わが国日本は、伝統的に、あまり激しい感情を表現することが好まれず、むしろあらゆる時にニュートラルな状態でいられることが美徳とされているところがあります。感情のコントロールができる者=人間的に成熟している人、というような図式です。もちろんこの傾向も時代と共に変わりつつありますが、こうした文化背景は依然として存在しています。
これ自体は悪いことではないのですが、今回ここで取り上げるのは、この傾向が「強すぎる」人達がしばしば陥る問題についてです。
上記のようにもともとこうした国家的文化背景があるところに、ある種の家庭では、家庭文化的に、感情表出が特別に好まれなかったり歓迎されないため、そうした家庭で生まれ育った人は、知らず知らずのうちに、家庭外のあらゆる人間関係においても感情を抑制してしまいます。
それはどんな家庭環境かといえば、そこにはいろいろな可能性がありますが、よくあるケースとして、親が子供の感情表現、とくに怒りや悲しみなどのネガティブな感情を受け入れられずに、子供がそういう感情を表現した時に、ネガティブに反応することがあります。
たとえば泣いている子供に、「泣くんじゃない!」と怒鳴りつけたり、「いい子は泣かないわよね」と、泣くことや、悲しみを表現することを好ましくないものであると思いこませます。
また、子供の難しい感情に対峙するのができないために、子供がそうした感情を表現するのを無視したり、取り合ってあげなかったり、あるいはそうした子供の感情を馬鹿にしたりする親もいます。
もっと悪いのは、子供のそうしたデリケートな感情に付けこむ親です。
子供はこのような親にそれ以上傷つけられないため、自分のこころを守るために、感情を表現することをやめます。
感情を抑えることが、その子の置かれた家庭環境では、サバイバルに繋がっていたのです。
感情を抑えることが、そこでは「適切」だったのです。
しかし、その家庭では「適切」であったことが、外の世界では、不利に働くようになります。なぜなら外の世界の原理は、その人の独特な家庭の原理とは大きく異なるからです。
たとえば、こうした傾向のある人は、会社や学校などで、人間関係の問題を抱えやすくなります。
たとえば相手が何かその人に対して嫌なこと、ひどいことを言った時に、その人は、ほとんど反射的に、感情を表情に出さないように抑制します。瞬時に自分の感情を相手に悟られないようにするのです。それは自動的といっていいほど自然に行われるため、本人も自分の感情をきちんと認識できなかったりします。
本人も認識できないぐらいに抑制された感情は、他者はなかなか認識できません。他者は、自分の言動が、その人を傷つけていること、その人が嫌がっていることに気づくことができません。
最初は些細なやり取りであっても、相手のほうにモラルハラスメントなどの自己愛の問題があると、これが徐々にエスカレートしていきます。上司にはなかなかはっきりと言い返せない状況が少なくありませんが、多くの人は、少なくとも、嫌な時、辛い時、それが表情やしぐさに出るので、上司にもそれが伝わります。よほどサディスティックな人でない限り、部下が自分の言動に苦痛や不快感を感じている、と認識できれば、上司も態度を改めるので、深刻なモラハラに発展する前に、軌道修正が起こります。
一方、部下が精神的苦痛を顔に出さないと、上司としては、自分の意見やフィードバックがきちんと伝わっているのか不安になるため、それよりも強い口調になったり、しつこく言うようになります。良識のあるまともな上司であれば、このぐらいで留まれるのですが、自己愛に問題のある上司は、部下の感情をなんとか引き出そうと次第にエスカレートしていきます。
言うまでもないことですが、モラルハラスメントは、あくまで加害者側の問題であり、決してあってはならないのですが、感情を無意識に抑制、抑圧しがちな人は、こうした自己愛的な上司の標的になりやすい現実もあるので、意識して自分の感情をもっと自由に表現させてあげるようにしていくことで、続いていた良くない人間関係が好転したりします。
しかし、大学生になって思うのは、自分を信頼して表現することが難しくなっており、とても生きることが難しいです
どうすればいいのでしょう?
お待たせいたしました。コメントありがとうございます。
とても大変な家庭環境だったようですね。。snbさんの抱えている問題は、実際複雑なものだと思います。大学生になり、環境は今までいたところとは異なる場所だとたとえ頭で理解できても、感情レベル、無意識レベルでは、それがうまく理解できていないのが現状です。信頼できるサイコセラピストを見つけて、まずは少しずつ親子関係などについて話していくなかで、セラピストにsnbさんの気持ちが首尾一貫して大事にされ、自由な表現が奨励されていることを体感する必要があります。この新しい人間関係の交流というプロセスを繰り返し、積み重ねていく中で、修正的情緒体験を通して、今よりもずっと生きやすくなりますし、自分を信頼して表現できるようになります。