興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

自尊心とプライド

2017-05-23 | プチ臨床心理学

 心理カウンセリングをしていると、しばしば受ける質問に、自尊心とプライドの違いは何ですか?というものがあります。

 確かにこれらは紛らわしい概念であり、実際、私たちの日常生活では、これらのふたつがしばしば混同されて語られています。

 今回の記事の目的は、こうした概念について念入りに考察することではなく、臨床心理学におけるこの2つの概念の違いを分かりやすく説明することであるため、意図して簡素化して書きます。

 端的に言うと、プライドの高い人というのは、本質的なところで自信がなく、自尊心の低い人です。

 自尊心の高い人は、自己評価は高いですし、自分の考えや価値観、感じ方、行動などに、本当の意味で、自信があります。

 プライドの高い人は、傲慢で、自己顕示欲が強く、口うるさいくらいに自慢話をします。それは本質的なところで自分に自信がないためで、その根底にある自信のなさに対するディフェンスとして、自己アピールをします。承認欲求が強いです。こうした人たちのなかには、本当は自分に確信が持てないことなどに気づかないくらいに表層的な部分での自信に満ちている人も少なくありません。

 一方で、健全な自尊心の持ち主の自信は静かなものです。より本質的な自信です。こうした人たちは、謙虚です。なぜなら、あえて他者から賞賛してもらわなくても、自分の言動に確信があるからです。

 自尊心の高さは、心の健全さと関連が深く、プライドの高さは、精神衛生上の危険因子と見ることができます。


Psychotherapy 〈サイコセラピー)と心理カウンセリング (Psychological Counseling)の違いについて 追記

2017-05-17 | プチ臨床心理学

以前ここで、『Psychotherapy (サイコセラピー)と心理カウンセリングの違いについて』という記事を書いたところ、とても多くの方に読んでいただいて、嬉しかったのですが、ある知人に、「それでね、あたし何度も読み返してみたんだけど、結局どう違うのか全然わからないの」、と、会心の一撃があり、なるほど、もっと短くわかりやすく説明してみようと思い、それをここに試みようと思います。

それで、いろいろと考えてみたところ思い至ったのは、日本の臨床心理士と、アメリカのClinical Psychologistの違いでした。というのも、健康保険がPsychologistのサービスに適用されるアメリカでは、クライアント(患者)が私のところに治療に来ると、まずやらなければならないのが、その人の精神疾患の診断です。

そう、この「診断」がポイントです。

というのも、診断名(Diagnosis)なくしては、保険は適用されませんし、保険会社としては、我々がそのクライアントの特定の精神疾患に対して、どのような治療をするのか、それが知りたいのです。治療方針や、諸々のテクニックは、当然ながら、その精神疾患の性質によって異なります。つまり、精神疾患名がターゲットであり、その明確なターゲットを効果的に叩いて解消するのが、我々Clinical Psychologistのひとつの大きな役目なのです(脚注1)。それから、Clinical Psychologistと精神科医の社会的立場が伯仲しているアメリカでは、多くのClinical Psychologistは、独立して仕事をしています。

一方で、我が国日本では、精神疾患の診断は、医師が行うもの、臨床心理士は、精神科医の指示の下で、精神科医の治療の補助的な仕事をする、という場合が多いです。 また、日本では、1960年代のカール・ロジャースの来談者中心療法、Client-centered therapyの影響が未だ根強く残っておることもあり、前記の事情とは別に、「クライアントを診断する」ということに強い抵抗感を抱いている心理士が少なからずいます。さらには、アメリカの大学院ではMustである、"Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder" (DSM, 「精神疾患の診断・統計マニュアル)を用いた診断スキルを身につけることが、日本の大学院では、徹底していません(脚注2)。

つまり、(該当する精神疾患名があればその)「診断」と、その特定の精神疾患や心の問題の「治療」もしくは「改善」を明確な目的として行う心理的サービスがサイコセラピーであるのに対し、どちらかというと探索的で、末広がりな心理的サービスが、心理カウンセリングである、ということが言えそうです。

こういう意味で、心理カウンセリングは、他の多くの職業の「カウンセリング」と共通点があります。たとえば、あなたが美容師のところに髪を切ってもらいに出かけた時、良い美容師さんがまずしてくれるのが、「カウンセリング」ですよね。あなたがこれからどういう髪型にしてほしいのか、そのイメージなどについて、あなたの話を引き出しながら、ゆっくりと聞いて、理解してくれます。もしあなたが自分でもどんな髪型にして欲しいのかよく分からないで出かけても、良い美容師さんは、ゆっくりあなたの話を聞き、深めていく中で、あなたの欲している髪型のイメージを見つけてくれます。

このとき、美容師さんは、自分が持っているアイディアやアジェンダをあなたに押し付けるようなことはしません。あくまで、あなたのこころの中にもともとあったものを、対話を通して引き出してくれます。

同様に、心理カウンセラーの仕事は、あなたの心の中にもともと存在している、しかし、あなたが何らかの理由でアクセスすることのできない、あなたにとって最善の答えや、自己解決能力を、うまく引き出すことを試みます。有能な心理カウンセラーはこの技術に長けていますしが、そうでないカウンセラーのカウンセリングは、下手すると「ただ話を聞くだけ」で終わってしまいます。

ところで、サイコセラピストが非常に大切にしている基本姿勢も、この心理カウンセラーのものと同じです。そのクライアントの中に存在しているけれど、葛藤が強すぎたり、それゆえに、抵抗や、無意識の防衛機制が効きすぎていて、アクセスできないその内なる答えや自己解決能力を、無理なく引き出してあげることを目指します。そのために必要なのは、心理カウンセラーと同様の、熟練した聞く技術です。

しかし、たとえば深刻な鬱病や、不安障害(全般性不安障害、パニック障害、社会不安障害、強迫性障害など)、摂食障害、解離性障害などには、これだけでは不十分であるケースが多いです。その場合、精神療法家のもっと積極的な働きかけが必要となります。それから、パーソナリティ障害など、深刻な心の問題があり、上記の「内なる答え」を内在化していない方も、少なくありません。内なる答えが存在しないのに、それをいくら引き出そうと受け身に傾聴し続けても、あまり建設的なプロセスにはなりません。こういうときに必要なのが、サイコセラピストの診断と治療技術です。

とは言っても、クライアントのなかには、とにかく共感的に話をじっくりと とことん聞いてあげること、ただしっかりと寄り添うこと、共にいることが、何よりの癒しである場合も多く、サイコセラピストである私も、こうした場合、心理カウンセリングを徹底します。

また、クライアントが初回面接でやってきたときの最初の対話のなかで、その人には心理カウンセリングで十分なのか、あるいはサイコセラピーが必要であるのか、また、心理カウンセリングで十分だけれど、サイコセラピーを使った方がより早い回復が期待できるのか、あるいは、サイコセラピーよりも心理カウンセリングが適切であるのか、見極めることも多いです。

というのも、とことん傾聴し、正確な共感を続けることで、そのクライアントのこころの自己治癒機能を回復し、促進することができれば、それに越したことはありませんから。

しかし中には、こころの自己治癒機能に深刻な問題や破損があったり、また、そうした機能そのものを持ち合わせていない方もいます。そうした場合、私たちサイコセラピストの仕事は、その人とゆっくりと時間を掛けて付き合っていく中で、その深刻な破損を修復したり、さらには、新たにその機能を一緒に作っていく作業を行ったりします。

私のところに来られたクライアントから特に多い質問のひとつに、「これはどのくらい掛かりますか」、「どのくらいで良くなりますか」、というものがありますが、その質問に私が、「それは本当に個人差があります。数回ですっかり良くなってしまう人もいますし、数年かかる方もいます」と答えるのには、こうした理由があるのです。

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(脚注1)ところでこれはClinical Psychologistに限らず、修士号レベルの心理療法家(Marriage and Family Therapist [MFT], Licensed Clinical Social Worker[LCSW] など)にも同じことが言えます。アメリカでは、臨床の心理職に従事するために、各州の法律で定められた州資格を必要とします。そして、資格をもつ心理療法家は、特定の水準を満たした大学院の教育と、特定の臨床時間を満たしており、その水準には、精神疾患の適切な診断能力も含まれます。そして、修士号レベルの心理療法家のサービスにも保険は適用されますし、そのためにも、やはり精神疾患の診断を行います。

(脚注2)精神疾患の診断力養成に力を入れている大学院も近年増えているようですが、心理士に診断する権限が与えられておらず、また、教授やスーパーバイザーにも診断に強い抵抗感を抱いている方が多い土壌では、大学院生としても、診断力を身に着ける明確な理由やモチベーションが今一つ湧きにくいようにも思います。

ところで、日本でも、精神分析学、精神力動学の教育やトレーニングを受けている心理士は、診断をすることを精神療法に含んでいる場合が多いです。日本の多くの心理士は、「治療」という言葉を避けますが、精神分析学に精通している心理士たちの間では、治療している、という感覚が自然にあるようです。

 

 

(2015年7月24日執筆)