興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

クライシス (危機、Crisis) #3

2012-03-09 | プチ臨床心理学
 前回は、クライシスの構成要素について話しましたが、今回は、そのクライシスが起きる原因の種類について考察してみたいと思います。
 クライシスは、大きく分けると、1)Situational crisis (状況によるクライシス)と、2)Maturational crisis ({人生のいろいろな}発達、成長、成熟過程のクライシス)に分けることができると言われています。
 それでは、1のSituational crisisとは何かと言うと、突然で不慮の、当人のコントロールを超えたできごとによって、その人の心理的、社会的、身体的な平衡状態が脅かされることで起きるクライシスで、それはたとえば、病気、事故などによる怪我、親しい者の突然の死、病気、怪我、予期せぬ突然の失業、傷害事件やレイプの被害、そして、人災、自然災害の被害などがこれに当たります。
 一方、2のMaturational crisisは、人生における成長過程(発達心理学的見地において、人間は生まれてから死ぬまで発達、成長、成熟するもので、この意味における「成長過程」です)における人生のあるステージから次のステージへの過渡期で奮闘しているとき、つまり、何事もないときと比べて心身ともに打たれ弱くなっているときに起きます。Maturational crisisは、人間誰もが経験する人生のサイクルにおける過渡期、たとえば、思春期、高校から大学への過渡期、大学から社会人への過渡期、社会人から定年への過渡期、などがこれにあたります。逆に、誰もが経験するわけではないけれども、世の中の多くの人が経験する種類の過渡期もあり、それはたとえば、海外の生活、離婚、出産における大きな問題、あるいは、結婚相手が見つからない、などです。世の中の大半の人はその人生において結婚しますが、すべての人が結婚するわけではなく、すべての人が離婚するわけではありませんよね。

 さて、ここでひとつ大事なことなのですが、Situational crisisと、Maturational crisisが二律背反するものではなく、その両方の要素を含むクライシスも少なくありません。たとえば、前回の記事で挙げた八重さんの例ですが、子育てにおける苦労というのは多かれ少なかれすべての母親が経験するものですが、子供が学習障害と診断されたり、学校で問題行動を起こすということは、すべての母親が経験するものではなく、これはSituationalであり、Maturationalであるといえます。さらに、離婚という経験も、その発生の仕方により、SituationalだったりMaturationalだったりその両方だったりします。

 いずれにしても、今あなたが精神的な困難や大きなストレスと直面していたら、今あなたが人生において立っている場所、経験していることを見つめてみて、それが大雑把に見て、どういう種類のものなのか、Situationalなのか、Maturationalなのか、どちらの要素が強いか、など見極めて分析するだけでも、その問題をだいぶ客観的に見つめられるようになると思います。距離を置いて自分自身を見つめられるようになったら、スローダウンしたり、新しいことを試したり、方向修正をすることはそれまでよりも易しくなります。自分がいつもよりも難しい、繊細なところを通っているのだ、と分かれば、余計な刺激や問題から離れたり、親しい人に今の状況をうまく伝えてサポートしてもらったりすることもできるので、その危うい状況(Hazardous event)と打たれ弱い境地(Vulnerable state)から、フルなクライシスに陥ることなくその過渡期を経験することも可能になります。これは、あなたの近くにいる大切なひとにおいてもいえることで、その人がいま何かを経験して奮闘していたら、それが「何」なのか、どういう性質を持ったものなのか見極めて理解することで、適切なサポートもしやすくなることだと思います。

"Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle"--Plato--

2012-03-08 | 戯言(たわごと、ざれごと)
 昼下がりにクリニックの一室でなんとなく壁に掛けてあったカレンダーを外してぱらぱらとめくっていてふいに見つけたのが冒頭のプラトンの言葉、"Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle"。どういう文脈なのかは分からないけれど、そのときの自分のなかにあまりにもまっすぐに深く入ってきた言葉で、思わず泣きそうになった。誰にでも親切に、公平に、誠実に、優しくあろうとは、いつも心がけていた。心がけていてもなんとなくできないことがたまにあって、そのたびになぜできなかったのか振り返って内省することになる。でも、対峙しているその人間に対して親切であれなかったときのその理由は、少なくとも自分に関して言えば、「そのひとが、少なくとも自分と同じぐらいに、種類は違うかもしれないけれど、何かの問題を抱えていて、それと戦っている、取り組んでいる、頑張っている」、ということを心のどこかで忘れてしまっているときだと集約できると思う。つまり、何らかの理由でその人に共感できなくなっているときだ。

 でも、「親切でありなさい、というのも出会う誰もが大変な戦いに挑んでいるのだから」とはまさにその通りであって、誰もが何かの問題を抱えていて頑張っているんだ、ということを常に覚えていれば、共感できない理由もなくなる。そこから相手に対するリスペクトとつながりが生まれる。普段なんとなく分かっていたことだけれど、それをこれほどまっすぐに突きつけてくれる言葉に出会ったのが嬉しかった。