興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

上手なダイエットと健康維持について

2012-11-09 | プチ健康心理学

今回は、khumoさんから頂きました質問についてお答えする形で、多くの現代人にとって大切な問題である、ダイエット、健康な体重維持について考察してみたいと思います。khumoさん、よい質問、どうもありがとうございます。以下、khumoさんからの質問の引用です。

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リクエスト:メンタル的にダイエットとどうやって向き合っていくのがいいのかということについてご教授頂きたく、宜しくお願いします!

背景
38歳 独身 海外勤務 男性です。

海外勤務ということから勤務先より厳しい健康管理を余儀なくされております。

当然のように1年に1回の健康診断では、胃カメラによる診断なんども義務化されております。また海外に派遣される際には、BMIなども厳しく精査されることになります。そのような環境なのですが、高校生のころにラグビーで鍛えた体も激しいスポーツを止めた途端に太り始め、大学生また社会人時代より100kgを超える体重で、この10年間は維持をしている状態です(長期高度肥満)。
ただ人生で2度ダイエットに成功したことがあり、半年間から1年間は73kg(大学生時代)、88kg(3年前)まで体重を落とし、その体重を維持することに成功しました。しかし、その後はリバウンドを繰り返し、特にこの3年間でまた現在は110kgを越える体重に至っています。
健康的にも、社会的にも、見た目的にも絶対に痩せる方がいい!と判っていながらどうしても適正体重を維持できないのか?(食べすぎなのでしょうが、やはり仕事が忙しく、ストレスなども多く、食べることによりストレスを解消する癖があるように思えます。)
一般的なマスコミが騒ぐ、女性向けの4-5kgぐらいの減量というお話ではなく、数10kg単位で体重を減量しなければいけ状況です。

このような状況のなかで今後どのようにダイエットと向き合っていくのがいいのかということについてご教授頂きたく、宜しくお願いします!

メンタルや心理学的な示唆に富むアドバイスを宜しくお願い致します

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 現在のようなストレス社会において、ついつい食べ過ぎてしまう、ストレスへの対応に食に走ってしまう、という方は本当に多く、健康によくないと分かっていながらもなかなかそうした行動をコントロールできずに困っている、という話は実際よく耳にします。食べることは、人間を含めたあらゆる動物の生命維持に直結しているうえに、特に先進国に住む人たちは、「食道楽」、Foodyなどというように、特定の好みのおいしいものを味わう、堪能する、という趣味的、知的な要素が加わり、さらには、その特定の食べ物を食べることによる安心感、幸福感(それは食べている間だけの短いものである場合もありますが)という心理的なものまで混ざっているので、実際その食行動を上手にコントロールするとなると大変です。長くなるのでここでは触れませんが、私達の食べ物との関係性は、私達が幼少期から作り上げた親との人間関係とも関係しています。つまりそれだけ深い問題なわけです。

 世の中には、ありとあらゆるダイエット法が存在しますが、「これはすごい!これこそが究極のダイエット!」といったものは、なかなか聞きません。それは、質問者のkhumoさんも経験されているように、実際減量に成功したところまではいいものの、それを長期間にわたって維持できるかというと、それはまた別の話というわけで、これはどこか、「誰かと親しくなる」ことと、「その人間関係を維持する」ことが全く別の問題であるのと似ているような気がします。誰かと親しくなること、体重を落とすことに必要なテクニックは、その好ましい体重、人間関係を維持することに必要なテクニックとは、重複こそあるものの、別物です。なんだか分かりにくくなってきましたが、ポイントは、長期的に効果のあるダイエットは実際なかなか難しく、そこには多角的な要素を考慮する必要がある、ということです。それは、とにかく根性、意志の強さに訴えて乗り切る、というスタンスとはおおよそ異なるものです。

 ここまで書いてきて、これは話すことがたくさんありすぎて収集つかなくなるのではないかと不安になってきたので、既にだいぶ長くなってきましたが、以下、なるべく手短にしようと思います。。。私は臨床心理学博士という職業に従事しておりますが、現代の臨床心理学、精神医学において、そのスタイル、流派などに関わらず重要である基本視点として、「Biopsychosocail」というものがあります。Biopsychosocialとは、「Biology」「Psychology」、「Sociology」、つまり、「生理的、生物学的」要素と、「心理的」要素と、「社会(学)的」要素の、3つの観点を治療者は常に念頭に入れてそのクライアントの問題を理解する必要がある、ということです。

 それは、khumoさんの例においては、例えばBiologicalな観点として、彼がもともとスポーツをしていて筋肉質、太りやすい体質、年を重ねるにつれて新陳代謝のスピードが遅くなってきている、などの要素があるかも知れませんし、Psychologicalな観点としては、khumoさんが仰っているように、仕事が忙しく、ストレスが多く、食べることによってそのストレスに対応している、ということ(ほかにもおそらくいろいろあると思います)、Socialな観点としては、たとえば、海外生活(これも多くのひとにおいて、自覚があるかどうかは別として、結構なストレスになります)、会社からの監視というプレッシャー、社会的な価値感(やせているほうが良い)、経済状況、住んでいる地域の様子、会社、プライベートでの人間関係、などです。

 多くのダイエットにありがちなのは、このBiologicalなものだけに焦点を置いていたり、Psychologicalなものにも考慮しつつ、Sociologicalな要素が抜けていたりするため、短期的にはうまくいくものの、長期的には難しくなってくる、というものです。Biologicalなものは、Psychologicalなものと密接に関係しているし、Psychologicalなものは、Sociologicalなものと密接に関係しているし、Sociologicalなものも、Biologicalなものと密接に関係しています。ひとは無意識的に、そうしたなかで均衡を保っているわけで、新しいことをするとその均衡が崩れるので、注意が必要なのです。ここでのポイントは、どのようなダイエットを選ぶにしても、そのダイエットをすることによって(ダイエットという行動自体は、Biologicalです)それが心理的、社会的にどのような影響を及ぼすか、考慮に入れることが必要です。たとえば、Raw food diet、マクロビなどをとことん徹底しようと決めた人は、友人との外食(社会的要素)が難しくなって、人間関係に何か影響があったり(これも社会的)して、それが精神的なストレス、フラストレーション(心理的)となり、そのダイエットを継続することが難しくなってきて遅かれ早かれやめてしまう、というようなことを考慮に入れて、どうしたらその3点において無理のないダイエットができるか、と考えることです。

 最後に、具体的なダイエットとして、最近アメリカで人気の、Mindful eatingについて触れてみます。Mindful eatingとは、文字通り、マインドフルに食する、ということですが、ではマインドフルとはなんだというと、ああ、また話がとても長くなりますね。大雑把にいいますと、Mindfulとは、あるターゲット(ここでは食べること)に、意識して、積極的に注意を向けている状態をいいます。食べる、という行動は、五感を使った行動で、その食べ物の形、色、におい、舌触り、食感、歯ごたえ、味わいと、注意を向けると本当にいろいろな要素があるわけです。これは別に新しい概念ではありません。Mindful Eatingとはつまり、食事をするときに、その今まさに食べようとしているものを、匂いをかいでみるもよし、その色合い、形などを鑑賞するもよし、よく観察してから口に入れるわけですが、口に入れたら、その食感、歯ごたえ、味などに、よーく注意を向けて、ひと噛みひと噛み、丁寧に噛みながら(飲み物だったら、ゆっくりと飲みます)ゆっくりと食べるのです。そうすることで、ひとは、食べるものの量ではなくて、質に心理的な満足感を得られるので、食べ過ぎる、ということがなくなるのです。たとえば、目の前にたくさんのクッキーがあったときに、それを次から次へと注意を向けずにむさぼり食うのではなく、そのひとつひとつによく注意を向けて、上記のようにゆっくりと味わうのです。ところで、多くのリサーチで知られていることに、太り気味の人は、そうでない人と比べて、食べるときの噛む回数が少ない、という結果があります。逆に、よくかむことは、心理的な満足感にもつながり、食べ過ぎることが少なくなるわけです。

 とはいっても、ストレスが多ければ、人はその解消法が必要なわけで、それが食べることであるならば、どうしても、それに取って代わる新しい解消法が必要になってきます。その取って代わるものなしに、Mindful eatingを実践しても、それはおそらく長続きはしないでしょう。

 さらに大切なのは、そのストレスとよく向き合い、そのストレスの原因についてよく考え、ストレス源(Stressor)そのものを減らす工夫をすることも大切です。たとえば、仕事が忙しすぎたら、どうしたら、その忙しすぎる状況を軽減できるか考えたり、仕事に対する姿勢(完ぺき主義など)を見直してみたり、優先順位を再検討してみたり、上司と相談してみたり、いろいろと試みると良いでしょう。それから、多くの場合において、ストレス源(Stressor)は、ひとつではなく、いくつか存在するので、ひとつのストレス源が動かせなくても、別のストレス源を軽減することが可能だったりします。

 人間は、非常に有機的、Organicな存在なので、食べることを含めて、このように、Biopsychosocialに、いろいろな要因を考慮に入れて問題に取り組んでいくのが大切です。



未来記憶 (Future Memory)

2006-09-09 | プチ健康心理学

我々の、自己同一性(アイデンティティ、Identity)、
つまり、自分が誰であるか、 自分とは何かなど、
「自分と言う存在における自分なりの 概念」には、
「記憶」という要素が重要な役割をもって いる。

記憶とは、通常、「過去に起こったもの」という
前提があるけれど、記憶という感覚を、「自分の人生で
起こるあらゆる事象においての具現化と連続性」と捉える
時、これから我々が体験するであろうこと、そうなって
欲しいこと、また、そうなると予測されるものとして、
「未来の記憶」という概念が、重要性を帯びてくる。

未来記憶とは、通常、我々が、「今現在より先の
ある時点(明日かもしれないし、大晦日かも知れないし、
来年の今日かもしれない)で、何らかの行動に出たり、
予定を実行することを『覚えている』という記憶」を
指すのだけれど(なんだか分かりにくい説明だ。
書いている自分もよく分からない)、基本的に、
我々人間は、明日も明後日も、一週間後も一年後も
「自分が生きていること」を前提として、今を生きている。

今日の行動のすべてがそうではないだろうけれど、
そのうちのいくつかの行動は、自分の近未来のために
行ったことだったりする。誰でも、「来年の今頃
自分は」という、自己イメージは、多かれ少なかれあると
思う。ここで大事なのは、この「未来のイメージ」は、
現在の自分自身の自己同一性と密接に結びついていて、
現在と未来は「連続」している。

ところが、癌や、自然災害や、性犯罪や、事故など、
自分にとって、あまりにも脅威で衝撃的なことを
経験したとき、人は時に、「未来における自己イメージ」
を失い、そこには「不連続性」が生じてくる。
連続性の断絶と言ったほうがいいかもしれない。

これは、言うまでもなく、自分とは何かと言う、
Identityにおける脅威であり、未来が分らないゆえの、
絶望感に見舞われたりする。

癌の生存者においてもこれが言える訳で、死の恐怖を
長期に渡って体験したり、手術による身体部位の切断に
よって、以前とは違う形の身体となり、それは、今までの、
自分のボディ・イメージがある日突然、永久に変わって
しまうわけで、そこには明らかな自己同一性の断絶が
あり、未来像も大きく変わってしまう。

「今年のクリスマスは何をしようか」

このような、普段我々が、全く当然のことのように
考えて、計画している未来は、今の精神・身体機能を
持った自分がその時点でも変わらずにいることが、
実は大前提になっている。

未来の記憶について考えるとき、今自分が当たり前だと
思っていたことが、掛け替えのないものなのだと
思いがけず気付かされたりして、それはなんだか
未来からの警告のような気がする、今日この頃だ。


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この記事は、2005年の12月上旬に書かれたものです。
当時私は癌の生存者の心理について研究していて、その時に
未来記憶について学びのときを持ちました。


Future Memoryは、 Prospective Momory(展望記憶)
とも呼ばれます。