因は結衣さんのほうにあったのだと主張するようなもので、結衣さんとしても、悟さんの裏切り行為に深く傷つき、憤りを感じているものの、離婚だとか悟さんなしの人生など到底考えられず、どうしていいかわからない、というケースです(脚注1)

 このなかで、関係性の修復という意味で、セッションの進展が最もスムーズなのは、どのカップルでしょう?それは、1つ目のケースです。1つ目のケースは、ふたりともかなり精神を乱されていて、強い苦痛のなかにいますが、少なくとも、ふたりは「関係を修復して、結婚生活を続けていきたい」と望んでいます。悟さんは反省し、結衣さんの痛みを感じ、償いたいと思い、修復を望んでいますし、結衣さんも、悟さんの裏切り行為で深く傷つけられて怒りが収まらないものの、なんとか怒りを鎮めて、悟さんを許し、関係を取り戻し、結婚生活を続けていきたいと望んでいます。こういう意味で、ふたりの未来へのベクトルは同じ方向を向いていますし、ふたりの「温度」もあまり変わりません。

 残りの2つのケースは、どちらかがその関係性にまだ熱を持っているものの、もう一方は、冷め切っています。ひとりは結婚生活の存続を望んでいるけれど、もう一方は、離別を望んでいます。未来に向かうベクトルが正反対です。こうしたカップルの場合、余程のことがない限り、修復は難しいです。セラピーの流れとしては、はじめにありとあらゆる修復の可能性を模索しますが、どうしても一方が離別を望む場合、カップルセラピーの内容は、ある時点で、離婚カウンセリング(divorce counseling)へとシフトしていくことがあります(脚注2)。

 いずれにしても、浮気は結婚の終わりの始まりといわれるほどに2人の関係性において有害で破壊的なものであり、1つ目のケースでも、当事者のふたりだけではなかなかうまく解決できずにこじれてしまい、被害者のほうが徐々に冷めていって離婚に至るケースも多いですし、3つのいずれのケースも好ましくない状況です。浮気は相手のあらゆる意味での信頼を失うことにつながります。相手はあなたという人間が信頼できなくなるかもしれませんし、ふたりの関係性に対する信頼を失うかもしれません。そして、ひとたび浮気が明るみにでると、その修復には相当な努力と時間と労力が伴います。それでも修復できないケースもあります。

 つまり、あらゆるカップルにとって大切なことは、浮気を未然に防ぐ努力や工夫です。 と、ここまで浮気という一番目に見える問題を取り上げましたが、浮気やDV、借金やどちらかの配偶者の依存症など、あからさまな問題がなくてもふたりの温度差が大きくなり破局に至ることは少なくありません。

 そういうわけで、あやゆるカップルが常に気を配るべきものは、相手の自分や関係性に対する温度であり、また、自分の相手や関係性に対する温度です。

 ほとんどのカップルは、その付き合い始めは同じような温度を持っています。しかし、なかにはそうでないカップルもいます。一方が、相手のことをものすごく好きなのであけれど、もう一方はそれほどでもなかったり。こうしたケースで、さほど相手のことが好きでもなかった人が、ゆっくりと温度を高めていくケースもありますが、こうした初めから温度差のあるカップルは、注意が必要です。それでどちらかが強烈に好きで、積極的で、その勢いにもう一方が押される形で結婚、というのは避けたいところです。こうした場合、まずはしっかりとお付き合いして、ふたりの温度が同じようになってくるか様子をみる必要があります。温度が同じようになってくるようなら、縁がありそうです。

 さて、ふたりが無事に結婚して、新婚当初、多くの場合、ふたりは同様な温度です。問題は、これから自然に起こる様々な人生のイベントです。それは、それぞれの人生に起きるイベント(仕事、環境への順応、健康の問題、実家の親などのこと)もあれば、ふたりで共有しているイベント(子供ができる、家を買う、引っ越し、どちらかの親の世話を共有する、など)の場合もあります。お気づきの方もいると思いますが、「子供ができる」というイベントは、ふたりが「共有」しているところと、それぞれの人生でのイベントと、二面性があります。女性の妊娠から出産までの期間は、キャリアの面でも変化があり、また、「母親になること」(maternity)という、その個人の人生において非常に大きなプロセスを伴います。男性としても、父親になること(paternity)は非常に重要なプロセスであり、仕事を含む、様々な調整が必要です。

 ここで、男性のほうが、父親になることを自覚し、母親になる妻と、そのプロセスを共有し、ふたりで手を取り合って、女性の妊娠から出産までともに歩み、いろいろ工夫と努力を重ねてふたりで協力して子育てをしていく場合、ふたりは同様な温度を保ったまま結婚生活を過ごしていくことになり、好ましいケースです。逆に、妊娠し、いろいろ大変な思いをしている妻の母親になるプロセスに男性が寄り添うことができず、自分が父親になることに対する自覚も足りず、仕事に没頭し続け、何も変わらずに生活し続ける場合、ふたりの温度差が徐々に開いていく可能性は高くなります。実際、子供ができて、気づいたら、ふたりの間に大きな溝ができていたり、ロマンチックなムードが全くなくなってしまっていたりして、たとえばどちらか一方はセックスがしたいけれど、もう一方は到底そんな気分にはなれず、セックスレスが慢性化し、関係性が複雑化していくカップルは非常に多いです。

 このようにして見ていきますと、やはり大事なのは、それぞれのライフイベントや、ふたりが共有するライフイベントに対してふたりが常に敏感であり、興味を持ち、助け合ってやっていくことが、ふたりの温度を同様に保ち続ける秘訣といえます。有名人のカップル達についても、この辺りは如実にみられます。結婚したものの、とても短期間でふたりの間の温度差が致命的になり、非常に早く離婚に踏み出すカップルはよくいますし、このところ次々に報道される不倫問題などもこの温度差に該当します(脚注3)。逆に、山口智子さんと唐沢寿明さんを筆頭とする、長年連れ添っている仲良し夫婦は、こうした温度調整を、あまり意識することもなく、自然にしているのではないかと思います。この記事を読んで気になられた方は、あなたが今、パートナーと同じページの上にいて、同じ方向を見ているか、ゆっくり考えてみると良いかもしれません。また、パートナーと、こうしたことについて定期的に話し合いの場を持つと、「温度調整」がしやすく、室温を保ちやすくなるでしょう。

 

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(脚注1)4番目のケースとして、浮気をされた結衣さんは憤り、離婚を決意し、高額の慰謝料を考えていて、悟さんは逆上し、売り言葉に買い言葉で離婚を決意し、慰謝料はびた一文払わないと決意し、裁判が始まるようなものがあります。こうしたカップルは通常カップルセラピーには来ません。どちらも離婚を決意していて、さらに二人は関係の修復など念頭にありません。ある意味同じ温度では?などと思う方もいるかもしれませんが、この2人は、両者とも離婚を希望しているものの、実際にはふたりのベクトルはだいぶ異なった方向を向いていて、また、たとえば、結衣さんは憤りを感じながらも、氷点下にいるかもしれませんし、悟さんは激昂して50度ぐらいになっているかもしれませんし、ふたりが同じ温度であることはまずありません。非常に破壊的で醜悪な離婚にもつれ込む可能性も高く、こうしたふたりが離婚カウンセリングを利用するとだいぶ有益なのですが、ふたりはひとつの部屋に長い間同席することすら耐えられません。ただ、こうした人たちが、個人としてサイコセラピーにやってくることは良くあります。

(脚注2)こうしたカップルの多くには、育児中の子供がいますし、ふたりが離別を選んだところで、「親」として、子供のために、ふたりはパートナーシップを続けていく必要があります。離婚した両親が互いに憎しみ合って状態は、子供の精神発達において、非常に有害なので、ふたりは少なくともその子の親として、協力できるところは協力していかなければなりません。残念ながら我が国では、どちらか一方が100%親権を取り、もう一方の親には一切子供を会せない、というケースが依然として多いです。これにはもちろん、それぞれのカップルの独特な事情があるわけですが、こうした場合が多いことのひとつに、離婚するとき、ふたりの関係性があまりにも破壊的で醜悪であるので、そのようなパートナーシップなど到底考えられない、ということがあります。たとえ彼らに、子供にとっては両方に会えるほうが望ましいと思える場合でも、もう相手の顔を見るのも声を聞くのも嫌な関係性では、そうすることは非常に困難です。この状態は、子供にとって良くないだけでなく、ふたりにとっても良くないものです。なぜなら、誰かに憎しみを感じながら生きていくということは、その人のこころを蝕み続けるからです。このふたりにも、かつては良い時代もあり、良い思い出、良いできごともあったのですが、そうしたものをすべて否定して生きていくことは、自分の人生の連続性に断絶が生じるものであり、アイデンティティにも問題がでてきます。離別についてこころの整理がつき、自分の責任を取ったり、相手を許すことで、その結婚の良かったことは良かったとこととして認識でき、その結婚の良かったこと、悪かったこと、どちらもありのままに受け入れられるようになることで、離婚という経験がその人のアイデンティティに統合され、より成熟した人格へと成長します。離婚カウンセリングは、個人セッションとカップルセッションを組み合わせる場合が多いですが、このようにして、相手と向き合い、自分自身と向き合い、離婚と向き合って理解を深めることで、次の結婚や恋愛関係で同じような過ちを繰り返すことを防げますし、新しい、良い関係を築いていくことも可能になります。

(脚注3)もっとも、こうしたカップルは、配偶者のセックス依存症、病的に強い偽りの自己(false self)など、より深刻な問題を伴う場合が多く、実際は非常に複雑です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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進化する恋活・婚活事情

2015-12-23 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 何かの目的に到達するために積極的な行動をとる様々な活動を、「○活」と呼ぶ近年の傾向は興味深いもので、それはもともと就職活動の略、「就活」辺りから始まったのではないかと思うのですが、これが「恋活」、「婚活」、「妊活」・・・・・と、どんどん広がりつつあるような気がします。一昔前までは、恋も、結婚も、妊娠・出産も、どちらかというと自然な成り行きで起きていたと思うのですが、昨今は、こうした多くのことが、とても意図的、目的的、戦略的になっているような印象があります。そこには当然、社会や文化の変化に伴う人々の価値観や考え方、ライフスタイルの変化などが複雑に絡み合っているわけですが、この「社会的、文化的」な変化には、IT革命が可能にした膨大な情報とネットワーク、こうしたものへの人々のアクセシビリティ、利用可能性という要素も大きいと思います。

 今回のテーマである、恋活、婚活も、こうしたテクノロジーの影響を多分に受けています。

 恋人や、将来の配偶者を、ウェブサイトを使って探すことは、アメリカなど、海外では、E-harmony、match.comなど、だいぶ前から行われていましたが、最近はわが国日本でもその傾向が顕著になってきました。世代にもよると思いますが、皆さんの周りにも、インターネット上のソーシャル・ネットワーキング・システム(Social Networking System、SNS)を用いて良いパートナーを見つけて、幸せな結婚をしている人が、結構出てきているのではないかと思います。私の周りにもたくさんいます。先日出席した旧友の結婚パーティーで、その大恋愛を通しての結婚のそもそものはじまりが、やはり婚活サイトだと知った時には、正直少し驚きましたが。私の印象では、とくに彼女は婚活サイトを使わなさそうな人だったからです。

 これは比較的新しい現象であり、日本人はとくに、インターネット上の出会いに対する警戒心がある方も依然と多く、また、こうしたSNSが、これまでのいわゆる「出会い系サイト」などと混同され、ネガティブな先入観や誤解や偏見によって、否定されたり敬遠されたりしているのも見受けられます。それから、こうした先入観や偏見はないものの、「やっぱりそういう出会いは自然に起きて欲しい」、「不自然」、「ネットに頼りたくない」、という理由で敬遠している方の話も良く聞きます。こうした人たちが、一向にそうした「自然な良い出会い」がないままでいる一方で、SNSを使って積極的に自分にとって最適な相手をみつけて幸せになっていく人が多いのも事実です。もちろん、SNSで失敗する人も少なからずいますが。

 さて、それではなぜ、こうした一見人工的で不自然な出会いによって、実際に多くの人が、自分にとってぴったりのパートナーを見つけて、そのなかの多くの人が、実に結婚にまでたどり着くようなことが起こるのでしょうか。今回はその秘密について、臨床心理学・恋愛心理学的に、考察してみたいと思います。今回は、基本的な仕組みについて扱うため、ストレート(異性愛の方)を対象としたサービスを前提にします。

 まずはじめに、こうしたSNSと、日本に既存の、セックスを目的とした、テレクラなどに流れを汲む「出会い系サイト」との大きな違いについて説明します。セックスを目的とした出会い系サイトは、いうまでもありませんが、基本的にセックスを目的とした人たちの集まりであり、真面目に恋愛相手や将来のパートナーを探している方はここにはいないでしょう。もしいたとしたら、それは、「木に縁りて魚を求む」です。魚は水の中に住むものなので、木に登って魚が取れるはずがありません。一方、SNSは、その多くが、真面目に恋愛したい人、結婚したい人たちのコミュニティです。そしてこうしたコミュニティは、「ペアーズ」や「Omiai」を筆頭に、その多くが、Facebookを経由したもので(しかしFBのあなたの友達には決してばれないようになっています)、さらには、会員になるために、免許証などの身分証明書が求められ、怪しい活動をしている人は、すぐに通報され、退会させられるようになっているので、「出会い系サイト」と比べて、格段に安全です(残念ながら、セックスを目的とした方や、ただ遊びたいだけの方が皆無ではないようですし、それはこれだけ多くの方が参加するようになった今では、ある程度仕方のないことだとは思いますが)。

  このように、参加者のほとんどの方が、同じ目的、つまり、まじめにお付き合いできる相手を見つけること、を共有しているため、そこにはいろいろな暗黙のルールや協調、協力などの心理も働くので、これだけでも、成功の確率はあがるわけです。

 さて、気になる実際の方法ですが、どのような仕組みになっているのでしょう。それは意外とシンプルなようです(これは私がいろいろな方の体験談を聞いたり、リサーチしたりした情報ですので、多少異なるところはあるかもしれません)。

 まず、入会して、あなたのプロフィールと写真をアップロードして、探している相手の特徴(たとえば年齢の幅、職業、趣味、居住地、移住の可能性、収入、婚姻歴、子供の有無、宗教、国籍、などなど)を選択して検索すると、それに該当する異性の写真とプロフィールがたくさん出てくるようです。そうした写真とプロフィールをゆっくり見ていって、「この人いいな」と思ったら、「いいね」ボタンを押すそうです。すると、あなたが「いいね」を押したことが、その相手に伝わり、今度はその方があなたの写真とプロフィールを見ます。もし相手の方があなたに好感を持ち、「いいね」ボタンを押すと、この時点でマッチングが成立します。この時点ではじめて、あなたはこの方にメッセージ(SNS上のメール)を送ることができるようになります。これ以降はあなたとお相手の方がメールのやり取りで自由に交流して、好きな時に実際に会うことができます。

  さて、このメールのやり取りが、あなたが実際にその方とお会いできるかどうかを左右します。それから、マッチングは成立したものの、実際に会いたい相手かどうかは、このメールの交流で分かってきます。ここで良く出てくるのは、相手のコミュニケーション能力です。交流も少なにすぐに会いたがる人は、要注意です。やめた方がいいかもしれません。それから、空気が読めなかったり、常識がなかったり、無神経な感じの人も、そう感じたら、やめたほうが良いでしょう。そうした問題がなくても、なんとなく話が合わなかったり、話を続けるのに労力が必要な相手は、あまり相性が良くないかもしれません。自然に、楽しいやりとりがテンポよく続く相手が良いでしょう。

  このメールのやり取りの期間をどのくらい続けるのかも個人差があるようです。あまり短いのも考え物ですが、逆に、メールのやり取りが長すぎて、間が抜けてしまって駄目になってしまうこともあるようなので、その見極めも大事です。会ってみたいなあ、と思ったら、そのように触れてみるのも大切です。会うまでのやり取りの期間は、だいたい2週間から1カ月ぐらいのようです。ただ、これはあなたがこうしたSNSに慣れてきて、感覚がつかめたら、もっと短いやり取りでも良いかもしれません。

 さて、実際にどこで会うかですが、多くの場合、初回はどこかのレストランなどでディナーが基本のようです(この辺も文化がでていると思います。LAの人たちは、初回はコーヒーショップでごく気軽に、というケースが多いです)。いうまでもありませんが、あなたが男性でしたら、初回は極力あなたが全部支払いましょう。この辺り、意外と大事なようです。もしこの最初の会食で、「次はないなあ」と思っても、払いましょう。これは礼儀であり、相手へのリスペクトです。あなたが女性でしたら、サッとお財布を出して、払う意志がある、という仕草をしましょう。お財布も出さずに、奢ってもらって当然、という態度は減点のようです。男女関係のステレオタイプのようですが、この辺はあまりこだわらないほうが良さそうです。というのも、この辺りにこだわったり、意固地になったりして、うまくいくものもいかなくしてしまっている人が意外といるからです。恋活・婚活において、柔軟性、臨機応変性は大切です。

 と、以下、永遠に続くわけですが、紙面と筆者の集中力の都合ではっしょります。今回もだいぶ前置きが長くなりましたが、いよいよ本題に入ります(より具体的なアドバイスをご希望の方は、スカイプ相談室またはメールセラピーをご利用ください)。

 それではどうして、このような、「人工的で、非・自然発生的」なカップル達が、彼らの今までの人生における恋愛において、それまでになかった次元の満足度を経験しているのでしょうか。どうして、学校や仕事関係で自然に出会ったカップル達に質的に匹敵していたり、それ以上の強い結びつき、マッチングが成立するのでしょうか。どうして、自然発生的に出会った恋人とは結婚に至らなかった人たちが、ネットで見つけた異性と結ばれるのでしょうか。考えてみると不思議な話です。

 それにはいくつかの理由があります。

 まず、現在のように、ネットがなかった時代は、人々は、好むと好まざるとに関わらず、その生活圏内に相手を見つけなければいけませんでした。それは多くの場合、大学のサークルや研究会が一緒であったり、会社の上司や同僚であったり、取引先の出会いであったり、合コンの出会いでした。友人の紹介、お見合いなどかもしれません。つまり、ネット以前の世界では、ひとりの人間が生涯で出会える人の数は今よりもずっと限られいていて、そこにはある程度の妥協もあったわけです。それは相手の性格かもしれませんし、価値観かもしれませんし、センスかもしれませんし、容姿かもしれませんし、趣味かもしれませんし、ライフスタイルや経済状況かもしれません。人々は、その潜在的なパートナーの数の有限性についても自覚していました。いわゆる「落としどころ」をわきまえていました。もちろん、あらゆる関係性について、ある程度の「落としどころ」は必要でしょう。しかし、ネット以前の環境では、その落としどころや妥協が今よりもずっと早かったかもしれません。もちろん、ウルフルズの『バンザイ』的な、自然発生的な出会いで死ぬまでハッピーな関係性の方たちも世の中にはたくさんいます。そうした方たちは、真に幸運な方たちかもしれません。

 しかし、インターネット革新によって、このような問題は一気に解決しました。

 沖縄の石垣島に住む女性が、北海道の苫小牧に住む男性と、趣味のSNSを通じて出会い、意気投合し、そこから一緒に飛び出して、実際に会ってみて、さらに盛り上がり、結ばれる、というようなことも、一昔前まではなかなか想像できないことでした。アメリカのニューヨークとハワイのふたりが出会うこともそうそうなかったでしょう。地理的・物理的に、ほとんど不可能でした。出会いようがありません。当時の人々は、誰かが「この世のどこかに自分にぴったりの相手がいるかもしれない」、「この世には数えきれないくらいの異性がいるのに」などというと、「夢をみている」とか、「現実逃避」とか、「たわごとを」、「また始まった」、などと、まともに取り合いませんでした。

 ところが、ネット革新によって、これが現実的になってしまいました。

 現在のSNSは、そうした地理的・物理的な問題が解消されているので、その人の生活圏内を超えたところに相手を探すことができるようになりました。確率的にいっても、たとえばある女性が、その人の生活圏内にいる5人の男性の中から相手を選ぶのではなく、そこから半径100キロまで拡大した範囲内の、20人の中から選んだほうが、その人とより相性の良いマッチングが成立する相手を見つけられる可能性は格段に高くなります。

 また、データベースからのスタートなので、相手の容姿、身長などの体型、職種、年収、婚姻歴、趣味、ファッションセンス、ライフスタイル、喫煙の有無、お酒の量、宗教、スピリチュアリティなどが事前にわかり、さらに知りたいことは、実際に会う前のメールのやり取りによるチューニングもできるため、自然な出会いや合コンにありがちな、付き合ってみてしばらくして明るみに出てくる、隠れていた好まざる要素などを、はじめから相当に除外することが可能になりました。

 こうした過程を経て、実際に会うわけですが、いざ会ってみると、写真とは様子がだいぶ違っていたり、メールではわからなかった会話のテンポやかみ合いの問題なども出てくることがあり、この時点で、さらなるスクリーニングが起きるわけです。

 このようなふるいに掛けられて残った相手というのは、あなたにとって、相当に相性が良く、満足度の高い方なので、それまで合コンや生活圏内の出会いで進展がなかった人が、自然に結婚までたどり着くことも多くなるわけです。ここには当然、お互いの、きちんとしたお付き合いをしたい、良い結婚をしたい、という意識的、無意識的な協力や協調という心理も働いています。

 ここまでネットによる新しい出会いの光の部分について書いてきましたが、もちろん良いことばかりではありません。先ほど、「妥協」や「落としどころ」がない、ということについて触れましたが、これも実際のところは程度問題であり、そうしたことが「全くない」例は少ないでしょう。

 人生、いざという時の見極めと覚悟も大切です。コミットメントの問題です。

 これは具体的にどういうことかといえば、もともと無意識的に、異性との真の親密さに不安や葛藤のある人、過去の恋愛関係のトラウマで、相手と本当の関係を築くこと、長期的な関係に入ることを、こころのどこかで恐れている人は、やはり無意識的に、常に相手の欠点を探しているところがあるので、いつまでたってもしっくりいく人が見つからなかったり、また、もし誰かと出会って恋愛関係が始まっても、何か問題をみつけてその関係性が深まる前に終わらせてしまうことが往々にしてあります。このように、潜在意識でコミットメントに葛藤がある人が、「妥協しない」と、自分の問題に気づかずに延々と相手を探して年月を費やしてしまうケースもあります。ネットによって可能性が広がったことで、ある種のひとたちは、その幸せの青い鳥症候群を極端化させてしまいます。もしあなたが、自然発生的な出会いでも、恋活アプリでも、恋愛が長続きしなかったり、なかなか相手が見つからないようでしたら、こうした潜在的な可能性について分析してみるのも良いかもしれません。

  最後に、もうひとつやや気がかりなことは、最近の若い世代の人たちのなかには、自分の身の周りの生活圏内の可能性をはじめから度外視して、いきなりネットから入る方もおられることです。婚活・恋活アプリをうまく活用できる人というのは、見ていると、やはり、多かれ少なかれ、過去に自然発生的な恋愛を経験している人が多いです。私たちは、そうした自然発生的な恋愛経験を通して、さまざまなことを学びます。それはソーシャルスキルであったり、異性の心性であったり、恋愛特有の様々な情緒体験だったりします。そうした土台があってネットを利用する人と、そういう土台もなくネットを利用する人とでは、そこから展開される関係性にも質的な違いがでてくるように思います。

 


 

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話し合いと最後通告の違いについて

2015-12-23 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 近年、コミュニケーション能力について社会的な関心が高まっていて、コミュニケーションを取ることの大切さについて人々の意識も高まっています。それ自体は非常に良い現象だと思うのですが、こうした流れの中でしばしば感じることは、かなりの人たちが、この「コミュニケーション」というものの意味について、誤解をしているということです。

 たとえば、最近は、プレゼンテーションが非常に上手な学生が増えていますが、彼らの中には、プレゼンテーション能力=コミュニケーション能力であると思い込んでいる人たちが少なくありません。しかし、プレゼンテーションで自分の伝えたいことを効果的に聴衆に伝えることだけでは、コニュニケーションというものの半分しか達成できていません。というのも、コニュニケーションと呼ばれるものには、自分の意思を相手に伝えるだけではなく、相手の意見を聞いて、それについて、オープンに話し合う、という相互理解が伴わなければならないからです。「意思の疎通」、「伝えること」は、コミュニケーションの一部でしかないのです。

 本当にコニュニケーション能力の高いプレゼンターは、見ていてよくわかります。特徴としては、聴衆を自分のプレゼンテーションにうまく巻き込みますし、スライドばかり見ていることはなく、聴衆全体を見回しながら皆に「話しかけて」います。聴衆が自分の話をきちんと理解しているか、自分についてきているか、きちんと把握しています。質問など大歓迎で、ひとつひとつの質問に、対話という形で答えます。プレゼンテーションが終わった後でも、聴衆がそれにどのような意見、感想を持ったのか、興味を示し、聴衆と生き生きとした会話を展開します。

 例によって前置きがだいぶ長くなりましたが、カップルや夫婦の関係においても、しばしばこのように「報告」と「コミュニケーション」を混同している方を見かけます。よくあるのは、ふたりのうちの一方が、二人の生活のなかの何かにフラストレーションを感じているものの、言葉に出せずにずっと怒りを抑制していて、あるとき遂に我慢の限界がきて、それについて相手に伝えたことを、「話し合った」と言っていることです。それで、二人の間でどのようなやり取りがあったのか聞いてみると、実はその人の一方的な宣言であり、その宣言について、相手がどのようにコメントしたか、どのように反応したか、そうしたことが抜けています。伝えたことで一応満足してしまっていたり、後は相手がどのように受け取って、どのように動くか次第だ、という風に思っていることも多いです。

 しかし、こうした人たちが「話し合い」だと思っていることは、報告であったり、最後通告であり、話し合いではありません。

 これはまた、いわゆる「亭主関白」と呼ばれる人たちの間にも多いです。本人は、話し合っているつもりでも、それはその人のなかで既に決定したことの報告、通達であり、配偶者はただそれに従う、という図式で、これはコミュニケーションではありません。

 実のところ、本当の話し合いは、その人の「最後通告」が言葉によって相手に伝えられたところからはじまります。というのも、相手にとってはそれは発言者の考えや気持ちに関する真新しい情報である場合も多く、また、それまでにそのことについて話し合う機会もなかったため、それを聞いた側としても、いろいろと思うところ、感じることはあるのです。そして、普段本当に思っていることを言わない人が「本音」を言ったところから、真に意味のある「本音トーク」、本当のコミュニケーションが始まるのです。相手に何かを伝えるのであれば、その相手に向き合うことが大切です。向き合って、自分の発言に対して相手がどう感じたのか、どう考えているのか耳を傾けて、それについて、さらに話し合っていきます。こうした「相互」の心的・言語的やり取りが、相互理解につながる、真の話し合いであり、コミュニケーションです。





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ヨハネの黙示録の四騎士(Four Horsemen of the Apocalypse)~夫婦、恋愛関係の4つの致命的な問題

2014-10-05 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 新約聖書、ヨハネの黙示録に出てくる、四騎士(Four Horsemen of the Apocalypse)は、それぞれが地上の四分の一を支配するもので、剣と飢饉と死と獣によって、人間を殺す権威を与えられてると言われています。この四騎士は、クリスチャンの間では、「未来の苦難の予言」の象徴とされています。

 カップルセラピーの臨床・研究においても、ヨハネの黙示録の四騎士(Four Horsemen of the Apocalypse)という言葉がしばしば使われます。これは、カップルセラピストの権威である心理学者、ジョン・ゴットマン(John Gottman, Ph.D)が発見した概念です。

 ゴットマンは、結婚しているカップルの将来の関係の方向性や離婚などの正確な予測において特に有名でありますが、その彼が見つけた、「離婚・別離が予測される最も有害な4つの要素」が、カップルセラピストの間では、今でもヨハネの黙示録の四騎士と呼ばれ、カップルの離婚、破局の危険性の査定などに使われています。

 なんとも不吉な響きですね。夫婦関係におけるヨハネの黙示録の四騎士。結婚関係の苦難の予言であります。

 さて、そのカップルの将来の破局を予測する最も有害な4つの要素とは何でしょう。それは、Criticism, Comtempt, Defensiveness, Stonewallingの4つであると言われています。これはつまり、パートナーの人格に対する批判(Criticism)、軽蔑・蔑視(Comtempt),自己防衛的な態度(Defensiveness)、石垣を作ること(Stonewalling)の4つです。

 石垣と聞いても?と思いますね。とりあえずStonewallを石垣と書きましたが、英語Stonewallは、「(相手の話に)返答しない、協力しない」という意味の動詞でもあります。話の流れついでに石垣からお話したいところですが、これは他の3つの要素の結果としてなり得る場合が多いので、やはり、批判(Criticism)からお話したいと思います

 ひとくちに批判と言っても、建設的な批判と、破壊的な批判があり、ここでは当然、後者の破壊的な批判、つまり、相手の人格に対する批判、人格攻撃が問題になります。カップルにおける文句と批判はしばしば混同されますが、この二者間には、質的な違いがあります。例を挙げると、たとえば、妻が料理をしていて、うっかり鍋を焦がしてしまったときです。

 「なんだ、また焦がしちゃったのか。鍋焦がすこと本当に多いなあ。焦げ取るの大変なんだよなぁ。気を付けてよ」というのは文句ですが、「また焦がしたのか?本当に使えないな、お前。何度焦がせば気が済むんだ。どうせ俺が洗うんだろ。ホント馬鹿だな、お前」というのが、人格否定的な批判です。

 全然違いますね。まず、お気づきの方もいるように、前者は、パートナーのある特定の行動について話していますが、後者は、パートナーの人間性そのものについて話しています。こんな風に言われて傷つかない人はいませんし、これは、話者のパートナーに対する共感性の欠如の表れでもあります。

 次に、軽蔑、Comtemptです。これは、パートナーに対する蔑視、嫌悪感などに基づくもので、これはいろいろな言動によって表現されます。カップルの良い関係性において非常に大切な要素のひとつに、互いに尊敬しあうことがありますが、これは、その真逆の要素です。

 たとえば、「あんたはたいして稼いでもいない能無しのくせに毎晩飲んだくれてどうしようもない駄目男。あんたみたいなのが旦那だと思うと情けなくなるよ」という妻の発言です。なかなか堪える発言です。このようなダイレクトな発言ではなくても、蔑みの笑いや、大きなため息、ちょっとしたしぐさなどで、軽蔑が表現されることもあります。

 さて、次は(自己)防衛的な態度(Defensiveness)ですが、これは、相手の発言に対して、それに耳を傾けたり受け入れたりすることができずに、自分の立場や行動を正当化しようとすることで、会話が建設的にならなかったり、破壊的になってしまったりするものです。例を挙げます。

妻:「あなた、今夜は早く帰ってくるって言ってたわよね」

夫:「ああ、帰り間際に客からクレームが入ったんだ」

妻:「クレームって言っても、こんな遅くまで掛かったの?」

夫:「すごくストレスが溜まったからちょっと飲んできたんだよ」

妻:「今夜はまっすぐ帰ってくるって言ってたけど」

夫:「仕方ないだろ、クレームが入ってストレス溜まったんだから」

妻:「約束だったじゃない・・・・・」

夫:「勘弁してくれよ!俺だって早く帰ってこようと思ってたんだけどできなかったんだよ!」

 心の痛む会話です。なぜこのふたりの会話が徐々に破壊的になっていったかといえば、最初の妻の発言に対して、夫が「ごめん、客からクレームが入って対応しなくちゃいけなかったんだ」と謝ったり、「そうだったよね。そういう約束だったよね。客からクレームが入って対応してたんだ。電話すべきだったね」と、妻の気持ちに寄り添う代わりに、自分の立場を守る姿勢に入ってしまったからです。

 こうした会話が起こるのは、ふたりの人間関係に問題があるからであり、夫としても、その関係性上、防衛的にならざるを得なかったのかもしれませんが、ここで夫が妻の発言にオープンになっていられたら、少なくとも会話の流れは変わっていたことでしょう。早く帰ってくると思って楽しみにしていた妻の気持ちに彼がもう少し共感することができると、こんな状況からでも繋がりを作ることは可能です。自分の行動に責任を取れずに、相手や状況のせいにしようとするときに、人は防衛的になります。

 最後に、先ほど触れた、石垣についてお話します。

 カップルが、これまでに挙げたように、破壊的な口論をしていると、時間の問題で、その対話は、何らかの着地点や同意点などなしに唐突で後味の悪い終わりを迎えます。それはたとえば、どちらかが「もういい!!」と怒鳴ったり、「もう聞きたくない!黙れ!」と叫んだり、或いはある時点で急に貝のように押し黙ってしまって無反応になったり、その場を立ち去ってしまったりします。このようにして起こる、パートナーからの感情的、情緒的な引きこもり、拒絶を、Stonewalling、石垣づくりといいます。

 ところで、臨床研究によると、この石垣になるパートナーの大半である、85%が男性であると言われています。私は日本人とアメリカ人の両方のカップルセラピーの経験がありますが、やはり見ていると、コミュニケーションに壁を作りやすいのは男性の方です。日本でもアメリカでも、文化的に、男の子は自分の感情を言葉にするよりも、ぐっと堪えて、文句を言わずに、強くあることが社会的に期待されて育つ傾向にあるというのもその原因のひとつだと思います。自分の気持ちについてうまく相手に伝えることにあまり慣れていないのです。

 ただ、女性の方が石垣になるケースも少なからずあります。私の観察では、カップルは大抵、どちらかがもう一方と比べるとおしゃべりですが、おしゃべりでない方の人が石垣になる傾向が強いです。ひとりがどんどん言語化して距離を詰めようとすると、もう一方はどんどん退いて距離を保とうとして、最後は石垣になります。

 カップルの関係性における黙示録の四騎士は、以上の4つですが、皆さん、いかがですか。

 ひとつでも、「これは結構あるなあ」と思ったら、対策が必要です。あなたとパートナーの二人だけで改善できる場合もあれば、カップルセラピーが必要な場合もあります。これはちょっと二人だけでは厳しいなあと思った方は、みゆきクリニックの門を叩いてください(笑)。いずれにしても、どのようにして改善していくか、ここでお話しようと思います。

 まず、批判ですが、自分の発言が、パートナーの失敗など、特定の行動に対する発言であるのか、それがパートナの人格攻撃になっているか、よく見つめてみましょう。パートナーの喫煙について言及しているとき、パートナーの喫煙という行動、習慣について発言しているのか、「煙草がやめたくてもやめられないあなたは意志の弱いだらしなくて駄目な人」というふうに人格攻撃をしているのか、注意してみましょう。

 もし相手の発言が自分に対する人格攻撃であると感じたならば、そういう風に言われると辛い、悲しい、傷つく、ということを言葉にして伝えてみましょう。

 次に、軽蔑ですが、これは実は相当に厄介です。なぜならこれは、ふたりの人間関係の歴史の中で時間を掛けてでてきたものであったり、或いはふたりが付き合い始めた頃から存在しているものであったりするからです。いずれにしても、パートナーに対する敬意は良い人間関係において、とても大切なものです。これはあなたのためでもあります。どうしても到底尊敬できることのできない人と一緒にいて、あなたが幸せになれるはずがありません。長年のパートナーシップのなかで、もし本当にいろいろ試してみて、どうしても相手のことが尊敬できないのであれば、別れを考える必要があるかもしれません。それは、あなたにとっても相手にとっても得策であったりします。

 そういうわけで、軽蔑はなかなか厄介な要素ですが、工夫次第で、相手の尊敬できる部分を見つけていくのは難しいことではありません。相手の長所を見つけて、尊敬して、褒めていく。これはふたりの関係性にとって、とても良いことです。

 自己防衛については、パートナーに何か言われていろいろと言い分があったり、言い返したい気持ちがでてくるが人情ではありますが、まずはその気持ちを抑えて、パートナーの発言に耳を傾けてみましょう。パートナーはあなたに腹を立てていて攻撃的になっているかもしれませんし、そのようなときに相手の言葉に耳を傾けるのは難しいかもしれません。ただ、前にも述べましたが、怒りと言うのは、第2感情であり、その怒りの下には、パートナーの本当の気持ちが隠れています。それは、悲しみだったり、傷ついた気持ちだったり、羞恥心だったり、罪悪感だったり、いろいろあります。つまり、怒っている人は、傷ついている人です。その第1感情に耳を澄ましてあげてください。

 ところで、もしこのようにして、防衛的にならずにいられたら、あなたが石垣になる必要はありませんし、また、パートナーが石垣になる可能性も激減します。お互いが、なかなか話しにくいけれど大切な話題について、無理なく話し続けらえる雰囲気をふたりで作っていくのが大切です。そこから繋がりが生まれ、親密さが生まれていきますから。

 

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