興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

感情を抑制し過ぎる人の陥りがちな問題について

2016-08-15 | プチ性格心理学

わが国日本は、伝統的に、あまり激しい感情を表現することが好まれず、むしろあらゆる時にニュートラルな状態でいられることが美徳とされているところがあります。感情のコントロールができる者=人間的に成熟している人、というような図式です。もちろんこの傾向も時代と共に変わりつつありますが、こうした文化背景は依然として存在しています。

これ自体は悪いことではないのですが、今回ここで取り上げるのは、この傾向が「強すぎる」人達がしばしば陥る問題についてです。

上記のようにもともとこうした国家的文化背景があるところに、ある種の家庭では、家庭文化的に、感情表出が特別に好まれなかったり歓迎されないため、そうした家庭で生まれ育った人は、知らず知らずのうちに、家庭外のあらゆる人間関係においても感情を抑制してしまいます。

それはどんな家庭環境かといえば、そこにはいろいろな可能性がありますが、よくあるケースとして、親が子供の感情表現、とくに怒りや悲しみなどのネガティブな感情を受け入れられずに、子供がそういう感情を表現した時に、ネガティブに反応することがあります。

たとえば泣いている子供に、「泣くんじゃない!」と怒鳴りつけたり、「いい子は泣かないわよね」と、泣くことや、悲しみを表現することを好ましくないものであると思いこませます。

また、子供の難しい感情に対峙するのができないために、子供がそうした感情を表現するのを無視したり、取り合ってあげなかったり、あるいはそうした子供の感情を馬鹿にしたりする親もいます。

もっと悪いのは、子供のそうしたデリケートな感情に付けこむ親です。

子供はこのような親にそれ以上傷つけられないため、自分のこころを守るために、感情を表現することをやめます。

感情を抑えることが、その子の置かれた家庭環境では、サバイバルに繋がっていたのです。

感情を抑えることが、そこでは「適切」だったのです。

しかし、その家庭では「適切」であったことが、外の世界では、不利に働くようになります。なぜなら外の世界の原理は、その人の独特な家庭の原理とは大きく異なるからです。

たとえば、こうした傾向のある人は、会社や学校などで、人間関係の問題を抱えやすくなります。

たとえば相手が何かその人に対して嫌なこと、ひどいことを言った時に、その人は、ほとんど反射的に、感情を表情に出さないように抑制します。瞬時に自分の感情を相手に悟られないようにするのです。それは自動的といっていいほど自然に行われるため、本人も自分の感情をきちんと認識できなかったりします。

本人も認識できないぐらいに抑制された感情は、他者はなかなか認識できません。他者は、自分の言動が、その人を傷つけていること、その人が嫌がっていることに気づくことができません。

最初は些細なやり取りであっても、相手のほうにモラルハラスメントなどの自己愛の問題があると、これが徐々にエスカレートしていきます。上司にはなかなかはっきりと言い返せない状況が少なくありませんが、多くの人は、少なくとも、嫌な時、辛い時、それが表情やしぐさに出るので、上司にもそれが伝わります。よほどサディスティックな人でない限り、部下が自分の言動に苦痛や不快感を感じている、と認識できれば、上司も態度を改めるので、深刻なモラハラに発展する前に、軌道修正が起こります。

一方、部下が精神的苦痛を顔に出さないと、上司としては、自分の意見やフィードバックがきちんと伝わっているのか不安になるため、それよりも強い口調になったり、しつこく言うようになります。良識のあるまともな上司であれば、このぐらいで留まれるのですが、自己愛に問題のある上司は、部下の感情をなんとか引き出そうと次第にエスカレートしていきます。

言うまでもないことですが、モラルハラスメントは、あくまで加害者側の問題であり、決してあってはならないのですが、感情を無意識に抑制、抑圧しがちな人は、こうした自己愛的な上司の標的になりやすい現実もあるので、意識して自分の感情をもっと自由に表現させてあげるようにしていくことで、続いていた良くない人間関係が好転したりします。

 

 



セルフ・ハンディキャッピング( 自己ハンディキャッピング、Self-handicapping)

2014-03-12 | プチ性格心理学

 期限付きの仕事や創作活動、試験勉強、論文や課題、プロジェクト、イベントの準備などに取り組んでいる人にしばしば見られる不適応に、セルフ・ハンディキャッピングという現象がある。ハンディキャップとは、ご存知のように不利な条件のことで、これは読んで字の如く、自己にハンディキャップ、不利な条件を与える、という行為だ。一種のセルフ・サボタージュともいえるものだ。
  
 具体的にこれはどういうことかというと、良かれ悪しかれはっきりとした結果のでるプロジェクトに取り組んでいる人が、意図的、或いは無意識的に、何かしら自分にとって不利になる条件を取り入れて、成功する確率を下げてしまう、ということだ。

 たとえば、大学入試の試験勉強に取り組んでいる人が、お金に困っているわけでもないのに12月に入って突然アルバイトを始めたりする。或いは、長期の旅行に行ったり、友人たちと連日遊び歩いたり、勉強はそっちのけで、問題を抱えている恋人を助けることに没頭したりする。絶対的な勉強量が不足したり、意識が別の方に向いてしまっているので、明らかに受験生にとっては好ましくない状況である。興味深いことに、こうした行為にでる人の多くは、能力はあり、きちんと努力すれば望んでいる結果を出せる人たちであるということだ。
 
 なぜ彼らはこのように自分で自分の首を絞めるようなことをするのだろう。

 矛盾するようだけれど、彼らはこのように自分を成功しにくくすること、自分を貶めるようなことによって、自分を守っているのだ。なぜなら、このように、(うまくいかない)「環境的、外的」な要因、理由を設けることで、実際に失敗したときに、自分の能力の問題ではなくて、外的、環境的な問題があったから失敗したのだと結論付けることで、自己疑念という根本的な問題と向かわずに済むからだ。「もう少し準備する時間さえあったら、うまくいっていた」、「もう少し心の余裕があったらうまくいっていた」、という素晴らしい言い訳が成立するのだ。このトリックのさらに素敵なところは、逆にこのような不利な条件下で事がうまく運んだときに、「あれだけ不利な状況だったのに、自分は成功した!」、「やっぱり自分はすごい!」、「もっと時間があったらもっと自分はできたんだ!」、と、さらに自己愛を満たす材料も同時に提供されている、ということだ。

 このように、「どちらに転んでも」、「それなり」のメリットがあるこの戦略は、常に「それなり」の報酬、つまり、自己愛の保護、或いは促進、という機能があるので、強化され、永続されがちとなる。意識しなければ、これは人格に組み込まれ、ごくごく自然にいろいろな場面で展開されることになる。

 問題なのは、こうした戦略をほとんど無意識的に常套手段としている人たちは、いつまで経っても自分ときちんと向き合うことができないし、失敗する恐怖、自分の能力が期待していたほどでないかも知れないことに直面する恐怖に直面して、その中で本当に努力することでしか手に入れられない本当の充足感、満足感、深い自己受容、潜在能力の引き出し、といったものを経験することもないことだ。
 いつまで経っても、「自分は本気になりさえすればすごいんじゃないか、でもそうでなかったらどうしよう」、という境地のまま、何か大きな飛躍を経験できずに時間を過ごしてしまう。
 失敗したり、自分の「現在の」能力を失敗によって正確に把握することで、能力は高められ、将来の成功の可能性は高められるわけだから、その「どちらでも一応大丈夫」という安全圏から抜け出さないと、本当のことは始まらない。それから、実際にやってみるとわかるけれど、今まで恐れていたようなものは、実は幻想であって、実体のないもので、現実はそれほど怖くも悪くもないのだ。本当に恐ろしいのは、努力しきれないライフスタイルを続けているうちに、好機を逃してしまう、ということだと思う。

 以上は割りと分かりやすい例だけれど、もっと見えにくいセルフ・ハンディキャッピングの例として、たとえば、恋人とのコミュニケーションにおいて、本当はもっと連絡を取らなければいけないことが分かっている状況や、もっと話し合いが必要だと認識している状況で、なぜかそうしない、そうできない、ということが考えられる。
 コミュニケーションをおろそかにすることで、恋愛関係の消失、破局の確率は高くなるのだけれど、実際に関係がうまくいかなくなったときに、自分の性格、能力、容姿など、個人的な要因ではなくて、コミュニケーションが足りなかった、という表面的な理由で自分とも相手とも向き合わずに済むということだ。それで破局が訪れたら、その人はもちろん傷つくけれども、実際に相手と向き合って駄目だったときの破局と比べたら、その傷はずっと少ないし、同時に、向き合って失敗したことで成長できる機会も逃してしまっている。そこで何とか自尊心が守られたので、そのパターンが無意識的に繰り返されていったりする。 また、見捨てられる恐怖、嫌われる恐怖を強く経験している人が、いざ嫌われたときに、「コミュニケーションが足りなかった」、という理由が存在することで、それ以上内省することもない。
 逆に、コミュニケーションが足りない中でなんとなく恋愛が続いていたら、「これだけコミュニケーションが不足しているのに自分達はうまくやっている。もっと話し合ったらもっと関係はよくなるかもしれない」、という可能性を可能性のまま温存して心の平衡を保っている、という可能性もある。

 このように、具体例は枚挙に暇がないけれど、ひとつ共通して言えるのは、セルフ・ハンディキャップを続ける限り、その人の自己愛や自尊心は適当に守られるかもしれないけれど、本当に欲しいものは永遠に手に入らない、ということだ。それは文字通り、長い目で見ると、自分を損なわせる行為である。

 (オリジナル執筆日:2011-12-23 20:59:18)

***より踏み込んだ内容をお読みになりたい方は、こちらの記事をご覧ください: https://note.com/taka_psych/n/ndcb2028c864e


セルフハンディキャッピングは、一般論としては、分かりやすく、理解しやすい概念だけれど、これが個人レベルで、どのようにあなたの人生をサボタージュしているのか本当に深いところで認識するのはなかなか大変です。というのも、人は、ひとりひとり、全く異なった家庭環境で育ち、学校における体験なども、ひとりひとり、とてもユニークなものなのです。そうした中で、ひとは多かれ少なかれ、何かしらのトラウマを経験しますが、あなたがどのようなことで、どのように傷を受け、何にコンプレックスを感じ、そうした中で、どのようになんとか自分を守ってきたのか、そうしたことは、実際はとても複雑で、また、これは無意識的に作用している部分が多いので、盲点は少なくありません。

これはあなたの人生に有害に働いていると同時に、あなたのこころの安定を保っているもので、ゆえに、ここから脱出するには、適切な理解、洞察、サポートと、この自己防衛に取って代わる、健全な新しいチョイスが必要です。もしあなたが今、この問題で自分が困っていることに気づいて、なかなか抜け出せずに困っていたら、私のところに気軽に連絡してみてください。実際に、私のオフィスに来て、何度か心理カウンセリングに参加してみるのもいいですし、これが一番いいのですが、それが億劫でしたら、メールセラピーやスカイプセラピーを試してみるのもいいと思います。

メールセラピーにおいては、もちろん秘密厳守であるため、あなたはもっと個人的なところで、どういうことに悩んでいるのか、私に伝えることができます。それについて私が丁寧に回答するやり取りが、1回のサービスで2往復まで可能です。私のブログの文章が、あなただけの個人的な自己改善マニュアルになります。どうか、ひとりで悩まないでください。私はいつでもここにいて、あなたをサポートします。メールセラピーについては、こちらの記事、http://blog.goo.ne.jp/smf405/e/d1c75907a27367f015a29f3c51336019を参考にしてください。


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