興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

Dr.黒川のスカイプ心理相談室 予約状況

2015-07-28 | スカイプ心理相談室

Dr. 黒川のスカイプ心理相談室の7月27日~8月2日の週の予約可能な日程をお知らせいたします。

7月30日 木曜日
 17:00-17:50


7月31日 金曜日
 14:00-14:50

ご予約ご希望の方はdrtakakurokawa@gmail.comまでお気軽にどうぞ。
お待ちしております。


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Dr. 黒川のスカイプ心理相談室 予約状況

2015-07-18 | スカイプ心理相談室

Dr. 黒川のスカイプ心理相談室の7月20日~26日の週の予約可能な日程をお知らせいたします。

7月21日 火曜日
 13:00-13:50
 14:00-14:50

7月23日 木曜日
 17:00-17:50

7月25日 土曜日
 14:00-14:50

ご予約ご希望の方はdrtakakurokawa@gmail.comまでお気軽にどうぞ。
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Dr. 黒川のスカイプ心理相談室のご案内

2015-07-15 | スカイプ心理相談室

~Dr. 黒川のスカイプ心理相談室~


●何かおかしい・・

●カウンセリングや診療内科に行くほど自分の問題は深刻じゃない、行きたくない

●でも心配

という方のために、スカイプを使った新しいサービスを開始いたします。

あなたの悩みや、何でも相談したいことを、お話ください。

1度のセッションで取り扱います。もちろん、継続したい方は、続けていけます。

*1回 5500円 (税込5940円)

*秘密厳守

*出かける必要もなく、カウンセリングより気軽に、あなたの好きな場所から相談できます。

しかし、あなたのプライバシー保護のため、カフェなどの公共の場からのアクセスはご遠慮ください。


【具体的なサービスの流れ】

1)下記のメールアドレス宛に以下の情報を添えてご連絡ください。

・本文内に“スカイプセッション希望”とご記入ください。

・予約希望日(予約可能日をこのブログでお知らせいたします。)

・あなたのスカイプ名

宛先: drtakakurokawa@gmail.com

2) メールをいただきましたら、料金の振込み先 (ペイパルまたは銀行振り込み)をお伝えしますので、お振込みをお願いいたします。

3) お振込みを確認いたしましたら、こちらからご連絡いたします。この時点で予約完了です。

この時に私のスカイプ名をお伝えします。

4) 当日、待機していてください。こちらからアクセスします。50分間、あなたが相談したい悩みについて、じっくり話し合って、問題の本質を深く理解し、一緒に解決法を見つけていきます。


***************************

~たとえばこんな悩みについて~

●現在お付き合いしている人がいるけれど、その人と何らかの問題があり、これから付き合いを続けていくべきか、別れるべきか、迷っている。

●今の仕事にいろいろと問題があり、退社、転職などの可能性についても考えているが、それには良し悪しがあり、どうするべきか、進むべき方向が決められずに悩んでいる。

●恋人がなかなかできない。また、できても恋愛が長続きしない。

●とても辛い失恋をして、時間が経ったのに克服できずに困っている。前に進みたい。

●とにかく素敵な恋人が欲しい。恋がしたい。

●夫婦関係や恋愛関係で、パートナーとの争いが絶えなくて辛い。

●現在不倫をしていて、どうしたらいいかわからずに、また、誰にも相談できずに苦しんでいる。

●友達と、もっと仲良くなりたいが、なかなか距離が縮まらない。

●悪い人間関係がなかなか断ち切れずに困っている。

●嫌なことを嫌だということができずに人間関係が辛い。 

●他者となかなか程よい距離が取れない。

●職場の人間関係の悩み。

●大切なひとを傷つけてしまうことが多くて悩んでいる。

●就職についての悩み。

●進路についての悩み。

●英語力を伸ばしたい。使える英語をモノにしたい。

●英語圏の友達が欲しい。

●留学相談。

●あなたが外国人で、日本という国や、日本文化に適応するのが難しい。多文化適応の問題。

●LGBT (LGBTQ, LGBTQA) の、カミングアウトや、自己受容などにおける問題。

●宗教や、信仰についての悩み。

●自己肯定感が抱けなかったり、自分に自信が持てなかったり、自尊心が低かったり、自分が好きになれずに困っている。性格を改善したい。

●よくわからないけれどイライラすることが多い。不機嫌であることが続いている。

●家族との問題。

●幼少期の未解決の問題で今も苦しんでいる。

●過去の未解決な問題。

●過去に誰かにされたことが今でも許せずに、怒りが収まらずに苦しい。

●社会不安、対人恐怖、その他の恐怖症の悩み。

●鬱の問題。

●孤独感に苛まれている。

●心理カウンセラーになりたいけれど、どのようにしたらなれるか、自分は向いているのか。

●臨床監修、クリニカル・スーパービジョン、クリニカル・コンサルテーション。臨床心理学本場アメリカでも最先端のLAで、現地のclinical psychologistsのclinical supervisionに従事しておりました。カリフォルニア州公認のclinical psychologistによる本場のスーパービジョン。

●あなた自身が臨床心理士、心理カウンセラーで、心理療法を受けたいのだけれど、なかなか狭い世界。誰にも知られずにカウンセリングを受けたいのだけれどそれが難しくて困っている。こっそり良くなりたい。先生や先輩、同僚、後輩、同業者の誰にも知られずに、質の高いサイコセラピーを受けて、悩みを深く理解し、こっそり解決したい。

このようなことで悩まれている方、是非ご相談ください。上記以外の悩みでも、もちろん結構です。

 

 


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自己愛の問題が会話に出るとき

2015-07-14 | プチ精神分析学/精神力動学

 自己愛(Narcissism)という概念には、実に様々な定義や考え方がありますが、臨床心理学的な意味で平たく言うと、「自分に重きを置く心理」「自分を大事に思う気持ち」というようなことが言えます(実際はかなり複雑な概念ですが、ここでは便宜上、平たく言います)。

 自己愛は、人間が誰でも持っているもので、現在の精神分析学、臨床心理学においては、自己愛そのものが悪いものとはみなされていません。問題は、自己愛の性質と度合いであり、ここにとても大きな個人差があります。これは健全な自己愛(Healthy Narcissisim)と、病的な自己愛(Pathological Narcissism)の違いですが、実際のところ、これはカテゴリーの問題ではなくて、スペクトラム的な問題です。そして、この自己愛が、平均的な人たちから明らかに逸脱して病的に強い人が、自己愛性人格障害、自己愛性パーソナリティ障害 (Narcissistic Personality Disorder)といった診断基準を満たすことになります。

 ところで、自己愛には、その性質的に、誰から見ても分かりやすいものと、そうでないものとあります。しかし、その人の自己愛の強さというのものは、その人の言動の端々に見られるものであり、たとえば、その人の会話のパターンからも分かります。

 もうひとつ話しておくべき大事なことがあります。それは自己愛を定義づける基本的な特徴で、それは、自己中心性と、共感性の問題です。

 さて、本題に入りますが、皆さんが、誰かと会話をしていて、別に攻撃されたわけでもないのになんだかとても嫌な気持ちにあった時があると思います。そういう時、相手の人に、自己愛の問題がある可能性があります。精神分析学、臨床心理学に精通したサイコセラピストは、普通に誰かと話をしていて、すぐにそうした問題に気づきますが、たとえばどのようにして、その人の自己愛を認識しているかと言いますと、次のようなものがあります(脚注1)。

1) 話の内容そのものに、その人の、他者に対する共感性の欠如や、冷淡さ、尊大さ、自己中心性、搾取性、特別意識などが見受けられる場合。

これについては、多くの人が、自然に感じるものだと思われるので、説明を省きます。

2)マシンガントーク。

これは文字通り、相手が話す時間や、相手の気持ちをあまり考慮に入れずに、または、相手の反応を気にせずに、とにかくしゃべりまくる人たちです。ひどい人になると、大きな声で、ひっきりなしに、間髪を入れずにしゃべりまくりますが、もう少し程度のよい人に、相手の反応を一応は見ているけれど、それでもしゃべりたいことがあり過ぎて、しゃべることに夢中になっていたり、相手が話す余地を少しは与えるけれど、すぐにまた自分ばかり話してしまう人たちです。

 どうしてこういう人たちに自己愛の問題があるかといえば、ここにも、先ほど触れた、自己中心性と、共感性の問題があるからです。

 まず、こういう人たちは、相手の考えや思っていることよりも、自分の話の方に興味があります。相手の話を聞くよりも、自分の話を相手に聞かせることを優先しています。極端な場合、相手の話よりも自分の話の方が重要だとか、面白いという認識があったりします。

 共感性の問題と言うのはつまり、このようにマシンガントークを延々と聞かされて、相手はどう感じているのか、相手は他に何か話したいことはないのか、相手は本当に自分の話を楽しんでいるのか、相手の立場に立ってものを考えたり感じたりすることができていません。受話器を耳から話して5分放置したけれど、5分後に受話器に耳を近づけたら、まだ話し続けていた、などという人もいますね。

3)口数はそれほど多くはないけれど、相手の反応とは無関係に自分の興味ある話ばかりする人。

この場合も、(2)とほぼ同じ理由で、その人の自己愛が表れています。

4)あなたの発言を無視して、自分の話を始める人

 このタイプの人は結構多いのだけれど、これが上記のマシンガントークと併存している場合は別として、意外と分かりにくいものです。あなたが相手に何かを質問した時、ほとんど自然にそれを無視して話し続けたり、別の話をする人たちです。

これも、共感性の問題や、自己中心性の問題です。たとえば、あなたは興味があって質問したわけですが、その人は、あなたのそうした好奇心などの気持ちを無視しているわけです。ところでこういう人たちに多いのは、自分が相手を無視していることにも気づかない場合です。「質問に答えてよ」、と改めて言うと、はっと気づいたように答えてくれるのは、比較的自己愛の問題が軽症な人たちです。

5)あなたの発言や質問に対して、話を逸らしたり、話題を変えたりすることを常習的にする人

これは、(4)のバリエーションで、(4)とほぼ同じ理由で、自己愛の問題の表れです。

 自己愛の問題は、その自我親和性から、なかなか病識が持てないもので、故にそれを本人が認識するのはなかなか難しいのですが、なかには自分の自己愛の強さをきちんと認識し、問題視している人もいます。そうした人たちから、「どうしたら自己愛の問題を改善できるのか」という質問をしばしば受けます(ところで、こういう質問をする方たちの自己愛の強さは、それほど深刻ではない場合が多いです。矛盾するようだけれど、こうした人たちの洞察力や、内省は、自己愛の健全さとも関係しています)。

 もしあなたも自己愛が強いのではないかと不安だったり、実際に誰かからそのように言われて、ある程度の気づきもあって改善したいと思っていたら、あなたの会話のパターンにおいて、上記の(1)から(5)のなかに、該当するものがないか、よく見つめて、考えてみてください。そして、実際に誰かと会話をするときに、こうしたことに注意を向けてください。

 もしこうしたことを自分がしていることに気づいたら、改めるようにしてください。こうしたことを心掛けて、日々こつこつと練習していくと、自己愛の問題も少しずつ改善されていきます。

 まずは、相手の話に耳を傾けて、自分が話しているときは、相手の反応に注意を向けるように心掛けてみてください。


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 (脚注1) ここでもうひとつ大事なことがあります。こうした会話における特徴は、それがその人の置かれている状況や、一時的な心理状態による場合と、状況や心理状態とはあまり関係なく一貫している場合とあります。

前者の場合、その人が特に強い自己愛の持ち主であるとは限りません。むしろ、一時的に、その人の自己愛が強くなっている可能性のほうが高いです。

というのも、自己愛は、人それぞれの基本的な強さに加えて、状況による多少の変動があるからです。

たとえば、ある人がものすごく動揺していたり、腹を立てていたりして、普段は見られないようなすごい勢いで話し続けることがあります(例:マシンガントーク)。この場合、その人が、ある状況下における、ある精神状態で、一時的に自分のことで頭がいっぱいになっている(つまり、一時的に自己愛が強くなっている状態です)ということが考えられます。よって、その人の問題が解消されたり、精神状態が変われば、その人の話し方は、いつも通りに戻ります。

 

 

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反応ではなく、応答する (Respond, not react !)

2015-07-10 | プチ臨床心理学

  人間関係のトラブルの元になることのひとつに、反応する(React)ということがあります。この「反応する」という行為は、しばしば、「対応する、応答する」(Respond)と区別して考えられます。

 たとえば、アメリカ人が、"She is so reactive." というのと、"She is so responsive."というのでは、意味はまるで違います。前者は明らかにネガティブで批判的な意味であるのに対し、後者は、とてもポジティブで、賞賛的な意見です。

 前者はどういうときに使われるかといえば、何かその人にとって好ましくない状況になったり、誰かに何か気に入らないことを言われたときに、反射的に、ネガティブで強い反応をする人がいたときですが、後者は、質問や、問題に対して、きちんと向き合って応答してくれる、(情緒)応答性が良い、というように、その人の安定した様子、責任感の強さ、高いソーシャルスキルなどを示唆した表現です。

 日本語には、こうした二者を端的に言い分ける言葉はありませんが、何かに対して「過剰に反応する」人、「反応の良い人」、「無反応な人」などと、「反応」と言う言葉が、いろいろな形容詞と組み合わさって、その人の様子を表現されます。 いずれにしても、冒頭の二者の基本的な違いは、reactが、(考えなしに)反射的に「反応している」のに対し、respond は、(相手の言動に対して一息ついて、それについて考えて) 対応している、というところです (脚注1) 。

 実際、レスポンス(response) する時には人間関係に何か建設的なことが起きる可能性が高いですが、リアクト(react) する時は、言い争いや破壊的なことが起こる可能性があります。

 例を挙げましょう。美香さんと和夫さんに登場していただきます。2人は夫婦生活4年目です。 まずはリアクトから。

和夫: 「言いにくいんだけどさ、ボーナス、思ったよりずっと少なかったんだ」

美香: 「え?! なんで?いくらだったの?!」

和夫: 「20万…」

美香: 「ちょっと! それは低過ぎない!? カードの返済どーすんのよ!」

和夫: 「そんなこと言ったって仕方ないだろ!貰えただけマシだろ!」

美香: 「何それ?! あなたが『夏のボーナスは期待して良いよ』って言ったからプリウス買ったんじゃない! 無責任なこと言わないでよ!」

和夫: 「落ち着けよ!こっちだって必死で働いてんだよ!」 (以下省略)


 なんだか心の痛むやりとりです。

 では次に、レスポンスについて見てみましょう。

和夫: 「言いにくいんだけどさ、ボーナス、思ったよりずっと少なかったんだ」

美香: 「いくらだったの?」

和夫: 「20万」

美香: 「それは確かにちょっと少ないね。困ったね」

和夫: 「うん、困ったことになったね」

美香: 「どうしよう、カードの返済」

和夫: 「そうなんだよね。俺が楽観的過ぎた。ごめん。プリウス買うのはもう少し後にすべきだったね」

美香: 「うーん。買っちゃったものは仕方ないよ。プリウス私好きだし。2人で決めたんじゃん」

和夫: 「ごめんな。しばらく飲み会とか服とか余計な出費抑えて節約するよ」

美香:「そうだね。私もいろいろ気をつける。大丈夫だよ。頑張ろう」

和夫: 「うん」

なんだか先程のやりとりとは驚くほど違いますね。お互い思いやっています。

この2つのやりとりの何が根本的に異なるのかと言えば、やはり美香さんの心の余裕です。

前者では美香さんがあまりの動揺で、相手の気持ちを考えずに反射的に自分の不安を和夫さんに投げかけています。その結果、和夫さんも動揺して、リアクティブになり、リアクティブの連鎖が起きています。

一方、後者では、美香さんは、和夫さんからのアンウェルカムな情報に驚くものの、まずは自分の感情をコントロールして、冷静に応えています。それで和夫さんも少しほっとして、心を開いて話し始めます。その後の美香さんの対応も、自分の気持ちを表現しながら相手を思いやるもので、それぞれが思慮深い、リスポンシヴなやりとりに展開していきます。

このように、相手の言動に対して、こみ上げてくる衝動や情動を見据えながらとりあえず傍らに置いて、一息ついて相手の気持ちも考慮して応答することから、難しい案件も、建設的に話し合える可能性が出てきます。


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(脚注1)ところでreactiveは、proactiveとも対照的に使わてたりします。これは、reactiveが、何かが起きた時にそれに対して行動する、という消極的な態度を示唆するのに対し、proactiveは、その何かが起こる前に、積極的、能動的に行動する、という意味合いを含みます。そのひとのクリエイティビティも示唆しています。

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病的な教師の引き起こした悲劇

2015-07-10 | 戯言(たわごと、ざれごと)

 先日の、岩手県矢巾町の中学2年生の自殺は、本当にショッキングなものでした。

 何より無念に思うのは、彼の自殺は、担任の教師と校長の病理が致命的な原因であり、彼らがもし適切な対応をしていれば、防げていた可能性が極めて高かったことです。

 被害者の少年は、何度も何度も、交換日記と言う形で担任に訴えていました。中学2年生の男の子という、なかなかそういうことについて助けを求めにくい年頃の彼が、本当に心を開いて、担任と必死にコミュニケーションを取ろうとしていました。彼は本当に苦しかったのでしょう。

 そうした彼の必死のコミュニケーションを、彼の魂の叫びを、ことごとく無視し続けたのが、この担任教師です。私はいくつかのニュース記事を読みましたが、この2人の書簡によるやり取りを見ていて、吐き気にも似た嫌悪感を覚えました。彼女のその深刻な病理に。彼はクラスメイトからの酷いいじめについて、克明に書き続けますが、彼女はそれに無反応であるか、或いは、いじめのところだけ無視して、知らないふり、気付かないふりをして、空々しいコメントを続けていました。

 最初、私は、彼女のキャパシティが低く、いじめを認識していたものの、どうしていいかわからず、この生徒が現実的に自殺の可能性があることをなんとなく気づいていたものの、それがあまりに脅威であるため、無意識に追いやり、否認という防衛機制で、このような病的な平常心を保っていたものかと思いました。

 この可能性は大いにありますが、問題は、それだけではないということです。ある時、この生徒が、自分をいじめている生徒の名前を彼女に教えると書いたときに、なんとその言い方が気に入らなかったらしく、「上から目線ですね」とコメントしています。

 このやり取りから、彼女が単に精神力がないために、否認の防衛機制が働いていただけではないことが分かります。ここから、彼女のサディズムが見受けられます。つまり彼女は、いじめられて、今にも死にそうになっているこの少年の様子を認識しながら、それに対して何らかの対策を考えるどころか、それを冷酷に傍観し、無視するどころか、問題をすり替えて、少年を攻撃しています。ここには彼女のサディズムと、別次元の精神病理を感じます。いずれにしても、彼女の、教師として最低限必要である共感性が、著しく欠けていることが見受けられます。

 崖から今にも落ちそうで、その縁になんとか掴まって、助けてと訴えている少年を、彼女は安全圏に立ちながら、彼のその様子を楽しむように、「頼み方が良くないね」と言い放ち、見殺しにしたようなものです。 彼女が何度か少年の訴えに白々しく「誰にいじめられてるの?」などと聞いておいてその後無反応だったのも、どう対応して良いか分からずそうだったのかと思いましたが、こうしたやりとりを考慮すると、実は適当にいじって面白がっていたという可能性も否めません。

 もうひとつ奇妙なのは、彼女の危機管理能力の欠如です。教師としては、致命的な能力の欠落です。少年の訴えは、たとえ現実否定の否認の規制が働いていたところで、普通であれば、その無意識の防衛機制が効かなくなる、つまり、「死ぬかもしれない」という可能性という、恐ろしい事実を、無意識に封印する効力が破たんするくらい、自明な訴えがあったのに、何の対策もしなかった、というところです。この少年に何かあったら、彼女自身、責任問題などで、大変なことになることは、決して想像するに難しくないことです。

 この危機管理能力の欠落が、彼女の病的な否認によるものなのか、或いは、この少年があるいは本当に自殺するかもしれないと認識しつつ、放置していた、彼女のサディズムによる意図的看過なのか、この点からは、定かではありません。

 どこかのコメンテーターが、この事件を、現在の学校のシステムの問題だと言っていましたが、そういう次元の問題ではありません。

 この担任教師の病理と、校長の不誠実さによる問題です。

 被害者の少年の父親は、息子がいじめられていると校長に訴えていたのに、この担任から何も報告がない、何か問題があれば報告があるはずだと、応じませんでした。まともな感覚のある校長であれば、いじめの可能性について真剣に受け止め、担任に聞いてみたり、独自に調べてみたりしたでしょう。校長の不誠実さも、この悲劇が起きたことの重要な要素であると思います。

 もしわが子がいじめられていることを知り、学校に訴えてみても、このような対応をされたら、どうすればよいのでしょう。

 やはり、警察に訴えるのが得策だと思います。この事件は、「いじめ」と言われていますが、実際のところ、いじめという次元ではありません。傷害事件です。大切な子供が、学校で傷害事件に巻き込まれているのに、学校は何もしてくれない。

 学校を最後まで信じて、頼りにしていたこのお父様には、全く責任はありません。

 ただ、今回の事件からも、残念ながら、子供を育てる教育現場にも、このような深刻な病理を持った指導者やリーダーがいるということが分かります。モンスターピアレントなどという言葉が一時期流行りましたが、もっと深刻なのは、こうしたモンスター・ティーチャーの存在です。

 つまり、子供がいじめられていることを知った時、最後にわが子を守れるのは、あなたということです。

 警察に訴え、こうした破壊的な環境の学校、つまり犯罪現場にわが子を通わせることを、一時的にでも、中止し、必要とあれば、フリースクールや、転校も考慮に入れましょう。とにかく徹底的に、お子様を守り抜いてあげてください。

 こうしたことが、その子のこれからの人生において、何らかの大きな影響を及ぼすことになるかもしれません。それにしても、何より大事なのはその子の命ですし、自分がいじめられたときに、親であるあなたが必死になって守ってくれた、というメッセージは、必ずあなたの子供に伝わります。

 学校は大切ですが、決して絶対ではありません。

 それから、本来安全であるはずの学校の先生たちの中には、教育者失格である人が存在していること、もしかしたら、そうした病的な教師がわが子に当たってしまった可能性についても、頭の片隅に入れておくのは、大切だと思います。


 

 

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