興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

投影(Projection)

2012-05-18 | プチ精神分析学/精神力動学

 投影(或いは投射、Projection)という現象は精神分析学における最も基本的な概念のひとつで、ここのブログでも何度となく触れているのですが、このあたりで明確な定義など含めて考察してみるのも良いかと思い、今回はその投影について書いてみます。

 投影という概念は、(世代にも寄りますが、私と同世代の方は)公立中学校の保健体育の教科書の「こころの防衛機制」で習ったりしているように馴染みの深いものなので、この言葉について知識のある方も多いと思います。

 それは狭義においての定義で、「本当は自分が持っている性質であるが、それが到底受け入れられないために、その性質を他人の中に見出すことで、嫌な感情、不安などから精神衛生を守る、無意識の防衛的働き」といったものです(脚注1)。

 これは精神分析や臨床心理学のフィールドにいる人たちの間でも広いコンセンサスのある定義です。

 投影は、人間誰もが無意識に経験しているものですが、その投影の頻度や度合いには大きな個人差があります。

 また、私たちのこころの防衛機制には様々な種類があり、人格的に成熟した人ほど、その多種の防衛機制をバランスよく経験します。逆に、ある種の人たちは、投影をメインの心の防衛機制としてそればかりをフル稼働させるため、認知や対人関係のパターンに大きな偏りが見られます。無論これは程度問題で、多くの人はその中間ぐらいに投影とそれ以外の防衛を組み合わせて経験しています。

 投影は本当に私たちの日常の人間関係に遍在するものなので例はいくらでもあるのですが、たとえば以下のようなものが考えられます(すべてはフィクションです):

 数ヶ月前、長年の難しい結婚生活に区切りをつけて離婚を選んだ会社員の里美さん(35)は、夫の海外勤務に伴ってアメリカ生活をする予定で、また、海外生活にはずっと憧れがあったのですが、離婚により、それができなくなってしまいました。それで留学を考えているのですが、経済的な事情でそれができずにいます。一方、里美さんと高校時代からの親友の由香里さん(35)は、外資系に勤める夫勝次さん(40)の駐在員としての任務に付き添い半年前からロサンジェルスに住んでいるのですが、夫婦関係に問題があり、また、慣れない文化と言葉の壁などの適応障害もあり、相当に参っていて、離婚して帰国することを考えています。里美さんと由香里さんは本当に親しい関係で、学生時代からずっと助け合ってきたのですが、どうしたことでしょう、里美さんは、今回に限って、どうしても由香里さんの置かれている状況に共感ができずに葛藤しています。由香里さんが本当に精神的に参っているのはよく分かるのですが、「もう少し頑張れないかな」、「仕事もしないで良い生活で、何甘いこと言ってるの?」、「アメリカ生活なんて面倒に決まっているのにどうして行ったの?」などと批判的な考えばかりでてきてしまい、なんとかそれを言葉に出さないようにしているのですが、スカイプやEmailで話を聞いていると、イライラしてきて大変です。

 お分かりの方も多いと思いますが、ここで里美さんが経験しているのはまさに投影です。

 「本当は自分が海外に行きたかったのに行けなかった。行きたい、残念」、という気持ち、また、離婚という経験にもまだ心の整理ができていないため、離婚という判断が正しかったのか分からなくなるときもあります。しかし、こうした考え、気持ちに触れてしまうととても辛い気持ちになるので、そうしたものを「自分が本当は持っている考え、感情」であるのを無意識に否定し、自分以外の、外の世界の、由香里さんという他者に、文字通り、投げかける、投影することによって、なんとか心の平安を保っている、という状況です。

 人は、受け入れがたい感情を保持していると大変なので、ポンっと相手に投げかけて、自分のものではない、他人のものだ、と錯覚することでその悪感情から逃れます。

 しかし里美さんはそれでも嫌な気分を経験しているでしょう、という方もおられると思います。

 もちろん里美さんは、由香里さんに対する批判的な自分を経験し嫌な気分を経験しているのですが、里美さんの心の平安にとっては、それでも、本当の気持ち(海外に行きたい、残念、離婚は正しかったのかな?)に触れるよりかはずっと安全なのです。まさに他人は自分を映し出す鏡なのです。私たちは、他者に自分自身をみているのです。

 しかし、由香里さんとの人間関係を本当に大切にする里美さんは、このままではいけないと思い心理カウンセリングに行きます。

 そこでゆっくりと時間をかけて、離婚の問題に徐々に本当の意味での心の整理がつき、また、本当は自分は海外に行きたいんだ、これからでも遅くない、きっといくんだ、という希望がでてきて、それらの感情がもはや受け入れがたいものでなくなり、それを由香里さんに投げつける必要がなくなり、自分のものとして再び受け入れて、自己概念の一部として統合していく過程で、由香里さんの問題と自分の問題の違いもよく分かり、由香里さんに再び共感でき、優しくできるようになりました。

 以上の例からも分かるように、最初の段階では、里美さんは、自分の本当の気持ちが余りにも脅威だったので、里美さんには投影することが必要だったのです。

  しかし、里美さんはそこに問題を感じ、心理カウンセリングに行くなどして、心の整理をするなかで、それらが次第にこころの脅威ではなくなりました。それで由香里さんに対して問題のある投影が起こらなくなり、自分をより深くうけいれらるようになり、その結果、由香里さんをありのままに受け入れられるようになった、というわけです。


 誰かの何かに対して、ふいに不快感、反感を抱いたときに、「なぜ反感を抱いたのか」について立ち止まってよく考えてみると、いろいろな自己発見があります。

 余談になりますが、どこかの市長が、タトゥについて短絡的な考えと行政を展開していますが、タトゥの良し悪しとは別として、彼の姿が多くの人からみて滑稽にみえるのは、彼が非常に投影的で、自己愛的な性格をしているからです。

  タトゥは、本当に様々な人生経験の様々な事情の様々な考えや価値観の人たちがしているものですが、そうしたいろいろな異なる人たちを一緒くたにしてひとつのネガティブな分類にカテゴライズして切り捨てるその姿は傍からみると不自然です。そこに滑稽さを感じない彼は、「己の投影を野放しにして省みないとどれだけみっともなく危険な人間になるか」を具現化しているように思えます。

 と、橋○氏を批判する私自身、自分のなかの受け入れがたい要素、嫌いな要素を○下氏に投影しているわけです。お前もタトゥしているんだろう、とお思いの方、私はタトゥをしていません。タトゥしたいんじゃないの?と言われると、もしかしたらそうなのかな、とも思います。今のところ興味はないし、これからすることもないと思いますが。

  ただ、恐らく私はここで、タトゥそのものよりも、私自身が持っているナルシズムや自己中心性を、誇張された形で出している彼に見ているのだと思います。刺青や彫り物、タトゥに対する橋下氏の考え方は分かるのですが、それでも彼がしていることは極端で危険だと思うのです。人は投影を経験しているときに、本当の現実が見えていません。政治的力を持った人がそういう性質の、投影という歪んだ認知で見ているものを行動化したところで、良いものは生まれないでしょう。彼の投影が、人々の更なる負の投影を引き起こすばかりです。

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脚注1) ここで問題なのは、投影は「ネガティブな感情や不安に対する防衛」に限ったものではない、ということで、これは専門家の間でも意外と知られていなかったりします。紙面の都合と混乱を避けるため、今回はこの狭義における投影に絞って書きます。

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