興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

相性について

2012-11-30 | プチ臨床心理学

  今回は、yumeさんからの3つ目の質問、「相性」について考えてみたいと思います。これも、多くのひとにとって、非常に興味深い課題ではないかと思います。以下がその質問の引用です。

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【3.相性とは何か】
私は相性は大切だと思っています。でも、相性の良し悪しの判断って難しいとも思います。相性って何でしょうか?「好き」とはまた違いますよね。
自分の考えとしては、相性がいいとは、対象物(人・物・こと)にとっても自分にとっても居心地が良かったり、やりやすかったり、いい効果があったりすることだと思います。相性の良さが、対象物との関係の持続性や自分の向上・負担にも大きな影響を与えると思います。
相性の良し悪しの判断の仕方や、悪かったときの対処法や心構えについて、心理学的なアドバイスがあればそれも教えてください

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 一言で相性といっても、それにはいろいろな意味がありますが、yumeさんの質問文における相性は、Compatibilityに相当しそうです。Compatibilityとは、アメリカ心理学協会の心理学辞典によると、"the state in which two or more people relate to each other harmoniously because their attitudes and desires do not conflict" (APA, 2007)ということです。つまり、「二人またはそれ以上の人間が、それぞれの姿勢、態度、欲求、願望など衝突しないゆえに、調和良く(仲良く)関係しあう状態」ということです。逆に、Incompatibilityは、"the state of affairs in which two or more people are unable to interact harmoniously with each other" (APA, 2007)、つまり、「二人、またはそれ以上の人間が、仲良く(調和よく)交流できない状態」ということです。

 これらの定義のポイントは、「Harmonious」、調和的、というところだと思います。Harmoniousに、調和的に交流できればCompatible, できなければ、Incompatible,ということです。アメリカで人気の定着している結婚相手を見つけるオンラインマッチングサイト、「eHarmony」など、この好例ですね。これはまさにその名前どおり、全く見知らぬ、まだ会ったこともない男女を、そのプロフィールなどによって相性を分析し、マッチングさせるわけで、いかにHarmoniousなマッチングができるかが要なわけです。

 ところで、Compatible (Compatibility),Incompatible (Incompatibility)といえば、コンピュータ用語として、「互換性」、「両立性」などの意味でご存知のかたも多いと思います。あるソフトウェアと、そのコンピュータ、或いは、二つ、それ以上のソフトウェアが、うまく共存できるか、あるいはそれぞれの性質がお互いの存在を邪魔し合い、やっていくのが難しいか、ということですが、これは全く同じことが、人間関係にもいえると思います。たとえば、小さな会社の小さなオフィスに、もともと3人の従業員がいるところに、もうひとり加えることになったとき、その新しいひとりの性格などは(仕事内容にもよりますが)結構重要だと思います。その人が、他の3人とうまくやっていけるか、それともその人の参加でその小さなオフィスが混沌としたものになるか。

 なんだか例によって話の収集がつかなくなってきたので本題に無理矢理戻りますが、相性は、「好き」とは確かに異なるものの、これらは深く関係しています。相性とは、冒頭のAPAの定義にもあるように、その人たちの態度、姿勢、欲求、願望、好みなどが似ていたり、共通であったり、また、相反しないものであるため、調和をもって関係しあえるわけで、また、人間は、自分と似たような好み、興味、価値観などを持った人に自然に惹かれることも知られています。そうしたものが全く異なり、共有するものがなかったら、ひとは互いに興味を持ちません。それから、興味や関心と関係していることですが、ひとは、自分と同じレベルの知性、知的能力、教育レベルのひとと惹かれあう傾向にあります。というもの、これらが互いにかけ離れていたら、ものの見方、考え方、世界観などが異なり、話が合わない、ということが多いからです。

 ただ、好きであることと、相性とが、異なる事象であるのは、たとえば、性格、態度、興味、関心、知的能力、学歴などまったく異なっても、とても相性のいい組み合わせは少なくないことからも分かります。逆に、相性が最悪であるのに磁石のように惹かれあい苦労している男女もよく見かけますね。後者の場合、彼らは共有するものが多いものの、どうしても受け入れ難いものがあってうまくいかない、という場合が多いです。

 ところで、何がどうしても受け入れ難いのかというと、これは以前お話した、Projectionで、互いに自分自身の持っている受け入れ難い性質を自分から切り離して相手に投げかけているからです。実はとても似ているゆえ、自分自身の受け入れ難い部分も共有していて、ゆえに互いが絶好の投影対象であるわけです。対処法としては、Projectionの記事でも述べたように、相手に投げかけているもの、相手の受け入れ難い性質をよく観察して、そういう性質を実は自分が持っていないか、考えてみることです。そして、もしその性質が、自分にも当てはまるものであると分かったら、それを自分の性質として受け入れることを心がけることです。受け入れられれば、それを自分から切り離して相手に投げかける必要がなくなるからです。

 もうひとつ、相性について苦しむひとの特徴として、「人に好かれたい」、という気持ちがとても強いということがあります。その気持ちが強すぎると、明らかに自分と合わない人と、なんとかうまくやろうとして、相手とのこころの距離をうまく取れずにまずい人間関係のパターンに陥ってしまったりします。逆説的な話ですが、そのひとが過度に持っている、「人に好かれたい」という気持ちと向き合ってうまく調整できると、相性のあわない人とうまくいかないことにそれほど葛藤が起こらなくなり、うまい距離が取れるようになり、不思議とその人とうまくやっていけるようになったりします。要約すると、相性のよくないひととうまくやるには、まず、自分自身の「ひとに好かれたい」という願望とうまく折り合いをつけること、その折り合いによって、相手と適切な距離をもって付き合う、ということです。その新しい距離感で、互いに新しい良い発見があり、そこに新しい関係性がでてきます。また、なんだかこのひととうまく行かないなあ、苦手だなあ、と思ったら、あまり親しくなることにこだわらずに、まずは距離をもって、なぜそこに苦手意識、問題があるのかを見つめて、それぞれの投影の可能性について考えてみるのがよいでしょう。

 


孤独について

2012-11-24 | プチ精神分析学/精神力動学

 今回は、yumeさんの2つ目の質問、「孤独」について考えてみようと思います。この質問も、非常にOpen-endedで、奥の深いものです。後に述べますが、これは実際、我々人間が誰でも多かれ少なかれ経験するもので、それ故、実存主義的、Existentialな問題でもあります。以下がYumeさんからの質問の引用です。

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【1.孤独について】
私は、さびしいという感情をよく感じます。つらい感情ですよね。好きな人たちと交流をする時間はもちろん好きなので、そういう時間も持てています。一人の時はその時間を楽しむ努力もして、楽しむこともできています。それでも、さびしいという感情が根強く残っているような気がするのです。自分でもこんなにさびしがり屋だったのかと、びっくりしています。
一人で生きていけるようにならなくてはいけないという気持ちと、一人になるのが怖い・さびしいという気持ちで葛藤することがあります。このさびしさにどう折り合いをつけるか、克服するか、なかなかいい方法や方向が見つかりません。

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 孤独感、Lonelinessにおける理論は、社会心理学(Social psychology)、認知心理学(Cognitive psychology)、実存心理学、及び人間性心理学(Existential psychology, Humanistic psychology)、対象関係論(Object relations theory)など、心理学におけるいろいろな分野で展開されています。

 社会心理学と認知心理学の孤独感の定義は多少異なるものの、共通のキーポイントは、その人の他者との交流におけるこころの必要が(きちんと)満たされていないときに経験される感覚であるというところで、つまり、誰とどれだけの時間一緒に過ごしたか、という量(Quantity)的なものよりも、質(Quality)的なものである、ということです。

 分かりやすく言うと、どれだけたくさんの人といろいろな時間を過ごしても、そこでその人たちと質的に十分なこころの交流がなかったら、人は孤独感を経験するし、逆に、時間や人数こそ限られているものの、そこに本当の、深いこころの繋がり、交流を経験できていたら、その時間が終わってさびしい気持ちはあるかもしれませんが、その良い経験が内在化されて残るため、苦痛な孤独感にはなりません。むしろ、その次にまた会うことが楽しみになります(これはもちろん、定期的に会っている人たちについてのことで、海外出張の単身赴任の夫を持つ女性が、半年振りに彼と再会し、良い時間を過ごしたけれど、今度会えるのはまた半年後、などという場合は話が異なります)。

 ここで、まず考えてみるのは、あなたがその好きな人たちと、どのくらい本当に深いところで心のつながり、心の交流を経験できているか、ということです。その人たちに、あなたはいろいろな感情、考え、思いなど、自由に共有できているでしょうか。また、共有したものを、きちんと聞いてもらっている、理解されている、という感覚はありますか?また、逆に、彼らはどのくらいあなたに彼らのことをシェアしてくれますか。彼らが今何を経験していて、何を感じていて、何を思っているのか、どのくらい知っていますか。これらのことは、どの親しい人間関係においても大事ですが、とりわけ、あなたのパートナー、配偶者、恋人との人間関係において重要です。というのも、他にどれだけ良い人間関係があっても、あなたの第一の人間関係、第一のサポートシステム(Primary support system)である人との繋がりに問題があったら、人は孤独感を経験し続けます。

 さて、上記の質問に、すべて肯定的で確信のある回答ができるようであれば、あなたは対人関係的な問題はあまりない、ということですが、もし何か問題がある、という場合は、まず、彼らとの人間関係を深めることを追求してみましょう。どうしたら彼らとより深く心の繋がりが持てるか、より親しくなれるか、より理解し、理解されるか、考えていろいろと試してみましょう。

 ところで、Yumeさんの場合は、孤独感をきちんと経験できているので、改善は割りとしやすいと思います。本当に問題なのは、そうした孤独が慢性的になって、やがてその気持ちを満たすことを諦めてしまって、無意識にそのこころの必要を自分から切り離して否定しまっている人たちです。彼らは、自分が孤独であることすら忘れて生きています。その満たされない必要を感じ続けるよりかは、それを無意識に否定(Denial)するほうがむしろ精神的に楽だからです。

 さて、ここまで述べてきたのは、対人関係、Interpersonal relationshipについてですが、もうひとつ非常に大切な側面に、Intrapersonal (Intrapsychic) relationship、つまり、自分自身との関係性、というものがあります。これは、Yumeさんのほかの質問、「自信について」の記事でも触れたことですが、あなたが自分自身とどれだけ繋がっていて、どれだけ自分の気持ちに敏感で、その自分のこころのニーズを満たしてあげているか、ということ、つまり、あなたがどれだけあなた自身のよい親であるか、ということに繋がります。

 なぜなら、自分の本当の気持ちに向き合ったり、感じたりすることが出来ずに、向き合う代わりに、いろいろな人との人間関係や、他人の問題に集中して、そちらに注意を逸らして生きている人は世の中に少なくないからです。それがひどくなると、いろいろなグループの人間関係の問題やドラマに常に参加して自分を忙しくしたり、恋人やパートナー以外のひとと関係を持ったりします。なぜ彼らがそのように振舞うのかといえば、幼少期に、親との人間関係で、その人たちの気持ちが親に無視されたり(親に悪気はなくても)、その気持ちを軽視されたり、大事にされなかったりした経験があったり、親のほうに何かしら問題があって、子供であった彼らが、逆に親の気持ちのニーズを満たすことで生きてきた経歴があったりするからです。

 人は、子供のときに、親から自分の気持ちを汲んでもらい、共感してもらい、その気持ちを正確に反映してもらうことで、自分がどういう気持ちを経験しているのかよく理解できるようになり、また、そうした親の態度から、自分の気持ちを大切にすることを学びます。その機会がなかったり、希薄だったりすると、ひとは大きくなって、自分の気持ちに目を向けることができないし、また、他人の気持ちを満たすことで代理的に自分の気持ちを満たしたりします。

 もしこれらのことがあなたに当てはまるようであれば、ここでやはり大切なのは、あなた自身があなたのよい母親になることです。今、この瞬間に、あなたが何を感じていて、何を思っていて、どのようなこころのニーズがあるのか、耳を澄ませて聞いてあげてください。そして、そのニーズをどうしたら満たしてあげられるか、いろいろと試すのです。そうした心がけを続けること自体が、自分の感情、情緒体験に敏感になるプロセスで、これを続けていく中で、あなたのあなた自身との人間関係はだいぶよくなり、孤独感も減ることでしょう。

 さて、そのようにして自分の気持ち、こころのニーズをよく理解できるようになったら、それをあなたの親しい人たちに伝えることを心がけてください。最初に述べた、Interpersonalな関係の改善になります。Intrapersonalな、つまりあなたのあなた自身との関係の改善は、そのままあなたのInterpersonal、対人関係の改善へと繋がるのです。そして、あなたのこころのニーズを聞く機会を得たあなたの近しいひとが、そのニーズに答えてくれたり、答えようと努力したりしてくれることで、あなたは彼らとより深い人間関係を経験します。そのこころの繋がりは当然あなたの孤独感を減少させます。

 最後になりますが、この世の中に、完全に独立したひとは存在しません。あるのは、成熟した、上手な依存(Mature dependency)と、機能不全な、未熟な依存(Dysfunctional dependency)だけです。つまり、あなたはひとりで生きていく必要はないし、また、ひとりで生きていこう、という心がけ自体が、人間の本来持っている性質に反するもので、それはあまり健全なありかたとはいえません。自分自身の依存心を無意識に否定して生きているひとはいますが、彼らが成熟した人格者であるかといえばそうとはいえず、彼らが本当に幸せであるかといえば、それは大いに疑わしいところです。そして、世の中の多くの立派な人たちは、まず必ず、彼らの近しいひとたちに、上手に依存しています。これは、健全なInter-dependence(相互依存)のあり方で、Co-dependence(共依存)とは異なるものですが、これはまた長い話になるので別の機会に話します。

 孤独感とは、辛い感覚ですね。しかし、その感覚は、あなたの何かのニーズが満たされていない、という大切なシグナルなので、そのシグナルを大切にし、あなたのこころにじっくりと向き合って、そのニーズを見極めて満たしてあげることが大切です。孤独感とは、人間にとって本質的に避けられない感情です。克服するものではないかもしれません。しかし、それを上手に使えば、より深く自分を理解し、大切にし、大切なひととより健全に深く繋がれるようになり、孤独を経験することもずっと少なくなります。逆説的ですが、ひとは孤独感から回避しようとすればするほどその孤独感はついてくるし、その孤独感とじっくり向き合えば、それは減少するのです。

 

 


自信とは

2012-11-19 | プチ臨床心理学

 今回は、yumeさんから頂いた3つの質問のうちのひとつ、自信について書いてみようと思います。普段私たちが何気なく口にしている自信という言葉ですが、これは臨床心理学的にはなかなか複雑で、とても重要な概念です。これも、多くの方にとってとても大切なテーマだと思います。yumeさん、良いご質問、ありがとうございます。以下が、yumeさんからの質問の引用になります。

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【2.自信はあった方がいいか、それはなぜか】


世間的によく、自信があった方がいいといわれているように思います。確かに「自信がある」と「自信がない」を比べたら、自信があった方が良さそうな気がします。
でも、私は正直、自信がある人があまり得意ではありません。(自信のない人が得意というわけでもないですが。)テレビでも、自信ありそうに話している人を見ると、偉そうに感じたり、ちょっと引いて見てしまったりします。
一方で、最近職場で自己分析をする機会があったのですが、私の場合、自信という項目がほかに比べて際立って低く、それはそれでショックでした。たぶん、自信がまったくないわけではないと思うのですが、なぜか自信を持つことができません。
こういうこともあって、自信の必要性や大切さについてご意見を聞いてみたいなと思いました。

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 まず、自信という言葉ですが、自信(Self-confidence)の心理学的な定義として、「自己に対する肯定的な評価」ということがいえます。ただ、この「自信」という言葉は、特定の分野や事象に限られた使い方をされることが多いですね。たとえば、「仕事の能力に自信がある」とか、「容姿に自信がある」とか、「スポーツにおいては自信がある」とか、「コンピュータの知識については自信がある」とか、「良い親である自信がある」、といった使い方です。

 これに対して、より専門的、広範的な概念に、Self-esteem、というものがあります。Self-esteemにはいろいろな邦訳があり、一般的なものとして、「自尊感情」、「自己評価」、「自己価値」、「自己尊重」などがあります。yumeさんの質問内容から察するに、これは職場の自己分析ではあったものの、前者の「自信」よりも、この、もっと広範的なSelf-esteem, 自尊感情とより関係の深いもののように思います。というのも、yumeさんは、たとえば、今の仕事を続けていって能力を高めていくなかで、「仕事に対する自信」は時間の問題で早かれ遅かれついていくものだと思いますが、文面からするに、yumeさんが悩んでいるのは、特定の分野ではなくて、yumeの生活、人生の全体的な意味においての自己に対する見解のように思います。

 Self-esteemとは、Self(自己)における評価(Esteem)感情で、自分という人間が基本的に価値のあるものなのだという感覚です。自分という存在を、基本的に価値があって大切なものなのだと評価することで、ひとはその人生に対して積極的になり、いろいろな経験を重ね、達成感、満足感を抱き、自分のことも、他者のことも、受け入れられるようになります。

 これは健全なSelf-esteemのあり方であり、Yumeさんが苦手である「自信のある人」が、この健全なSelf-esteemの持ち主であるかといえば、そうとは限りません。とくに、偉そうにしゃべる人、自分がすごいのだと相手に分からせるように話す人、自分は自信があるのだとひけらかす人は、Self-esteemがインフレ状態にあるわけで、健全なあり方ではなく、そうしたインフレ気味のSelf-esteemの人の潜在的な問題は、実は根本的な自信のなさだったりもします。なぜなら、偉そうにしゃべる人、自分はすごいのだと相手にわからせようとする人は、他者に対して受容的でないばかりでなく、本当の意味で、自分を受け入れられていないからです。「自分は(周りより、相手より)すごい」、という考えで、他者と自分を比較して、心の安定を図っている人の自己評価は、あくまで相対的なものであり、こういうひとは、自分よりも明らかに能力のある人に出くわしたときに心の安定に支障を来たします。

 別の言い方をすると、健全なSelf-esteemとは、他者との優劣とはあまり関係のない、深いところでの自分という存在の受容(Acceptance)だからです。自分を受け入れられないひとが、どうして他人を受け入れられましょう。専門的には、こうした人たちの人格をNarcissistic Personality(自己愛性人格)といいますが、Narcissistic personalityの人たちのNarcissism(ナルシズム)は、本来低いSelf-esteemに対する無意識のDefenseであることが知られています。自信のない自分と向き合うのは苦痛であるので、優越感、特別意識といったSelf-enhancement(自己高揚)によって無意識に精神の安定を図っている人たちです。

 そういうわけで、Self-esteemが低いことを自覚して悩んでいるひとも、Self-esteemがインフレして自信過剰である人も、それは同じコインの裏返しであり、根本的な問題は、そのSelf-esteemの低さです。私たちがそれぞれ持っているSelf-esteemは、幼少期の親との人間関係、親の養育の姿勢、親の人格などと深き結びつきがあることが知られていて、たとえば、子供を首尾一貫して無条件に(つまりその子の出来、不出来、成功、失敗、行為などとは無関係に)受動的で、あたたかい親の元で育った人は、健全なSelf-esteemを持ちますし、逆に、親が厳しかったり、批判的だったり、子供に注意を向けてくれなかったり、条件的に子供を受け入れたり拒絶したりすると、その人は大きくなってから、Self-esteemの問題に悩むことになります。これは、親がそういう性格の人だったから、ということには限らず、たとえば、あたたかで、無条件に子供を受け入れる育児姿勢はあったけれど、癌など、重い病気などで、入退院を繰り返したり、長期の入院があったりと、どうしても子供に注意が向けられなかった結果であったりもします。

 しかし、Self-esteemの問題は、親との幼少期の人間関係には限らず、たとえば、結婚して、結婚相手がすごく批判的な人だったり、冷たい人だったり、自分のことでいっぱいいっぱいだったり、一緒にいる時間が極端に少なかったり、支配的だったり、暴力、言葉の暴力があったりすると、そうした結婚生活を続ける中で、もともと健全なSelf-esteemを持っていた人が、Self-esteemの低下で苦しむようになることも知られています。また、人生における大きな失敗、不幸なできごとなどがきっかけで、そうなる場合もあります。

 それでは、ひとはどのようにして健全なSelf-esteemを育むことができるのでしょうか。それにはいろいろは方法があります。ひと言で言うならば、あなた自身が、あなたの良い親になることです。これは言うは安く行う難しで、相当に根気の要るものですが、今日から出来るまず大切な質問は、「あなたは自分自身をどれだけ受け入れていますか」というものです。

 知らず知らずのうちに、自己批判的になっていませんか(こうしなければ、ああしなければ、なぜこうしなかった、こうすればよかった、もっとできるはず、もっとしなければ、自分は十分じゃない、あんなことするんじゃなかって、言うんじゃなかった、ああすればよかった、などなど)。自分を他人と比べて劣等感に陥ったりしていませんか。良い親とは、先に述べた、あなたを全面的に無条件に受け入れるあたたかな親です。たとえば、仕事でも、私生活でも、何かちょっといいことをしたとき、小さな達成があったとき、きちんと、ちょっと立ち止まって、それを認めて、自分を褒めてあげていますか。ときどき自分にご褒美をあげていますか。他人は関係ありません。自分自身に目を向けて、褒めて、認めてあげるのです。失敗したら、失敗した自分を責めるのではなく、慰めて、励ましてあげるのです、よい親のするように。

 このようなことに日々注意を向けて自分自身に対する姿勢を変えていくその積み重ねで、Self-esteemは徐々に健全なものになっていきますが、ひとは生まれながらに社交的な存在で、Self-esteemそのものが親との人間関係によって内在化されたものであるならば、当然、あなたが今置かれている環境での主要な人間関係はあなたのSelf-esteemに影響します。あなたの恋人、配偶者、親しい友人、仕事の人間関係など、見回してみてどうでしょうか。辛い人間関係はありませんか。もし、先述したように、恋人、配偶者との人間関係に問題があるのでしたら、その人間関係の改善が大切です。ふたりだけで難しいようであれば、カップルカウンセリングに行かれることをお勧めします。友人関係などで悩んでいるようであれば、その関係性について、今一度考えてみることが大切です。仕事の人間関係についても、同じことがいえます。ただ、私たちはその生活でいろいろな人間関係を持っているので、ある分野での人間関係の修正がどうしても難しくても(とくに仕事関係)、別の分野での人間関係をよくすることで、Self-esteemは改善します。

 最後にまとめますが、Self-esteemは、あなたの、あなた自身との人間関係(Intra-personal, Intra-psychic)の改善、それから、他者との人間関係の改善(Interpersonal)によって改善します。健全な自信、自尊感情を身につけることは、とても大切なことです。なぜならば、お分かりのように、あなたの自信、健全な自尊感情が、あなたの人生に対する満足感、充足感、幸福感と深く結びついているからです。そして、あなたの健全な自信が、あなたの大切な人たちにもよい影響を与えるからです。

 自信とは、読んで字の如く、自分を信じることですが、どれだけ本当の意味で自分という人間を信頼しているか、これは誰にとっても大切な問題ではないでしょうか。


上手なダイエットと健康維持について

2012-11-09 | プチ健康心理学

今回は、khumoさんから頂きました質問についてお答えする形で、多くの現代人にとって大切な問題である、ダイエット、健康な体重維持について考察してみたいと思います。khumoさん、よい質問、どうもありがとうございます。以下、khumoさんからの質問の引用です。

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リクエスト:メンタル的にダイエットとどうやって向き合っていくのがいいのかということについてご教授頂きたく、宜しくお願いします!

背景
38歳 独身 海外勤務 男性です。

海外勤務ということから勤務先より厳しい健康管理を余儀なくされております。

当然のように1年に1回の健康診断では、胃カメラによる診断なんども義務化されております。また海外に派遣される際には、BMIなども厳しく精査されることになります。そのような環境なのですが、高校生のころにラグビーで鍛えた体も激しいスポーツを止めた途端に太り始め、大学生また社会人時代より100kgを超える体重で、この10年間は維持をしている状態です(長期高度肥満)。
ただ人生で2度ダイエットに成功したことがあり、半年間から1年間は73kg(大学生時代)、88kg(3年前)まで体重を落とし、その体重を維持することに成功しました。しかし、その後はリバウンドを繰り返し、特にこの3年間でまた現在は110kgを越える体重に至っています。
健康的にも、社会的にも、見た目的にも絶対に痩せる方がいい!と判っていながらどうしても適正体重を維持できないのか?(食べすぎなのでしょうが、やはり仕事が忙しく、ストレスなども多く、食べることによりストレスを解消する癖があるように思えます。)
一般的なマスコミが騒ぐ、女性向けの4-5kgぐらいの減量というお話ではなく、数10kg単位で体重を減量しなければいけ状況です。

このような状況のなかで今後どのようにダイエットと向き合っていくのがいいのかということについてご教授頂きたく、宜しくお願いします!

メンタルや心理学的な示唆に富むアドバイスを宜しくお願い致します

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 現在のようなストレス社会において、ついつい食べ過ぎてしまう、ストレスへの対応に食に走ってしまう、という方は本当に多く、健康によくないと分かっていながらもなかなかそうした行動をコントロールできずに困っている、という話は実際よく耳にします。食べることは、人間を含めたあらゆる動物の生命維持に直結しているうえに、特に先進国に住む人たちは、「食道楽」、Foodyなどというように、特定の好みのおいしいものを味わう、堪能する、という趣味的、知的な要素が加わり、さらには、その特定の食べ物を食べることによる安心感、幸福感(それは食べている間だけの短いものである場合もありますが)という心理的なものまで混ざっているので、実際その食行動を上手にコントロールするとなると大変です。長くなるのでここでは触れませんが、私達の食べ物との関係性は、私達が幼少期から作り上げた親との人間関係とも関係しています。つまりそれだけ深い問題なわけです。

 世の中には、ありとあらゆるダイエット法が存在しますが、「これはすごい!これこそが究極のダイエット!」といったものは、なかなか聞きません。それは、質問者のkhumoさんも経験されているように、実際減量に成功したところまではいいものの、それを長期間にわたって維持できるかというと、それはまた別の話というわけで、これはどこか、「誰かと親しくなる」ことと、「その人間関係を維持する」ことが全く別の問題であるのと似ているような気がします。誰かと親しくなること、体重を落とすことに必要なテクニックは、その好ましい体重、人間関係を維持することに必要なテクニックとは、重複こそあるものの、別物です。なんだか分かりにくくなってきましたが、ポイントは、長期的に効果のあるダイエットは実際なかなか難しく、そこには多角的な要素を考慮する必要がある、ということです。それは、とにかく根性、意志の強さに訴えて乗り切る、というスタンスとはおおよそ異なるものです。

 ここまで書いてきて、これは話すことがたくさんありすぎて収集つかなくなるのではないかと不安になってきたので、既にだいぶ長くなってきましたが、以下、なるべく手短にしようと思います。。。私は臨床心理学博士という職業に従事しておりますが、現代の臨床心理学、精神医学において、そのスタイル、流派などに関わらず重要である基本視点として、「Biopsychosocail」というものがあります。Biopsychosocialとは、「Biology」「Psychology」、「Sociology」、つまり、「生理的、生物学的」要素と、「心理的」要素と、「社会(学)的」要素の、3つの観点を治療者は常に念頭に入れてそのクライアントの問題を理解する必要がある、ということです。

 それは、khumoさんの例においては、例えばBiologicalな観点として、彼がもともとスポーツをしていて筋肉質、太りやすい体質、年を重ねるにつれて新陳代謝のスピードが遅くなってきている、などの要素があるかも知れませんし、Psychologicalな観点としては、khumoさんが仰っているように、仕事が忙しく、ストレスが多く、食べることによってそのストレスに対応している、ということ(ほかにもおそらくいろいろあると思います)、Socialな観点としては、たとえば、海外生活(これも多くのひとにおいて、自覚があるかどうかは別として、結構なストレスになります)、会社からの監視というプレッシャー、社会的な価値感(やせているほうが良い)、経済状況、住んでいる地域の様子、会社、プライベートでの人間関係、などです。

 多くのダイエットにありがちなのは、このBiologicalなものだけに焦点を置いていたり、Psychologicalなものにも考慮しつつ、Sociologicalな要素が抜けていたりするため、短期的にはうまくいくものの、長期的には難しくなってくる、というものです。Biologicalなものは、Psychologicalなものと密接に関係しているし、Psychologicalなものは、Sociologicalなものと密接に関係しているし、Sociologicalなものも、Biologicalなものと密接に関係しています。ひとは無意識的に、そうしたなかで均衡を保っているわけで、新しいことをするとその均衡が崩れるので、注意が必要なのです。ここでのポイントは、どのようなダイエットを選ぶにしても、そのダイエットをすることによって(ダイエットという行動自体は、Biologicalです)それが心理的、社会的にどのような影響を及ぼすか、考慮に入れることが必要です。たとえば、Raw food diet、マクロビなどをとことん徹底しようと決めた人は、友人との外食(社会的要素)が難しくなって、人間関係に何か影響があったり(これも社会的)して、それが精神的なストレス、フラストレーション(心理的)となり、そのダイエットを継続することが難しくなってきて遅かれ早かれやめてしまう、というようなことを考慮に入れて、どうしたらその3点において無理のないダイエットができるか、と考えることです。

 最後に、具体的なダイエットとして、最近アメリカで人気の、Mindful eatingについて触れてみます。Mindful eatingとは、文字通り、マインドフルに食する、ということですが、ではマインドフルとはなんだというと、ああ、また話がとても長くなりますね。大雑把にいいますと、Mindfulとは、あるターゲット(ここでは食べること)に、意識して、積極的に注意を向けている状態をいいます。食べる、という行動は、五感を使った行動で、その食べ物の形、色、におい、舌触り、食感、歯ごたえ、味わいと、注意を向けると本当にいろいろな要素があるわけです。これは別に新しい概念ではありません。Mindful Eatingとはつまり、食事をするときに、その今まさに食べようとしているものを、匂いをかいでみるもよし、その色合い、形などを鑑賞するもよし、よく観察してから口に入れるわけですが、口に入れたら、その食感、歯ごたえ、味などに、よーく注意を向けて、ひと噛みひと噛み、丁寧に噛みながら(飲み物だったら、ゆっくりと飲みます)ゆっくりと食べるのです。そうすることで、ひとは、食べるものの量ではなくて、質に心理的な満足感を得られるので、食べ過ぎる、ということがなくなるのです。たとえば、目の前にたくさんのクッキーがあったときに、それを次から次へと注意を向けずにむさぼり食うのではなく、そのひとつひとつによく注意を向けて、上記のようにゆっくりと味わうのです。ところで、多くのリサーチで知られていることに、太り気味の人は、そうでない人と比べて、食べるときの噛む回数が少ない、という結果があります。逆に、よくかむことは、心理的な満足感にもつながり、食べ過ぎることが少なくなるわけです。

 とはいっても、ストレスが多ければ、人はその解消法が必要なわけで、それが食べることであるならば、どうしても、それに取って代わる新しい解消法が必要になってきます。その取って代わるものなしに、Mindful eatingを実践しても、それはおそらく長続きはしないでしょう。

 さらに大切なのは、そのストレスとよく向き合い、そのストレスの原因についてよく考え、ストレス源(Stressor)そのものを減らす工夫をすることも大切です。たとえば、仕事が忙しすぎたら、どうしたら、その忙しすぎる状況を軽減できるか考えたり、仕事に対する姿勢(完ぺき主義など)を見直してみたり、優先順位を再検討してみたり、上司と相談してみたり、いろいろと試みると良いでしょう。それから、多くの場合において、ストレス源(Stressor)は、ひとつではなく、いくつか存在するので、ひとつのストレス源が動かせなくても、別のストレス源を軽減することが可能だったりします。

 人間は、非常に有機的、Organicな存在なので、食べることを含めて、このように、Biopsychosocialに、いろいろな要因を考慮に入れて問題に取り組んでいくのが大切です。