興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

自己証明理論(Self Verification Theory)

2012-04-28 | プチ社会心理学

 今回はひさびさに社会心理学(Social psychology)の分野です(ここのブログは無駄にカテゴリーばかり多く実際の記事は臨床心理学と精神分析学と戯言にばかり偏っている気がしてなりません)。さて、以前にも述べた気がするのですが、社会心理学とは、人間の感情、思考、行動が、社会的刺激によってどう影響されるかについて研究する行動科学です。しかも今回はその名も自己証明理論、意味深長な響きですね?

 自己証明理論(Self Varification Theory)は、1980年代にSwann氏などによって研究されたもので、我々人間が、いかに自己概念に対する証明を必要とし、求めているかについての理論で、ここで興味深いのは、その自己概念がポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、人はその自己概念の証明を希求する傾向にある、ということです。別の言い方をすると、人は幸福である以上に正しいことを好む、ということがいえます。たとえば、太っていて、それを認識している人が、誰かに「全然太ってないじゃん」などと言われるよりも、「確かに太ってるね」と言われたほうがずっとしっくり来ることや、英語が苦手で気にしている人が「君の英語はとても良いね」と言われるより、「確かに改善しないとね」と言われたほうが気分はまし、というようなもので、これは、よく巷で言われる、人は自分が聞きたいポジティブな発言だけ受け取る、という考えには相反するものですね。

 この理論はさらに、我々はよく、自己概念を証明してくれる他者との交流を無意識のうちに求め、逆に、その自己概念に反したり、証明を与えない誰かとの交流を避ける、ということも示唆しています。これはドラえもんを見ていても分かりますが、のび太くんは、散々いじめられつつも、スネ夫くんやジャイアンと時間を過ごしますよね、出来杉くんと時間を過ごす代わりに。傍から見たら、のび太くんの自己評価を常に貶める人間関係で、出来杉くんと居たらそんなことはなかろうに、彼らは一緒にいますよね。なぜでしょう。それは、(もちろんいろいろな意味がありますが)ひとつに、スネ夫くん、ジャイアンが、のび太くんの「まるで駄目だ」という自己概念を証明してくれる存在だからといえるでしょう。スネ夫くんも、「自分はお金持ち」という自己概念を彼らによって証明してもらっているし、ジャイアンも、「自分はガキ大将」という自己概念を常にその人間関係で証明してもらっています。一方、出来杉くんといたら、その人間関係において、彼らはそれらを証明してもらえないので(出来杉くんにとっては彼らのそのような自己概念はあまり関係のないことです。相手が誰だろうと、彼は同じように普通に接します)ついつい避けてしまうわけです。

 学生時代、派手な子が派手な子達と集い、静かな子は静かな子達と集い、不良は不良達と集っていたでしょう。その人間関係で、その子の自己概念が、どんなものであれ、常に立証、証明されていたからです。これは、人が社会に出てからの人間関係にも見られるし、結婚関係にも見られます。これが、良い結婚関係の場合、互いのポジティブな部分の自己概念が常に証明されるもので、それぞれ幸せなのですが、逆にDVなどのある、虐待的な夫婦関係、また、どちらかがどちらかを軽蔑して蔑むような夫婦関係で、そのネガティブな部分の自己概念が常に証明される故、それが非常に苦痛であるのになかなか終わらない、ということもあります。

 これは、鬱病の人がその鬱をしばしば永続化させてしまうその人間関係においても知られています(Joiner, Katz, & Lew, 1997)。ある研究結果によると、鬱の人は、鬱でない人に比べ、無意識のうちに、自分に対してネガティブなことを言う人を求め、ゆえに拒絶の経験も多くなっている、ということです。さらに、そのようにして経験した負の発言、拒絶などは、その人たちの鬱をさらに悪化させます。恐ろしいことです。しかし、これは逆に、もし我々がこの人間の社会的傾向をよく認識していたら、鬱状態のときに、まずい人との交流を避けて、鬱の悪化を防ぐことにも役立つといえるでしょう。

 今の人間関係にとても満足している方は良いのですが、もしそこに何か不満があるのならば、(自己証明理論ゆえに)最初はあまり居心地がよくはなくても、新しい人間関係や、あまり普段時間を過ごしていない人との交流など、試してみるといいかもしれません。なにしろ、自己概念そのものが、我々がその幼少期や、以前の人間関係や人生経験によって作り上げた、実は実体のないファンタジーに過ぎないのですから。実体のないファンタジーなので、人はそれを常に補強してくれる相手と一緒にいるのです。


鬱と不安の根本的相違点と共通点

2012-04-07 | プチ認知行動心理学
 鬱病(Majir Depression, Major Depressive Disorder)といろいろな不安障害(Anxiety Disorders)は、わが国を含む多くの社会において最も疾患率の高い精神障害ですが、疾患、障害、といった臨床レベルの問題に限らず、鬱気分、鬱状態、憂鬱、どんよりした気分、という鬱症状、また、何かが心配でしようがない、何か不安で大切なことに集中できない、なかなか眠れない、などの不安症状は、誰でも多かれ少なかれ経験のあるものだと思います。今回は、この広義においての鬱、不安について触れてみようと思います。

 まず、多くの人が経験から想像に難しくないように、鬱と不安という心理は同時に経験されることが多く、決して二律背反するのもではありません。
 たとえば、何かが心配で心配でしかたがない、という状態が何日も続いたら、その不安は精神状態に当然悪影響を及ぼすし、その不安によって仕事や勉強や大事な社会交流などにうまく集中できなくて、失敗したりそれが満足いかない出来になったりしたら、がっかりしたり、自分を責めたりして、落ち込んでしまったりするもので、ここでは明らかな「不安→鬱→さらなる不安→社会生活の質の低下→さらなる鬱・・・」という悪循環が考えられます。
 これは、強い社会不安障害(Social Anxiety Disorder)を抱えた人が、その不安ゆえに希求する人間関係が築けなかったりして自信喪失したり孤独感に苛まれて鬱になる、という実際しばしば見られるケースからもお分かりになると思います。

 逆に、重度の鬱病を経験している人が、その鬱のため外出もままならずに、会社を欠席して、仕事が蓄積していくのをどうにもできずにいたり、近くにクビになる可能性などでてくると、当然不安は生じてくるでしょう。
 また、誰かとの会う大事な約束があって、でも鬱のため、その人と楽しい会話が保てないかもしれない、相手に迷惑を掛けてしまうのではないか、こんな精神状態で何話したらいいか分からない、などと考えていると社会不安が経験され、その社会不安がさらにその人を憂鬱にしたりします。

 さらに興味深いことには、SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors、選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などの薬が、鬱にも不安にも効果的、つまり、同じ薬が抗不安剤にもなれば、抗鬱剤にもなる、という事実で、脳科学的にも鬱と不安の密接な関係性がお分かりになると思います。

 さて、いつものようにだいぶ前置きが長くなりましたが、このようにしばしばワンセットになって起こる二つの精神状態には、根本的な違いがあります。

 それは、この二つの問題の、時制、時間的な特徴です。これは平たくいうと、鬱は、「過去にこころがとらわれてしまっている状態」であるのに対し、不安は、「未来に心がとらわれてしまっている状態」であるということです。たとえば、失恋における鬱と不安ですが、2週間前に失恋を経験して、今鬱状態にある人は、実際に起きた失恋という「過去」にとらわれています。逆に、破局寸前にいて、その破局を望んでいない人は、これから近くに起こるかもしれない破局、つまり悪い「未来」を想像して捉われている状態です。思わぬ失業の後で鬱を経験する人は少なくないし、失業寸前にいる人は、失業という未来の可能性に強い不安を経験します。

 しかしこれも一概には言えないもので、たとえば明日のデートがものすごく不安な人がいて、なぜそれが不安かといえば、過去に似たような状況でものすごく辛い経験をしたからであり、その過去の辛い経験を思い出して憂鬱になっていて、しかも同じことが明日起こるのではないかと、その経験を明日に投影して不安を経験している、というようなケースもあります。
 いずれにしても、あえて単純化すると、不安は未来、鬱は過去、という時制の違いがあるわけです。

 最後に、その精神世界の共通点ですが、鬱の人は過去に没頭してしまっていて、不安の人は未来に没頭してしまっているわけで、その時制がどこであれ、彼らは現在の「今ここで、Here and now」の大切な瞬間をおろそかにしてしまっている、ということです。
 物理的に、体は「今」にいながら、頭の中はどこか他へいる状態です。
 皮肉なことに、こうした「今この瞬間をきちんと経験できない」状態がさらに鬱、あるいは不安を悪化させます。
 大切な人との時間に、何か別件で不安を経験していて会話に集中できなくて、良い時を過ごせなかった、うまく繋がれなかった、もしかしたらそれが相手に伝わって口論になってしまった、とか、昨日した大きな過失のことで頭がいっぱいで鬱々していてうまく仕事に集中できなかった、時間を無駄に過ごしてしまった、ああ、憂鬱。といった悪循環です。

 逆に、今自分が不安で未来にとらわれがちである、あるいは鬱で過去にとらわれがちである、と良く自覚して、100%とはいかず、70%でも80%でもなんとかうまく、「今ここで」のこの瞬間に居続けることができたら、そのときに一緒にいるひとと70%でもつながれるし(50%でも良いでしょう)、60%でも仕事はできるし、その「現在」を生きているという自分が、逆説的に、過去の鬱や未来の不安を軽減させます。
 誰かと一緒にいて、70%繋がれて70%よい時間を過ごせたら、(完全にこころここにあらずで)それが30%で気まずい時間を過ごしてそのダメージを修復しなければと新しいストレス源ができて不安が悪化するよりずっといいでしょう。また、それなりのよい時間が持てると、鬱の大敵である孤独感も軽減するわけで、それは当然鬱症状の改善につながります。
 それから、今ここで小さな成功を経験することで、過去の失敗に折り合いがついたり、こころの整理がついたり、あるいは、支持的な環境にいるのだと経験して不安が和らいで、不安していたことが起こらずに、思い込みから解放されて、長期的な不安の減少に繋がったりします。

 以上のことから、快適な精神状態でない自分を発見したときに、なんとか今していることに気持ちを神経を集中すること、今この瞬間をきちんと経験することがいかに大事であるかがお分かりになると思います。
 認知行動療法という精神療法のテクニックで、Schedulig worries(不安のスケジュール)というものがあり(詳しくは別の機会に紹介します)、これは、一日のある特定の時間をあらかじめ決めて、その時間に思いっきり不安を経験する、そのことを考えて時間を過ごす、その代わり、それ以外の時間にその不安を持ち込まない、というものですが、このテクニックのゴールは、不安が一日全体を支配してしまうのを防ぐ、また、長期的には、その不安そのものがあまり根拠のないものであったと自覚する、というもので、このテクニックが効果的なのも、いかに私達が今をきちんと生きることが良い精神状態に繋がっていくかの現れであるといえるでしょう。