興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

not friendly?

2009-11-06 | プチ精神分析学/精神力動学
 今日なんとなく参加したプレゼンテーションにて
たまたま同席した、おそらく50代前半ぐらいの日本人女性は、
アメリカ人と結婚していてアメリカ生活も30年近いということだ。
 この方とは以前にも何度か会ったことがあるのだけれど、
I/O Psychology(産業心理学)を学ばれているというこの女性の
第一印象はとにかくアグレッシブな感じだった。

 今回もやはりアグレッシブな感じで、この方と、もうひとり、
やはり50代前半ぐらいのイラン人男性と、自分の3人で談笑していて、
日本の話になったときに、どういうわけか日本文化や日本人に
ネガティブな考えのあるこの日本人女性は、今回もやはり、

「日本人は非友好的でとても無礼なのよ」

とかおっしゃられた。
 驚いたイラン人男性が、

「いや、僕は日本人はとても友好的で礼儀正しいと思うけど」

、と言った。私も基本的にこのイラン人男性に同感だったので、

「そうですよ、日本人は基本的に友好的な人、多いですよ!」、

と強調すると、

「えぇ、そうかしら?私が日本に行ったら、もうとにかくみんな無礼で
びっくりしたわ。全然友好的じゃなかったわ」、

と、彼女は興奮して答えた。

「彼らに愛想よく話しかけましたか?」

、と月並みなことを聞くと、彼女はNoと答えた。
 そこでイラン人男性が、やはり私の思っていることを彼女に言った。

「相手があなたに対して友好的かどうかは、あなたが彼らに
友好的かどうかにもよると思うよ。まずあなたが彼らに
フレンドリーにならないと」。

 すると彼女は、少しばつが悪そうに、
「そうね、試してみるわ」、と答えた。

 察するにこの女性は、日本に帰国したときに、
アメリカでもそうであるように、無愛想でぶしつけに
日本人に話しかけたのだろう。

 ここで考えられるのは、以前にも触れた気がするけれど、
「投影性同一視」(Projective identification)と呼ばれるもので、
1)まずこの女性は、たとえば日本のどこかの店員に、
「この日本人の店員は無礼で非友好的だ」という偏見を元に、
無愛想に話しかけたと思われる。
 2)無愛想でアグレッシブに、なんとなくネガティブな感じで
話しかけられた店員は、当然気分を害するわけで、
やはり無愛想になってしまう。
 3)そのようにして無愛想になった店員をみて、彼女は自分の考え
(日本人は無礼で非友好的)が正しかったと確認する。

 ここで面白いのは、もともと彼女が店員に投影(Project)した
彼女自身のネガティブな気持ちを店員は取り込み(Introject)、
本当にネガティブで非友好的になってしまうことだ。
 このネガティブな気持ちは、もともとは店員にはなかったもので、
彼女との交流によって生じた気持ちである。
 そのようにして、目の前の店員が非友好的であると見て取った女性は、
それが自分自身が投影した、つまり、自分のものとしては
受け入れがたい属性であることには気付かずに、
「やっぱり自分の考えは正しかった」と、
ネガティブな体験ながら、こころのどこかで満足するのだ。
 そのようにして、彼女の人生のなかで、
「日本人は非友好的で無礼だ」という経験が強化され、永続化する。
 世の中にはもちろん、相手の雰囲気とはあまり関係なく
特別に友好的な日本人もたくさんいるわけだけど、
そういうひととの関係は往々にして、「例外的なひと」と認識される。

 人間は往々にして、自分が信じるもの、見たいものを見るのだ。
 このような流れを変えるには、新しい種類の交流を経験するには、
まず自分自身が他者に投影している感情について自覚することが必要だ。
 なんとなくネガティブな考えのある他者を前にしたときに、
その気持ちについて考えてみるのは価値のあることだと思う。
 その気持ちがもしかしたら自分自身からでているのではないかと。
 そのような気付きは、普段自動的に取っている行動に歯止めをかけ、
修正を起こす。そのようにして微妙に変わった態度は、
相手の気持ちにも必ず影響を及ぼすから、交流パターンそのものが
変わってくる。

 このような理由から、普段自分が何気なく接している相手と
経験している感情について、それがポジティブであれネガティブであれ、
たまにちょっと立ち止まって距離を置いて眺めてみるのもいいかもしれない。
 
 蛇足だけど、投影性同一視は、ネガティブな感情に限ったものではなく、
ポジティブなものも存在する。たとえば、この記事にでてくる
イラン人男性の、「他者は基本的に友好的だ」、っていう考えも、
当然彼が接する相手に投影されるわけで、
よい雰囲気を投影された相手はやはり悪い気持ちはしないもので、
そこにはポジティブな交流体験が生じる可能性は高い。