興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

クライシス (危機、Crisis) #2

2012-01-20 | プチ認知行動心理学
 さて、クライシスには、大きく分けて、5つの構成要素があるといわれています。それは、Golan (1978) によると、1) Hazardous event (危険なできごと、危ういできごと)、2)Vulnerable state (打たれ弱くなった、ダメージを受けやすい境地)、3)Precipitating factor (引き金となる、最後の一撃的要素)、4)Active crisis state (クライシスの真っ只中)、5)Reintegration (心の再統合、或いは心的均衡の復元)の順になります。

 まず1ですが、これは何か具体的なStressor(ストレスを起こすもの)で、その人の心の均衡を崩すものです。これが一連のクライシスの始まりとなります。
 2は、その人の精神的、認知的、行動的、肉体的な、Hazardous eventに対する反応を指すもので、その人はこのとき、今までうまくいっていた適応法がうまく作用せずに不安と緊張感を高めるようになります。どうしよう、なんとかしなければ、でもうまく対応できない、という境地です。
 3は、最後の一撃になるできごとで、その人を、「打たれ弱い境地)から、心の不均衡、クライシスの真っ只中へと陥れます。さて、4ですが、ひとはこのとき、最大限の緊張状態にいます。この緊張状態はさらに3つの段階に分けられ、A)まず、心身の強い動揺(それはたとえば、食欲の問題、睡眠障害、不安、鬱、頭痛、腹痛など身体的苦痛など)を経験し、B)クライシスになったできごとに対する没頭、思い煩い、を経て、やがて、C)徐々に心身の均衡状態に戻りはじめます。
 最後に5ですが、この時点で、そのひとは、新しい適応能力、対応法を身につけ、一連のクライシスを客観的に見つめ、再評価できるようになり、そこに意味を見出せるようになったりします。

 これではやや抽象的なので、具体例を出して見ます。以下はすべてフィクションです。

 八重さん(30)は、東京都在住の既婚女性で、看護士として小さなクリニックで働いていて、夫有さん(35)との間に10歳の子供(悟くん)がいます。しかし彼女と有さんの夫婦関係は数年前から悪化する一方で、夫婦喧嘩が絶えません。あるときから、悟君が学校で問題を起こすようになり、成績も落ち、病院に連れて行ったところ、学習障害の診断を受けます。それから徐々に、悟君の教育方針についても喧嘩が絶えなくなり、ある日有さんから離婚を申し立てられました。悟君は基本的に八重さんが育てる代わりに、有さんも悟君の教育費や医療費など負担する、ということで話がまとまり、八重さんは離婚のショックを抱えながらもなんとかシングルマザーとしての生活をはじめました。しかしある日、仕事で大きな失敗を犯し、解雇されてしまいました。それは本当に大きな衝撃で、彼女は鬱状態に陥ってしまいました。幸い彼女には支持的な両親がいて、彼らは八重さんと悟君のことが心配になり、経済的なことを含めて、全面的なサポートをしてくれました。八重さんはすっかり自信を失っていましたが、両親や友人のサポートのなかで、少しずつ落ち着きと心の平安を取り戻し、まもなく再就職を果たしました。

 さて、この八重さんの例に、上記の5つの要素を当てはめてみましょう。まず、八重さんの有さんとの夫婦仲の問題、頻繁な夫婦喧嘩は、ある意味で、1.Hazardous event,危ういできごとに当たりますが、さらに、悟君の学校での問題、さらには学習障害の診断、というより具体的なHazardous event、危険なできごとが起こります。
 その結果、八重さんは普段(何事もないとき)よりもずっと打たれ弱くなっています。大きなストレスを経験しています(2.Vulnerable state)。そこに追い討ちを掛けるように、有さんからの離婚の申し立て(もうひとつのHazardou event)が起こります。人によっては、これ自体が最後の一撃、3.Precipitating factorとなったりしますが、よほど精神力が強かったのでしょうか、八重さんはなんとか持ちこたえてシングルマザーとしての生活を始めます。想像が難しくないと思いますが、八重さんはこの時点で相当に打たれ弱くなっています。2)のVolnerable stateです。
 さて、そこにある日突然解雇というできごと(3のPrecipitating factor)が起き、八重さんは4のActive crisis state(クライシスの真っ只中)に突入します。幸い八重さんには支持的な両親がいて、そのなかで少し時間的、精神的なゆとりが持て、八重さんは少しずつこころの均衡を取り戻していった(5.Reintegration)、ということです。

 八重さんの例からも分かるように、クライシスとは、徐々に進行していく場合が多く、そのストレスは少しずつ蓄積し、やがてそのストレスは限界に達し、そこで起きたとどめの一撃で、ひとは真のクライシスに突入します。しかし状況によっては、八重さんの例ほどに分かりやすいものではなく、もっと微妙でいて、慢性的なActive crisis state、という場合もあります。周りのことがあまり見えずに、自分自身のことで精一杯で、辛い精神状態が続いている、という状態です。

 このクライシス理論から学べることはたくさんあるように思います。
 まず、この記事で紹介した、クライシスの性質、段階、流れなどにたいする知識や認識を深めることで、自分が今立っているところがどういうところなのか、自覚が高まると思います。それによって、歯止めも利くし、流れを変えやすくなります。
 それから、「今、自分は難しいことを経験しているのだ」と認識すること自体でずっと気が楽になったりします。普段のようにできなくて当たり前、と思えたら、そんな自分にいつもよりも時間的、物理的な余裕を与えやすくなります。また、実際クライシスに陥ったときでも、より客観的に自分自身、状況を見つめやすくなるし、今までのやり方が通じないのだから、新しいことを学ぶ良い機会、成長のチャンス、と、問題を捉えなおすこともできるでしょう。
 さらに、自分の家族やパートナー、親しい友人が、何か新しい経験や、大変な経験をしているときに、その人がどこに経っているのか、おおよその見当もつくので、そのひとが本当に必要なサポートをうまく提供しやすくもなるでしょう。

 何人かのアメリカ人が得意気に話してくれた、中国語のCrisis「危機」の語源の話があります(この語源はアメリカで広く知られていて、このエピソードを好むアメリカ人が多いのです)。我々日本人が見ても分かるように、「危機」とは、「危険」(Danger,Hazard)と、「機会」(Chance, Opportunity)が組み合わさってできた語で、つまり、クライシスとは、ピンチが同時にチャンスでもあり、それをどのように捉えてどのように対応していくかで、大きなプラスへと繋がっていく可能性もある、ということです。

クライシス (危機、Crisis)

2012-01-14 | プチ臨床心理学

 心理療法、心理カウンセリングは、対象となる問題の性質や、クライアントの特徴、治療者の流派やスタイルなどにより、治療の期間も介入も様々ですが、短期集中型の心理療法の代表的なものに、危機介入(Crisis intervention, クライシス・インターベンション)というものがあります。これはあらゆる心理療法家、心理カウンセラーの基本技術とされているものですが、同時に非常に大切な技術でもあります。なぜなら、我々人間はその生涯において様々な危機に直面するからです。特にここ近年の先の読めない不景気、大きな自然災害、深刻化する社会問題などで、クライシスというものが私達にとってずっと身近なものになってきているような印象があります。「クライシス」というと、なんだか非常に大きな問題のように響きますが、それもクライシスの性質や状況などによって様々です。深刻なクライシスもあれば、対応が比較的容易なクライシスもあります。

 さて、先ほどからクライシス、クライシスと繰り返しておりますが、クライシスとは何でしょうか。それは、クライシス理論のエキスパート、Roberts(2000)によると、「一定期間の心理的不均衡(Psychological Disequilibrium)」で、この不均衡は、自然災害、人災(性暴力、傷害、強盗、空き巣、詐欺の被害など)、事故、病気、家族や恋人、非常に親しい人間の死、個人の人生における大きな過渡期、分岐点など、様々な危険要素-出来事や状況-(Hazardous event or situation)よってもたらされます。こうして起きた心理的不均衡がクライシスとなる特徴は、それが、私達が今までに身につけていて普段使っている適応法、対処法が機能しなくなっていたり、効果的でなくなっている、というところにあります。たとえば、普段何か困ったことがあったときに、家族や親しい友人と話したり相談したりして解決するという適応法を持っている人が、ある時大きな失恋、離婚を経験し、精神に支障を来たし、親身な家族や友人と話したところでうまくいかない、ということはよくあります。また、こういう状況で、「相談する」というオプションそのものが困難になってしまったりします。

 クライシスの特徴は、その心理的不均衡が比較的短期間に限られたもので、それは通常、6週間から8週間といわれています。しかし、適切な解決策、対応法が見つからなかったりしてそれにきちんと適応できないと、問題は複雑化したり、長期的な精神的、行動的不適応へと繋がったりします。たとえば、思わぬ大きな失恋をした人が、それにきちんと向き合えずに、酒や薬物、食べ物などで気を紛らわして、それが慢性化してしまったり、あるいは別の相手と衝動的に恋愛関係を展開させて、不健全な関係がそのまま続いていく、などということがあります。

 大切なのは、クライシスとは何か、そのきちんとした知識を持って、それを実際に経験したときに、きちんと認識して、対応する、ということです。また、きちんとした知識と自覚があれば、それがクライシスに発展する前段階、「危険な状況・できごと」の時点で危機管理をし、クライシスを未然に防ぐ、ということも、可能な場合が少なからずあります。次回はもう少し具体的に、クライシスについて考察してみようと思います。